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「いい夫婦の日」に考えたこと
11月22日、いい夫婦の日かぁ〜と思う。
高畑充希と岡田将生の結婚に、さほど衝撃はなかった。
「あ、いいじゃん」って思えたからかな。
「親友のような私たち」という言葉にも、なんかいいなと思った。
それより大谷夫妻とデコピンがまた輝いていて、輪郭しか捉えられなかった。
あんま凝視できてない。
でも勇気持って真美子さんを見てみたら、まだセレブではない素朴さに溢れていてますます素敵と思いましたですね。
あのカップルはなぜあんなに理想的なんだろう。私はどの夫婦・カップルにも、一緒になる目的があるんだろうと思う。
経済的なこと、社会的なこと、子どものことなどなど。
好きだから一緒にいたいとか、それは夫婦それぞれでしょう。
もし私が結婚していたら、「いい夫婦の日」をどう感じて過ごしてたんだろう。
何にも意識しないかもしれないし、「自分たちはいい夫婦かな…」って考え込んでたかもしれない。
街頭インタビューを受ける良さげな夫婦が映ったらチャンネルを変えそう。
パートナーと「ねぇ、今日いい夫婦の日だって」って、食卓で笑い合う姿はなぜか想像できない。私の周りの夫婦・カップルはパートナーのこと、「好きは好きだけど、そういう好きじゃない」という感じで言う人は意外に多い。
それは謙遜か照れか本音なのか、私にはわからない。
一番仲のいい既婚友人は、「最初から恋愛とかじゃない」とこの間言っていた。
「そうなんだ!?」とかなり驚いたけど、そういえば似た雰囲気の夫婦はほかに結構いて、だからといって「終わってる」とかでもなく平和そう。熱愛・即結婚で、その情熱がわりに早く冷めた夫婦もいれば、結婚10年以上たってもラブラブをキープする人もいるし、ラブラブじゃないけど冷めてもない安定的な2人もいて、それは相性の種類なんだろうなと思う。
なのにラブラブのカップルが最上位みたいなのって、なんかむず痒いんですよね。
なんだかメディアも「晩婚化」「非婚化」とかを嘆いといて、「夫婦像」のハードルをやたら高くしてる気がする。
結婚させたいのか・させたくないんだか。女を活躍させたいんだか・させたくないんだかというのも、同じくらいわかりにくいメディアの論調ですが、これは「させたくない」がどこかの本音だと思う。
どこかって、なんか大きな力を持ってる勢力というか、潜在意識というか。
とするなら、今いわれている「理想的な夫婦像」というのは、「女に早く結婚してもらって(若さ)」「家に入ってもらって(育児)」「男を支える(家事)」「浮気には目をつぶる」という前提がまだ根を張ってるように感じる。でも最近は「家に入ってもらって」など望んでない、「夫婦共働きが理想」という男性が増えましたね。
家事・育児する男性も増えたけど、大きな勢力の考えは変わってないので(企業や政府や地方)、女性の負担がまだどうしても重いものとなってしまう。
活躍してほしいけど・してほしくないという潜在的な矛盾が、現状突破の足を引っ張ってるように見えるし、もしかしたら女性の側にも活躍したいような・したくないようなという矛盾した意識があるのかも。
これは結婚にかかわらず、女には心当たりのある感情と思う。
現実、活躍の先に「茨の道」しか想像できない。
ってか、茨の道しか用意されてないというか。
この国でいわれる「夫婦像」は結構矛盾を抱えてそうなのに、「いい夫婦で」という理想ばかり語られるように見える。
「永遠の愛」「運命的な」
恋愛要素の色が濃いというか、性愛のプレッシャーもやけにかけられてるような。
セックスレスとかも、矛盾が何かを邪魔してるんじゃないのかなとか、そもそも性行為ってそんなに必要なんだろうかとか(時代に大いに刺激されすぎたようにも思うから)。
「家族愛」はコロナ禍でネガティブな面が浮き彫りになったからか、家族信仰はだいぶ薄まってきたように感じる。
それで気持ちが楽になった人はとても多いでしょう。
夫婦のハードルももっと下がればいいんじゃないのかなと思ったのです。
結婚はめでたいことと煽りつつ、年齢差(特に女が上)のあるカップルに容赦ないアンチコメントがついたりするのも何だかよくわかんないですよね。
Yahoo!ニュースの記事一覧にしても、結婚に適した人・適さない人を浮かび上がらせるような見出しが目立つ。
それが世の中の意見と錯覚してしまいそうなほど。
同性結婚がいつ実現するかはわからないけど、そうなったら同性の友達同士が結婚という形を取ることもあるかもしれない。
お互いを支え合いましょうという約束を大事な人と交わすのに、性別はそんな重要じゃないように思えるから。
少子化という懸念はあるにしても、よその夫婦に少子化のめくじら立てる人もそうはいないだろうし、ただ政府からしたら少子化は大きな懸念事項なので、現実に夫婦のハードルが下がるのに時間はかかりそう。
選択的夫婦別姓すら実現しないんだから。
ただの語呂合わせの日なんですけどね。
こんな食いついてしまった。
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40代後半でよかったと思うこと<性格編>
トラブルを起こさなくなってよかった(瞬発力低下)
かつてはカッとなったら、瞬時に怒りの言葉を相手にぶつけてたものです。
特にLINEで即反論メッセージを送る。
あの速さは、今振り返ると我ながらすごいと思う。
そりゃ、頭を抱えるほど後悔したことは何度もあります。
だけど頭抱えてる間にまた長文LINEが来たりして、ぐわっと怒りの言葉を紡ぎ出して返信。
そんなことを45までやってました。
46に差し掛かって、途端に丸くなったんですよね。というのは、カッとなっても言葉が浮かばないのです。
不快なモヤモヤで脳内を占められるのに、数分経つと「なんだっけ?」となる。
ちょっとしたババァ状態ですが、瞬発力が低下したのでしょう。
よくアンガーマネジメントで、怒りが湧いたら6秒数えるみたいのありますが、あれを自然にやってる感じでしょうか。
「ま、いっか」となる。
それを続けてると、こっちの怒りや正当性を表明しないことで、仲違いなどのトラブルを回避できることのほうがよっぽどいいと思えるようになるんですよね。
むしろ、昔はなぜあんなに不快感や正当性を主張してたんだろうと思う。
そうじゃないと生き残れないような危機感があったんだろうけど、それがなんだったかも覚えてない。
何の変化も起こそうとしなかったことによる「何も起こらなさ」の平和感を心地よく感じられるようになりました。人間関係の悩みが減ってよかった(感度の低下)
苦手だなぁと思う人がこれでも激減したのです。
昔は「関わる人ほとんど苦手!」と思う日のほうが多かった。
同僚たちが楽しそうに笑ってるのもなんか嫌。
自分のミスに誰かため息ついてるんじゃないかとか。
あの人が何も話さないのは私のせいかもしれない、などなど全身アンテナ状態でしたが、40後半になると途端にどうでもよくなった。コロナ禍に私語を控えるようお達しが出て、その「話さない日々」の心地よさに気付いたからというのもありそう。
みんな話さないというあの静寂の期間は、本来やるべき仕事に集中できたし、仕事が終わったら最低限の挨拶だけして帰る。
苦手な人とエレベーターが一緒になっても「話さない」を貫けたし、「お先にどうぞ」と、密回避を装って同乗を避けることもできた。
そんな日々を過ごすうち、「誰にどう思われてるか?」というあの痛々しい感度も鈍麻していったというかですね。
自分が気にしなくなったら、誰にも嫌われてないような気がするから不思議。
「いい人でいなくちゃ」という気負いがなくなるのは、大きなストレス一個減ったということなんでしょうかね。お金を使わなくなってよかった
(体力・好奇心の低下)あくまで私の場合ですが、30代はしょっちゅうCDを買ってたし、雑誌も本も買っていた。
「仕事帰りにどこか寄る」というのを日々楽しみにしてて、それがストレス発散だったんですよね。
先日、同い年の友人とも話してましたが、ルミネ10%オフの期間なんか閉店までうろつく日を何度も繰り返して、へとへとになるまで欲しいものを探したりしてたよねと。
今じゃ「早く帰りたい」、頭に浮かぶのはそれだけ。
パートナーやペットが待ってるわけじゃありません。もう、お財布出すのが面倒なのです。
お金がない、とかいう前に「欲しい→買う!」と心が動くことに疲れてしまった。
無印とかソニプラ寄って何にも欲しいと思わない自分に愕然とするぐらいなら帰りますね。好奇心の低下。
そんで休日に限って眠い・ダルい・どこかしらの鈍痛。体力低下。
推しへファンレターまで書いてたのに、今じゃその人の音源も聴かなくなった。
「よかった」どころか病んでるんじゃないかという話ですが、何が日常にもたらされたかというと「落ち着き」ですかね。
「あれやりたい」とかの持ち手カードが昔20枚ぐらいあったとしたら、今は7枚、いや5枚もあったかな。
いっぱい抱えても頭が混乱するだけなので、生活や自分自身がシンプルになりつつあると感じます。物欲が減る。
(とはいえ毎月の収支は赤字。なんでだ?)「経験」から判断できるようになってよかった
(真の自立)ここまで「老化」をただ前向きに捉えただけという感じもしますが、40も後半になれば「経験」を生かせるようになってきたなぁと、感慨深くもなります。
特に人間関係ですね。
距離感には特に気をつけるようになりました。
近いから親しくなるとも限らないし、会わないから疎遠になるわけじゃないことを知った。
あと終電間際の酔っ払いにはかなり敏感になりました。
やばいな、と察していち早く隣の車両に逃げたら、数分後にあとからあとから逃げてくるとか、そんな能力は身につきましたね。恋愛・結婚の価値観もずいぶん変わりました。
かつての私は恋愛至上主義傾向でしたが、自分の魂胆に自分で気づかないようにしていた。ただそれだけだった気もします。
自分1人で生きることにどこか手抜きをしたかった。
全力で頑張っても上昇できる気がしないので、上昇していきそうな人ばかり好きになってましたよね。
そんで一心同体をもくろむ。アブない女でした。
ただ、「全力で頑張っても上昇できる気がしない」
そう思わせる時代に生きているということ。自己責任じゃないだろう。
堂々こんな責任転嫁もできるようになるもので。何より「無理しすぎないほうがよい」ということを経験で感じられるようになったのは大きい。
いい意味で「自分中心」になれました。
高齢母の介護生活に入って、そりゃ母親のことを考える時間は増えたけど、子どもも夫もいない自分が誰かの生活に責任持つことを体感できた。
これが自立なのか。
末っ子の自分がどれだけ人の脳みそ借りて生きようとしてたかも思い返され、そんな反省ができるようにもなった。自分は非正規で独身。加えて神経質で未来の不安ばかり抱えてきたのに、「ま、いっか」と思える大人になってたというのはちょっと想像してませんでしたね。
「40後半でよかったこと」をこれだけ連ねられて本当よかった。
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不倫小説読んで恋愛を考える
桐野夏生の「ロンリネス・ハピネス」を読み終えました。
主人公はタワマンで一人娘を育てる有紗。
訳あって夫とは別居中で、ほとんどシングルマザー状態から物語は始まる。
だけどタワマン内で形成されたママ友グループでこの事実を明かすことはできない。
夫婦仲の不安定さは下方レベルに格付けされやすいから。
それなのに!
このタワマン内で不倫が繰り広げられる。
それは物語的なスリルと思えば楽しいとも言えるけど「なぜそんなリスキーな…」と、呆れと侮蔑のような感情も引き出される。
登場人物に共感できる箇所が少なく、読み進めるのに時間がかかりました。
強いて言えば、唯一タワマン居住者ではない門仲育ちの「美雨ママ」は言動が率直で、最初は彼女に好感を持ちながら読んでいた。
が、美雨ママはドロドロの不倫沼にハマっていく。
そのハマり方がまた目も当てられない激しさ、子どもより男を選んでしまう。主人公・有紗のもとにやがて夫は帰ってきて、色々あった各々の過去もそろそろ水に流せそうかと思ったところで、同じタワマン内の既婚男・高梨と有紗の接点が生まれる。
この男・高梨がグイグイ野郎で、私はすぐベッドインするんじゃないかとヒヤヒヤしてたのですが、しそうでしなかったーーという展開を何度も見せといて、結果ホテルに入る。
あっという間に「貫通」という言葉で表現されたのには驚きました。
ただ、濃厚なラブシーンが年々苦手になってきてる私にはその2文字で十分です。
桐野さんはこの本で何を言いたかったんだろうと、ずっと考えながら読んでました。
「不倫」に対してなんらか思うところがあるのは感じられた。
それが非難なのか侮蔑なのかは判別しにくく、「人ってそうなるよね」という肯定を感じられる気もする。
とはいえ「ここまで行くのは見失いすぎ」という最悪パターンを描き出しつつ、泥沼からどうやって人は這い上がる? どう折り合いをつけて生きるの?という妥当案みたいなのを最後、クールに提示してくれたようにも思う。それにしても恋愛の恐ろしさよ。
有紗も美雨ママも「子どもを捨てて男のもとへ」という思いが頭をよぎる。
その衝動や感情は珍しいものじゃないのかもしれない。
とはいえ、既婚夫に家を飛び出させて2人で家を借りるほど愛し合っていたのに、女が妊娠した途端に「堕ろしてほしい」と男が懇願したりする。
また、前の浮気で妻の自殺騒動があったにもかかわらず、また人妻に恋をして「今度は本気だ」と言う男。
この恋愛の激しさよ。「一度寝たら、また抱きたくなってしまう」
これがすべてなんじゃないか。
泥沼への道。
有紗と高梨は一度は「寝ない」と決めたはずなのに、「抱きたい」というメッセージを有紗に送る高梨。
こういうとこだよ!
恋愛の醍醐味なんだかスリルなんだか。
動揺する有紗に、畳み掛けるように続く「会いたい」のひと言。
「20時からなら会えます」
あーあー返信しちゃったよ。
そうして家事や娘の入浴をガーッとこなして、会いに行く。
気力・体力すげぇと思った。
だけど性のチャンスが目の前にあると、人は何万倍もパワーがみなぎるのだろう。
スイッチ入れらちゃったら、コントロールは難しいですよ。
コントロールできる人のみ「正しい」とされるには、あまりにもハードルが高い。
「ラインの前で踏み止まれない人たちね」と軽蔑の目を向けることはできても、いつ自分も衝動に揺り動かされるか、「絶対ない」とも言えない。
いや、コントロールって大変よ、本当に…(誰だよ)
そうして夜、顔を合わせた2人は、性欲パワーが倍にもみなぎってて鼻息も荒い。
なのに、どっちかの余計な一言で「ひどい!」とかなって急にパワーがしぼむ。
動物みたいになってんのに、なぜかハートはガラスなんだ。
「神社行こう、富岡八幡宮!」
急に出てきた固有名詞に男の必死さを感じた。
まさかいい年の男が神社内のよきスポットで何やらしないだろうねと思ったけど、わりあいピュアな展開でした。*******************************
恋愛シーンにおける、「今すごく本気」「本気であなたを愛している」という展開に辟易するようになった。
今の私にそれは「最高に美味しいガムの最初の味に感動している状態」に見える。
私も年を重ねていろんな感覚が枯れていき、自分も夢中になったはずの「恋愛」への感じ方がずいぶん変わった。
特に20代・30代の恋愛に特有の「性と結婚と常識感」が入り交じって絡まって、煮詰まりつつも求め合うどうしようもなさを体験して、よく自分生きてんなと思う。
あの部分を切り取れば、確かにCDアルバム1個できそうな美しさはある。
noteで同棲中カップルの日常を読んでても、明らかに夫婦とは違う「恋愛」という色が浮かび上がってて生々しい。
1日が「彼の腕枕」から始まったりする。
(夫婦のnoteで腕枕から始まるものは記憶にない)
でも夫婦のnoteは夕飯などの描写に「安定」がにじんでますね。
そのままお皿洗ってのんびり過ごして電気消して寝る。
ヘーベルハウスとかのCMでしれっと電気が消えて消灯時間が描かれるけど、その中での想像をわざわざしない安定感というか。ところが絶賛恋愛中のカップルからはなんとも言えない刹那が漂う。
それは美しさでもあるんだけど、垣間見られる不安定さは読んでるこちらを揺さぶってくる。
成就が幸福とも限らないような未来への不安感。
隣にいるのに相手をつかまえ切れない(と感じている)寂しさ。
満たされなさを相手のぬくもりで癒やし合う「愛」と呼ばれるもの。
羨むほどの甘さが描かれてるのに幸せいっぱいでもないようなnoteに触れると、漫画「同棲時代」がいつも思い出される。
画像はAmazonサンプルより「同棲時代(3)
幸せなんだか不幸なんだかわからない同棲中カップルの物語で、恋愛は常に「未完状態」なんだと感じる。
未完であるかぎりどこか虚しく、完成形じゃないからこそ美しい。
でもそんな状態は長く続かないじゃないですか。
濃厚なほどに寿命は短い。
なのに濃厚なほど「愛」を本物と思いたい。
それで自分と相手を一心同体に思ったり、足並みがずれると疑心暗鬼になり修羅場、不倫だったら何もかもを捨てようとする。
危険極まりないだろう、恋愛。
恋愛という美しき未完状態は人生の一部分だな、とは思う。
「その他」の時間がとてもとても長く、それを味気ないとか退屈と思う人が、恋愛という危険領域に吸い込まれていくのだろう。
とかいって「退屈くらいでちょうどいい!」とか自転車乗りながら唱和するタイプこそ、すぐそこにおそろしい恋愛が待ち受けてるんじゃないですかね。
玉木氏が会見で「妻子ある身で他の人に惹かれてしまって(心が弱くてすみません)」と言っていて、あの言い方ずるいよなと思った。
「既婚でも惹かれることくらいあるでしょう!」という擁護の余地を匂わせてる。
いや、そういうことじゃねぇんだよ!とツッコんだあとの言語化が意外に難しくて。
そういう狙いで誰かライターが書いたんだろう。
不倫には「そういうこと責めてるんじゃなくて」というややこしいラインがたくさんある。
常識感、責任感、信頼感など。
ただ恋愛ってそんなの簡単に吹っ飛ばす威力・魅力があるのだろう。
子どもを手放してもいいと思ったりするんだから。
ただそれは「未完」に耐えられるいっときのことでしょう、と思った。 -
葛藤を愛する
ホロスコープってどう役立てればいいんだろうということは、この数年ずっと考えてることではあります。
私はここのところ、日々の月の運行も気にかけなくなってしまった。
そういえば新月・満月か、くらいなもので、予定が入れば少しはボイドを気にする程度。
スマホに入ってるカレンダーが天体の移動も表示されるので、サインの移動はチェックします。
ただ、チェックするときって大抵、生活や心身になんらか起きてるときで、そのゆえんをたどるべく星を見ている感じ。
プログレス月は1ヶ月に1度進行するので、それはサビアンメッセージまで毎回気にかけてますね。
芸能人の星をチェックすることが激減しました。
太陽サインで「っぽいな〜」と思うくらい。
前は演技でグッと来た俳優がいると、そのゆえんをホロスコープから見出そうとしてましたが、もう全部年齢のせいと思うけど好奇心が薄れてるんですよね。
前は、「自分の熱意は誰かに届くはず」みたいな熱さがブログを書くモチベーションだった。
自分で「書き切った」と手応え感じる記事を書くと、鑑定依頼が舞い込んだりして、私の表現って本当に誰かに見てもらってるんだな…と感動しますよね・・私にとって「星」「占星術」が生活に密着するほど重要なものではなくなってます。
星を見たからって何かが解決するわけじゃなく、誰かの気持ちを攻略できるわけでもなく、先々の不穏な運勢を回避できるわけじゃない。
15年、占星術に関わってつくづく感じたことです。
そりゃ人によっては、鑑定によっていろんな悩みを解決したり成就に導いたりする技術をお持ちかも知れません。
私は人の何かを解決するなんてことはできないと、あるときはっきり思いました。鑑定内容で多いのは、やっぱり仕事でしたね。
過去の自分はできたのに、今の自分は頑張り方がわからなくなった。
もっと結果を出さないととわかってるのに、出せなくて苦しい。
やりがいを感じられる職場へ転職したい。あと恋愛・結婚。
周りみんな結婚してるのに自分には出会いがない。
どうしたら色気が出るのか。
〇〇歳までに結婚・出産したい。人が悩みを抱えるのは、「社会的に自分はこうあるべき」という太陽系の自分と、「社会がどうあれ自分は自分」という月系の自分に葛藤があるからじゃないかと、ホロスコープを多く見てきて思ったことです。
そこに葛藤がない人・折り合えてる人というのもいるとは思います。
堺雅人さんは前にラジオで、「自分の中に葛藤とかない(人生で一度もないから葛藤がわからない)」と言っていた。
そんで思わず堺さんのホロスコープを見てみたわけですが、太陽と天王星がコンジャンクション、金星は火星とコンジャンクション。
まぁ役者さんってありえない役を演じるので、「普通じゃなさ」を存分に表現することで満たされるのでしょうね。堺さんは殊更「普通じゃない事態」に巻き込まれやすい(役で)
もし普通のサラリーマンだったら、変わり者に翻弄されやすい人生だったかもしれません。今は男性も生きにくい社会とはいえ、女性はさらに閉塞感を増してるように感じる。
しかも冥王星がずっと山羊座にあったので、この15年は「普通」「まとも」「コンプラ」とかのプレッシャーにさらされまくった人は多いでしょう。ただ、ホロスコープが面白いのはその「葛藤」と思うのです。
鑑定ではその人の「葛藤部分」を探って、「だから苦しいのか」というのを言語化するようにしています。
これまで何度も見ている自分のホロですが、「みんなと足並みそろえて役立つ社会人でありたい」蟹太陽土星+乙女金星系と、「おもしろくドラマチックに生きたい」獅子月+双子水星系が常にせめぎ合ってるんだなと、ストレス感じたときに思い返すようにしています。
ドラマチックさが「無難さ」に押し込まれるというのは、もう本当つまんないですよ。
ただ、ここで牡牛火星からヒントがもたらされる。
「創作してみてはどうだろう?」と。
部屋でPCたたくのは双子水星の得意技だし、部屋で地味に過ごすのは蟹のお家芸。
「表現」をすることで、それを人の目に触れさせる。
これは獅子系の承認欲求が満たされます。
私の月は火星とスクエアなので、「磨きをかける」ことに邁進しようとする。
それはストレスにもなるんだけど、ストレスってドラマチックなんですよね。
長らく自分を不幸・面倒引き受け体質と思ってましたけど、大仰に生きてる感を得るためになんだかんだ自分らしい方法をとってんだなと。まぁ、そう頭で思ってみても「くそー」という報われなさを獅子月は感じるわけですが、月さえ黙らせれば、なんだかんだ恵まれた環境で平和に生きてることに「十分じゃないか」と思えてくるわけで。
それに、獅子月は群れるのが嫌い。
寂しがり屋だけど、複数人と無難な会話で気を遣い合うのはもっと苦手。というわけで、「自分のどの部分が不満を訴えてるのか?」という箇所をホロスコープで探り当てられれば、自分にとってまぁまぁ有益と言えるんじゃないかなと思ったりします。
また、私の獅子月が暴走すると蟹の太陽と土星が社会的なダメージを負うわけで。
その月を監視するのは私の場合スクエアの牡牛火星ですが、ぐっとブレーキかけるストレスはなぜか「悲しみ」に変換され、これはこれでドラマチックですが、いったん落ち込むとドラマとか言ってられないほどつらくなる。
なので、「ダメージを自分で自分に与えない」というのが私の人生目標として、そういう内側の目標を打ち立てるためにホロを見るのもいいんじゃないでしょうかね。私は「いつ〇〇できるか?」という鑑定はお断りしてるというか、できないのです。
私自身、「あなたは20××年までに必ず出会いがあって結婚する」と言われたことも何度もあります。
高いお金を払って実績のある(らしい)占い師に見てもらったこともありますが、「いつ〇〇」というのが当たった試しがない。
「あの占い師の言ったとおり30で出産した!」という友人もいましたが、私はきっと期待が大き過ぎたんだと思う。
「期待」と「当たる確率」は反比例するんじゃないかと本気で思ってますね。
地震も「〇日が危ない!」と鑑定されたものって大抵外れてるし。
振り返ったときに「確かにホロスコープどおり」と思うことはたくさんあるけど、とにかく占いに期待は大敵です。
「結婚できそうですよ」と占ったところで、人をいっとき落ち着かせるだけにすぎず、「未だしてないんだけど…」という事態を人のせいになどできないのです。
私は自分で〇〇占いの結果を読む側としても、期待を抱かせる占いを避けてます(鑑定は今は休止中)
雑誌の週間占いとか、「いい出会いがあるはず」なんてよく書けるなと思う。
出会いがありそうな星回りというのはわかるけど、木星が7室に入ったから「今年は結婚のチャンス!とか、乱暴すぎやしませんかと。
でも統計学的に見れば、本当に7室木星とかN太陽T木星同室で結婚した人が多いのかもしれない。
というわけで、私は今後あまり星に関することを書かなくなっていくかもしれませんが、過去の記事などで楽しんでもらえるだけで、こちらとしては嬉しいかぎりです。
時々、星に対しての熱量がぐわっと高まるので、そんなときに勢いで書けたらなと思います。 -
家族の話が無難じゃなくなってきた
家族の話は、天気と同じくらい無難な話題。
そう考える人は多いと思う。
でも最近、家族の話をしにくくなった。
人にもどう聞いていいかわからない。
「最近、実家に帰ってる?」
「お母さん元気?」
そう気遣ってもらうのはありがたい。
そこまで親しくない同僚には「元気だよ、腰悪いけど。だから週1帰ってる」とだけ言って会話を終わらせがち。母は元気なのです。
腰を痛めてから1人で外には行かないけど、デイサービスやリハビリでほとんど毎日外出してるし、なんたって性格が陽気。
ただ要介護1レベルの認知の衰えあり。
つまり認知症なのだけど。さりげない問いに、どこまで情報を詰めていいかためらう。
母は元気だけど、介護に突入して大変と思うことはある。
「実はちょっと大変なんだ〜」と言って、「高齢親ネットワーク」みたいのに参加すれば気が楽になるのかもしれない。
でもそのネットワークに入りたくない。
入りたくないのに人のことを深掘りして、「こっちおいでよ〜」と手招きする人もいる。
警戒心が発動する私。今回話したいことは、「家族の話=無難でもないんじゃないか」ということ。
あと「人をやたら心配したがる距離感近めの人」のこと。
私が30代のころは、母親も70代で元気いっぱい。
父は少し入院したのち亡くなったけど、闘病というほどでもなかった。
そのころは親の話をふられても、濁すことなくまっすぐ返せた。
私も挨拶がわりに「ご家族元気?」なんて聞いてたし。女性9割の職場では「王道の無難会話」というものがある。
食べ物、スーパー、ペット、体調、子ども、家族。
でも誰にとっても無難というわけじゃない。
私は食べ物の話振られても「アレルギーで…」となる食材があるし、体調も少しつらいときほど誰にも気づかれたくない。
そして家族・親。「お母さん、温泉に連れてったりとかしない?」
同僚に聞かれたことがあり、ギョッとした。
彼女にとっては無難な会話だったんだろうけど、「連れてったらどうですか?」と言われてるみたいで、すごく構えた。「腰が痛いからちょっと無理そうだし、本人も温泉とか嫌いなタイプで…」
なぜか言い訳をする私。
彼女は、腰の悪い親戚を温泉にみんなで連れて行った話もしてくれた。
今は、いい介護旅行サービスもあるということ、連れて行ってあげたらなんだかんだ喜ぶのでは?と続く。
「そうなんですね、いいですね」とだけ言った。「親孝行をどれだけしてもし足りない」という人はいる。
そういう人の中で親孝行といえば旅行とか高級な食事、高価なプレゼント、手料理(作り置き)だったりする。
私だってどれだけ親孝行してきたろうという自負はあるんだ。
日常の、本当日常の、長年の・・
ひと言では言えない。
旅行は姉がよく提案していて、それが実現したこともあった。
親孝行に入らないですかね?と上目遣いで言えば、「いやいや、十分よ」という人もいるし、「もうちょっとしてあげたら?」という人もいる。
人の親孝行が気になる人って何なんだろう。
誰かの親が調子悪いとなると、すーっと寄ってくる人がいる。
その人はご自身の親の介護に何年も前から入っているので、高齢親を持つ人に寄り添いたいという優しさがあるのだとは思うが、私はその人を避けている。
「高齢親を持つ共通点」で結束しようというのは表面的で、実際は「こうしたほうがいいよ」とアドバイスしてきたり、「あの人も大変らしいよ」とネットワークを勝手に広げられる=人の介護事情をオープンにされてしまう。
のみならず、自分がどれだけ日々大変か、どれだけのことをこなしているか(寝てないとか)を聞かされる。
この「聞くこと」というのはすごくエネルギーを要する。
「親の介護で一番苦労しているのは自分」「これだけの親孝行をしている」と、結局マウントしたいんじゃないかといつも感じるその人から、ダッシュの勢いで逃げますよね。
人のことをすごく知ろうとする人・すごく知ってもらおうとする人。
つまり人に過剰に関わろうとする人というのは、その人自身、境界線があまり確立されてないのかもしれない。
そういう環境に長らくいたんだろうか。
私も人の悩みが過剰に気になるタイプで、それは30代まで。
家族の影響なんだけど、40代に入って疑似奉仕精神みたいのでメンタルをやられてしまってから、境界線を意識するようになりました。
人の問題を我がことのように抱える姿は献身的に見えるけど、そういうタイプは人にも自分の問題を背負ってもらおうとする。
私はもうオープンでありたくないんだ。
ごく近しい人が私の近況を知っててくれればそれでいい。
自分の母親が高齢で認知が衰えてて、という現状を職場の誰もが知る話題としてあげてほしくない。
少し前は、オープンであることが良きことみたいな時代でしたけどね。
オープンな人って、「いい人」っぽいし。
でも本当にいい人って、「そっとしといてくれる人」というのが最近の体感。
むやみに人のプライベートをほじくろうとしない。 -
私の占い・スピ体験記
西洋占星術・タロットの勉強を始めてから15年ほどが経ちました。
私は小学生のときから占いは好きで、家に「愛の星うらない」という結城モイラさんの本があって、いっつも読んでたんですよね。
そんな私を見てか、親は「血液型うらない」という本を買ってくる。
そこには星座×血液型の組み合わせで見る性格占いなども載っていて、他人に興味を抱くきっかけの本でした。中学に入ると「ピチレモン」とか「マイバースデイ」とか読んでましたね。
高校でも木星の移動について語る友人ができて、雑誌の12星座特集は必ず買っていました。
ところがその木星の友人が私の部屋に来た日。
本棚に占い雑誌がたくさん並んでるのを見て引いたんでしょうね。
「結構信じてんだ?案外子どもっぽいね」と言う。
ぐさっときて、そこから「占いへの興味=恥」という思いがいくらか植え付けられてしまった。
大学に入ると、占いとか星座への関心は封印してました。
が!
そのころ「街の占い師に見てもらう」という人がちらほら出てくるんですよね。
中学時代からずっと片想いしてる人と結婚の縁はあるかどうか?を定期的に見てもらってた友人は、その後、その彼と結婚しましたね。
あと、口コミで「杉田さん」という霊視できる人が評判になり、みんな見てもらった。
私も見てもらったかな。
家族写真を見せると、そこに写る姉と夫の仲を危惧した。
それは結果として当たったんだけど、私の運命がどうだったか全然記憶にない。
でもあんま、結婚への太鼓判を押された記憶がない。
ふんわり「大丈夫ですよ」みたいな感じで、今思えば何が大丈夫なのか、「結婚しなくても大丈夫な感じで生きる人」という意味だったのかもしれない。
それなら当たってる。
それから占いにどれだけお金を使っただろう。
伊勢丹の階段のところにいらした新宿の母にも見てもらったことありました。
今思えば大して好きじゃない人のことでやたら悩んでて、なんかそのときも手のひらを見て「大丈夫」と言われた。
「同い年と4つ5つ上は付き合わない方がいい」とも。
その大して好きじゃない人は同い年だった。
なんかそんなんで吹っ切れた記憶です。Yahoo占いとかもいくらか課金してたけど、あれはほとんど当たってない記憶。
占いを続けていると「当たってる」「適当」の感覚がわかるようになり、逆に当たる占いというのは何を見て導き出してるのか?に興味を抱くようになる。
12星座で太陽だけ見ても意味がなさそうなこともだんだんわかり、石井ゆかりさんの本に出会ったりする。
石井さんは月や火星など多面的に分析されてて、また新月や満月も人の心に何かしら影響を与えると書かれていることにすごくワクワクしましたね。
そのへんのタイミングでたまたま行ったオイルマッサージ店で、石をもらった。
レムリア石というもので、持ってる人の絶妙なタイミングで誰かの手に渡ったりするのだという。
それをもらったのは新月だった。
そこからスピリチュアルの扉がこれまでになくガッと開いた感じがしました。
その石は数年後、猫がホッケーのようにどこかに飛ばしたらしく、行方不明に。
キャメレオン竹田さんのブログに出会ったことが、「占いを学ぶ」きっかけになりました。
渋谷でキャメレオンさんの鑑定を受け、その後、占星術やタロットを学びに行く。
彼女が所属しているという中野トナカイもまた運命的な出会いで、よく足を運びました。
そこで「フラワーレメディー」の講座に参加したこともありました。
これがまたなんとも心惹かれるスピリチュアルで、今の自分に必要な花のエッセンスをボトルでもらったりして、なんか本当に変化するんですよね。
そして自分自身が凪いでくると、ボトルのことなど見向きもしなくなる。
必要なくなるというのか。
「当たる!」と毎回思ったのが中野トナカイに所属する方達の鑑定でした。
タロットが不思議に当たる。
「この絵柄からどうやって言語化してるのか?」ということに興味を抱いて、タロットにものめり込んでいきました。
中野トナカイの先生は教えることも上手で、どうやら多くの方に松村潔イズムがベースとしてあるらしく。
松村潔先生の千駄ヶ谷のおうち?鑑定スペースにも赴いたことがありました。
「あなたは7度惑星を3つ持っていて、落差を感じる人生であることは否めない」なんて言葉がすごく心に引っかかり、こんな鑑定をする人は松村先生くらいです。
35歳ごろ、家族がメンタルの不調に陥ってから心理学を大学のオープンキャンパスで学んだり、「心」にも意識が向くようになりました。
実際に心を病んでしまったとき、どんなに星を見てもなんの解決策も見出せない。
「心身健やかに生きるには」という答えをあちこちに求めた時期でした。私は夢占いにも関心を持っていましたが、見た夢のキーワードを本で照らし合わせてもなんかピンとこない。
そこで、夢分析を本格的に行なっている講座に申し込んで1年通いましたね。
そこは今までで一番まとまったお金を払ったところで、今思うとなかなかの荒療治というか、通うのが苦しかった体感がある。
あのころの私は受け身で他力本願で、結婚以外に目的を定められず、「こんな自分だからだめなんだと」何かにつけ自分を責めていた。
と同時に、「自分が悪いわけじゃないんじゃないか?」「私が悪いように思わせる相手が悪いんじゃないか?」という思いも芽生え始め、それを確かめるようにもっと心の学びを深めようとする。
そこで出会ったのがヒプノセラピーでした。
前世体験ですね。
正直、前世体験自体はぼんやりしたものでしたが、セラピストの方が「私が悪いんじゃない」と、はっきり感じさせてくれる言葉をかけてくれたことにとても救われました。
その方の講座にいくつか通い、ヘミシンクにも一時期ハマりましたね〜。
あのとき、こういうスピリチュアルに最もお金をかけていた。
さすがにスピリチュアルジプシーになりつつあることに危機感を抱いてました。
もうこの頃にはブログも始めてて、鑑定も始めたころだったかな。
自分で鑑定をするようになると、「当たる」とか「出会う運命」みたいなことにどんどん懐疑的になる。
ホロスコープが人を導くということはないんじゃないか。
スピリチュアルにどっぷりになると、まるで何か大きな運命に自分は乗っていて、しかるべき幸せな未来に向かって、しかるべき人に出会えるはずと思いたくなるんだけど、「しかるべき」なんてものが先に用意されていて…ということはないんじゃないかと感じられてくるのです。
あるのだとしても。
実感がないままに「ある」という前提で鑑定をすることが私にはできなくなり、少なくとも自分が生きてきた体感に沿ったものしか言葉にできない。なんかここまですごく長くなってしまった。
今年、ダウジングにいきなりハマったりしました。
振り子ですね。
堤先生の初心者講座を受けて、いろんなこと振り子で占ってみよー!ってワクワクしたものの、今の私には占うことがあまりない。
気づいたら「明日は排便するか」ばかり占ってて、そのころ便秘がちだったので日々の排便事情が気になったわけだけど、水晶のペンジュラムではイエスだし、金属だとノーだし。
排便占いに飽きてきたころ、またフラワーレメディーを思い出しました。
そう!自分にふさわしいフラワーレメディーを探るのに、ダウジングって向いてるみたいですね。
今、10年ぶりくらいにフラワーレメディーを飲んでます。
「これが私に必要?」という位置を振り子が差し、買って飲んでみてから自分はまた少し変わった。
悩みがなくなった。
というのは、大げさかも?でも結構ほんと。今まで自分がなぜうじうじ悩んでいたか。
それは不安とか寂しさとか、自分が作り出したモヤモヤに飲み込まれていたようで。
フラワーレメディーはそのモヤモヤを作り出す必要などない、ニュートラルな状態を思い出させてくれた感じ。
そう、人をニュートラルににするみたいですね、効能として。というわけで、学んできた方などのお名前も連ねたかったけど、それはまたいずれ。
スピリチュアルや心理状態、運命性というのはこれからも私が興味を持って追究する分野のようです。
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野球が好きだったころ
今年は横浜DeNAが日本一になったそうですね。
1998年以来。ん?98年・・
私、見に行った!あのころも38年ぶりのリーグ優勝が見えてきた時期。
当時の職場の室長が大のベイスターズファン。
新入社員の私含め、若手の男女4人を連れて終業後に横浜スタジアムへ行った。
大宮から関内へ。「17時には出るから残業しないでよ!」
室長が若手を急かす。
「なぜ横浜・・」
私は当時巨人ファンだったけど、ほかの若手は野球がそんな好きでもない。
みんな埼玉在住だしほとんど無理やり連れていかれる形。
今ならこんな強引な手法、誘う側も誘われる側も「無理無理」ってなりそうなものですが、あのころ上司のこんな強引さにワクワクできたんですよね。
ベイスターズ優勝という室長の夢がいつしかみんなに感染した。****************************
私は大学生のとき、急に巨人ファンになった。
94年ごろの巨人って監督が長嶋茂雄ということもあり、本当にミラクルベースボール。楽しかったんですよね。
4番は松井秀喜か落合博満か。
そこへ清原和博が入ってくる。
私は西武時代からキヨが好きだった。
巨人ファンになったのはそれがきっかけとも言える。母と兄がすでに巨人好きで、ルールは2人から教わる。
TV中継が終わるとラジオに切り替え、22時半とかまでずっと聴いてたことが懐かしいです。
リリーフがコールされると、「えー?大丈夫?」なんてハラハラした。
当時の巨人のリリーフはプレッシャーに弱めな人が多かった記憶。
岡島とか石毛とか。
打席に横浜の佐伯が立つと、「あー」と半ば諦めがちになる。
それでも長嶋巨人のときは、絶体絶命の9回で大久保、清水、後藤あたりが奇跡を起こしてましたね。私は巨人の優勝を望んではいたけど、思い返すとどの球団にも強い関心を持っていた。
98年のベイスターズメンバーをネットでたどってみました。
ピッチャー:三浦大輔、斎藤隆、阿波野秀幸、佐々木主浩
キャッチャー:谷繁元信
野手:石井琢朗、駒田徳広、鈴木尚典、ローズ、波留敏夫、佐伯貴弘
監督:権藤博フルネームを連ねることが楽しい!
知らない人にとってはただの文字列だろうけど。あのころの野球選手って、こうして名前を思い返すだけで楽しさが蘇るんですよね。
巨人なら仁志、川相、清水、広沢、松井秀喜、高橋由伸。
苗字だけでも楽しい人と、フルネームでこそ感慨深くなる人がいる。
斎藤雅樹、入来祐作、桑田、槙原、上原、村田真一。広島なら江藤、前田、野村謙二郎、金本、笘篠(とまぴょん)
ヤクルトも相当楽しいです。
古田、土橋、池山、飯田、真中、稲葉、高津臣吾。
阪神は藪、今岡、桧山、そして新庄剛志。
あと「ロッテの初芝」という響きにはいまだになぜかゾクゾクします。
なんたって監督がみんな個性的で、ノムさんのぼやきとか星野監督のコワさ。
アウトな逸話が楽しさに輪をかけた。あのころパリーグではオリックス・ブルーウェーブでイチローが大活躍してて、監督は仰木彬。
そういえば大学生のとき、ヤクルトvsオリックスの日本シリーズを見に行きました。
まさか2022年に同じカードで日本シリーズを戦うとは。
しかもオリックスの監督が中嶋聡。
95年シリーズ優勝時の捕手だったですね。
中嶋vs高津ですよ。
職場でひと回り下の同僚がオリックスファンで、つい私は95年シリーズのことを語ってしまうが、彼女はそのころのことは知らない。
仰木監督を知らないという。
そうか・・時は流れる。****************************
なぜ野球を見なくなったか。
ひとつには、2005年に転職した先が深夜までの夜シフトで、野球を見る時間がなくなったというのはある。
そのころ一人暮らしもしたので、親と野球中継を楽しむこともなくなる。
キヨがオリックスでどんな活躍をしているのかもわからなくなって。
キヨはバラエティーで芸人に肌を触られて「土佐犬の肌や」と恐れられてたのを見たことがある。
土佐犬…あの爽やかなキヨも、変わってしまったんだ。
だけど、ダルビッシュの登場には心が躍った。
日ハムの野球も結構好きでした。
東京ドームが本拠地だった頃に見に行けばよかったと後悔。
そして大谷翔平が入団。
栗山監督の「二刀流」というぶっ飛び提案を受け入れて。そうだ、TVでの野球中継がぐっと減ったんだ。
19時から2時間というあの枠に地上波で野球が放送されてるって、今思えばなんか強引というかすごい事態だったかもですね。
そこへの嫌悪の声が、届きやすくなったということなのかな。
おやじ・男性の趣味でゴールデンタイムが独占されるというのは許せない!という声が高まっても不思議ではない。
今じゃ野球好きに性差もないだろうけど。でもなんか。
98年に室長が無理やり若手を球場に連れてったときのように、「おじさんの強引さ、嫌いじゃない」ということはたくさんあって。
室長はカラオケで「珍島物語」しか歌わなかったけど、それで天童よしみの世界に少し触れられたこともいい体験だった。
私はJリーグもなぜこんなにお茶の間に浸透しないんだろうと、そこまでサッカー好きじゃないのにイラつくこともある。
放映権などの事情は知らないけど、もっと見やすい地上波で放送してくれれば、野球と同じくらい親しまれるスポーツになったんじゃないかなって。
日本代表で選手に興味を持っても、その後の活躍が追跡しにくいんですよね。
バスケとかバレーに追い越されてる感もあるじゃないですか。
これまた取り上げるのはイケメンばかり。
大谷翔平はすごいと思うけど、大谷の打席を知りたいというより全体の中の大谷を知りたい。チーム全体の流れ。
でも今じゃ、その意欲もない。
騒々しさでもう疲れてしまった。
日本のスポーツ中継と報道の仕方は、何か大事なものを損失してるんじゃないか。娯楽が増えたからというのもありますね。
人の娯楽が分散した。
お茶の間でスポーツ見る時代じゃなくなったというね。
1998年、横浜ベイスターズは日本シリーズで西武を下し日本一に。
室長は大喜びで、部下全員にホッシーグッズを配った。
今、ホッシーいないんですってね!
(とっくに?)
DB.スターマンって誰・・・ -
彼女と友達になるには
「あの人と友達になりたいな」と、1〜2年に一度くらい思う。
大抵は職場の同僚・女子。職場の同僚なのでもう何年も前からお互いを知っている。
時々帰りの電車が一緒になると思いがけず話が盛り上がったりして、「今度お茶しようよ!」と言いたくなるんだけど、言わない。
お茶に行っても、この盛り上がり以上にはならない気がして。
すごく好きなんだけど、「話すことがない」とも思ったりする。
帰り道が一緒になると嬉しい。
でも話すことがない。
「今日暑いよね〜」と天気の話でもしようと思ったとこで、相手が「親もだんだん年取って」と、広がりが出そうな話をしてくれてホッとする。
そんな関係の女性が今、少なくとも2人いる。
昔は「お茶行こうよ」「食事ぜひ!」と積極的に言うタイプでした。
いつからか・40になったあたりからか、「行こうよ!」と誘う自分がどうも先輩風吹かせてる感じがして、言わなくなった。
相手は断れないかもしれないし、「行こうよ」と言ったからには具体的に決めてかないと「口だけの人」と思われかねない。年下でもお誘いしてくれる人がいるのは助かる。
ただ、「ぜひ!」という思いを表す自分がいつもすごくブスというか、嬉しいくせにスマートぶるから鼻と口のあたりがぐにゃっとした変な笑みで「ゼヒ…」とか言ってる気がする。
あと同僚だと、一度ランチするとまたシフトが同じ日に行く感じになりそうな・ならなさそうなあたりを探るのが面倒。
2回連続で行くと3回目がかなり友達っぽくなってしまい、あえてそれを避ける人が多い気がする。
友達になりたいのに、友達になろうとするのを避ける。
それは相手も同じことを思ってる気がする。
話が大盛り上がりしなくても一緒にいると心地いい。
そんな人がいる。
でも盛り上がらないから何話していいかわからない。
今は「聞くこと」にも気を遣う。そこで話題になりがちなのが愚痴・悪口。
これは友達の絆っぽいものが一見生まれるんだけど、私はこの流れにいいかげんうんざりしてる。
ただ共通の音楽趣味とかあっても、その話が終わるとびっくりするほど話が広がらない。
一方、愚痴のネタはたくさんある。
職場の愚痴、お金がないという愚痴、女性特有の不調バナシなど。
たぶん「友達」として安易にお茶行ったりすると、お茶の時間全部愚痴みたいになる。
そうなってしまうのをお互い避けてるんじゃないか。**************************
同僚から友達になった人もいて、どんな感じでそうなったのかと思い返す。
「同じ趣味で外出する」ということが繰り返された人かなと。
私の場合は舞台やライブ、その関連のイベントとか。
愚痴を逸らせるぐらい熱く語れる趣味の領域がないと、友達レベルにはなれないのかもしれない。
「同期だから」ということで何回か旅行に行った人もいる。
「同じ時期に新人だった」という共通点からは絆らしきものが生まれやすいけど、絆感だけじゃ深まらない。
やっぱり相性も大事だし、その相性って言葉にできない。
あと「趣味が同じだから相性がいい」とも、友達になるとも限らない。
友達になる人は私の場合、「同じものが流れてる」とはっきり感じられるものがある人なんだけど、「友達になりたい」というのは「同じものを確かめたい」ということかもしれない。
でももし「違うかも」と感じたら「やっぱ同僚で」と距離を空けることになり、それじゃ調子良すぎか、とも思うので、友達づくりに慎重にならざるを得ない。
あと、「なんだかんだ長年の知り合い」という過程も私には必要。
知り合いから友達へステップアップ、みたいな流れがパターンの気がする。
これは恋人も同じで、「信頼関係は一朝一夕には築かれない」というのが40年以上生きてつくづく実感されたことです。
ところが同性の同僚に「友達になりたい!」って沸き立つことがたまにある。
恋とほとんど同じ仕組みなんだろうけど、「わかり合いたい!」って特定の相手に強く思っちゃう。
「あまちゃん」で、アキが電車内のユイちゃんに一目惚れするあの感じ。
すごく素敵なファッションの子とか、イメチェンして髪にカラーを入れてきたそのセンスに惚れ惚れして、お近づきになりたいと思う。
「めんこいな〜」って。
その子は性格も私好みのさっぱりしたタイプで、ひと回りほど下だけど「お茶行きませんか?」って言われてお茶したこともある。
やっぱりブスな応答で、「へへ…(私でよければ)」なんて背を丸めながら外に出たわけだけど、話が広がらなかった記憶。
でも彼女とはなんか適度な好意を抱き合ってる気がして、会わない期間が長いと「久しぶり〜」ってすり寄る猫のように近づく。
そのあとが続かない。
「だね〜」で終わり。
彼女は今でもマスクをしてる派で、正直何を言ってるのか聞き取りにくい。
私は「何を言ってるのかよくわからない人」というのは自分と相性がそもそも悪いと思ってて、不思議なんだけどまったく声が聞こえない人、話がいつも理解できない人というのがいる。
私の耳は相性センサーみたいになってるんだろうか。
友達になりたいのに、何を話したらいいかわからない人。
一緒にいると心地よいのに、無言じゃだめと思ってしまう。
「趣味が同じ人がだいたい友達」という自分のパターンを超えたい。
直感だけで心が落ち着き合えるような運命的なやつ。
だけど恋愛と同じで、「そんな人はいない」「いても刹那」と結局なるんだろうかな。 -
旅行が苦手かもしれない自分の趣味
秋になり、職場のおやつスペースには同僚からのお土産クッキーが並んでいる。
「鳴子行ってきました」
「箱根のお土産です」
「エーゲ海行ってきました」え、エーゲ海!?
みんな裕福だな〜なんて思った。
だって宿泊代とかすごく高くなってるらしいじゃないですか。
そんな折、海外まで行っちゃうってすごいな〜。と言いつつ、今の私には行きたいところが特にない。
旅に注げるお金がそこまでないわけじゃない。みんなだってお金に余裕あるから旅に行くというより、行きたいところがあるからそこにお金を注ぎ込むのだろう。
私は旅にお金を使おうとあまりならなくて。
旅行が好きじゃないのかも、と思った。**************************************
それでも昔はよく一人旅をしてたのです。
大学の卒業旅行で、友人たちはスペインとアメリカ両方行くと盛り上がっていたけど、私はお金がないことを理由に断って、1人で関西3都旅行をした。
自分で細かくしおりみたいのを作って、寺の閉門時間が迫れば走る。
こういうダッシュは1人じゃないとできない。
そういう楽しみを味わった。友達が遠い地で暮らし始めたと知ると、そこへ赴く。
北海道まで電車で行ったり、松山まで夜行列車使って行ったり。
夜行列車は一時クセになり、ムーンライトいずもと一畑電鉄に乗って出雲大社まで行ったことがありました。
あとは、駅長猫のたまに会いに和歌山の貴志まで行ったのは、大阪出張のついでだった。
友人や家族とも、京都、箱根、草津、鳥取、広島、あちこち行ったものです。
そのころ、私は旅が好きな人間なんだと自分で思っていた。最近、旅行計画をいつしたかといえばコロナ直前。
大阪で舞台を見に行く予定にしていて、翌日には京都の貴船神社と鞍馬神社へ行こうとしていた。
ところがコロナ蔓延で舞台は中止。
そこから「旅行計画」がすっぽり私の頭から抜け落ちてしまったんだ。ちゃんと旅行したのは2018年が最後かもしれない。
横尾忠則氏の絵を見たいと思い、灘の美術館まで行くというのがメインの計画。
そのあと西宮在住の友人に神戸を案内してもらったり、1人で尾道まで足を伸ばしたりしたのは、旅行らしい旅行でした。尾道で瀬戸内海に触れれば、「旅って楽しいなぁ。ひゅーひゅー!」と1人興奮するものの、旅につきまとう「何か」が自分を物悲しくさせる。
・1人でこの景色を見てもしょうがないということ
・旅から帰れば日常の生活が待っているということ誰かと旅すれば物悲しさなど抱かないでしょう。
だけど「誰か」がいたらいたで気を遣う。
仲良しの子とチェックイン時あんなはしゃいでたのに、翌日の昼には疲れすぎて沈黙、何を楽しめばいいかわからなくなってたりとか、夜になれば友人の風呂の長さに苛立ったりもする。
好きな人と壮大な景色を見ているのに、ゆうべ背を向けて寝た彼の真意を探りすぎていまいち感動できなかったり。
やっぱ1人じゃないと旅って堪能できないよと思いつつ、1人だと寂しい。
このジレンマを解消できたことがないのかもしれない。そして旅からの帰宅。
数日前の旅気分などあっという間に消えて、オフィスでPCたたいてる。
私は「波」とか「落差」がすごく苦手で、「非日常感を楽しもう!」みたいなノリとかダメなんですよ。
旅が楽しいほど、「現実」との落差に虚しくなる。
綿菓子のように消えるじゃないですか。旅の余韻。
なぜか写真も見返さない。思い出にすぐ背を向ける自分。
いや、現実が嫌なわけじゃない。
ただ「波」が苦手ということ。
フラットでいたい。極端な上がり下がりに心がついていけないから。私の今の仕事は土日祝日まったく関係なく、つまり平日と土日にさほど波がない。
これも無意識でそういう職種を選んでたのかも。
旅行のために4日連続有給取るとか、今の自分には特に不要。
というか怖い。その4日を自分のための特別な日にすること。
なんて贅沢なのか。**************************************
ところが、私の趣味は「地図を眺めること」
やっぱ行きたいのか?
心はどこか行きたがってるのか?
本屋で東京地図を手に取って、「これだ!」と満足したのも束の間、東京だけじゃ物足りなく思い、日本地図も買った。
地図を買ってから、「スマホを見るのをやめられない」という日々から「地図を見るのをやめられない」日々に変わる。行きたいとこなど特別ないのに、「謎だったあの通り」をチェックしてみたりする。
「あー、あそこにつながるんだ」
そんなことで1日が終わる。職場の同僚が確か八王子に住んでいたので、駅名を聞けば「高尾」だという。
東京地図で高尾を調べたら…載ってない!
しかし大丈夫!日本地図も買ったので、そっちで高尾をチェックする。・・・だから何だという話です。
私は今まで「旅行の計画」が好きだったのかもしれない。
実際旅立つことよりも、地図を見ることを楽しんでた気もする。
未知の場所の地図。
そこが海に近いとワクワクして、この目で見たい!と赴きたくもなるんだけどね。
新幹線から富士山が見えればそりゃ興奮する。
でも、あのあたりから大体酔ってきますね。
東海道新幹線の振動が胃に響いて…
それでも自分にとって最高と思えた旅先は、兵庫県の日本海側にある余部鉄橋。
画像はじゃらんnetより
ドラマ「夢千代日記」のオープニングに出てくる赤い鉄橋をこの目で見たくなり、夜行列車を使ってひとり赴いたのは25歳ごろだったか。
今、赤い鉄橋ではないけど、その鉄橋がかかる鎧駅が海沿いの崖みたいなとこにあって、素敵な風景でした。
トップ画像鯉のぼりは鎧駅からの風景(香美町観光ナビより)私にとって旅は癒やしや高揚感を求めるものじゃなく、行きたいところに「たどり着いた」という達成感を楽しむものかもしれない。
そういえば大学生のとき、友人と青春18きっぷを駆使して「行っちゃうか!」と、思いつきで徳島の阿波踊りを見に行ったことも良い思い出です。
あのとき楽しすぎて、友達と帰りの電車の中ですごくブルーになった。
そう、あのときから落差に苦しんでいた。
私の住む街は観光地で旅人が多いのだけど、そのテンションの高さに日々触れてるだけで満足しちゃってるのかもしれない。
街が常ににぎやかで、そんな中でひっそり暮らしてるのは心地いい。
部屋で地図をめくってるうちに、またどこか行きたくなったらいいなとは思う。 -
「ライオンの隠れ家」
金曜22時TBSの「ライオンの隠れ家」見てます。
1話は見逃してしまったけど、さっきU-NEXTで見ました。
現在3話まで放送中。
さすが柳楽くん主演だけあって、今期一番の良作の雰囲気です。
(画像は「ライオンの隠れ家」HPより)
柳楽くんは茨城のとある市役所勤務で、弟と二人暮らし。
弟は坂東龍汰さんで、自閉症スペクトラム症。
両親は亡くなっている。
2人が住む家の軒下に、ある日男の子が隠れていた。
「ライオン」と名乗る彼はどうやら、かつて父の連れ子として短い時期暮らした姉の子どもで、その姉は行方不明、事件性がある。物語はサスペンスの要素がありますが、ヒューマンドラマでもあるでしょうね。
男3人の暮らしっていう設定がまた珍しく、しかも障害を持つ弟と兄の話って「ギルバート・グレイプ」が思い出されるけど、坂東さんの演技はあのときのディカプリオのようで、すごく惹きつけられるのです。また、この小さな男の子、佐藤大空くん。
まだ本当に小さいと思うんだけど演技が自然で、でも絶対演技でしか成り立たないセリフを曇った表情で言ったりとか、すごいんですよね。
なんたって柳楽くんですよ。
いつまで「くん」とか言ってんだという話なので、柳楽さんに言い換えますが、もう表情にいちいち胸打たれます。
佇まいがいかにも市役所職員で、ファッションも基本的にシャツインスタイル。
腕まくりしてるあの腕の見え方がいかにも中年に差し掛かっていて。
柳楽さんはまだ30代前半と思うけど、これからの人生に夢のような期待をかける、なんてことはとうに手放して枯れに向かっていく…という諦めみたいな演技がすごいんですよね。こう見えるのは、親の介護に差し掛かってる自分を柳楽さんに重ねてるということもあります。
坂東さん演じる「みっくん」と2人で暮らしていかなきゃいけない人生。
みっくんの「正確性」へのこだわりに沿って生活をするという1日の流れにも、「今じゃすっかり慣れてきて」という「経過」が、柳楽さん演じる洸人(ひろと)からすごく感じられるんですよね。
万事スムーズに行くようになるまでどれだけ大変だったかが、なぜか滲む。
もちろん時々、過去にみっくんが暴れた映像は差し込まれるけど、みっくんをお迎えのバスに乗せてホッとする一瞬の表情から、「やっと受け入れてきて、今平和」という「山」を乗り越えた重さが柳楽さんから漂っている。私は母親と2人で暮らしているわけじゃなく、まだ母は一人暮らしですが、母をデイサービスのお迎えに間に合わせるよう毎朝定時に電話して…という日々ではあります。
私もまた「そのルーティーンにやっと慣れてきて」という乗り越えた感がある。洸人がまたみっくんに足並みをそろえる。
しかも丁寧に。
みっくんは時々わけのわからないことを言い出すけど、洸人は「そうなの?」と優しく受け止めたり、時には何も言わずにみっくんの次の反応を待つ。
一見、洸人はとても優しい。
でも学生時代の洸人はいつも弟と一緒にいること、それを仲間に見られることに嫌気が差していて、バスの中にみっくんを置き去りにしたこともあった。
そういう冷めた自分がいることも自覚している洸人が柳楽さんから滲むのが、すごいなぁと見てます。誰から見ても愛があって優しいと映るのに、本人だけは「そういうんじゃないんです」と否定するようなこと。
「こうじゃないとうまく回らないから」
たぶんそれは謙遜5割、本心も5割。
自分の本来のエネルギーを数十%ほども落として家族に足並み揃えて。
でも今じゃその生き方こそが自分っぽいんだと受け入れてきた感、柳楽さんがホッと息をつくたびに自分にそう言い聞かせるような。
ところが、「ライオン」と名乗る少年と出会ってから生活が大きく変わる。
ルーティーンしかなかった生活に「予想外」が舞い込んできた当初こそ混乱と迷惑でしかなかったけど、みっくんの変化を感じた洸人は、その変化によって自分の気持ちにも光が差すような心地になっていく。
と同時に、ライオンの親が関係する事件にも足を踏み入れていくのだけど、たぶん一番変化するのは柳楽さんだと思うので、それをこれから見ていくのが楽しみです。坂東さんのみっくんも魅力的です。
第3話で、みっくんが描いたライオンの絵に涙出ましたね…
みっくんが毎日通うのは職場、なのかな。
みんな何かしら障害を抱えてるんだけど、アート活動に励んでいる。
障害者の日常が描かれるドラマってNHKくらいしかないと思ってたけど、NHKのあのレベルに匹敵する良作にきっとなりますよ!偉そうだけど。齋藤飛鳥さんが怖いですね。
優しくて物分かりがよくて、完璧女子じゃないか!と思ったところで、不穏さが現れ始める。
「よかった」と思ってしまった。
あんな可愛い人が洸人の良き理解者で、すんなりカップルかよと思っていたから。
あと、同僚役の岡崎体育さんの横のシルエットには、ちょっと健康状態大丈夫かなと思った。
ライオンの父親は多分向井理さんで、母親は尾野真千子さんで、すごい豪華なんですよ。
事件を追う記者役は桜井ユキさん。その部下は私は知らないけどアイドルグループの人。
でんでんさんに柿澤勇人さん、入山法子さんとか。
NHK火曜22時の「宙わたる教室」もいいドラマです!
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自分にとっての〇〇座
天秤女性を見つめる自分の目は、ちょっと厳しいかもしれない。
「かわいいね…」と思っているのに、それを認めたくない気持ち。
「はぁ〜結構なことですね」と、人気ぶりに呆れる感じ。
なぜかライバル意識を抱くんですよね。
私がスクエア位置の蟹座だからかな。でも牡羊にはそんなふうに思わないんですよ。
牡羊座に木星があるからという気もするし、1室が牡羊なので自分の良い面を映し見てる感じがするのかも。というわけで、あくまで「自分」から見える〇〇座を12サイン連ねてみます。
牡羊座…自分にとって「良き自分の一部」
牡羊座を見てると元気になります。
その率直さに触れると、「自分もそうでありたい」と思う。
好きになった男性のほとんどが牡羊座で、「生かしたかった男性性」を映し見てるということかもしれません。
時々いがみ合う牡羊女子がいるけど、ドロドロ怨念とかにはならない。
嫌い合っても挨拶はちゃんとするとかいうフェア精神を互いに大事にできる人。牡牛座…自分にとって「真っ当な人」
牡牛座って本当に生活感に溢れてる。庶民感覚が真っ当というか。
牡牛座の知り合いで承認欲求がやたら高い派手な人とかいない。
一見そう見える人でも、水筒を持参して白湯とか飲んでる。
あぁ白湯っていいよね…ということを思い出させてくれる人。双子座…自分にとって「一生の話し相手」
双子座とは話が尽きない。
政治家の話から、懐かしい昭和の菓子の話、カルチャーの話など、お互いに突飛な切り出し方をしても「うんうん」ってすぐ雑談スタート。
「束縛されたくない」というのもわかりやすいから、こっちとしてもさらっと距離感取りやすい。蟹座…自分にとって「分かり合えるけど距離を取りたい人」
やはり同じ蟹座だと「話が早い」と感じることが多いです。
「同じ感覚が流れてる」と肌でわかることがあるんだけど、そこまで仲良くしたいとなぜか思わない。
蟹座は話の中心になりたい人が多いと思う。
蟹座同士がつるむと誰かがその中心になるわけで、中心になれなかった蟹座の繊細さを敏感に感じ取ってしまう。
侵害したくない・敵対したくないという気持ちを抱きつつ、距離があるからといって嫌ってるわけじゃないという信号を出し合ってる感じもある。獅子座…自分にとって「繊細な相手」
蟹座とは違う繊細さが獅子座からは感じられます。
獅子座は私の知る限り、「自分!自分!」となる人はごく稀(男性にはたまにいる)
でも一言意見したい気持ちは感じ取れるし、獅子座の率直さが場の雰囲気を変えたりするので、私は自治会長にでもなったつもりで、「獅子さん、何かある?」と振ったりする。
すると、なんとも爽やかな新意見を言ってくれたりするので、私も嬉しくなるんですよね。
面倒な時は意見したがってる獅子に気づかないふりもするんだけど、そうすると静かな不満団子みたいになっている。乙女座…自分にとって「緊張か?楽か?極端な人」
乙女座は私にとって相性がいいと感じられる相手ですが、すんごい怖い人と、昔からのクラスメートみたいなタイプと分かれるんですよね。
乙女座はおもしろい人が多いので、怖くても話しちゃえば楽しいということはある。
でも何か表現を間違えるとピキーンと緊張が走る怖さ。
基本的に優しいし真面目なので、孤独で寂しいときに頼ると温かな話し相手になってくれます。天秤座…自分にとって「ライバル心あおられる人」
天秤座も孤独で心細いとき、すごく寄り添ってくれる人。
でもどこか「信用ならない」と警戒しちゃうことがあるのは、「やられた!」と思うことが何度かあったから。
「あのとき寄り添ってくれたのに」と、遠くから華やかな天秤に恨みがましい目を向けたことは人生で何度かありました。
いい人だとは思うんだけど、「自分が守りたい何か」で実はガチガチな人で、八方美人な割に人のことを背負えない。背負えないのに八方美人。
さらっと見える外見よりずっと重い何かを抱えてるように見える人です。蠍座…自分にとって「本音の人」
蠍座ってわりと謎でしたが、最近思ったのは「蠍座は時代が移ろっても本人は変わらない人」だなということ。
例えば今の時代、何かとハラスメント色を帯びてしまうけど、蠍座はストレートにものを言う。
それで傷ついた人がいても、「傷つく方が悪い」という感じで、それは今の時代だと「いやいや」とはなるけれど、蠍座の本音は自分の中に確実にあると呼び覚まされるような。
「コンプライアンスとか、何それ?」って言えちゃう人なんですよね。
うん、本当なにそれ?だよねって気持ちは自分の中にあるはずなのに、みんなうまく押し込めて良識ある顔をする。蠍座はそういうのに乗っからない。射手座…自分にとって「気楽な人」
射手座の距離感って、今の私にとってすごくいい感じです。
少し前は「距離空きすぎ!」と思って、仲良くしても寂しくなることがあった。
射手座って人のこと根掘り葉掘り聞いたりとかしないんですよね。
自分の話もコンパクトにまとめるから、なんか会話が続かないことがあった。
それでもまぁ気楽です。「他意がない」というまっすぐさが肌で感じられる人。
今の自分がわりとポジティブだからそう思えるのであって、ネガティブなときは突き放される感じしましたけどね。山羊座…自分にとって「社会を感じられる人」
私が一番親しい友人が山羊座。
この年になると子どもがいる友人と疎遠になりがちだけど、彼女は既婚・子持ちでもそれが疎遠の理由にはならなかった。
むしろ私の経験しない子育てや母親同士の交流、夫や義実家とのコミュニケーションの話を聞くのがすごく楽しい。私にとっては彼女と過ごすことで自分の未知部分を補ってる感覚もある。
職場でも山羊座は真っ当な視点を持つ。
出世に抜かりない後輩には忌々しく思うこともあるけど、それも含めて社会人っぽさが感じられるのはある意味楽しいです。水瓶座…自分にとって「謎の領域がある人」
水瓶座の知り合いは多いですが、謎の領域が他の人と比べてすごい広いと感じます。
何を話しても「そういう観点があるんだ」と気付かされたり、「そこまで考える?」ってくらいすごい不安を抱いてたり、視野が広いのかな。
表には出ない謎の領域がかなりあるんだろうなと感じる。魚座…自分にとって「いい人だけどわけありな人」
魚座は本当いい人だと思う。
基本優しいし、あとおしゃれな人が多いから見てるだけでも楽しいというか。
ただ二面性があって、いい人なんだけどキレると怖いとか、なぜか教えを説いてきたりとか、誰かを助けすぎて何かに巻き込まれてたり。
謎にトラブルを抱えてたりするから、深く関わるのに勇気がいる。
魚座側としてはいつでも本気の交友を求めてる感じはします。あくまで「自分にとっての〇〇座」、その印象です。
自分の周りの〇〇座に傾向を見出してみたという感じ。
私は1室が牡羊座なので、ハウスの特徴ともリンクするわかりやすさがあります。
自分の何ハウスに入る人か?で見てみてもよさそうです。 -
苦手意識とコンジャンクション
苦手な人。
なぜ苦手なんだろうということをよく考えます。・支配されるような感覚になる
・行動をずっと見張られて、ダメ出しされそうという被害妄想が生じる
・その人に否定されない行動を心がけてしまう(苦手なのに)総じて、苦手な人から「ターゲットにされる感覚」を抱いてると気付いた。
あっちはそんなつもりないかもだけど、こっちはその人の影にビクビクしてしまうのです。
パワハラ的な怖さも苦手だけど、いつだって自分よりその人のほうが「社会的に正しい」とジャッジされるのだろう、ということもすごく恐れている。でも実際は、私が「ターゲットされに行ってる」んだと思う。
最近、「自分のホロスコープって自分の人生の脚本だな」とつくづく感じたんですよね。
自分の星の配置に沿って登場人物を演出しているのは、この自分。
私だと、月ー火星スクエアを誰かと自分に当てはめることも多いと気づいたし、太陽ー土星コンジャンクションの投影も多いと自覚した。
とはいえ、誰かを「苦手」と思ってしまうのはその人との縁や相性も何かしらあるでしょうね。長いこと恐れを抱く、ある人との相性ホロスコープを改めて見てみました。
その人と自分にはオポジションが形成されてることは前から知っていた。今回気づいたのは、相手の側に月を含むトリプルコンジャンクションがあったこと。

その人は、人をコントロールする癖があり、まぁ山羊座にこれだけ星があればな…なんて思おうとしてきたけど、そんな意識だけじゃ実害は免れない。
今回改めて感じたのは、「互いのコンジャンクションを都合よく相手に投影してた」んじゃないかということ。「コンジャンクション持ちは人との距離感が近すぎることがある」というのも感じてたことではあります。
私が「ターゲットされる」と感じる相手は、私の太陽土星にオポジション・コンジャンクション・スクエアを取る人&相手もそこにコンジャンクションがあったりする。
自分の強いこだわりと相手の強いアスペクトが、なんらか絡み合ってしまうのでしょうね。その人との関係性において実害や不快感を感じるのであれば「距離を取る」
これしかないかもしれません。
それがで難しいなら「線を引く」とか。
ただ、この線引きすらものすごい罪悪感が掻き立てられる。
これは私の土星ゆえっぽい。例えば上記のトリプルコンジャンクションの人は、周りの人間を手足のように使おうとする。
罪悪感があったらそんなことできないだろうと思うのは、私の土星思考ゆえ。
その人は、特に年少者(水星金星)と心の距離が取りにくいのかも知れず、「自分の意思は当然相手に理解されるだろう」という思考なのか、図々しい頼み事が多い。
私は太陽をターゲットにされてると感じつつ、土星部分で猛烈に相手に反発する。ただね・・オポジションって反抗上等!なんですよ。
私は自分の反発で相手が「シュン…」となると、ひどく罪悪感を抱く → 余計なフォローを入れる → 相手はまた要求してくる…このループ。
断ち切るには縁を切るレベルで距離を置くしかない(今現在、年単位で連絡とってない)
その人は実は姉です。
姉は私よりかなり年上なのですが、私自身はよく「長女だと思った」と言われる。
今回、姉とのオポジションラインを見て、私は姉に「年長の保護者」を期待し、姉は私に「無邪気な妹」を強く期待し合っていることが感じられたと同時に。
姉は私を前にすると子ども時代の自分が出やすくなるのかもしれず、私はそんな姉に対して保護者っぽくなる。
だけど妹であり保護者じゃないので、「ちゃんとしろよ!」という「まともな大人」を姉に勝手に期待しては失望し、姉も姉で「妹ならわかるだろ!」と家族的一体感を私に期待する。
いつでも争いはそんな感じでした。もう1人、苦手と感じる相手は、天秤座に星がすごく集まる元上司。
彼女は私の太陽に土星も乗っける。
だからなのか、私は必要以上に彼女を「正しい人」と思い込み、自分の行動が蟹土星からも天秤群からも監視&ジャッジされるように過剰反応してしまう。彼女のにぎやかな天秤部分は、一緒に働いてた当時の彼女の周辺そのものでした。
チームは天秤座が多く、「みんなでさらっと広く付き合う」という楽しげな雰囲気が彼女中心に漂っていた。
私も大抵は楽しく過ごすのですが、「本当の自分をわかってくれる人は誰もいない」という若干重めなマインドで仕事をしてましたねそういう私にも敏感に気づく女性上司。
彼女も蟹土星部分でキャッチするのでしょうか。
「どした?」って私の孤独を気にかけてくれるのだけど、それがだんだん辛くなってきて、私は彼女から離れるように異動を申し出た。
異動しても彼女と顔を合わせるのですが、ずーっと「どした?」と、顔色を気にされてるような気がしてしまう。
「こっちおいでよ」と言わんばかりに会話の中に私を入れようとする優しさからも逃げ続けてきた。
これもまた私の太陽上の土星が、必要以上に罪悪感を育てたのでしょう。
私は蟹太陽で「天秤ルールが正しいと思うなよ」と反抗してたと同時に、蟹土星が「そうやって敵対するな!蟹座だろ!」と太陽を責める。
そういう脚本・演出をしてたんだなぁと振り返って感じることですが、もしかして。天秤マジョリティーの上司も、どこか蟹座に苦手意識があったんじゃなかろうかと推測。
蟹座の私がまんまと彼女の罪悪感を刺激する存在で、きっちりスクエアアスペクトをとる我らは互いを過剰に意識しすぎてるのかもしれません。
あいさつなんて適当でいいじゃん、と思う私の目を、いつもきっちり見てあいさつしてくる彼女。
うんざり…と思うのだけど、今はかなり距離をとるようにしています。
ちょっとの立ち話ですぐ人の悩みを引き出そうとするので、私はそれやられると弱点を掴まれた気持ちになってメンタルが落ちてしまう。
その人の悪い癖として、打ち明けたことを他の同僚とかに「あの人も〇〇なんだって」って世間話のネタにしてしまうことがあって、私はそれをすごく恐れてるというのもある。
実際はその人だって節度持って話題にしてるんだろうけど、クローズドな蟹の私が、オープンな天秤を「そういうことやる人」と演出(認識)しちゃってる。
いつか意識を変えられればいいけど(自分次第で変えられるとは思う)自分のホロスコープと投影ということについて最近やたら興味があるので、またこのあたりについて何か書けたらと思います。
