友達備忘録その3(ひらやすみ)
「ひらやすみ」を見ていると、新しい友達ができそうなときのワクワク・ドキドキがすごく蘇ってくる。
(写真はひらやすみHPより)
森七菜さん演じる「なっちゃん」が、まるで自分みたいというか、あのころの友達みたいというか、ここまでむき出しにできなかった秘めた自分そのものみたいで。
光嶌なづなさんがまたなんて魅力的なお友達なのでしょう。
博多出身のあかりちゃん。
「よかとよ」なんて優しく寄り添ってくれるし、おしゃれ。
メジャーなものよりマイナーなものを大事にする子。
友達の理想像が詰まってる!
この2人の友情そのものが理想的です。
バイトも同じとこで!と盛り上がり、クラスメートのキラキラ男女よりあなたと一緒にいたいと伝え合う、お泊まりしたら相手の似顔絵を描きっこして、夢のような相思相愛ぶり。
私がこの歳になってわかることは、ドーパミンがあふれてくるような相手とは長く続かないということ。
正確には、穏やかには続かない。
衝突や疎遠期間があって、濃厚な親密さがとうに薄れた頃に運命のような縁・再会、ということがあったりするけど、これが友情でしか成り立たないのが惜しい。
恋愛だと疎遠期間に結婚してたりするからね。
あのころのように再燃!とはならないし、それなりにブレーキがかかる。
なっちゃんとあかりちゃんにも衝突や疎遠があるのか気になる。
それでもお友達のことを「大好き!」「かわいい!」と思う熱中時代は自分にもある。
同じバイトに誘われたら有頂天。
それがどんなに早朝でも、早朝だからこそ2人でこのイレギュラーに臨んでることが楽しくてしょうがなかった。
友達はそのあと別のバイトに行ったりする。
すごいなぁ〜という尊敬の念と、今日はここでお別れ…という切なさと。
旅行に行けば、「真夜中まで語れる!」ことが嬉しくてたまらない。
洋服を買いに行けば、私が選んだことない服を当てられて、新しい自分を好きになったりもする。
なんという素敵な存在なのか、友達。
私は女性だったら何人かから濡れた目で「大好き」という視線を送られたことはある。
だけどそういうタイプは数年後、その濡れた目を異性に向けて結婚していく。
そのあとぱったり疎遠!
「元気にしてる?」と連絡して一度会ったけど、あのころの熱さが戻らないまままた疎遠期間に入るパターンがわりとある。
たぶんもうドーパミンが出ないから、「なんか違う」という違和感をマイナスに捉えてしまったんだろう。
だけど友情はドーパミンなんか出なくても成り立つ。
継続的な恋愛関係だってそうなのだろうね。
私は興奮状態を「良きもの」と思いすぎたままここまできちゃったから、平和で穏やかでむしろ退屈であるという状態がずっと不安だった。
近年は、その退屈さこそが幸福なんじゃないかという物語が増えてるし、私もそう思えてきた。
岡山天音さん演じるヒロトもそんな日常。
リアルに考えるなら、阿佐ヶ谷の釣堀仕事だけで生活が成り立つとは考えにくい。
本当は成り立ってないんだろうけど、だとしたらあの幸福充満ぶりも「んなわけない」という世界だろう。
吉岡里帆さん演じる「よもぎさん」の満たされなさがリアルだから、バランスとれてると感じるのかな。
仕事ばっかりの生活。
イライラを1人で抱える。
なっちゃんとあかりちゃんはあの若さでお互いを尊重しててすごい。
友達への思いやりはそれなりにあったと思うけど、尊重とかいう自覚はなかったから。
でも「大好き」と思った中に「すごいなぁ」という要素はあった。
恋愛もそうだった記憶。
だから運動神経がいい人とかを好きになりやすかったのかも。
そんで、この間のタモさんと山中伸弥先生のNHK番組で、世界のどの国でも思春期のころに聴いてた音楽を自分にとって特別なものと感じやすい、という研究結果が放送されてましたね。
脳の報酬系が最も発達するのが思春期だからということらしく。
この曲を聴くと快な気持ちになる、という強烈な体験がずっと残ると。
これって音楽だけに限らず、恋愛や友情など人間関係にも当てはまる気がする。
思春期の頃に好きだった人と似てる人にずっとこだわったりしますよね。
私はいまだにサッカー部体型の人が好きで(肩幅が広く足が細い)、われながらバカだなと思うけど、科学的にどうしようもないことだった!
若い時からずっと同じ人と交際してるカップルになぜか甘酸っぱいような嫉妬のような気持ちになるのは、潜在的に思春期の感情が宝物とわかってたからかも。
あかりちゃんがメガネを外した時の美しさに、なっちゃんが目を見張るシーンがあった。
あのあと、2人がバイトする店にクラスメートがずらずら来て、なっちゃんは途端に不機嫌になった。
「誰にも気づかれないで」と祈るような思いが脅かされたからじゃないか。
「うちらのグループと一緒に行動しようよ」みたいにあかりちゃん誘われてたからね。
でもあかりちゃんはなっちゃんに寄り添う、当たり前じゃんみたいな確信を持って。
私は大学時代に仲良くなりたての友が、ゼミ合宿のお風呂場で黒い下着をつけてたときに「はっ」とした。
「すげー!」という歓喜に近い興奮を誰とも共有したくなかった。
この凄さにみんな鈍感であってくれ!という願い。
私はそれまで、ブラにさくらんぼの模様が入ってるようなセンスの子が好きだった。
この子のブラにさくらんぼ柄が入ってても、それなりにワクワクしたはず。
でもなんか、黒い下着に対して嫌悪感じゃなく、それこそリスペクトみたいな気持ちを抱いた自分にも感動したんだろうな。
自分が忌避してたような色気を初めて羨ましいと思ったし、親しくなり始めた友にどんどん影響されうる自分の未来が急に輝かしく思えたというか。
いやぁ、だからさ。
友情の1番の阻害要因といえば恋愛なわけで。
なっちゃんが目を見張ったあの美しさが恋愛相手のものになる、ような切なさを想像してしまう。
私の友が黒い下着をつけたいと思ったのも、あのシロクマみたいな善人彼氏の影響と思うと、おもしろくないような安心できるような複雑な感情。
その人と別れたときちょっと嬉しかったけど、そのあともっと性に奔放になった友と会うことはなくなった。
シロクマ、つなぎとめとけよ・・
恋、とりわけ性に夢中になった友と安定した友情が続く、、ってのは難しいことの一つ。
とりあえず漫画「ひらやすみ」は1巻買おうと思う。

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