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「アニー・ホール」
ダイアン・キートンの死去に際し、2020年に書いた感想を一部編集して再アップします。
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「アニー・ホール」はとても思い入れのある映画。
21歳ごろリバイバル上映で初めて観ました。
BSなどで放送されるたび何度も見てしまう大好きな作品。
今回またU-NEXTで視聴。
1977年の作品です。
「アニー・ホール」といえばこのシーンですね。
(画像は映画.comより)
テニス合コンみたいなとこで出会った2人。ぎこちないながらも意気投合して、ダイアン・キートン演じるアニーの家でワインでも飲もう。
そこから始まった恋。ちょいちょい難しい映画なんですよね。
インテリ臭が漂うというか。
でも何よりウディ・アレン演じるアルビー・シンガーこそ、人のインテリ臭に露骨な嫌悪感を表す。
アメリカの政治や思想、地理的な特徴とか、いろんなことを知ってこそ楽しめる映画でしょうけどね。
20年たって見てもアメリカのことはよくわからないまま。
「究極の恋愛映画」ではあるんだけど。
当時42歳のウディ・アレン。
このアルビー・シンガーという男は、皮肉がすごい。知性はにじむ。
それらユーモアで中和するところが魅力とも言える。好みのタイプは知的な会話ができる女。
2度の結婚歴があり、女たちのイケすかなさばかり目につき始めたらもううまくいかなかった。
このアニー・ホールがまた変わった女で、知性とかって感じじゃない。
ユーモアのセンスもなんかヘン?
笑い方もなヘンだけどよく笑う。そこがよかった。
すごく惹かれ合った二人。アルビーは変わり者だし理屈っぽいのに、「こんな男は嫌だ」とは思わないんですよ。
一緒にいたらすごく楽しそうと思う。
甘い思い出をたくさん積み重ねられそう。
なんかダメなとこだって許容できてしまう。
やっぱり恋愛ってすごい普遍的なものなんだな。
「相手のために」とかいって自分のため。
帰ってほしくないのに住み着かれると嫌になる。
結婚願望ないくせに縛ってくるのは大いなる嫉妬ゆえ。
会話のほとんどが誰かに対してのマウンティングだし、ちょっと華やかな会合も嫌悪するから一向に広がらない世界。
変わらないでほしい、楽しいところに遊びに行かないでほしい、自分だけを見ててほしい。
恋愛の一番つらいところって、「違い」がやけに悲劇的な亀裂となって横たわるあの時期ですかね。
いったん別れた二人。
アルビーはライブ一緒に行った女と寝るけど、ベッドでいまいち盛り上がらない。
白けた真夜中のコールは、パニックになったアニーから。
「浴室にクモが出たから来て」アニーに呆れながらも駆けつけて、しゃかりきにクモ退治する。
アルビーのこの優しさとユーモアが、モテるゆえん・アニーが愛するゆえんですかね。
そんでヨリ戻すんだけど、奇跡みたいな幸福再来のあと、なぜ決まってもっとひどい展開になるんでしょうね。相手がホント嫌になる。アニーは歌手として誰かに認められるなんて思いもしなかったけど、LAのなんかすごい人(ポール・サイモン)に気に入られてしまい、運命が華やかに変化しつつある。
その気配を感じたアルビー、ついに「結婚しよう」と言い出す。
なぜ男はライバルが現われたときにしか「俺だけの存在ていてくれ」と表明しないんだろう。
今さら感に突っぱねるアニー。
苦手な飛行機で何千マイル飛んでこられたって、イコール愛ではないことをアニーはもう知っていた。
アルビーの好みの女とは違うアニー。
でもどの女といる時よりも「楽しかった」
それでよかったはずなのに、アニーを自分好みに寄せるために大学へ通わせる。
知性つけてこいってか??
賢い女が好みのはずなのに、なぜかいつもうまくいかなくなる。
でも「なぜ」じゃないのかも。
男のすること全部優しく笑顔で受け入れて、かつ賢いツッコミや丁々発止もできる女を、ウディ・アレンだけじゃなく男はみんな望むことなのかな。
俺色に染まってほしい。俺のコンロトール内に収まっててほしい?
映画見ててそこに苦しくなった。
この映画は、アルビーとアニーの交際がすんごい楽しく切なく描かれてるんですよね。
とりわけエビのシーン。
素で笑ってるふうのあのシーンを思い出すと、涙滲んでくる。
恋愛って本当に波があって、ものすごい幸福期もあるし。
だからこそ嫌悪期がつらすぎるというか、その繰り返し。
あとやっぱ二人のファッションが素敵ですね。
最後の最後のセリフで、20年前の私は少し泣いてしまった。
それでも付き合うのは、卵が欲しいからだろう?
今見てもぐっとくるセリフだけど、「卵?」と、しばし考えちゃいました。
でも20年前は考えなかったんですよ。
考えるな感じろでばーっと感動しちゃって。
今じゃ「どういう意味?」とネットで検索する。
昔は「わからないことすぐ検索」とかしない分の豊かさがあったはずで。
自分なりの解釈と想像を広げっぱなし。
わからないまま、映画の感動だけを胸に抱えてればよかった。一番たくさん見た映画監督はウディ・アレンなのです。
キネカ大森でウディ・アレン特集をやってたあのころでもありました。
でも「ギター弾きの恋」のあとはあんまり見てない。
「マッチポイント」もなんかピンとこなかったような。
「マンハッタン」といえばガーシュインのあの曲ですね。
「魅惑のアフロディーテ」がよかった!
「世界中がアイ・ラヴ・ユー」はサントラを買いました。
U-NEXTでも探してみようと思います。歌うアニーの幸福感にうっとり。
女の幸せとは、「わたし」という確立された場を持つことなのかもしれません。
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バイト備忘録
先月から新しいバイトを始めました。
この歳にして長時間の立ち仕事。
本業がデスクワークだし、日頃運動もしないのでいいかと思ったけど疲れるわ〜
腰にくる。
意外と肩も凝るもんで。
でもこのバイト先は私より年上・同年代と思われる女性が多く働いてる。
私もじきに慣れるのでしょう。
あと大学生男子が多い。
母親と息子みたいな構成(と感じた)
大学生女子はさすがに輝きが違う。
仕事上、地味な制服・髪型でも断然キラキラしてる。
私もあんな輝きを放ってたんだろうか。
自分じゃ当然わかんないわけで。
大学生男子は2人並べばすぐじゃれ合う。
その会話のほとんどがよくわかんない。
早口でモゴモゴしてるのになぜ会話が成立してるのか。
その不明な会話の前で優しく微笑む4、50代女性。
きっと同じ年頃の子どもがいるのだろう。
私は微笑ましい気持ちにあんまならないけど、雰囲気で口角は上げてみる。
そこに3、40代の男性が休憩室に入ってきた。
男子たちの会話にすぐさまツッコミを入れて笑いの輪が一層広がる。
わからない。
何を言ってるのか。なぜ笑ってるのか。
男の世界ってこういうとこ謎なんだよな。
男から見た女も謎とは思う。
明るくてすがすがしい職場と思ってたけど、数日通うと女性同士の愚痴に気付くようになった。
「・・目も合わせないのよ」
「・・表情鋭くなったよね」
「・・キャンキャン怒られたんだから」
「・・更年期じゃない?」
ここで近くに座ってた男性がピクっと動いた。
なぜか私が居たたまれない。
私は愚痴に参加せず携帯見るふりしてたけど、ほうぼうにアンテナを広げていた。
正直、誰のことを言ってるか知りたくてしょうがない。
更年期ということは大学生じゃないだろう。
4、50代の誰か・・表情が鋭い人・・
とはいえ入ったばかりの私じゃまだわかりようがない。
案外、愚痴を言われる方より言う方がトラブルを起こしたりする。
巻き込まれたくない。
私と同じ時期に入った女性は人見知りしない性格なのか、休憩室に誰かいれば会話をはずませている。
そのおかげで、彼女といれば私も孤独にならずに済む。
でも、疲れる。
私は最近、無理をしない自分でいようと決めたんだ。
なのに、とりあえず口角上げて「悪意ないオーラ」を出すよう努めたりしてる。
これもなかなか疲れるのに、頑張って人の輪に入るなんて休憩の意味がない。
休憩時間はしんから休憩したい。
それを責める人なんていないだろう。
休憩室に男性が多いときは気にせず無口でいられるのに、女性がいると頑張ろうとする癖。
男性に対しては、「やべっ」とかうっかり言っても問題ない。
むしろ男性は「その人の素」が現れるほど、それを楽しむ人が多い気がする。
女性の前でガラの悪い自分が出てしまったとき、ほとんどの女性はにこにこしてくれるけど、その心はどうかわからない。
こんな警戒心を40年ぐらい抱いてる気がする。
「あなたに対して悪意は持ってない」
これだけじゃ通用しない女性同士特有の何か。
もっと何か働きかけて「安心させる」「信頼してもらう」、この域に達しないと真の仲間にはなれない。
小学生の時にはすでにこんなこと体感してた記憶。
あとバイトしてつくづく感じたのは、昭和生まれのタチの悪さ。
自戒も込めてだけど、「頑張る」を大真面目にやる癖が染み付いている。
熱血と根性で乗り切ることを「善きこと」と思ってる問題の根深さ。
いや、実際は昭和生まれの根性があるからどこの職場も成り立ってんだろうとも思う。
昭和生まれの律儀さ
昭和生まれのしごかれ経験
昭和生まれの低姿勢
昭和生まれの競争心(承認欲求)
私はこれがベースにあることをがっつり自覚してるけど、これが自分をひどく消耗させてることに改めて気づいた。
というのは、おそらく平成生まれと思われる人たちの「あーべつにいいっすよ」感。
このぬるい風を浴びたときの衝撃ったらなかった。
すべてにおいて「いいっす、いいっす」「そんな感じでOKっす」
怒らない!!
昭和世代の良くない癖といえば「これ絶対やっちゃダメ」という禁止ワードで人を縮み上がら
せることと思う。
その「絶対ダメ」がとにかく散りばめられ、これがまた神経すり減るんだ。
この教育も正しい部分はそりゃあるだろうけど、「ダメ」から入るのと「いいっす」から入るのとでは全然違いますね。気楽さが。
そもそも新人に「気楽さ」なんて禁じられたものという共通認識があったんじゃなかろうか。
これまでは帰りの電車内でめいっぱい反省モードに入り、「人の目」をじっくり振り返りながら「大丈夫だっただろうか」と不安なまま夜を明かしていた。
たぶん、いつだって新人に求められる範囲のことはできてたと思うのに、いつだって「それ以上できなかったこと」に心を痛めていた。
なぜもっと気を利かせられなかったのか。
そんな必要はなかったかも…と思いつつ、「心痛め疲れ果てた新人っぽさ」は誰かを満足?安心?させてたのだろう。
しかもその頑張りはほとんど報われず、搾取感ばかりが募っていく。
だけど令和のバイト現場じゃ、過度な頑張りなど求められてないように感じた。
頑張りすぎても誰もケアしちゃくれない。
人は人、自分は自分。
それでいいんだと思う。
今度は心すり減らさず口角上げすぎずに淡々と自分のために働こうと思う。
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新総裁はだれ
明日は自民党総裁選挙。
どうだっていい…と思いながらも、どういう星まわりの人が総裁になるんだ?というとこは興味あり。
ちなみに明日は太陽天秤座、月魚座の日。
水星は天秤後半度数で水瓶冥王星とスクエア。
総裁候補5人の星を簡潔に見てみます。
(五十音順・敬称略)
小泉進次郎(44歳・火星期)
太陽:牡羊、月:獅子か乙女
水星・金星・火星:牡羊
木星:天秤、P太陽:双子
進次郎氏は、正直「あるかもな」と思わせるホロスコープです。
というのも、現在火星期の彼の火星はN太陽金星とコンジャンクション、かつN冥王星とオポジション。
これは彼の父親が小泉純一郎元総理、兄や妻が芸能人という華やかな家系も表されてるとは思いますが、このオポラインが現在、トランジット木星とTスクエアを形成中と。
明日は魚座のT月が彼のN月とオポジションになるので、決選投票メンバーに入って注目を集めるっていう予想どおりにはなりそうと思えますよね。
あと彼のN水星とT太陽もオポジションになるので、彼の発言にも光が当たるかなと。
ただ、どんな結果になっても彼に注目が集まることは間違いないので、「総裁選に出た」という話題性で終わる可能性もなくはない。
彼は牡羊コンジャンクション部分が海王星とトラインなんですよ。
これが抽象的で楽観志向のゆえんに思えるし、水星はノンアス。
討論会で「手元の紙を見てばかり」と怒られてたけど、「漠然としすぎてる」というとこが総裁になったらより目立っちゃうと思いますよね。
ステマにしてもそうだけど、いつも協力者頼みなところが見てて心細い感じ。
もし月が獅子だったら、全部男性星座(最近は能動星座と言うらしい)
やっぱりネガティブに目を向けるのが苦手なんだろうなって見えちゃう。
「まず動く」というのが彼の良さとしても、立ち止まって熟考する心の深さも国のリーダーには欠かせないと思うから・・
小林鷹之(50歳・木星期)
太陽:射手、月:牡牛か双子
水星・火星:蠍、金星:天秤
木星:魚、P太陽:山羊
彼は射手座が強調されてる人ですが(海王星とドラゴンヘッドも射手)、そういえば防衛費を増やしたいとか言ってましたよね。
水星・火星は蠍だし、「戦い」のにおいが漂う。
でも金星天秤だからか、スラッとした風貌で攻撃性がマイルドになってる気がする。
太陽と海王星合だし。
彼のP太陽は、前回の総裁選のときにT冥王星と合でした。
彼のピークはここだったんじゃないか。
というのは失礼だけど、この方は土星期にもう一度総裁の座が近づくんじゃないかと予想。
高市早苗(64歳・土星期)
太陽:魚、月:蠍
水星:水瓶、金星:牡羊、火星:蟹
木星・土星:山羊、P太陽:牡牛
高市さんのホロスコープでまず調べるといったら水星ですよね。
たかまどの〜・・とか、どしたんだ?と思いましたよ。
急に関西弁になるし。
まあ水星水瓶というだけでユニークさは漂うわけですが、天王星とオポジションでした。
知恵をひねらなあかんよ!みたいな独自モットーが感じられてきます。
学生時代から個性的な自己紹介を繰り返してきたんじゃないだろか。
それはいいとして、高市さんの太陽に今、Tドラゴンヘッドが乗ってるんですよね〜
党員票こんなに!?みたいなことがあるだろうか。
もしかしたら世界レベルの注目を集めるかも?女性初総裁という。
しかも蠍座の月と海王星の上にT火星が乗ってるし、高市さんは火星蟹でT木星の恩恵も受けそう。
あと彼女の年齢域惑星P土星が今年牡羊に入ったばかり。
「新!」という何かが彼女の身に起こってもおかしくはないですが、正直、総理になるホロかなぁとも思う。
でも過激なことを言いながらも嫌われたくない人とは思うので、総理になったら小池百合子みたいになるんじゃないでしょうか。とにかくユニークワードで人の視線を集めるみたいな。
林芳正(64歳・土星期)
太陽:山羊、月:水瓶か魚
水星:水瓶、金星:魚、火星:蟹
木星・土星:山羊、P太陽:牡羊
林さんの人気が急に出てきたのは、やはり英語でのスピーチがキマってたからでしょうか。
いやいや、でも冷静に見るならやはり林さんのまともさはじわじわ感じられてきますよね。
山羊座って本当、良い意味で普通というか。
しかも林さんに好感が持てるのは、なんかフラットさじゃないか。
あんまオレオレ!って感じじゃないし、「家族によく怒られること」では「賞味期限が過ぎたお菓子を食べすぎること」って淡々と答えてました。
私はここに水瓶と蟹っぽさを感じる。
クールでありつつ、かわいらしいツボを外さないみたいな。
やっぱり冥王星が水瓶に入った今、人々が求めるのは水瓶っぽさ・風星座っぽさじゃないかと思う。
石破さんは太陽水瓶だったけど、いきなり水瓶すぎて、あのフラットさ・真っ当な人権感覚に庶民が気付くのが退任間近というね。
石破さんの成熟した大人部分を林さんみたいな人に引き継いでもらいたい、という人は少なくないと思う。
だけど星まわりとしてはどうだろう。
P太陽が牡羊座初期にあるので、もし総裁になったらそのうち牡羊に入ってくるT土星・海王星のパワーで何か底力が引き出されるかも?
茂木敏充(69歳・土星期)
太陽:天秤、月:双子か蟹
水星・金星:天秤、火星:乙女
木星:獅子、土星:蠍、P太陽:射手
茂木さん、風星座か!
もうすぐ誕生日。
茂木さんの英語スピーチには「おおっ!」と感動しました。
本当は火星乙女っぽい頭脳派・キレ者なのでしょうけど、すべてが漠然としてるイメージで、いつまで経ってもよくわからない人(私にとっては)
でも多分おしゃれなんだろうなとは思う。天秤っぽいですね。
園児たちに「おじいちゃ〜ん」って言われてて、ガクッとしちゃったけど。
そうか、ただの好々爺に見えてるのかと。
進次郎氏じゃないけど、楽天的に見える人って政治家にとっちゃあんまよくないんじゃないのかな。
しかも強者ゆえの楽観性に見える。茂木さんだけじゃなく進次郎氏も小林氏も。
茂木さんは来年、天王星期に入りますが、その天王星は獅子座。
来年T木星が獅子に入るので、来年こそ何か光が当たるんじゃないのかな?
最後に石破総理のホロを。
石破茂(68歳・土星期)
太陽:水瓶、月:魚か牡羊
水星・金星:山羊、火星:牡牛
木星:天秤、土星:射手、P太陽:牡羊
石破さんの水瓶太陽は中盤度数なので、太陽がT冥王星の影響をダイレクトに受けてるわけじゃなさそうなんですよね。
ただ去年の秋は石破さんの金星の上にT冥王星がぴったり乗っていた。
石破さんは金星がわりと豊かなアスペクトで、木星とトライン、月とはセクスタイル気味、火星ー海王星とでTスクエア。
ということは、石破さんの惑星の多くがT冥王星に大いに刺激されてたこの1年ということ。
石破さんが選ばれたのは、「水瓶っぽさと山羊っぽさ」を求めるムードにマッチしたからじゃないか。
人はそろそろいろんなこと打破して革新方面に進みたいけど、やっぱり保守にも戻りたくなる。
冥王星が水瓶に移って山羊方面に逆行中のこの時期、石破さんが求められるのも必然だったのかもしれない。
石破さんは自民党の中では今じゃ左寄りだけど、保守に阻まれた面も随分あった。
この人の中にそういう要素があったということでもあるかなと。
太陽は水瓶だけど、水金火星が堅実で渋めなんですよね。
だけどトランジット冥王星も今月14日でいよいよ完全水瓶入り。もう山羊には戻らないのです。
となると、誰になるか。
今度は「魚っぽさと牡羊っぽさ」の両方要素を持つ人じゃないかなと。
今月22日には海王星は魚座に一時戻るし。
一応、高市さんと林さんは魚と牡羊の要素あり。
ホロスコープは世のムードが映し出されるし、そのムードを内包した人がいきなり求められたりしますから。
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直感備忘録
「結局、自分の直感は正しいものだ」
そんなことが書かれた本を偶然続けて読んだ。
だからというわけじゃないけど、
今日のウインカーネリアン。
昨日のトーセンエスクード。
どちらも騎手は三浦皇成で、どちらにも複勝200円賭けていた。パドックでピンときた(TV)
どちらの馬も10番以下人気。三浦皇成には時々ピン!と来る時がある。
その直感のまま買って「来た!」ということが多い。
ただ、ウインカーネリアンを単勝で買わなかったことが悔やまれた。
買ってれば100円で5000円か…
来てたんだよ、脳内ではピン!と来てたんだけど、まさか…とか思っちゃって。
この間ふと、「成城石井寄りたい」と猛烈に思った。
しかもアトレの中の成城石井。
カップゼリーが食べたい!と思った。
仕事で頑張ったからデザートでも食べたいと、こんなふうに思うのは自分にしちゃ珍しかった。
レジでルミネカード(viewカード)を探す。
アトレでもポイントつくからね。
が、財布に見当たらない。
・・落としたのかもしれない。
前日にルミネ10%オフの買い物をした。
結果的にやっぱルミネで落としてて、しかもレジの隙間という微妙なとこで見つかって、誰に悪用されることもなく無害だった。
いやはやこれも、アトレに寄らなければカードの紛失なんてずっと気づけなかったはず。
最近は10%オフじゃないとルミネ行ってないし。
頼りになるじゃねぇか、直感。
時々、選択が「降りてきた」ように感じる。
降りてきたなら「それしかやりたくない」と、一択のために動く。
そんなときは大概ものごとがシンプルに・スムーズに運ぶ。
誰にでもよくあることかもしれない。
ただ、スムーズにいくことばかりじゃない。
こっちに行きたいと心が求めてるけど、不安がいっぱい・怖い!と足がすくむこともある。
そんなとき、不思議なことにどんどん背中が押される感覚になり、「その他」の選択肢がどんどん排除されて、行くしかないと腹をくくるのは歩みの直前。
そんなときもまた、「良い景色」が広がることが多い。
行動した先の扉が一向に開かないこともある。
相手とつながらない。連絡が取れない。
約束がキャンセルになる。具合が悪くなって帰る等々。
それもまた「こっちじゃない」という直感的サインなのかもしれない。
とある苦手な人のことで上司に相談したことがあった。
なるべくチームを一緒にしないでほしいと。
苦手というよりハラスメントに近い苦痛を受けてるから、とまで言ったのに、同じチームが組まれてて憤慨&ショックを受けた。
ところが同じチームになった日は仕事がとてもうまくいって、逆に結束が強まったりした。
自分の望んだことと真逆の展開でもこんなことが起こるんだな。
天の采配、みたいなのに乗るしかないみたいな。
音楽を聴くと無邪気な何かが内側で踊り出す。
そうなると直感も冴えてくるような。
だけど「音楽聴く」ってのも今じゃ面倒くさく、なかなかスピーカーをオンにできないこともある。
今いろんなエンタメありますからね。
でも疲れた時に音楽かけると、内側のしおれた茎みたいのがシャキッと立ち上がるから。
あとはフラワーロックみたいに踊らせておく。
内側の何か、ゆらゆらと。
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良い演技あれこれ
この間のEテレ「スイッチ」は録画して見ました。
ゲストは妻夫木聡×李相日監督
(写真はステラnetより)
映画「国宝」は私も観ましたから、国宝にまつわる裏話はとても気になる。あの映画の一部だけでもTVで見るといまだに興奮しますね。
スイッチでの妻夫木くんの一言。
「良い演技ってなんでしょうね」
妻夫木くんは「国宝」にただならぬ思いを抱いてるように見えた。
特に吉沢亮の演技について「どうやってあの表情を引き出したのか?」というようなことを言っていた。
「良い演技」と思ったのだろうけど、口にしたそばから「良い演技」がわからなくなったようで。
「国宝」の吉沢亮には私も衝撃を受けました。
役者の方からのこういう衝撃って、数年に一度とかくらい。
何かを「超えた」と思ったんですよね。
なぜにあれほど孤独な表情ができるのか。
内側に秘めたその人ならではの個性からしか生まれないような。うまい人はいる。
たった一つみたいな正解の演技をする人もいる。
でも良い演技ってそれとはちょっと違うような。妻夫木くんこそ「あんぱん」の八木さんで良い演技されてますよね。
こういうキャラをこんなふうに演じる人になったのだなぁ…という深い感慨が湧くほど。
私は妻夫木くんについてはどれほどでも語れる!と言えるほど思いがたくさんある。
大体がいい人すぎるんだよな。
だからなんでも役を引き受けちゃうんだろうけど、もうやらなくていいよ!と思う情けない演技も全力でやってしまう。
宝くじCMのシナリオにはいつも怒りが溢れてくる。
ブッキーをあんな役にするなよ!
だけどそんな情けなさから人柄がこぼれ落ちるのが妻夫木くんであり・・この間、NHKで放送していた「母を待つ里」は良いドラマだったなぁ。
それこそ中井貴一さんっていつでも本当に良い演技をされる。
これぞ良い演技!といつも思う。
プルーンのCMでも最近の珈琲屋マスターのCMでも。また松嶋菜々子さんがいぃぃ演技だった・・
宮本信子さんの家でくつろぐ松嶋さんの大きな背中から思うに、本質は素朴で「くつろぐ」という言葉が似合う方なんじゃないか。
佐々木蔵之介さんも満島真之介さんも素晴らしかったけど、なんたって宮本信子さんですね。
凄みがあった。
津波で息子を亡くした母そのものだ…と思わせる凄み。
一人暮らしの老人の表情に「わかる」と思えてしまうのはなぜなのか。
物語自体は余白がとても多く一見地味なお話だけど、すごくすごく味わいが詰まってて、良いドラマを見たなぁと、数日経っても余韻が消えない。
NHKばっかりになるけど、今放送中の夜ドラ「いつか、無重力の宙で」
なぜか初回からイラつきを感じさせるドラマなんだけど、片山友希さんが本音(怒り)をあらわにするところで空気が変わった。
すごく惹きつけられたんですよね。
森田望智さんと言い合いになるところまで釘付けだった。
役者の持つ凄さってどんなドラマでもふいににじむことがあるんだよな〜あるある!ってことを感じるのが楽しいからドラマ見るのをやめられない。そこに伊藤万理華さんも加わった今週。
この方は出るドラマに足跡を残すような不思議な印象の方。
人を惹きつけるのはかわいらしさ?色気?
いやいや、この人も相当うまいよと。
自分が楽しむことなんてずっと後回しのシングルマザーの表情が「わかる!」と思ってしまううまさ。
それは「器用」とかとはまた違うような。主役の木竜さんは役が気の毒に思ってしまった。
最低な上司にNOも言えず嫌悪感も示せず搾取されまくりで、でも高校生のキラキラしたあのころを取り戻すのに必死で、疲れた日にはお酒も飲みすぎちゃう女子。
男性の幻想上の女子に思えるのが「なんだかな〜」と思ってしまう。
なぜその胸の内の声が柄本佑さんなのか。
木竜さんの声でいいじゃん。なぜに男性の声?
イラッとしてしまう。
・・・というドラマでも、各々の演技に胸打たれたりするのはなんだかんだ楽しい。「しあわせな結婚」の松さんもさすがだなぁと思った。
最終回で特に思いましたよね。
強気で明るい役が続いてた気がするけど、ネルラみたいに地味志向の女性もそれっぽく演じられるのがすごい。しかもコミカルさも漂わせて。
あと最終回で、死んだ恋人の高騰していく絵が実はネルラ作だったというストーリーにはうなってしまった。
大石静先生!
おもしろいドラマにはちゃんとした脚本も必須ですよね。この間の「べらぼう」も、林家正蔵さんの演技に泣けた・・という人は多かったと思う。
良い演技をするのはベテラン俳優とも舞台俳優とも限らない。
若手でも芸人でも心を掴む表現をする人っているんですよねー。
逆に芸歴や年齢がいってても何も感じない役者は少なくない。
世間的・作品的に「人気者」と思わせる活躍をしていても、見たくない・苦痛と感じる役者もいる。
何かがにじんでるということなのか。
うまいのと良い演技って、絶対違うと思う。この間じっくり堪能した「北の国から」でも、心に残るのはとにかく竹下景子だった。
あのころたぶん20代半ばで、「ショック!!」という表情を何度アップで捉えられてたか。
ショックが雪子に降りかかりすぎという話もあるんだけど、いろんなパターンのショック・傷つきの表情を見るのは楽しかったなぁ。熊谷美由紀(松田美由紀)も、あれは演技完成されてると言えないのかもだけど、表情が良かったんですよ〜(ぐすん)
もう泣いちゃうほど。
なぜ泣けたんだかわからない。
愛おしさが、ただかき立てられた。
最近は不穏な感情に自分で疲れてしまうので、良質とわかってるもの(NHKか好きな脚本家のもの)しか見なくなった。2年くらい前までは新ドラマの1話を大体ほとんど見て、視聴継続を決めるなんてことやってたのに、1話で「無理」と思うドラマが増えた。単に1時間も見る体力のなさかもしれない。
少し前にXで、「ちゃんとドラマを見る人なんていないんだから作る側もそれ相応で良い」みたいなドラマ製作者がいて…という記事を見かけて、「やっぱな」と思った。
ひどすぎる!と憤慨するドラマって、熱量がそういうことなのかな。
ドラマだけじゃなく、映画も勇気持って2時間半をかけて「なんなんだ」と思うことが多い。
だからもう怖くて見なくなっちゃって。時間のロスが怖い。来週の「スイッチ」は妻夫木くんが掘り下げられる。
楽しみだな。
妻夫木くんは昭和の良さを醸し出すぎりぎりの世代だと思う。
(そういうあたりが好きなんだな) -
水谷千重子50周年記念2025
この間、「水谷千重子50周年記念公演」に行ってきました。
4度目の50周年、バカ言ってる ってやつですね。水谷千重子公演といえば、お芝居と歌謡ショーの2本立て。
去年までお芝居は時代劇でしたが、今年はなんとミュージカル。
CHICAGOならぬ「CAKUGO」!
(画像は水谷千重子HPより)
友近のネタ、ミス・フローレンスは去年末の検索ちゃんで見ましたが、千重子も見てたとのこと(?)
そんで友近に「千重子にもやらせてちょうだい」と拝借のお願いをして、脚本は二葉先生に依頼しての舞台化…という経緯ですが、この間のラジオで友近は、「いずれ西尾一男のようにミス・フローレンスも独立させたい」と言ってました。複雑!
西尾一男は今、「ピザを囲む会」とかもやってますもんね。高いんだこれが(行ったことはない)
お芝居はさすがミュージカルだけあって(今回お値段高かっただけあって)、華やかで見応えありました。
元和牛の川西賢志郎も重要な役で出てましたけど、あの人かっこいいんですね。
ミュージカルならではの大仰な演技もハマってたし、舞台全体がボケという中で、彼のツッコミが光ってた。その他、お芝居の感想を箇条書きにしてみます。
・YOUがめちゃくちゃきれいで可愛かった(歌声聞けたのも嬉しい)
・生駒ちゃんは前回もだけど相変わらず運動神経が良さそうで動きのキレがハンパない
・ガンバレルーヤのネタを初めて見たけど、さすが芸人!というキレで感動
・友近千重子のダンスもすごい上手だった
・城田優?と思ったイケメンは神里優希さん
・的場浩司の怖さに磨きがかかってた(スタイルがシュッとしてて素敵)
・バッファロー吾郎Aは相変わらず声が通る(おかげで大体の筋が理解できる)
・ラジオで「泣いた人もいた」と聴いて「まさか」と思ってたけど本当に涙がにじんだミス・フローレンスって、波乱万丈の人生を送った元ダンサーなんですよね。
検索ちゃんで見たときは、「過去の体験をかなり盛る婆さん」という感じでしたが、舞台ではその「盛ってる」疑惑に説得力を与えるような与えないような…「ムーンウォークはあたしが教えたんだよ」などなど。
生活笑百科時代の上沼恵美子西洋版なんじゃないかな。
それにしてもドラマチックな話でした。
友近ってほんっとに大仰なドラマが好きなんだなぁと思った。
それがまた私のドラマ願望も満たしてくれる。
かなりツボにはまるんですよね。
友近はよく「小学生のころからおもしろいと思うことが変わらない」と言ってるけど、私もそう。
というか、激しく同感する人・特に女性が大勢いるんじゃないのかな。
だけど、友近ほどは表現できなかった人がファンになって見に来てる。そんなとこだろうと思う。
むちゃくちゃおもしろいことを秘めた普通の顔した人たちの秘めた部分を友近が盛大に表現してくれてるように思う、だから託す!
安心して託せる人なんですよ。
ミス・フローレンスの何がおもしろいの?って一見思うんだけど、おもしろいじゃないですか。
一言じゃ言えないじゃないですか。
でも友近はおもしろいと確信して、やってしまう。
これまた大仰な写真(笑)確かに舞台上で知らされた真実はトンデモないものでした。
そして歌謡ショーがまた笑いました。
ババアになると笑い上戸・泣き上戸になるというけど、本当そうですね!
倉たけし(ロバート秋山)に泣くほど笑った。
どこで笑ったかって、まさとし先輩との絡み。
ありんくりん・ひがって、最近友近からよく聞くものの芸人としてはまったく知らなかった。
まさとしニーニーとしてYouTubeで見れるらしいですね。
まったく知らないもんだから、千重子に沖縄から呼ばれた上京感、そのイキった感じのどこからどこまでネタかわからず戸惑ったけど、全部ネタだと(そりゃそうか)
ニーニーのイキりがまた倉たけしを逆上させ・・笑いましたね。。
だけど2人がはけて千重子1人になっても笑えるんだからすごい。
千重子ってもう、ずーーっと噛まず・流れるようにトークするんですよね。
ラジオだと友近は「あれやあれ、言葉が出ぇへん」ってよく言ってるけど、千重子になるとそれが一切ない。
しかも笑える。やっぱとんでもない才能の人なんだなぁってつくづく思うけど、友近ってそれでも遠くに感じない。
あの絶妙な庶民感は随所に漂う「ダサ」のおかげなんじゃないか。
今回の千重子のお衣装は、いろんなお面や和のおもちゃがちりばめられたお着物。
どんな着物だよ!って思うけど、可愛いんですよね。
可愛いんだけど着たくはないかな…みたいな。
あと何より感心したのが、歌うときのノリのダサさ。
いぇい!みたいなブギのノリ感とか、エンディングの締めくくりでドラムに合わせてジャンプしたり、こぶしを軽くにぎったり。
これはロバート秋山もそうだった。
演歌歌手独特の表情が絶妙だった。なんかまぶしそうな男前顔とか、肩を入れて歌う感じとか。
おもしれぇーー!って釘付けになるんですよね。いるいる!って。
なんであの似せてる感じがこんな面白いんだろう。
オリジナル曲とかも全部ダサ調なんですよ。
とにかく今回はまさとし先輩とのデュエットですね。
まさとしニーニーは歌もうまいし三線で沖縄の曲もしんみり聴かせる人だけど、友近と歌ったIslandという沖縄男性デュオの「STAY WITH ME」という曲につかまれた・・
この旋律・歌詞といいドラマチックさといい、いかにも80年代!
友近がこの曲をチョイスしたそうだけど、やっぱ友近の好きなものって「あのころのドラマチックさ」がベースとしてあるんだなぁとよくわかる。
ユーミンが昔、ラジオのエンディングにしてたみたいだけど、この曲を参考にして「リフレインが叫んでる」ができたんじゃないのかなぁ、なんて。
私もあの感じ大好きなんですよ。
今、CMでも流れてる「Get Wild」にも通じるような、あの始まりの鍵盤の感じ…!前に宮迫が「春澪」として千重子の舞台に立ったとき、その歌唱の迫力に圧倒されたけど、まさとし先輩はそれを超えたと思った。
歌を聴いて人を好きになったことが、ない気がするのにあるような錯覚に陥ったんですよ。
というか好きになってしまう…と思ったですよ、ニーニーを。
そんな余韻を抱えて帰宅後、Wikipediaで調べたらニーニー(ひがさん)の誕生日が私と一緒だった…!
これ、中高生だったら好きになってましたね。
誕生日同じってことがなぜ「好き」の背中押しになるか意味不明だけど、そういうことありますよね?