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高温体質と低温体質
私の知り合いには月星座「地」の人が多いということは前にも書きました。
しかも太陽・金星・火星どれかが「風」のエレメンツが多く、彼ら・彼女らは基本「低温体質」であり。芸能人のスキャンダルが出ても「どーでもいい」という言葉がまず出ますね。
どーでもいい・興味ない・ってかよく知らない(誰それ?)地×風の組み合わせのセットはとにかく低温体質と感じる。
ちなみに、低温体質人の太陽が「水」ってことはない。
太陽水の人はいかなる場合も「わぁぁ…」となる。
なんたって水×火の組み合わせですね。これはもう「高温体質」ですよ。ただし、太陽が火でも月が地だと低温感じますね。
逆に太陽が風でも水×火のセットが月・金星・火星内にあると、高温感が目立つ。
ちなみにこの低温・高温というのは、特に恋愛とかミーハーさが出る場面においてのこと。心が簡単に盛り上がるのかどうか。私は太陽水×月が火、高温体質であることは自覚してます。
ミーハーだしね。
芸能界の話も好きだし、なんだかんだ恋愛の話も楽しんだりする。
そんな私でもこの間の文春砲には「へー」という感じ。
金星と火星が地なので、低温感も自分の中にある。
というわけでもないけど、田中圭さんが同じ誕生日なので、謎の擁護感が芽生えたというか。最近の蟹座、いろいろあるなぁ!と思ってたのです。
広末さんの逮捕騒動、大谷選手の第1子誕生、のんちゃんは今週末の「キャスター」で十数年ぶりの地上波出演。
これまた同じ誕生日の前田あっちゃんはフジの火曜9時で頑張ってるなぁと思っていた矢先、田中圭が永野芽郁とお泊まりだって!?このニュースを知ったとき、確か田中さんも太陽水×月が火じゃないかなと思い返した。
田中さんの月は射手でしたね。
金星は蟹、火星は蠍、水星は獅子。
ということで、もろ高温体質と思う。「おっさんずラブ」の春たんそのままという感じ。
ってか、パーソナルに地も風もないのがね!
こういう人はどうやって自身をクールダウンさせるのか。
木星が山羊なので、「国民的俳優なりのきちんと謙虚感」が自分に仕事を運んでくることは体感されてるだろうと思うけど。
永野さんもねぇ、パーソナルに地星座ないんですよ。
太陽は天秤(風)、月は魚(水)、金星獅子(火)、火星射手(火)
水星は天秤。
意外にホットホット!
一見、天秤そよ風感というのか、「恋愛はドラマだけ」という雰囲気は醸し出されてますがね。
ただ、少し前に「ぽかぽか」出てたとき「こんなキャラだっけ?」というのは感じた。
ふわふわニットで手の甲が覆われたまま、どんな話題にも目をくるくるさせるあざとさというか、すんごい女子っぽくなったのですねと思った。
「半分、青い。」や「ハコヅメ」みたいな素朴イメージで止まってたから。
でも月が魚なのでね。
魚座持ちは、あざと要素ありますから。
芸能人だと、同性からも人気が出るような可愛らしさが放たれて雑誌の表紙いっぱい飾りますね。
石原さとみさんとか(太陽山羊、火星魚)
あと芸能人の魚座持ちはなんたって表現力が群を抜いてると感じる。
何かが憑依したような演技なのです。パーソナルに地星座のない2人。
「友達」という言い分を信じるなら、ぎりぎりのスリル感を楽しみすぎちゃったのかなと思う。
「友達でもこれくらいやるよねー(別にいいよねー)」みたいな悪ノリというか。
ちなみに永野さんは火星と冥王星が合。
この人は意外に勝負師なんじゃないか?と思った。
金星も獅子だし、勝ちたい!というアツさが内包されてるんじゃないか。
漫画家とかスタートアップ企業の社長とか、ドラマチックに上昇していく役が印象的なイメージ。
「キャスター」でも阿部寛さんの言うことをただ聞くわけじゃなく、「やってやろう精神」みたいのをちょいちょい発揮する役。
恋愛でしおらしい女子とかより、こういう挑戦的な役の方がずっと輝くんだなぁと思ったですね。
でもいつからか「国民的いい子」みたいになって。
あれだけ演技がうまいと、そういう枠にはめられちゃうのかな。
太陽天秤で月が魚だと、「いい人」の期待にも進んで応じるとは思う。太陽射手座のスキャンダル率は男女とも高めと思ってますが、射手座持ちも「いい子」のままじゃ終われないのかもしれない。
ホットホット!な一面こそ自分なんだと、抑え込むほどに激しく露呈するものなのかな。芸能人だと特に。
しかも永野さんの火星冥王星に田中さんの月天王星が乗るという。
月だけじゃなく天王星も乗っちゃうとこがドラマチックというかお騒がせというか。
永野さんのこの射手部分。
「落としたい」というハンター精神が恋愛で出てもおかしくないと思った。
成功体験もかなり積んだのではないか。
火星座は「実感」だけで満足できたりするので、実際付き合ったりするわけじゃなくても、自分の感覚で「よし!」と思えれば気が済むんだと思う。
そういうのがむっちゃ楽しいというのは、私もわかる。ところで風×地がパーソナルで目立つ人は、「好き」とかがそもそもわからないと言ったりする。
なので、恋愛体温はやっぱ低めですよね。
恋愛雑誌より情報雑誌を好むような(今、恋愛雑誌とかないか)
「好きだから結婚したんでしょ?」と聞いても「うーん」とか言ったりする。
私はそれを「照れちゃって…」と思うけど、相手は「恋で熱くなる」とかが本当わからないっぽい。
一緒になったのは「信頼感」からの「安心感」、そして「これまでの継続感」を重視してると。
ま、それもわかりますがね・・
水×火を持つ自分は、ドラマを欲する細胞が体内に潜んでる体感ありありですね。
たとえ泣くことになっても・・!(バカ)
私がふだん騒がしい通り沿いに住んでるのも、そのほうが楽しいから。
風×地の低温系友人は、品の良いシーンとした街に住んでいる。
お互いの住環境を「信じられない」と思ってる。蟹座がスキャンダルを起こすと、どうも他人事に思えないですね。
「やっちゃったねー」と目を細めるというか。
「自分はあそこまでは溺れない」と我が身を引き締めるというか。
特に誕生日が近い人が何かやらかすと、自分のドラマチック転落願望が不思議と満たされたりする。
「そんな呑気な!陰で傷ついてる人がいるんですよ!」
と怒る人がたまにいるけど、それもまたその人の見え方。
各々が自分の何かを投影して感情を動かしたり、別にしなかったりしてる。
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固定宮ドラマ「対岸の家事」
「対岸の家事」おもしろいですね。
よくできたドラマだなぁと思う。
全体的にはコメディーだけど、すごく重いものが問題提起されている。
今まで気づかなかったわけじゃないけど、言語化できないモヤモヤがクリアになっていくような爽快感は、逃げ恥に似てる。同じ制作陣なのかなぁ。
(写真は「対岸の家事」HPより)
多部ちゃんは本当、いろんな役をこなせるのですね。
それでもクールな女性が多かった印象。
今回は人と人をつなげるハートフルな専業主婦役。
多部ちゃんが専業主婦とは!
水瓶座って、仕事ができる合理的な役が多い印象。
しかも、この詩穂という役には魚座っぽさを感じる。詩穂の隣に越してきた女性は礼子(江口のりこ牡牛座)
詩穂と育児仲間になるのが中谷(ディーン・フジオカ獅子座)メインの3人が太陽固定宮なんですよね。
江口さん(礼子)は2人の子を抱え、夫は出張がちでどんどん追い詰められていくところを、詩穂が気にかけるとこから友情が育まれる。
とはいえ専業主婦vs育休明けのバリキャリ女性という対立構造がちょいちょい浮かび上がるとこがスクエアっぽい。ディーン・フジオカさん(中谷)の上から目線がいかにも獅子という感じで面白いです。
育休中の父親役。
厚生労働省勤務というエリートですが、妻もエリートで海外出張中なので、ディーンさんがたった1人で育児に奮闘中。
すんげぇ嫌な役だけど、それがまたぴったり!
多部ちゃんとオポジション同士で、互いの問題点が互いの存在で浮き彫りになって開眼していくさまが見事なんですよね。固定宮はこの3人だけじゃない。
多部ちゃんの夫:一ノ瀬ワタル・・・獅子座
江口さんの夫:川西賢志郎・・・水瓶座
江口さんの部下の今井:松本怜生・・・牡牛座
多部ちゃんの心の母(友達):田中美佐子・・・蠍座多部ちゃんと江口さんはともに固定宮夫婦。
江口さんの部下・今井まで固定宮。
このドラマが描き出す閉塞感は半端なく、どこに救いを求めればいいのか?どこに風の通る道があるのか?と、四角い箱の中をぐるぐる回るしかないような絶望感は重い。
私自身、固定宮のスクエア持ちですが、トランジット惑星でグランドスクエアやTスクエアが形成されてたころ、確かに閉塞感の日々。
T土星がアスペクトに絡むと特につらかったですね。
「出口がない!」と感じるんですよね。ないことに慣れるしかない。空気の薄さに耐性をつけるしかないみたいな。江口さん演じる礼子は、1話ですでに出口のなさに適応しようとしていた。
なんとかギリギリ日々をこなして、少しでも「あっ!」と息が荒くなると、空気が足りなくなって命の危機に陥る。
詩穂はお隣さんの苦しさにいち早く気づき、ノックして「大丈夫ですか?」と気にかけたり、閉塞感をぶち破ったりする。
スクエア関係の多部ちゃんに出会ったからこそもたらされた新展開っぽく。詩穂も専業主婦だからって毎日がゆったり余裕幸福感というわけじゃない。
誰か大人と会話したい!
そう願っても、街に出ればみんな忙しそう。
夫が帰ってきても疲れて会話にならなくて、ひどく孤独を感じることもある。そんな折、公園で出会いがある。
それが育休中の中谷。
専業主婦の詩穂をあからさまに見下しつつ、強引に振り回したりする。
詩穂は振り回されたくない意思を表明して距離を置こうとするんだけど、実は中谷も相当追い詰められていた。
なんでも合理的に処理するクセがつきすぎて、突発的な子どもの体調変化にパニックになってしまう。
そこで詩穂に助けを求めて、詩穂に一目置くようになる中谷。ところでディーンさんの妻役が島袋寛子さんだったことにウィキペディア見て気づきました。
誰だろう?と思ったんですよね。片瀬那奈さんっぽくも見えた。島袋さんは牡羊座です。専業主婦の詩穂という「余白」に中谷も礼子も救われた第1話・2話だったけど、第3話はその余白感に盛大に疑問が呈された。すごく重い回でしたね。
誰かを頼るのも本当大変な時代になってしまった。「私、引き受ける余裕ありますから大丈夫ですよ」
そういう人はどこかしらにはいる。ご近所さんでも職場でも。
「持ちつ持たれつ」のバランスが取れていた時代はよかった。
・・けど、過去にバランス取れたと思ってたことって本当だったのかな。
誰かが無理をしてたことに気づいてなかっただけじゃないのか。
今、SNSなどで「無理!」という声を表明しやすくなったから、いろんなことが問題提起されるようになった。
でもその分、余計に八方塞がりみたいなムードが強まってるように感じる。
だからといって、無理してた側の声を従来のまま抑えていいことにはならないけど。第3話は、礼子の部下・今井に光が当てられた。
この今井って、「おむすび」の風見先輩だったんですね!今頃気づいた!
で、その今井は、礼子が早退したり休んだ分の仕事を引き受ける立場にいる。
礼子は子ども2人ともおたふく風邪になり、1人目のときは今井も快くOK。
「お子さんの健康第一ですよ」みたいな声かけを礼子にできる余裕はあった。
でも翌週に2人目もおたふくになると今井はいつになくキツく「僕は予定通り有給取りますからね!」と言い放つ。
実は今井にも事情がありそうなことがドラマでチラッと描かれて、あそこで閉塞感がぎゅっと詰まりましたよね…礼子の親は飛行機の距離に住んでいて、夫は出張中。
詩穂に子どもを1週間見てほしいと現金携えて頭を下げるけど、あの場面では確かにあれしか方法がないように見えた。
でも、「礼子が休む」→「礼子の会社がその事態をなんとかする」という方法じゃだめだったんだろうかと、結構モヤモヤしましたよね。
もしくは「親に飛行機乗ってこっちに来てもらう」
礼子からは、詩穂が「毎日余裕のある(暇そうな)主婦」に見えているのだろう。
「我が家の多忙さを抱える余裕だってあるのでは?」と思ってるっぽいとこが第3話のピークっぽかった。詩穂は仕事と家庭を両立できる自信がない、自分はそういうタイプじゃないとわかってるから専業主婦の道を選んだ。
その詩穂の潜在的な余白に「両立したいんだ」という人が入り込んでくる。
詩穂のキャラからして、そういう事態も込みでいくらか余裕のある生活をしてるんだと思うし、詩穂みたいな人が近くにいる奇跡的なバランスでなんとか成り立ってる部分があるのはわかるけど。もし今井が「自分のペットの余命が短くて…」と、礼子の余裕のない時に告げてたら、「子どもとペット並べる?」という話になるのだろう。
それがわかってるから今井は誰にも伝えなかった。
でももし、今井のペットがあの期間に亡くなってたら…
あのドラマは優しげなので、礼子をそこまで追い詰める展開にはしないだろうけど、そういう展開になった時に誰も責められないというのは痛いほどわかる。心の中で「比較」して、自分の主張が「弱い」と感じたら引っ込めるしかない。独身だって専業主婦と同じように、「余白のある状態」を大事にしている。(専業主婦だって余白なんてない!という日々かもたけど)
余白を守りたい、だなんて社会的に説得力がないように感じちゃうから、引け目をどうしても感じてしまう。そういう人もたくさんいると思うし、軽んじられていいはずないんですよね。私が礼子に「キャリア捨てるしかないじゃん」と思うのも正常じゃないはずで、どこに穴を開ければすーっと風や水が通るのか?というのをすごく考えさせられる。
やっぱ「社会の整備」がまずい。これに尽きるんじゃないかとは思うけど、国が絡むと即効性は期待できないし。
みんな、今の問題を即解決しなきゃならない事態に追い込まれてて、「即」の先が多部ちゃんだったり今井だったりするから、「今」だけを考えればしょうがないんだけど、今・今・今・・その積み重ねで何年やってきてんだと。
その問題を積んだままにしてる政府の責任は重いけど、選挙を何度繰り返しても大枠は変わらないし、何したら世の中が変わるのかわからない。余裕がないから。
そんな空気の中で窒息寸前の人があふれて、その皺寄せが女性や子ども、若者…今はそれだけじゃなく。
キャリアでもそうじゃない男性でも窒息寸前。
半端ない閉塞感が可視化されたようなドラマなんですよね。ところで多部ちゃんはパーソナルに魚座天体はないけど、ドラゴンヘッドは魚座。
あと現在のプログレス太陽が魚座だった。
「どんな人にも手を差し伸べますよ」という役がいつからか増えてきたような?
しかも月が乙女で、テイルとコンジャンクションっぽい。
これは「社会に声を上げられない人に光を当てる」ような役が巡ってきやすいと思う。
金星は山羊、火星は牡牛。
なんだかんだ生活も思考も地に足ついてる多部ちゃんの安心感は半端ない。
太陽は火星とスクエアで、「はぁ!?」みたいな怒りと驚きの展開が現状をレベルアップさせる。
今後の展開も楽しみです。 -
女性2人のラジオトーク
田中みな実が自身のラジオ番組で、西野七瀬に肌手入れのダメ出しをしていたというネット記事に興味を抱き、「あったかタイム」を聴いてみた。
西野七瀬さん、結構好きです。
劇団☆新感線の舞台を見に行ったとき、身のこなしの器用さに惹かれたんですよね。
元乃木坂といえど女子女子してないし、結婚してからますます中性的になって、特に最近の狙ってるのか狙ってないのか微妙な髪型が可愛い。
感情があるんだかないんだか、微妙な受け答えもなぜか好感を抱く。
(写真はLmag.jpより) 田中みな実の「あったかタイム」は時々聴いてるけど、大体男性陣に褒められて嬉しそうにしてたり、もしくは男性を説教してるか、けなしている。
そのけなしが結構急角度なので、攻めるなぁ〜と感心したりもしますがね。
性格のキツさがそれなりにあらわになるので、みな実さんはそのほうが番組がおもしろくなるからと、プロデューサー目線みたいな気概とかきっとありそう。
美しい女性の鑑みたいな存在でありながら、自分の仕事環境を自分で快適にしていく能動的な勇ましさもラジオから放たれてました。女性ゲストって珍しいと思ったんですよね。
しかも西野七瀬。
2人は「グータンヌーボー」で共演してたんでしたっけ。
何回か見たことあるけど、西野さんの存在感ってどうだったのか記憶にない。ラジオでの西野さんは思った以上に「感情があるんだかないんだか」と感じる単調さだった。
みな実に圧倒されてたのかな…
ってか、あんま仲良さそうに感じない。
でも田中みな実さんってぎりぎり昭和気質な面倒見の良さはすごい感じますよね。
男性陣にもそのへんの情の厚さをいつも褒められている。西野さんとの間には確かに温度差を感じた。
もう世代が違うんだなという感じ。
みな実さんは現在37歳、西野さんは現在30歳。
年齢差からすると大したことないけど、みな実さんはちょっと昭和気質が強すぎる気がした。
それがネットで取り上げられちゃったんだろうな。
その美容の話。
朝起きて、ろくに保湿もしてない西野さんに「だめだよ〜」と。
「小学生なの?」というキツい一撃。
「シミになるよ」という脅し。
私の年齢でも、年上の女性からさんざんやられたアドバイスや脅しを、みな実さんはひととおり繰り出していた。
こえぇだろうなと思う。
めんどくさかっただろうとも思う。
でも男性ゲストに言うのと同じようなキツさだったので、よく言えば一貫してたのかな。みな実さんは女性とのやり取りがそもそも苦手な人なのかな。
アドバイスと説教が多い女性って私は疲れちゃうけど、こういうタイプって社内に3人はいるよな。性格はキツイんだけど、似たようなタイプで寄り集まってる美女軍団みたいな。
逆に西野さんの交友関係にこういうタイプはほとんどいなさそうということまで感じた。
わかんないけどね。
私は肌の手入れよりネギの話が気になった。
西野さんはネギが好きとのことで、話の内容からすると一般的な白ネギと思う。
青い部分も食べます、みたいな。
みな実さんは「九条ねぎみたいな青いのと白いネギとどっち好き?」と聞いて、西野さんは一瞬「??」となった。
だけど、みな実は食い下がる。ってかどっちが好き?って質問も女子女子してる。
西野さんは青いだけのネギを買って食べるとかがあまりないんだと思う。私もあんまない。
「青いのもおいしいよ〜」とか、ネギ大好きの西野さんに「ネギって口がくさくならない?」とか、ちょいちょいマウントしたがるのな。
自分ではそう思ってないだろうけど、相手にマウントと取られかねない発言ってすごく気を遣うと思うんですよね、人間関係を円滑にしようとするなら。保湿や肌の手入れをほとんどしてない西野さんへのダメ出しが続いた後、「夏の間は日焼け止め20、30本使う」とみな実が言ったところで、今度は西野さんが「エッ…」と引いた。
ここでちょっとみな実が慌てて(自分でも使いすぎと思ったのか)、「そうよ〜(女はそれくらいするものよ)」と繕ったところは可笑しかった。
「1本使い切ったことがない」と言った西野さんからは「とにかく自分は自然児の路線で」という堂々感がみなぎっていた(ように思えた)
ラジオのエンディングでみな実さんは「まさか先越されると思わなかったわよ(結婚)」とも言ってましたね。
ここまでくると天然記念物というか、ザ・昭和人間の称号を授与したくなりますよ。
先越されるって・・知らねーよ(と思っただろう七瀬さん)
「全然結婚する気ないみたいなこと言ってたのに」
「のに」!!
昭和世代が言う「のに」がどれほど怖いか、みな実さんはわかってないんだろうな。
やっぱりみな実さんは自分を立ててくれる男性ゲストとのほうがしっくり来ると感じましたね。昭和的な部分でモテる最強の女性が田中みな実ということなのだろう。
ヒヤヒヤしたもんな。
ドライで中性的な生活を楽しんでいる西野さんにいちいち「えー!」とかダメ出しする。
それがみな実さんなりのコミュニケーションであって、悪気がないのはわかるけど、相手が怖がっちゃうだろう。みな実も不器用なんかな(誰だよ) -
ホルモン補充とべらぼうとひなた
3月初旬からホルモン補充療法(HRT)というのを始めました。
2年前には「まだ更年期ではない」と言われた血液数値も、2年経って年頃の数値になってましたね。何よりひどい体調悪化。
去年の終わり頃から頭がモヤモヤするようになり、「とにかく体調悪い」と思う日が月の半分以上。
大腸カメラ検査や子宮検診などをしても異常なし。
ついに更年期症状かと、婦人科医からのホルモン補充療法の勧めに秒で応じた。私は飲み薬と貼り薬。
皮膚に貼るタイプのものは、肝臓を通過しないから内臓に負担かからないってのがすごいですね。
私は一応下腹部に貼ってますが、尾てい骨あたりでもよいらしく。
効いてますね。
頭のモヤモヤはあまり気にならなくなりました。
ただ、体が異様に重いことはある。
めまいも時々あるので、これも更年期症状と思いつつ耳鼻科でめまいの薬も処方される。部屋の本を整理しよう!
というやる気がみなぎってきたのが回復の兆候です。
HRT直前は「何が欲しい」とかもなく、「何かしなくちゃ」と頭で考えること全般疲れてしまってた。
そんな自分が「あの棚を買えばここが整理される」という思考を取り戻せたのは本当よかった。
感受性もいくらか戻ってきた感じ。
この間の「べらぼう」感動しましたよね〜・・・横浜流星さんが「俺も祭りに参加だ!」と、花笠かぶって口でひもをキュッとするあのタイミング、すごくなかったですか?
しっくりしすぎて胸がドキドキした。
それだけじゃなく、祭りを見てる蔦重の表情が本当に楽しそうで、何かの記事にも「横浜さんの表情が素晴らしかった」と書いてあった。
あの回は小野花梨さん演じるうつせみと井之脇海さんの「神隠し」のこころみにももちろん涙したんだけど、すべてを紛れさせる吉原の祭りの明るさにも本当泣けましたよね…
「べらぼう」はオープニングがまた素晴らしく、あの曲が心を楽しい方へと掻き立てる。
「いだてん」のオープニングも大好きでしたが、私は江戸っ子の適当さや軽さが表現されたものにすごく感動しちゃう。
横浜さんは蕎麦のすすり方とかも江戸っ子っぽくて、すごく研究されて身につけたんだろうなぁと感心しますよね。話は変わって昨日の「カムカムエヴリバディ」
川栄李奈さん演じるひなたは、文四郎と何年も交際して結婚適齢期(27歳)
でも文四郎は斬られ役俳優のままで、結婚どころじゃない。
「俺はずっと侍でありたい」とか言うような男。
「じゃあ、あれはなんだったの?」とひなたは問う。
交際当初、「禄も少ない拙者だが、ずっとついてきてくれるか?」(どんな告白だよ)と言ったあれ。ひなたは信じた。
たとえ給料が少なくても、いつか文四郎が迎えにきてくれることを。
あの告白は、そういう覚悟で2人で生きていこうという仮プロポーズに近いものだったんじゃないか?今も昔も、こういうことは恋愛シーンでよくあることと思う。
女:「信じてたのに」「迎えにきてくれるのを待ってるのに」
男:「今はそれどころじゃない」「っていうかずっとそれどころじゃない(見通しも立たない)」「待たれても負担」
こういう男女のその後は一体どうなったんだろう。
ひなたと文四郎を見てつくづく思ったですね。今日の放送で、2人は別れてしまった。
一度は結婚を決めた文四郎だったのに、それは「役者を辞める」覚悟の上での結婚。
ひなたは「自分が支えるから役者を続けて欲しい」と精一杯明るく励ます。
ここで2人のギャップが決定的になってしまう。
「ひなたの放つ光が俺にはまぶしい」るいとジョーもこういうカップルだったですよね。
一度は別れが決定的になったのに、命の灯がどんどん消えかかるジョーの様子を察したるいは「自分が支える」という覚悟でジョーをすくい上げた。
るいとひなた、何が違うのかな。
時代?
多くが貧困だった戦後と、個人の活躍度にはっきり差が出るバブル期と。
平成初期は「女を支えられない男」に厳しい時代だったのか?
ひなたも、文ちゃんを支える気概にギアが一気に入ったものの、るいよりはずっとロマンチストと思う。その分の幼さは感じた。
恋愛や結婚の妄想をしょっちゅうしてますね。
不安なときに文四郎に抱きしめられたり、愛を囁かれる妄想。
文四郎がひなたに感じた「まぶしいくらいの光」
ひなたが無自覚だった自分の資質は、奇しくも文四郎を鏡にすることで自分にはね返ってきた。
そのパワーは文四郎との間で反響し合うものじゃないとわかってしまった。
そんなふうに心の奥底で「道が違う」と感じるから、人は別れたりするのだろうか。
るいとジョーは、放つ光の加減や潜在的なパワーが近かったのかもしれない。
このあとひなたは、どんどん光を放っていくんですよね。
この範囲の幸せでいいからこの人と歩んでいきたいと頭・心では願うのに、運命がそんな小スケールじゃ許さないようなこと。鏡といえば最近、自分の身に起きた不思議なことは、一緒にランチした同僚の語る悩みが自分と「同じ!」と思ったこと。
出来事は全然違うけど、感情の変遷とか、そのひどく落ち込んだ日まで同じだった。
自分が誰にも言わずに心の奥で「つらい」と思ってたこと、この感情を人に言うことはないだろうと思ってたことを、目の前の人がどんどん言語化していく。
「鏡みたい」と思ったんですよね。不思議な体験だった。
とはいえ、この「鏡だな」と思うようなことはこの数年何度かある。
あの人とはやっぱり通じてるんだな、とか。
あの人も同じ寂しさを抱えてたのか、とか思う。
謎に多いのが、「あの人も同じ時期体調崩してたのか!」ということ。
こういう地味な体験に感動している日々が今はちょっと楽しいです。 -
ワクワクに立ち返る(ドラマ・カルチャー)
ゆうべはNHKの放送100年記念生放送番組を見ました。
MCがなんで加藤浩次なんだろう(うるさいな)と思って見てたけど、ベテランアナウンサー・山根基世さんのお話に引き込まれて(40半ば固有の不調と闘いながらのアナウンス→それをも克服できたと思えたNHKスペシャルナレ)、いつの間にか膝を抱えて見ていた。
朝起きてスマホニュースを見たら、「なぜMCが加藤浩次だったのか」という記事がタイムリーにアップされてて(結果的に適任だったと)、なるほどーと納得してしまった。
「大泉洋ではなく加藤浩次だったわけ」
確かにNHKの特番といえば大泉洋というイメージがあった。最近だと有吉とか。
ただ大泉さんも有吉さんも70年代生まれなんですよね。
加藤浩次は60年代(1969年)。
この違いは大きいと思った。
糸井重里に「加藤さんも見てたとは!」と驚かれていたいくつかの番組。
山川静夫アナや鈴木健二アナの名調子をはっきり記憶してる(と思わせる)加藤さんの熱い語り。
わりと強い口調で好き放題言う人に見せかけて、逸脱しない進行ぶり、そしてテレビ好きな要素を持つ人、かつMCもできる人は、谷原章介か加藤浩次か、くらいなのかなぁ、やっぱ。
ただ谷原さんも72年生まれ。
爆笑問題の太田さんは逸脱しまくるだろうから、いろんな候補者トーナメントを加藤さんが勝ち上がったのはわかりますよね・・ってことをゆうべから考えてしまうほど自分はTVが好きなんだよなと思う。
先日、いしだあゆみさんが亡くなられて、Xには「北の国から」での名シーンがいくつもアップされていた。
なんたって、空知川沿いを走ってお母さん(いしだあゆみ)の去る電車を追いかける螢ちゃんですよ。
その姿を見つけたいしださんが「ほたるーーっ!」って、電車から身を乗り出して叫ぶ。
泣ける・・・
いしださんが「最後」と覚悟したような富良野のラベンダー畑来訪シーンの表情とか、何度見てもうなってしまう。
ラベンダーのにおいを嗅いでみたり、無邪気ふうのいしださんだけど、「無邪気さを装ってる」という憂いがビシバシ感じるから。
離婚したお父さんとお母さん。
もう子どもたちに会えないかもしれないという悲しさを極力あらわさないように。
そんな複雑な表情にうっとりしちゃう。
あと「阿修羅のごとく」
男性に免疫のないおカタい不器用女性がなんて魅力的だったか。
化粧してみても厚塗りになってブサイクに!
あーなんべんでも語れる。自分が好きなジャンルというのは実はとても狭く、そして好きなものは何度でも繰り返し摂取したりする。
TVも音楽も本も。
それでいいんだと思えたのは、再放送されていた楳図かずお×稲川淳二のEテレ「スイッチ」
楳図かずおさん、もちろん知っていたけど「読んでみようか」と思ったのは亡くなってからのこと。
ということはごく最近で。
それでも手を伸ばせずにいたところ、スイッチ再放送。
楳図さんって人はなんて魅力的なのか・・!でも稲川さんもまた聞き上手!
ってか、このお二人双方が聞き上手だった。
楳図さんも稲川さんの話への合いの手がすごく純粋というか、自然だったですよね。
私は楳図さんってあんまり話の通じないような変わり者だと思ってたから、人の話をすーっと受け止める楳図さんの純粋さにあっという間に惹かれてしまった。
楳図さんのまことちゃんハウスの内部にも潜入して、稲川さんが「この家の素晴らしいところ」をマニアックに指摘していくたび、楳図さんが「そうなんですよぉ〜!」と嬉しそうに語り出す。
こんなにこだわって家を作って、かつ「隅々までお気に入り」と思って住んでらっしゃる楳図さんはめちゃ幸せそうと感じた。
洋間のステンドグラスは中学時代に描いた絵と!
とはいえ!
「陰」の部分も漂う。
番組で紹介される楳図さんの漫画の人物にその憂いがたっぷり込められていて、「漂流教室」第1巻買っちゃいました。文庫で。
今、丁寧に読み進めてます。
この年でこんな傑作と出会うってことがなんとも嬉しい。このスイッチを見てから、より「自分」をはっきり感じられた気がする。
楳図さんは私の母親と同じ生年で、スイッチは11年前の放送だったけど(当時77歳)楳図さんめちゃ若かった。子どもの純粋さをたっぷりたたえていたというか、稲川さんの早口にも「そう!」って反応が早い。
老人独特の緩慢さが感じられなかったんですよね。
太陽星座は乙女か天秤か不明だそうですが、あのイラストの緻密さとトークのキレ、若々しさは乙女由来と思いたい。もし乙女座なら海王星と合、月は魚でした。金星は天秤、火星は獅子。
スイッチでは「もう自分なんて…」とか「いやぁ、若い頃は…」とか老いのネガティブさも口にしなかった。
楳図さんを目指したい!
とはいいつつ・・・今の私は更年期真っ盛りで、数値的にも症状的にも投薬的にも、ついに老いに差し掛かったといえる。
最初に書いた山根さんのお話じゃないけど、40代の女の不調って、話には聞いてたけどこんなにつらいものですかと。
去年までうっすら感じていた下腹部痛、メンタルダウン、倦怠感は序章だったと思うほど。
いよいよ本章のつらさに突入中。
頭のモヤモヤとめまいが私はありますね。
なんたって好奇心の低下。
ホルモン補充療法(HRT)を始めて、何もかも下降線をたどろうとしていた意欲も体調も、少しフラットになってきた感じ。
本の整理整頓や衣替えを、思ったらすぐ行動に移せるくらいには元気になりました。
服薬前は、「あれしなきゃ…」と考えるだけでめまいが起こるし、ちょっとドラマに退屈するとまためまいが起こるし、「なんにもしたくない」「これは鬱じゃないか」という日々だった。
女性ホルモンの低下って恐ろしいです。
ただ、よかったことといえば、生殖本能があるうちの「ゲットしたい欲望」みたいのもすっかり削がれたこと。
自分は何かに選ばれるために頑張って生きていたんだなと感じた。
「何か」というのは配偶者としてともいえるし、仕事における重要人物でもある。
とにかく「意味のある存在」になりたい焦燥はなんだったんだろうとずっと思っていたけど、そんな願望を持つ意味がなくなったことをはっきり感じた。
まぁ、今は更年期で調子が落ちてるがゆえの感慨かもしれない。
60代とかになったらパワーがみなぎってくるのかもだけど。
「優しくなろう」って心から思ったりする。
「仲間意識をもっと持とう」とか。
今望むものは「平和」
自分が何かに選ばれることではない。
楳図先生のように好きなことにただ胸を躍らせたい。
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ワクワクに立ち返る(バンドブーム)
友人からカズレーザーの番組「X年後の関係者たち」のTVerリンクが送られてきた。
バンドブームスペシャル。
(写真はBS-TBS HPより)最近、何を見ても感受性の衰えを自覚しつつあり、誰かのエンタメ話にもなかなか乗れなかった。
ところが「バンドブーム」と目にしてにわかに胸が躍る!
いやぁ〜おもしろかった。
1時間半夢中になって見てました。ゲストはサンプラザ中野くん・パッパラー河合(爆風スランプ)
大槻ケンヂ(筋肉少女帯)
富田京子(プリンセスプリンセス)
杏子(バービーボーイズ)
森若香織(ゴーバンズ)
JILL(パーソンズ)
千秋(時代の立会人として)この番組じゅう、ずっとバンドブームの曲が流れてて、それはゲストの曲とも限らない。
BOOWYとか、たま、ブルーハーツ。
なんたってジュンスカが流れると一層胸が熱くなりますね。
「あなたにとってバンドブームを代表する曲は?」と問われたとして、私はジュンスカの「歩いていこう」かな〜。ジュンスカが一番好きだった、というわけではないんだけど、バンドブームのワクワクが詰まった曲なんですよね。
ただ千秋の話を聞くと、バンドブームは原宿のホコ天から始まったという。
当時、中1の私はホコ天の存在は知らなかった。
そして番組ゲストたちの「バンドブームの始まり」を告げたバンドは「ブルーハーツ」という声が多かった。あとBOOWYとか。
このへん、微妙な世代の差があったりするんですよね。
私にとってバンドブームとはジュンスカであり、イカ天であり、JITTERIN'JINN。JITTERIN'JINN、すんごい好きだったですね。
あのファッション、パルコっぽさとか曲の中性感は今でも自分の好みの中心にあって、「エブリデイ」とか今も時々聴いてます。私は姉や兄の影響で、幼い頃からレベッカやサザン、ユーミンを聴いてたけど、きょうだいの影響を受けずに「好き」と思ったのはTM NETWORKであり、あとユニコーン。
このへんの話はこれまでも何度もしてきたけど、ユニコーンを好きになってからPATi-PATiやGBを買っては読みふけって、いろんな音楽を好きになった。
THE BOOMにドリカム、プリプリもそうだし、ゴーバンズの「BYE-BYE-BYE」という曲に泣いたりもしました。
GO-BAN'Sはアルバム1枚ほどしか聴いてないけど、「森若」という名前を聞くと即座にあのころに戻っちゃう。心が。
そんでPERSONZですよねぇ・・・ほとんど「Dear Friends」しか知らないんだけど、YouTube見てたら「7COLORS」とかも上がってきて、懐かしい〜・・・
このへんのバンドって、maxellとかカセットテープのCMやってたんでしたっけ。
maxell・・今もあるのかな。
この曲、名曲と思うけど、あのころの自分はアルバム命で。
シングル曲とその他の曲の格差を感じるとすぐそっぽ向いたりしてたっけ。
バンドブームの最中にいたバンドって、みんな多忙だったのかアルバムの質が必ずしもいいわけじゃなかった気がする。
残ったのは、シングル以外でも「聴かせる」曲を多く持つバンド。
そのうちバンドとかどうでもよくなって、とにかく聴かせてくれ!と。
もしかしたらそういう大勢の「もっと」がバンドを淘汰していって、ブームの終焉につながったんじゃないだろか。でもきっと、本当はどのアルバムも良かったはずと思う。
ZIGGYの「GLORIA」とかキャッチーな曲が実は異質なのかもしれない。
あの感じを「もっと!」と求めすぎてた気もする。
「GLORIA」の前の曲「I'M GETTIN' BLUE」もいい曲だもんなぁ。
ところで、ZIGGYについて杏子やオーケンが、「当時ああいう髪型・ファッションでお茶の間で人気が出ること自体ありえなかった」と話してたのがおもしろかった。
確かにそうかも!
もし「同・級・生」の主題歌前に、ベストテンが初見だったら目を逸らしてただろうな。
怖いもの。
あ、「森重」もバンドブームが即座に思い出される良い名前ですね。
森重と目にするだけでふさふさの金髪を思い出す。
あと「奥居」とか「和弥」、「コンタ」「いまみちともたか」「米米」とかですね。
昨日、本の整理をしてたら見つけた1990年のPATi-PATiに「UP-BEAT」を見つけて、懐かしさに悶えました(曲は知らない)バービーボーイズは去年かおととしに、昔カセットで持ってたアルバムを買い直しました(√5)
「目を閉じておいでよ」って素晴らしい曲ですよね。「chibi」とか。
杏子は加入当初、商社勤務のOLで、「後から入った普通感」がずっとコンプレックスだと話していた。
すごい意外な証言。
あとオーケンとゴーバンズが同じ事務所で、ソニー所属の爆風やプリプリが受けてきた恩恵とかほとんど体験してない(羨ましい)という話も興味深かったですね。この間、職場で20代・30代男性たちと雑談してて、「最近のエンタメがどうもおもしろいと感じられず、つい80年、90年初頭を懐かしむ」みたいなことを私が言ったら、20代男性が「それってあなた個人の感想ですよね?」みたいなツッコミをしてきて、自分のムサさをひどく恥じた…ということがあった。
でも数日して、若者の言いように急に腹立ってきましたね。
私の感想だよ!何が悪い!!
・・でも、生まれてなかった若者からしたら、「今」を否定されたように思ったかもしれない。
世代代表みたいな物言いを私はしてたのかもしれない。
知らねーよってとこだろう。昔がよかったとか言われても。
私もまたvaundy食わず嫌いみたいなとこあるし(今の音楽を積極的に聴こうとしてない)
でもでも、「今」を物足りなく思う私が「そう感じてしまう」というのは事実。
それが青春ということだろうな。
青春と比較すればなんでも褪せて見える。なんでも懐かしい・切ない。
それだけ自分の青春がきらめいてたということであり、それを感じられてよかった。
水星逆行期っぽい。 -
「おむすび」終盤の感想
「おむすび」をなんだかんだ毎日見続けてます。
ネットでは「ちむどんどん」が引き合いに出されがちだけど、あれよりはずっとちゃんとした朝ドラと思う。
もしこれが「きょうの健康」のタイアップドラマだったら、丁寧で優しげな描かれ方と思うんですよね。
「おむすび」は基本明るさに満ちていて、かつ震災を体験した人たちの深刻さや拭いきれない感情も掘り下げられていた。
なのに物足りないと思っちゃう。
最近のNHKドラマの進化度を思うと、ちょっと異質さはありますよね。
どうした?というツッコミどころも結構ある。例えば今日とか。
夫の翔也が結の隔離マンションを訪ねたとこですよ。
コロナ禍真っ只中のシーン。
「ドア開けなくていいから、ちょっと話いいか?」と、娘・花がクラスで「親が病院勤務」であることの悪口を言われて、落ち込んで帰ってきたと語り出す翔也。いや、ほかの住人に聞こえちゃうだろ!というのが気になった。
病院勤務であることがとてもセンシティブなことだったあの時期。
なぜそれを共用廊下で話すのか・・電話じゃだめだったのか・・
というより、「お前はなんも気にせず働け」とか言うなら、もっと時間経ってから話すんじゃだめだったのか。気にするっしょ!
まぁ、こういう出来事を気を遣って隠されるのもつらいけど、翔也の優しげなずさんさが気になった。「おむすび」をここまで見てきて、男が女に異様に気を遣ってると感じるんですよね。
そんで、男性のナイーブさの方がずっと掘り下げられている。
息子と父のぎくしゃくした関係とか、男同士の友情の不器用な感じ、プロ野球選手の夢が絶たれた翔也の無念さとか、そこだけやけに繊細だった。
そういう朝ドラもいいんだけど、女性キャラが「いつも周りを明るくする仕事(家事)デキる人間」ばかりで、そうやって女を持ち上げとけばいいと思ってんのかなと、うがった見方をしてしまう。
みんないつも「人のこと」ばかり考えてて、それが結実して社会で活躍する女たち。
時には挫折もあるけれど、米田家の女性たちの提案はいつも人を救う。
それもこれも家族や人間関係が安定してるから。最近は、夜ドラ「バニラな毎日」をずっと見てます。
悩みを抱えた女性たちが何人も登場して、その悩みの多くが母親との関係にある。
少し前の夜ドラ「作りたい女と食べたい女」や、「恋せぬふたり」でも家族関係の悩みが描かれていて、その悩みも多様、でも心当たりのあるようなこと。
「おむすび」も初期は結が父や姉との間に確執があったけど、思えばあのころはストーリーに厚みがあった気がする。
怒りや悲しみとかの「感情の複雑さ」って、ドラマに欠かせないんだなとつくづく思いました。昨日、Eテレ「最後の講義」で大石静さんが教壇に立っていたのを見た。
「人間の多面性」
これを必ず描くことにしていると話されていた。
それは、大石さんの父親に愛人がいたことや、実母の常に悲しそうな顔、隣家が作家の執筆場所で、やはり愛人が出入りしてた様子を幼い頃から目にしてきた体験が影響しているとのこと。
どんなに立派な文学を世に出しても、人としてしょうもない面があることを嫌でも思い知らされる。どんな人にもそういう多面性がある。
大石さん自身、チャキチャキ一直線タイプの方に見えるけど、かなりの泣き虫だという。
亡き夫から見た自分は、いつも泣いてる女だったんじゃないかというお話はとても意外だったけど、大石さんのチャーミングさがすごい感じられたんですよね。「おむすび」に物足りなさというか薄さを感じてしまうのは、多面性を感じられないからかも。
「いい人ですね」「素晴らしい人たち」
そんな人たちが時々挫折しても結果、優秀成功人間として描かれる。
きっと花ちゃんも、INAC神戸に所属するのだろう。
母親の愛子(麻生久美子)までブログの書籍化一歩手前までいって(あっさり辞退・ブログも終了。なんだったのか)
この愛子と出版関係者の打ち合わせをたまたま目撃した歩(仲里依紗)は、「浮気!?」と激しく動揺して家族にそれを伝染させる。
歩は恋愛に重きを置いてなさそうに描かれてるのに、あんなに動揺するんかな〜と思ったし、家族の誰も「友達じゃないの?」みたいに思わず「お母さんが!?」と家族崩壊危機みたいな不安をにじませたりする。
主役は北村有起哉さんでいいんじゃなかと思った。
北村さんの繊細さが飛び抜けてるんですよね!
北村さんだけが自身の多面性をなんとか顔芸で表現されてるように思うのは気のせいじゃないと思う。
ギャルスピリットもなんだったんだろう。
仲里依紗さんも基本ギャルなんだろうけど、歩がかっこよく見えないんですよね。
実家暮らしだからだろうか。
「家族仲良し」を描くために実家暮らし設定になってるみたいなのが安易に感じるというか、なんでもお母さんに話すとか、自分とマインドが違う世界のお話だなと思ってしまう。
それとも、私が思う以上に世間の家族はあんな感じなのかな。
なんとなく、実家にほとんど帰らない男性が思う理想の家庭像が描かれてるように思えて。
家の中の男性が帰省してくると、女はひとまずニコニコいたわるような空気を作ろうとする。
うちは今もそういうとこがあるからさ。
それは精一杯の表面的つくろいなのに、男はそれが実像と思う。
男というか、うちの兄。
そんで、そのつくろいが崩れてギスギスしてきたときに怒るのも男。
昭和の男って昔そんなふうに描かれてましたよね。
お父さん(兄)が怒るからニコニコしとこうとするけど、それが当たり前と思われることの抵抗感がやっぱ漏れ出ちゃう。
そういうことに男が気づかないまま女のニコニコとイライラのサイクルは繰り返されて。
米田家では、女のイライラのネガティブさがきれいに削ぎ落とされている。
朝顔とか「ハコヅメ」とか、女性主役の優れたドラマを生み出してきた根本ノンジさんだから、ちょっと信じられない思いなんですよね。生み出したとはいっても漫画原作だけど。
万博ネタを入れるとか、橋本環奈さんのスケジュール調整とか、あとコンプラ対応など大変なことがいっぱいあったのかな(想像)「バニラな毎日」や「東京サラダボウル」に感動したからこそ、つい厳しい目を向けてしまうということで。
近いうち「バニラな毎日」についても感想を書きたい。
蓮佛さんと永作博美さんの演技やストーリーが素晴らしくて、15分のドラマだけど毎回胸を打たれてます。 -
映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
(写真はシネマトゥデイより)ホアキン・フェニックスの最初のアップに、またあの痩せ細ったアーサーになっている!と衝撃を受けました。
最初のジョーカーを撮り終えて、アカデミー賞のころにはふっくらしてたのに、この役を前にしてまたハードな体づくりをしたのでしょう。
背中とかあちこちから骨が見えていた。アーサーは第1作の終盤で逮捕されたので、今作の舞台はほぼ刑務所内。
あと裁判が始まったので裁判所にも護送される。
相変わらず貧相なアーサーだけど、その存在は神格化されていた。
ジョーカーの格好でロバート・デ・ニーロ演じる大物コメディアンに生放送で物申し、あげく銃殺。
その様子がお茶の間に流れ、TV局から逃げたアーサーが捕まるまでの間にジョーカーに自分を重ねて感激した庶民が街に溢れていた。しかもアーサーはすでに複数人を殺害していたのだから、どんな言い分も境遇の独白も同情すべきものではないんだけど、そんな倫理観も制止もむなしく、アーサー/ジョーカーこそ自分達の代弁者だと熱くなる人が増殖して、このあたりで映画としての評価の賛否が激しく分かれてたようですね。
ただ映画としても、「アーサーはめちゃ愚か」ということが殊更描かれてたように思いました。
こんな男、信奉するに値しないよ・・みたいな感じで繰り返し愚かさが描かれてた。
確かに第1作のアーサー/ジョーカーはちょっと愛らしかった。私にとっても。
バカすぎるんだもの…
たぶん、アーサーのこれまでの人生は怒りと悲しみに満ちていて、あと理不尽な目にもどれだけあってきたことか。
だけど、それをうまく言語化できる人じゃない。
自分の置かれた境遇を社会問題とつなげて怒りに変えるとか、改善に向けての行動に何も結びつけない・つけようとしない、結びつけられないのか?というあたりの幼さがすごくよく描かれててたんですよね。
自分がつらい目にあってるのかどうかすら直視してないような。
だからコメディアンになる妄想に逃げる。
ヒーローになる妄想も。
それはいつしか現実と区別できないほどの病的なものに。
それがまた悲しくて・・
こういう人が怖いのは、「感じる」というところを一気にスルーして「怒り」にすぐ結びついちゃいそうなところ。
そうなったら行動は早い。銃を手に入れたらすぐ撃ってみたりする。危ない!!アーサーは刑務所内で生活してても相変わらず何も深まってないように見えたんですよね。
ただ、囚人仲間からも崇められたり、街の熱狂的なアーサー支持者の声がムショ内のTVで流されたりもするからか、一見かっこよくなっちゃってんですね。
たばこの吸い方がわりかし渋くなってたりとか。
そんで無口だから、拘留中の女(レディー・ガガ)からポーッとした視線を受けたりする。
さすがのアーサーもこのモテ感で自意識が芽生えたらしく、「自分見られてる」とかに敏感になって、それっぽくレディー・ガガに近づくくらいはできるように!
この2人はどっかでヤっちゃうだろうな…と感じさせるほどの惹き合いで、ただ、そうはいっても囚人。
そんなチャンスあるんかな・・とか思いながら映画見てましたね。ちょっと驚いたのが、「フォリ・ア・ドゥ」はミュージカルっぽい作りだったこと。
それでレディー・ガガか!と。
ホアキンの歌声がまたいいんですよね〜
ヘタウマなしゃがれ声が切ないのなんのって。
第1作もアーサーがみじめすぎて愚かすぎて、これはコメディーじゃないのか?と思うほどでしたが、第2作はコメディー要素がわりとはっきり感じられました。
レディー・ガガと夫婦漫才やってんですよね。妄想で!!
でもこのシーンは切なかった。
ジョーカーとガガのコンビいいじゃん!ってすごく思ったけど、現実としては6人も殺した男がこんな楽しいステージに立つことはない。
だけど、妄想上のジョーカーは「間」とかバッチリなんですよね。
レディー・ガガにマイクを奪われて、「僕もステージにいるんですけど?」って置き去りにされたときのトボけ仕草はちゃんとコメディアンしてるというか。
レディー・ガガも相当ヤバい役でしたが、ああいう女いそうだなって思った。
セクシーに物憂げに振る舞うけど、「あなたが欲しい」、それ以上でも以下でもないように見えた。
男の威光を自分のものにしたい。
「私はあなたと山を築きたい」
レディー・ガガ演じるリーが何度もアーサーに言う言葉。
これはいくつかの考察を読んで初めて知ったことですが、とある目的の比喩らしく。
第2作の目玉展開といえば、アーサー/ジョーカーの裁判。
全米注目の裁判で、傍聴を求める人で溢れかえったりする。
リーも「見に行くわ」とアーサーと約束したので、もうアーサーがそわそわしちゃって(笑)
渋い自分を装ってても、こういうとこでモテなさが出ちゃう。
リーの姿を見つけると、授業参観で母親を振り返る子どもみたいに何度も傍聴席に顔を向けて、時にはリーだけにこっそりメッセージ送ってんですよね。
(次回はもっと前に来て!)みたいな。全然こっそりじゃないやつ。
なんの映画だよ!って、壮大なんだか卑小なんだかこのあたりがジョーカーのおもしろいとこで。
みんなお前を見てんだから、世紀の裁判。
なんでこっそりが成立すると思うのか、こんなにバカだなぁと思いながら愛着も芽生えるというのは寅さん以来です。あとジョーカーのおもしろいとこは、荒唐無稽さがナチュラルに描かれるとこですかね。
アーサーがジョーカーのメイクで証言台に立ったりとか。
なんで許されるんだよ。
このメイクをしたほうが饒舌になれるからと。
そんであちこち動き回ったり、座り込んで頭を抱えたり。
だけど大仰さを許してこそ、確かに事件の核心・アーサーの気持ちがぽろぽろと語られる。
この第2作での荒唐無稽度No.1はレディー・ガガが「来ちゃった」とこですかね。
独房に来ちゃった。
お金や権力があれば可能なんだろうか?
いや、絶対なしだろう。でもアメリカなら…?
考察ではアーサーの妄想説も見かけました。
でも妄想にしては、第1作のテッテレーみたいな種明かし映像もなかったし。
そのテッテレーの妄想で勝手に恋人として描かれてたアーサーの隣人女性も証人として立ってましたね。
アーサーの同僚も来ていた。低身長のあの優しそうな彼。
この彼の証言で、アーサーはかなり揺さぶられた。
自分は誰から見ても透明人間か忌み嫌われる男と思ってたのに、自分を肯定的に見つめるまなざしがあった。
それを救いとして受け入れるには遅すぎたというか、自分への愛を自分こそが拒絶していたことに気づいたんじゃないだろうか。
アーサーから一気に脆さが溢れ出す。
その証言を見ていたリーは、心が離れた。私が個人的に思ったのは、男女の惹き合い、そのスピード感ってやっぱり当てになんねぇなということ。
アメリカって特にスピーディー展開こそ最上の愛みたいに描くけど、ヤりたいだけというか、そこまでの過程をいかにドラマチックに描くかに命をかけていて、後半はあっけなく別れが描かれたりする。
日本みたいに、最初の出会いの通じ合いこそが運命性・永遠性の象徴って感じじゃない。
あと女は「こうでありたかった自分」が投影された人を好きになるんだろうかな。
女が自分より社会的地位が上の人とか、芸術性・表現力のあたりで輝く人を好むのは、女である以上越えがたい壁を突破して躍動してるような人に、自分の未開の何かを託してるんじゃないかと思うことがある。
そうであるなら、リーにとって「脆い男」は不要ということか。
でも並の女なら、愛する男の脆さを目にすれば、一層愛しくなるもんじゃないのかとも思いますけどね。
またアーサーも、自分の主役性を奪うリーへの潜在的な不安というか予感が妄想に表れる。
夫婦漫才でも、いつの間にかリーのオンステージになっちゃうんですよね。
それがいつも耐えられないアーサー。
いいよいいよ、君の表現力も最高だよ…とはあんまならない。
アーサーは表現者としての相棒を求めてたわけじゃない。
「あなたは最高よ」っていついかなる時も讃えてくれなければ意味がない。
男もまた母親レベルの肯定感と包容を相手に求め続けている。
アーサーは母親の愛に飢えてたので特にね・・
最後はちょっとショックでしたね。
ここには書かないけど、パート3はもうないですよって宣言でもあるのかな。
待ち望んでも無理ですよって。
第1作が終わって、アーサー/ジョーカーの余韻が膨れ上がってしまった人は多かったと思う。
私もかなり余韻を引きずりました。
だから、2作でまたアーサーと会える!という喜びは少なからずあった。
それは社会的にいい心持ちじゃないかもねと、制作側もそんな人を諭す仕掛けを映画のあちこちに散りばめてたように勝手に感じたりした。
とはいえ、私は第2作の夫婦漫才が結構な余韻として残ってますね。
夢でしかないあの時間。夢だからこそのきらめきがあったんですよね… -
天秤の人その2
前に書いた「天秤の人」でも松坂桃李について触れましたが、今回も彼のこと。
FM TOKYOの玉川さんのラジオ、この間のゲストは「御上先生」の脚本、詩森ろばさんでした。
詩森さんはもともと劇団の脚本を書いてた方で、TVドラマを手掛けた経験は浅いとのことだけど、映画「新聞記者」の脚本の方。
これも松坂さん主演で、しかも日本アカデミー賞の最優秀賞たくさんとってましたね。
「御上先生」、今週こそ脱落か…と毎度思うけど、そういえば「新聞記者」と似たようなメッセージ性だと感じたら、最後まで見続けたくなりました。玉川さんはいきなり詩森さんに「なぜ松坂桃李さんを抜擢したか?」を聞いていた。
詩森さんが抜擢したわけじゃないと言いつつ、松坂さんの人間性の話で詩森さんと玉川さんですごい盛り上がっていた。「ああいうふうに演じる人はあまり見ない」と詩森さんが言って、玉川さんが「ああいうふうとは?」と即座に聞く。
「足すも引くもしない演技の人は珍しい」ということを言ってたような。
あと「役のことしか考えてない」「自分をよく見せようとかがない」
いい意味でからっぽみたいな。
玉川さんも親交があるみたいで、とにかく人柄が素晴らしいと大絶賛。
このあたりを聞いて、「ザ・天秤の話だなぁ」と思った。
松坂さんは太陽と水星が天秤。天秤座の人って、本当に「いい意味でからっぽ」と感じる。
一見柔軟性にも思えるんだけど、相手によって形を変える柔軟性ともちょっと違う気が。
「器をじゅうぶん空けておく」みたいな感じ。相手を受け入れるために。
それが「からっぽ」と感じるゆえんかも。
松坂桃李さんに関しては、ミニマリストみたいな雰囲気を特に感じますね。
1つの芝居でモノが増えても、芝居が終わればごっそり捨てる。
次のために空けておく、人生その繰り返し、みたいなイメージ。「自分」というものがどこにあるんだろう?と感じることがある天秤。
いつも「周りのため」「何かのため」にスタンスを調整する準備が整ってて、「どんな人にも対応できる」という教科書通りの天秤っぽさを見せてくれる天秤の人。
そんな天秤座が自分の何かを守るためにムキになることってあるんだろうか。
御上先生も、「自分のため」というものは一切感じない。
「君たちのため」「将来のこの国のため」という使命を漂わせる松坂さんの演技は、確かに「足すでも引くでもない」フラットな感じなのに壮大さが漂ってて不思議です。「べらぼう」の主役、横浜流星さんも「蔦重はとにかく人のために動く人」と言っているけど、新しい作品ごとに「自分の色をできるだけ消したい」「とにかく作品のために」とも話してるんですよね。
太陽乙女座ゆえの柔軟性宣言かなとも思ってたけど、月が天秤の人かもしれません(境目は正午ごろ)
ただ金星火星が獅子だからなのかドラマチックさが滲んでるし、「男として強くありたい」という任侠的なスタンスも大事にしてそう。
それにしてもイケメン街道まっしぐらと思ってた流星さんがあんな表情豊に蔦重を演じてくれるのは意外で、月天秤=からっぽになれる人、ってことなんですかね。
やっぱかっこいいですよ!惹きつけられます。
また、天秤座って悪気なくあちこちに好意を向ける・向けられる人、という印象。
本人の中にも「特別枠」というのがあるだろうけど、それがわかりにくいので場外乱闘が周りで繰り広げられる。
ただ時々、「なぜそんなに網を広げるのか」と思うこともある。
だからトラブルを巻き起こすのでは?と。
人が意識深くに抱いている「独占」という願望に鈍感なのかな。
そういうドロドロしたものを「見ない」と決めることで、「存在しないのと同じ」みたいな涼しい顔をしてるけど、そのドロドロは誰かに肩代わりさせてるだけじゃないのか。
天秤に限らないことだけど、「ポジティブしか受け入れない」みたいな人は時にいて、周りに影を生み出して、その影をただただ忌避する。
「見ないようにしてきたこと」がモンスターのようになって現れる、という体験は誰にもあるかもしれないですけどね。天秤の人だって愛を強く欲するだろうけど、愛を垂直に深めるというより、水平に広げる人がいる。
親友でもない私にそんな深い話を打ち明けちゃっていいんですか?と。
昔は私も深い話を打ち明けられるのは嬉しかったけど、年を取ると話の重さに耐えきれなくなるんですよね。
親しい1人か2人の深刻さしか受け入れられない。
なのに天秤の人は優先順位どうなってんだろ?と思うことがよくある。
深刻な打ち明け話もそうだけど、かなり踏み込んだ深い質問もしてきたり。
そんでまた自分という人間は、「深い話をする分優先順位を上げてほしい」という欲が湧き上がったりする。
せっかくの話をしても前と変わらないのっぺりした関係。
私は耐えられない。天秤は耐えられるのか?
そこで私は考える。
「なんのために人と深い話をしたがるのか」と。
その人が自分のために私と深い話をしたいのだとしても、私の気持ちに拒否感が芽生えたらそれを無視しない。
無理に会話を続けず線を引いたり、表面的な反応で様子を見る…なんてことをしてしまう。
でも天秤ってすごく話を引き出すのが上手で、結局話しちゃうんですよね。
そんで打ち明けたからといって、私だけの人になってくれるとは限らない人。「私だけの人」とか、やだね〜と思う人もたくさんいるでしょう。
自分のこういうのは蟹・獅子・牡牛由来かなと。
特別感や独占欲は私にとって核となるような思い。
自分のこの重さがずっと嫌だったけど、そろそろ私も忌避せずに受け入れて、受け入れたなりの生き方をしたいものです。
そのためにあえて「特別」を設けない、と決めてみたけども。
このあたりはまた思いを綴れたらと思ってます。 -
水の人たちのあれこれ
私は太陽蟹座なので、「水星座の人」という意識はそれなりにある。
でも土星も蟹座だからか、「蟹っぽさ・水っぽさを抑制せねばならない」みたいな強い思いも同時に持っている。
甘えたりベタベタするのを自分に禁じるような。
だから人から見たときににじむ私らしさっては、さほど水っぽくもないんじゃないか。私自身、太陽より月・水星・金星・火星が水星座の相手に、より「水っぽ!」と感じるんですよね。
水星座持ち同士の間には、言葉にしなくても通じ合えるみたいなテレパシーがあるように思えるのですが、わかりますかね。
「通じてるよ…」という信号を送り合う秘密の感じというか。水星座の太陽ってだけだと、そこまで水っぽくなかったりする。私の体感として。
それなりに、っぽさはにじむわけだけど、太陽は「べき」が水星座的というか。
「職場の仲間とは家族のように仲良くすべき」
「友達とは頻繁に会うべき・助け合うべき」
「恋人とはいつも一緒にいるもの」
こういう「べき」を漠然とまとっているものの、実は裏腹な思いが胸の内にあるような人。
特に太陽と月水金火星が矛盾する場合ですね。
例えば太陽土星座の人は「きちんとすべき」みたいな雰囲気をわりとまとっているものの、月金などが水星座だと、部屋では甘々な服とか食生活、言動とか。
甘々ってのは、ルーズ・ぶりっ子・軟体動物系、あと酒や恋愛に飲まれたり。あと月金などが蟹座だと、表向きはどうであれプライベートな空間だと「家族のために・近しい人のために」という家庭的な愛情表現が発動されやすいと思う。
私の兄が太陽獅子で月蟹ですが、家族の行事や誕生日を大切にするタイプなんだと、互いに中年になってわかりましたね。
兄も独身だからかもだけど。月金などが魚座だと、ルーズさとぶりっ子が目立つような。
私の父が月魚でしたが、ルーズなのに人のお世話に乗っかるのがうまかった。
周りが「あーあーほらもう」とやってあげたくなってしまう何かをくすぐる。
でも父の金星火星は双子座なので(風星座)、尽くされ続けるのは苦手そうでした。
「もうほっとけ!」と怒ったり。月金などが蠍だと、片栗粉で包む感じがありませんかね。
「私、片栗粉入れない派なんですけど?」と、抵抗を見せるのが私だったとして。
「まあまあ、いいから委ねてみなさいよ」と強引に人を飲み込み、「あ、うまみ…」と人を新境地にいざなう不思議な引力があると思う。
私は月獅子だからか蠍っぽさに最初抵抗しがちですが、「委ねる」という沼に思い切ってダイブしてみたら「結果よかった・安心感だった」という体験は割とある。
でも怖い!蠍の沼は私にとって怖いんですよね。
結果よかったとしても、どこに連れて行かれるかわからないのは苦手。
蠍持ちはミステリーツアーコンダクターみたいな一面がある人と思う。魚座も謎めいた世界にいざなう人ではあるけど、期待させといて何もなかった、玉手箱を開けた浦島太郎の感慨を抱かせる人なんじゃないかと。
あの人に期待して尽くした分、かなり老化したよね、みたいな。
「何かありそう」という思わせぶり度がすごいのに、罪なほど「なんもなかった(何だったんだ)」という空虚感と甘さの余韻を残す人。
でも魚座持ちとの時間って刹那でもなぜか満たされるんですよね・・
水星座持ちは恋愛だと「付き合うと思ってたのに!」というマジックを見せる人とも思う。
付き合ったら夢みたいな交際になるかと思ったのに!
そう期待してた間が結局一番幸せだったみたいな。蟹座持ちの男性も叶わぬ期待をちらつかせがちですね。
仕事頑張る人なのに、恋愛とか家庭内とか気持ちの交錯するところで急にルーズになる。
「自分、ここで線引いときますんで」とかやるより、ズルズルしたほうが楽しいもんな。
そんで、水星座同士で謎に通じ合っておきながら、ぎりぎりのとこで「じゃあ、ここまで」という線引き・突き放し。
男性だけじゃなく、女性も現実に戻るのが早いです。
蟹・蠍・魚の支配星といえば、月・冥王星・海王星ですがね。
この感じを現実世界にメインで持ち込むわけにいかないと、自分の意識はわかってるんでしょうね。
「この世で生きる」という現実を受け入れないと社会的に排除されかねない。
それをわかってるというのは教育のおかげなのか、生存本能なのか。
でも溺れる人・戻れなくなる人もいる。
というか、水星座持ちは人生のうちに誰しも溺れる体験をするのでは?
執着的な恋愛や人間関係、酒、ギャンブル、借金、スピリチュアルなどの依存的な体験。
それこそが水星座持ち。
そうじゃない人は、自分の周りの人に異様に執着されたりとか。
自分の認めたくない内側を相手に投影しちゃうんでしょうか。
ちなみにうちの水星座持ちの家族は過去、ストーカーをされた体験がありました。
私自身はありとあらゆるスピリチュアルとか前世的なものにどっぷりハマってた時期はありましたね。それに結構お金も費やしたし。
それらの時期は無駄だったかというと、社会的には無駄かもしれないけど、内側には何がしかが形成されたような感覚はある。自分にしかわからない満足感もありつつ、没頭していた時間に対する恥みたいな痛みもずっと抱えるんだと思う。「通じ合ってるでしょう、私たちは」
それを感覚レベルで浮遊させてる分にはよくても、形にしようとすると幻みたいに消えたり、泥仕合が待ってたり。
誰にもわかってもらえないレベルでその感覚を大事にし続けられればいいだろうけど、なかなかできることじゃない。
自分は異常者じゃないかという現実意識はすぐなだれ込んできますからね。
異常者じゃない!と、さっさと風呂から上がって部屋の掃除をしたりする。
ゴミだと思って捨てた中にどんだけきらめきがあっただろう…と思いつつ、捨てたものを振り返らない自分も健全で好きと思う。健全でいたい。 -
頑張れないなりの
最近あんま頑張りたくないですね。
それでも生活しているかぎり「頑張り」を必要とされることはある。
私の今の生活では、夜勤と実家へ行くこと。
それ以外の仕事や家事は自分の中でルーティンとなっているので、自動でそこへ意識が向かう。
あと、不慣れな人と仕事をする前はそれなりに気合が入る。
前みたいなポジティブな気合じゃなく、「やだな〜(憂鬱)」とギリギリまで思ってるような。頑張ったあとは、「よーしよしよし…」と、ムツゴロウさんみたいに自分をいたわる。
誰も褒めてくれないもの。この「誰も褒めてくれない」というあたりを受け入れられたのは最近ですよ。
これまでは、「どうやったら自分は報われるか?」を考えたとき「誰か」という存在をあてにしていた。
それも間違いじゃないだろうけど、自分にそれは合わないと気づく。
自分をいたわってくれる誰か。
自分を真に理解してくれる誰か。
例えばすでに親しい彼女や彼ともっと特別な関係になるために、どう頑張ればいいのか。
そんな「頑張り」も疲れた。
ってか、そういう頑張りが報われる正しい行動なんて、ないんじゃないですかね。職場の同僚との関係が、なんだか半年くらいぎくしゃくしている(と、思ってた)。
その同僚は去年ご家族に不幸があって、私の誘いに乗り気じゃなくなっているのはわかる。
そのうち心の距離も離れてしまったような。
私が無神経な言動でもしてしまったんだろうか…とか思ったり。もっと若い頃ならそういうとき、ぐいぐい誘いをかけたり悩みを引き出そうとしていた。
年を重ねるにつれ様子見ができるようになったものの、もっと温かみのある何かできないものかと思いを巡らせてしまう。
特別に仲のいい人なのだから。
友達として、親友に近い存在として、「こうすべき」みたいなことが何かあるんじゃないか。でもそれもやめた。
「考える」という頑張りも疲れちゃいましたね。
「特別な相手のために何か」というのは、いま疲れやすくなっている自分が無理して考え抜くことでもないんじゃないか。
今の私ができるのは自分の傷や不快感に敏感になること。
昔のようにむやみに行動するような賭けに出て失望のリスクを負いたくない。
だから、友達のぎくしゃくを解消しようとしたり、気にかけすぎるのはやめた。
リスクは負わない。自分を守る。と!!
先日、その同僚友人とバッタリ会った。
「お茶しよう」と彼女から誘われた。
なんだこの奇跡。
彼女は彼女の事情で忙しくて、余裕がなかったらしい。
そんな話をじっくりできた。
これが「縁」なんでしょうかね。
頑張らなくても、通じ合えてる2人の道はいずれ重なる。とはいえ、「特別な存在」ということに期待をかけすぎない。
特別ってなんだろうか。
親友にしても彼氏にしても、母や家族に匹敵するような存在と出会うことに期待しすぎてた気がする。
しかも自分が期待する「像」に目の前の関係を当てはめようと、やたら頑張っていた。
そういうことも含めて、もう頑張る気力のない今。結婚とか親友とか、「特別な存在」を自分の世界に置くということ。
私にとってそれは、どうも自然じゃない。
一生の〇〇とか。
どうして人は(日本人は?)あんなに期待をかけるんだろう。
そんなリスクをなぜ負うのか。
この間、「おむすび」で橋本環奈演じる管理栄養士が、反抗的な患者に「(治療から逃げたら)一生後悔するよ」と言っていた。
「一生」ってなんて罪深い言葉だろう。
人が誰かに「あんた一生〇〇だよ」なんて脅していいのか。
一生寂しいよ・一生苦労するよ。
まぁ独身が長いと言われがちなことですが、誰の選択の先も未知じゃないか。
「心配なんだ」といういたわりとしても。
一緒にいて癒やされる人はいても、「わかってほしい」という期待が叶う人はいない。
と、最近思ってる。
自分の真の思いをとことん聞けるのは、この自分だけ。
だから自分対話アプリみたいなのできたらいいですよね。 -
NHKドラマの本気度
昨日はNHKドラマで2回も泣いてしまった。
1つは火曜22時「東京サラダボウル」の録画。
第5回「ティエンと進」このタイトルを見ただけで今もじーんとくる。
終盤で奈緒さん演じる鴻田がひとり泣いてたけど、「だよね〜(泣くよね〜)」と思った。
実際の鴻田の涙には違う理由があるのかもしれないけど、「ティエンと進」、2人の友情や運命を思ったらどうしようもなく泣けてきたんじゃないか。
あの終盤、たまらなかったですよね!(見た人に呼びかける)もう1つは夜ドラの「バニラな毎日」
(写真は「バニラな毎日」HPより)
正直、このドラマはほとんど見てなかった。
最近、22時半には布団に入っちゃうんですよね。
昨日もそろそろ寝ようかと思ったらドラマが始まって、すぐ目が離せなくなった。
伊藤修子さんがメインの回ということが気になったし、なんたってこのお衣装。
なぜ迷彩服…全然見てないのでなぜ迷彩服かもわかってないのですが、どうやら伊藤修子さん演じる優美は「人を殺したことがある」という。
それがどうやら母親らしく。
しかも何年もひきこもりだったという優美。
この優美が、永作さんと蓮佛さんの営む菓子教室でモンブランを作る途中で母親のことをぽつりぽつりと語る。
それが泣けて・・・「殺した」というのは、大きすぎる罪悪感ゆえの思い込みみたいなこと。
ひきこもりの自分を外に連れ出してくれたのは母。
2人で食べたケーキがとてもおいしくて、またおいしいものを求めるうちに外に出るようになる優美。
そのうち集まるような仲間ができて1人でも外出できるようになり、心配する母親を疎ましく思う。
その罪悪感たるや・・
ひきこもりの自分を外に連れ出してくれたのは母なのに。
どれだけ母親が自分を受け入れて愛してくれたか。
でも仲間といたい。母親が疎ましい。生まれて初めて仲間と「オール」をした日。
母親からの着信を無視し続けた。
帰宅すると母は死んでいた。自分に助けを求める着信だったのかもしれないのに。
苦しい、助けてと。
それを見殺しにした(と思ってる優美)
伊藤修子さんの演技にとても胸を打たれた。
その演技も、いつもの伊藤さんの特徴的な高い声じゃないし、どこか棒読みっぽい単調さ。
なのにすごい悲しくなってしまった。
すごいものを見たなぁとも思って。「母と自分と罪悪感」というワードに感受性が敏感になってるのはありますね。
でも多くの女性が母親に対してなんらかの強い罪悪感を抱いてるんじゃないのかな。
私の友達にも、母親との結びつきがとても強いように感じる人がいる。
こんなに育ててもらって、愛してもらって。
母親から飛び立つことは健全な自立であるはずなのに、いつも後ろ髪を引かれるような思いがある。
そばにいたい。愛し抜きたい。遠ざけたい。
うっかり1句になっちゃったけど、有り余るほどの愛を受け取っておきながら遠ざけたくなるような思いを抱く自分を罰する気持ちになる苦しさって、ありますよね。少し前までTVerで「すいか」が視聴できましたが、あれも小林聡美さんが過保護な親・白石加代子さんから逃げるように実家を出て、ともさかりえ・市川実日子・浅丘ルリ子の住む物件で生活を始める。
私は3話までしか見れませんでしたが(配信終了)、あの母娘の「離れたいけど結果くっつく」みたいな磁力が印象的でしたよね。すごくユーモラスに描かれてはいるんだけど。
最近やたら読んでる河合隼雄先生の本にも、母親の「飲み込もうとする愛」の病理性というか恐ろしさ、弊害みたいなことがよく書かれてますね。私のかつての上司にすごく気が利く女性がいたのですが、最初は私も「この人みたいになりたい」という憧れを抱いてたのに、だんだん「近くにいると死ぬ」というくらいの苦しさを抱くようになって。
今思うとその人の気の利かせ方というのはまるで母性で、「なんでも先回りしてやってあげる」というのを、「善かれ」と思ってやってんですよね。
そしてその人の周りの人がどんどん思考停止していって、その女性がいないと何にも判断できなくなる。
その人が登場するだけで「待ってました!」と崇める雰囲気になってしまって、私はじきに部署異動を願い出てその人のそばから離れた。
私があのとき「死ぬ」と感じたのは、「飲み込まれそう」という感覚・危機感だったんだと、今わかる。その人から発せられるものは支配とか男性的なものではなく、「愛情」という女性的で母性的なものというのも感じてた。
だからこそ「善かれ」も流れ込んできて、それを拒否したい気持ちの罪悪感も半端ない。
母性って善きものと大体思われてるけど、「そうかなぁ…」と思ってもいいと感じられたのは最近ですよね。
「愛」とかいって飲み込もうとするエネルギーは人の個性や思考をつぶしかねない。そして愛に見えるものは大体その人の不安だったりする。
こちらに向かってくるその人の不安は愛なんかじゃないと、感じてるのにそう決める自分に罪悪感を抱く。
向けられた不安でこっちの角を折られる不快さもこみあげるってなもんです。不安はほぼ呪いじゃないのか。
NHKのドラマの話からだいぶ逸れましたが、いや、NHKのドラマってめちゃえぐってくるものが増えたなぁ〜という感心に戻る。
メッセージ性もより明確になったというか。
「東京サラダボウル」の「ティエンと進」の回でも、日本で働く外国人労働者への視点の方向性を明確にした。
1つ前の「宙わたる教室」もすごかったですよね。
少し前の「燕は戻ってこない」も。
弱者をはっきり描き出す。
一方的に下に置かれて、搾取される人の物語をこれでもかと生み出して。
そんで、中村蒼さんどんだけNHK出てんだと。
「べらぼう」にも出てますね。
なんたって松田龍平さんですよ。
今までで一番ぴったりの役なんじゃないかと思う。
超無表情の中国語通訳者がハマりすぎてクラクラしますね!
奈緒さんも人柄が滲み出てるように感じる。
また東京サラダボウルのことについて書くかもしれません。
