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光る君へと宙わたる終話
楽しみに見ていたNHKのドラマ2つ、終わってしまいました。
寂しい…「光る君へ」はまさかM-1とずらしたってことないですよね。
でも確かにM-1によって「光る君へ」最終回の存在が薄まったら、腹立つ気がしますね。
妥当な放送スケジュールだと思います(何様だっての)火10の「宙わたる教室」特に最終回。
窪田正孝さんの演技に「この人、只者じゃないな」とゾワゾワしました。感動しきりでした。
あのドラマは恋愛要素がほとんどなく、また誰が男前とか可愛いとかいうルックスの描写もない。
舞台が新宿の定時制高校ということで、個性的な面々が集っているものの、窪田正孝さん演じる藤竹という教師がまた一見無個性で、おとなしそうな地味〜な感じ。ところがあのドラマは「無個性なんて人は誰もいない」ということを示してくれてるかのような人物描写で、ところどころ泣きました。
兄の家庭内暴力に人知れずず苦しんでいる高校生役の方(南出凌嘉さん)、最初すんごい嫌なやつだったのに、後半のつきものが落ちたような表情がすごかったし。あと印象的だった人の感想(敬称略)
・小林虎之介(柳田役)・・この方の登場に「誰!?」とすぐ検索に走りましたね。
妻夫木くん…じゃないよね?と何度も思った。
この方の切ない演技には胸打たれっぱなしでしたが、最終回のスピーチで黙ってしまったところ→そして話し出す表情。報われなかった柳田のなんとも幸福そうな表情がすごかった。うっとりしました。・伊東蒼(佳純役)・・伊東さんといえば、これまで何度も名演技を見せてくれましたが、このドラマに抜擢したという製作陣の本気度がビシバシ感じられます。
最後、研究発表を終えてみんなほっとして打ち上げに向かうのに号泣してるところとか。
伊東さんはなぜあんなに苦悩を抱えたり幸福に手を伸ばそうとする役が似合うんだろう。・イッセー尾形(長嶺役)・・イッセーさんとしては珍しくというか、おもしろさが封印された老害チックなおじさんの役でした。
でもこういうオヤジいるよね!という頑固な昭和くささと、「本当は温かい人」の滲んだ感じがさすがです。
最終回だけ、ちょっとイッセーさんっぽさが出てた気がします(民謡歌ってた)・ガウちゃん(越川アンジェラ)・・あのガウちゃんが!ですよ。ずっと5時夢月曜でマツコにいじられまくってたあのガウちゃん。むちゃくちゃ温かい役で感動しました。
大女優になりたいとずっと言ってて、冷笑の雰囲気になるのも当然という中でガウちゃんはいつでも真剣だった。それを思い出してなおさら泣けてきました。あと、また中村蒼さんがいい役で…。
男前設定ではなかったけど、あんなにいいやつそうな人柄がにじむ男前俳優ってそうはいないんじゃないかと思いましたよ。そんでやっぱ男前なので割とうっとり見てました。
窪田正孝さんのホロスコープを見てみたのです。
やっぱり!と思ったのが、太陽ー冥王星スクエア。
太陽は獅子座です。
柳田と佳純の研究発表を見守る目にものすごく惹きつけられて、あそこで「只者じゃない」と思った。
こんな演技をなぜできるのだろうと。
そのゆえんを太陽ー冥王星スクエアに勝手に感じたんですよね。
「ここまでくるのに多くの挫折・苦難があった」という「傷」がどうしたって滲んでしまう。
窪田さんは昔からそういう演技ができる方で、ヒューマンドラマには欠かせない方。
「宙わたる」でも、へし折られた過去がある。
あのどうしようもなさにすごく共感したけど、私だったらウジウジしたまま小さく収まるだろう。
窪田さん演じた藤竹は、別角度から希望を目指して、大きな壁を攻略する。
そこまでの意図はないかもですが、苦しくても信念を貫く道を選ぶ。
月は牡牛か双子。どっちも窪田さんっぽい。
近くには木星がある。双子かなぁという予想。「光る君へ」も、もう1年経つのか!と驚くほど毎回楽しみに見てました。
今まで大河は、どんなに話題作でも途中で一時脱落期間があったのです。
戦の計画あたりが苦手で。
やっぱり女性じゃないと「戦のない世の中」を描けないんじゃないかと、ついそう思っちゃいます。
でも決して退屈しなかった。
大石静先生なので、恋愛要素は濃厚だったけど、思いのひだまで表現してくれるような繊細さに毎回うなってました。恋愛だけじゃなく、人間関係全般の心模様。道長周辺の男たちの描写がまるで難関私立男子校のようでした。
家柄が良すぎて自分が恵まれてることにピンとこない鈍感男・道長みたいな人がいれば、自分のスペックに自分でうっとりする公任(町田啓太)や斉信(金田哲)、本当におっとりした品のいいお坊ちゃん行成(渡辺大知)
行成のおっとり感がいつも癒やしでしたね…。
渡辺大知さん、今までの演技とちょっと違うというか、お坊ちゃん感がすんごいハマってたし、とはいえ苦悩もするし誠実で、柄本佑さんとの間の友情を超えたムードが美しかったです。とにかく大勢の出演者について書き連ねたいですが、最終話の感想にとどめます。
晩年の道長、あの柄本佑さんが本当に先が長くない病人の顔で、凄みがありましたね。
色がどんどん土っぽくなって、吉高由里子さんが会いに来ても1日で逝っちゃうかな…と思いきや、まひろの物語パワーで命をもたせた。
最後、背後からの介護にはさすがに驚きましたね(韻がすごい)
介護というより失楽園みたいで。
あそこに正妻の黒木華さんが「そろそろ…」と声をかける。
昭和の愛人ドラマを見てるようでした。吉高由里子さんって方は目の演技が本当に美しい。
道長と9つのころからもう本当にいろいろあった。離れたいときもあったし、結局最後は呼ばれたりして、「しょうがないわね…」という余裕すら漂って、50代みたいな色気を漂わせてたのがすごいです。
たぶん道長は60近くで、あのころにしたらおじいちゃん。
もう色恋なんて…って諦めたのも一瞬で、単に体力がないから。
まひろを近くに感じて、生命力がいくらか蘇ったんでしょうね。わーい、みたいな。
そういう男のシンプルさを感じられるのも楽しかったんですよね。いろんな関係性があった。
周明とまひろは、やっぱあれ惹かれあってたのかな。
友情にしてもいい関係だなぁと思った。
それこそ枯れきった2人でも、周明となら老後をともにしてもいいとまひろも思ったかもしれない。一条天皇と定子のような、あそこまでの濃厚恋愛感情は実はよくわからないです。
濃厚さって一瞬のような気もするし、あそこまでになるっていくらか病的な気がする。
2人のシーンは美しかったけど、あくまでドラマだからという距離のある感じ。道長の妻・倫子が最終回で、妻としての自分の思いを藤式部にぶつけてましたが、ハッとしました。
吉高さんの演技が毎回切なくて、それだけにまひろに肩入れというか感情移入して見てましたが、倫子からすれば夫の心を奪い、自分達の娘・彰子からも母親以上に信頼を得て、藤式部が宮中から去ると夫は出家までしてしまった。
お前ってなんなの?と、そりゃ不愉快になりますよ。
それなのに、道長の心の安寧・幸福を願う。
深い愛…とも見えるけど、権力を手に入れて満たされた人の余裕にも見えた。
それくらい許しましょうと。
倫子もまた、そういう余裕が育まれるほど豊かに幸せに育てられてきたんだなぁと感じられるほど。まひろと最後のシーンを共にするのは、双寿丸?と思いきや、乙丸でした。矢部太郎さん。
矢部さんは前回の「帰りたい!」というわめきにに本当泣けて…。
あの駄々っ子みたいなわめきと、まひろの泣き笑いは名シーンだと思う。
竜星涼さんも最後までひょうひょうとしてて、いい役でしたね。
柄本佑さんのホロスコープを見てみました。
太陽は射手座で天王星と合。
自分が平凡な生き方を望んでも、そうはならないんでしょうね。
金星が蠍で冥王星と合。濃い!
まひろとの長年の濃厚愛はこれなのだな!と感じました。
火星は魚座で木星と合。
なんか恵まれちゃうんだよね、地位も女性関係も、みたいな?
この火星は金星とトラインです。
月は双子。
家庭内では義務果たしたらあと、さらっとしてるかもしれない。
恋愛の方がどうしても深刻になってしまう。「光る君へ」についてはまだ語り足りないような。
今後、振り返りの放送があったらまた書きたくなるかもしれません。
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ミポリンの思い出
電車の中で目を疑った。
え?なに?「中山美穂」って…
急逝って…*************************
夕方、高校時代からの友人とLINEをして、ミポリンのニュースを悲しんだ。
友人は「50/50」の一節も送ってきた。
おっ?と思いつつ、「だよね〜」と。
小6ごろ、初めて買った明星には歌詞カード冊子がついていて。
ああいうのって楽譜とかコードもついてるんですよね。
「50/50」にも音符がついていて、ピアノでその旋律をたどってみた。見つめる視線・・・
めちゃ複雑!!
でもなぜか攻略しがいがあり、正確に歌ってやろうと心が燃えた。
「カリプソ」という歌詞も謎ながら口ずさみたくなる中毒性がありました。
作曲者:小室哲哉と知ったのは、ずっと後だった気がする。そうして歌っていると、兄が怒って「ミポリン禁止令」なるものを出してくる。
当時、兄は大学受験中。
自分を刺激する音楽を「悪」と決めつける極端な精神集中をしていた。
とかいって、兄のカセットテープには「色・ホワイトブレンド」が収められている。
なんでも、ヤンキー的なミポリンが許せないらしい。
清純っぽいのはOKと。
確かに隣室から「ワックワック〜」と歌う小6の声が聞こえたら集中できないだろう。
「アイドル、誰が好き?」という話題にクラスでしょっちゅうなってたけど、中山美穂を挙げるのは勇気が要った。
ちょっとませた子に人気だった記憶。
「毎度おさわがせします」など、エッチできわどいドラマに多く出てる印象だったし。
とかいって「ママはアイドル」で永瀬正敏とどうなっていくか密かに見届けていた。
歌が好きでしたね。
「 WAKU WAKUさせて」もそうだし、「ツイてるねノッてるね」「派手!!!」高校入って、カラオケにしょっちゅう行ってましたが、「JINGI・愛してもらいます」や「C」を歌える人が羨ましかった。
あれをマスターする機会がなかったから。
「You're My Only Shinin' Star」も、自分がチョイスする曲じゃないと感じてました。
いかにも女性らしい子が歌い上げてて。
やっぱ「50/50」ですかね。
あれを歌い切ったときの達成感が半端なく、ドヤ顔でマイクを置きつつ拍手を期待する。なんたって映画「Love Letter」と思うのです。
「お元気ですか…私は元気です」
あのショートカットには、本当伝説的な美しさがあります。
テレビドラマでは「眠れる森」が好きでした。
去年の再放送で再度見た。
中山美穂さん演じる「実那子」は、これまでのトレンディドラマとは違い、ひっそりとした美しさを放っていた。
家族に不幸があり、そのことを健気に乗り越えてきた実那子。
彼女の著書「なぜならやさしいまちがあったから」を持ってますが、そこで触れたミポリンと実那子はどこか重なる。
80年代に見た、日に焼けていたずらっぽく八重歯をのぞかせていたあの姿と実像は、だいぶかけ離れてたんじゃないか。
山口百恵の「蒼い時」を読んだときと似た感慨がありました。
実像はひそやかさを好み、芯が強くて知性的。
きっとそんな方だったのかなって。
ミポリンがあのECHOSの人と結婚したのには驚いた。
本にはそのあたりのことも書いてあって、空港で対面してタクシーで手を重ねた…その描写にうっとりしたものです。
その後、フランスへ渡って。
帰ってきたミポリンは一層明るくなった気がした。
まだ信じられないな。
ヒートショックじゃないかと報道されて、友人たちとも「気をつけようね」とLINEを交わした。
私は湯船で寝てしまったのかなとも思ってる。
私もうっかり寝てしまうことがある。
蛇口の「ピチョン」という音で「あぶねー」と我に返ることが何度もあるから。
「そうなのよ〜だから気をつけて!」って、明るく微笑むミポリンが浮かぶ。
うっとりするような永遠のきれいなお姉さんでした。
中山美穂さん。
安らかに…と願うばかりです。
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私がTVを見る理由
私は昔からTV大好き人間。
親からも「朝から晩までTVの前で…」とよく呆れられていた。なんでこんなTV見てんだろうね。
全部面白いかと言われればそんなこともない。
見てられなくてチャンネルをすぐ変えたりもする。
ほとんど見ないジャンルもある。
それでも朝起きればまずTVをつけますね。
私にとってTVは「時代」「いま」を感じるためのものだから。
でもTVの話題って少なくなった。
これは「笑っていいとも!」「タモリ倶楽部」がなくなったからと思ってますがね。
タモさんのマニアックさで人間関係が築かれることって結構あったからさ。
そのタモさんが2022年暮れの「徹子の部屋」で、「来年は新しい戦前になるんじゃないですか」と言って、心がシン…となった。
ネットでもざわついていた。
やっぱりそうか…
信頼してる人の思いをTVでふと感じられるのも感慨深いことで。選挙とか政治の話になると、「TV見てもしょうがない」「ちゃんと報道されない」っていう声が聞かれる。
確かに「これから選挙だ!」って折にTV見るのはタイミング悪いと思う。
一斉に報道がセーブされますからね。
でも毎週、特に週末の朝や夕方・夜には、政治の話を扱う番組が放送されてるし、そこでは問題点が鋭く斬り込まれている。私はTBSの「報道特集」が好きなのですが、金平さんや膳場さんがいなくなっても質の高さが維持されてるように思えて、自分自身の考えのよりどころにできる。
特に記者が政治家にマイクを向けるときが好き。
しどろもどろにさせたり、うまくごまかされたり、人柄がよく表れるんですよね。
ああいう番組が長く続いているのに、なぜ選挙結果とリンクしないんだろうと不思議に思ってたけど、「なぜなのか」というのも放送を見てると感じられる。
ただ、自分が「感じられる」だけで十分と思っているので、ここで書くことはしない。
発信に慎重にならないと、今の時代ちょっと怖いです。「報道特集」で放送されるのは政治の話だけじゃない。
国際情勢にも時間がたっぷり取られてるし、差別など人権侵害が繰り返される現場の取材も多い。
今の時代、何がどうだったら鈍感で配慮がなくて…というのは、TVを見てると自然に感じられてくるものです。
「まだこんなドラマの設定なのか!」と驚くものは、去年まではあったけど今年はずいぶん減ってるような。
といって、ドラマもあんまり見なくなっちゃったんですけどね。
バラエティー番組はずいぶん苦手になった。
それでも昔と比べると、優しげ〜な感じになってて、失礼な茶化しとかは減ってるだろうけど、私は大量に食べ物が出てくるものとか、「おいしい〜」という連呼が予想されるもの、何をやっても笑ってくれる女子が配置されてるものはあんま見ないですかね。*****************************
この間、日テレ深夜のNNNドキュメントを見ました。
大島新監督が自民党と立憲民主2つの選挙戦を追ったルポ。
立候補者全員に30分のインタビューを試みたもので、応じてくれた人もいれば、応じなかった人もいた(小泉進次郎氏、高市早苗氏)
加藤勝信氏と林芳正氏について「どういう人だろう」と思ったこともなかったけど、大島監督との会話のさりげないキャッチボールで人柄が滲む。
いい人そうだった。
が、国民感情に鈍感そうになぜか思えた。
立憲の候補者はみんなじっくり語ってくれて、イメージ通りの真っ当さを感じました。
国民の痛みを「わかってる」という感じは嘘じゃないらしいということも。
でも「まとも」で「いい人」というだけじゃダメなんだなとつくづく思った。
何がダメってうまく言えないけど、「権力」がそこそこないと周りがついてこないんだなというか、大きなムーブメントを起こすには「いい人」とかじゃダメなのかも…とか。
そう思うと、石破さんよく総理になれたなと思う。
「党内の支持が圧倒的にないのです」と自分で言っていた。
「若手を飲みに連れて行くことをしない」「会合をしない」「仲間を作ろうとしない」
「なぜなら、この世には知らないことがたくさんあり、それを読書でまだまだ取り入れたいから」
石破さん本人談。
と、かばんの中の本を見せてくれた。
何か信頼できそうなものを感じた。
「ただし総理になるまでは」と大島監督も言う。
総理になってからの言動の変節に失望した大島監督が、その理由まで石破さんに聞いてたんですよね。
「うーん、だからそれはね、そうなりますよ」
「議員になってから今が一番苦しい」顔もずいぶん変わった。疲れ切ってるというか。
食べなきゃやってられないんだろうと思うくらい食べてるのだろう。そんな映像も多かった。
米農家視察で「おにぎり5個目」って得意げなシーンがあって「はは・・(多すぎだろ)」ってその場の誰もが引いていた。
しかも「一口で食べるのが美味い」とかって頬張っちゃって、それがネットに出回る。
「汚ねぇ」と。あんなに政治に関心なかった自分が、政治家それぞれへの何がしかがポッと胸に湧いたりするのがまた楽しい。
YouTubeだともっといろんな映像が転がってるんだろうけど、私はTVで見れるもの・見れないもの・漏れ出たものをこれからも楽しみたいです。
TV独特の偶然性が楽しいから。
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「いい夫婦の日」に考えたこと
11月22日、いい夫婦の日かぁ〜と思う。
高畑充希と岡田将生の結婚に、さほど衝撃はなかった。
「あ、いいじゃん」って思えたからかな。
「親友のような私たち」という言葉にも、なんかいいなと思った。
それより大谷夫妻とデコピンがまた輝いていて、輪郭しか捉えられなかった。
あんま凝視できてない。
でも勇気持って真美子さんを見てみたら、まだセレブではない素朴さに溢れていてますます素敵と思いましたですね。
あのカップルはなぜあんなに理想的なんだろう。私はどの夫婦・カップルにも、一緒になる目的があるんだろうと思う。
経済的なこと、社会的なこと、子どものことなどなど。
好きだから一緒にいたいとか、それは夫婦それぞれでしょう。
もし私が結婚していたら、「いい夫婦の日」をどう感じて過ごしてたんだろう。
何にも意識しないかもしれないし、「自分たちはいい夫婦かな…」って考え込んでたかもしれない。
街頭インタビューを受ける良さげな夫婦が映ったらチャンネルを変えそう。
パートナーと「ねぇ、今日いい夫婦の日だって」って、食卓で笑い合う姿はなぜか想像できない。私の周りの夫婦・カップルはパートナーのこと、「好きは好きだけど、そういう好きじゃない」という感じで言う人は意外に多い。
それは謙遜か照れか本音なのか、私にはわからない。
一番仲のいい既婚友人は、「最初から恋愛とかじゃない」とこの間言っていた。
「そうなんだ!?」とかなり驚いたけど、そういえば似た雰囲気の夫婦はほかに結構いて、だからといって「終わってる」とかでもなく平和そう。熱愛・即結婚で、その情熱がわりに早く冷めた夫婦もいれば、結婚10年以上たってもラブラブをキープする人もいるし、ラブラブじゃないけど冷めてもない安定的な2人もいて、それは相性の種類なんだろうなと思う。
なのにラブラブのカップルが最上位みたいなのって、なんかむず痒いんですよね。
なんだかメディアも「晩婚化」「非婚化」とかを嘆いといて、「夫婦像」のハードルをやたら高くしてる気がする。
結婚させたいのか・させたくないんだか。女を活躍させたいんだか・させたくないんだかというのも、同じくらいわかりにくいメディアの論調ですが、これは「させたくない」がどこかの本音だと思う。
どこかって、なんか大きな力を持ってる勢力というか、潜在意識というか。
とするなら、今いわれている「理想的な夫婦像」というのは、「女に早く結婚してもらって(若さ)」「家に入ってもらって(育児)」「男を支える(家事)」「浮気には目をつぶる」という前提がまだ根を張ってるように感じる。でも最近は「家に入ってもらって」など望んでない、「夫婦共働きが理想」という男性が増えましたね。
家事・育児する男性も増えたけど、大きな勢力の考えは変わってないので(企業や政府や地方)、女性の負担がまだどうしても重いものとなってしまう。
活躍してほしいけど・してほしくないという潜在的な矛盾が、現状突破の足を引っ張ってるように見えるし、もしかしたら女性の側にも活躍したいような・したくないようなという矛盾した意識があるのかも。
これは結婚にかかわらず、女には心当たりのある感情と思う。
現実、活躍の先に「茨の道」しか想像できない。
ってか、茨の道しか用意されてないというか。
この国でいわれる「夫婦像」は結構矛盾を抱えてそうなのに、「いい夫婦で」という理想ばかり語られるように見える。
「永遠の愛」「運命的な」
恋愛要素の色が濃いというか、性愛のプレッシャーもやけにかけられてるような。
セックスレスとかも、矛盾が何かを邪魔してるんじゃないのかなとか、そもそも性行為ってそんなに必要なんだろうかとか(時代に大いに刺激されすぎたようにも思うから)。
「家族愛」はコロナ禍でネガティブな面が浮き彫りになったからか、家族信仰はだいぶ薄まってきたように感じる。
それで気持ちが楽になった人はとても多いでしょう。
夫婦のハードルももっと下がればいいんじゃないのかなと思ったのです。
結婚はめでたいことと煽りつつ、年齢差(特に女が上)のあるカップルに容赦ないアンチコメントがついたりするのも何だかよくわかんないですよね。
Yahoo!ニュースの記事一覧にしても、結婚に適した人・適さない人を浮かび上がらせるような見出しが目立つ。
それが世の中の意見と錯覚してしまいそうなほど。
同性結婚がいつ実現するかはわからないけど、そうなったら同性の友達同士が結婚という形を取ることもあるかもしれない。
お互いを支え合いましょうという約束を大事な人と交わすのに、性別はそんな重要じゃないように思えるから。
少子化という懸念はあるにしても、よその夫婦に少子化のめくじら立てる人もそうはいないだろうし、ただ政府からしたら少子化は大きな懸念事項なので、現実に夫婦のハードルが下がるのに時間はかかりそう。
選択的夫婦別姓すら実現しないんだから。
ただの語呂合わせの日なんですけどね。
こんな食いついてしまった。
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40代後半でよかったと思うこと<性格編>
トラブルを起こさなくなってよかった(瞬発力低下)
かつてはカッとなったら、瞬時に怒りの言葉を相手にぶつけてたものです。
特にLINEで即反論メッセージを送る。
あの速さは、今振り返ると我ながらすごいと思う。
そりゃ、頭を抱えるほど後悔したことは何度もあります。
だけど頭抱えてる間にまた長文LINEが来たりして、ぐわっと怒りの言葉を紡ぎ出して返信。
そんなことを45までやってました。
46に差し掛かって、途端に丸くなったんですよね。というのは、カッとなっても言葉が浮かばないのです。
不快なモヤモヤで脳内を占められるのに、数分経つと「なんだっけ?」となる。
ちょっとしたババァ状態ですが、瞬発力が低下したのでしょう。
よくアンガーマネジメントで、怒りが湧いたら6秒数えるみたいのありますが、あれを自然にやってる感じでしょうか。
「ま、いっか」となる。
それを続けてると、こっちの怒りや正当性を表明しないことで、仲違いなどのトラブルを回避できることのほうがよっぽどいいと思えるようになるんですよね。
むしろ、昔はなぜあんなに不快感や正当性を主張してたんだろうと思う。
そうじゃないと生き残れないような危機感があったんだろうけど、それがなんだったかも覚えてない。
何の変化も起こそうとしなかったことによる「何も起こらなさ」の平和感を心地よく感じられるようになりました。人間関係の悩みが減ってよかった(感度の低下)
苦手だなぁと思う人がこれでも激減したのです。
昔は「関わる人ほとんど苦手!」と思う日のほうが多かった。
同僚たちが楽しそうに笑ってるのもなんか嫌。
自分のミスに誰かため息ついてるんじゃないかとか。
あの人が何も話さないのは私のせいかもしれない、などなど全身アンテナ状態でしたが、40後半になると途端にどうでもよくなった。コロナ禍に私語を控えるようお達しが出て、その「話さない日々」の心地よさに気付いたからというのもありそう。
みんな話さないというあの静寂の期間は、本来やるべき仕事に集中できたし、仕事が終わったら最低限の挨拶だけして帰る。
苦手な人とエレベーターが一緒になっても「話さない」を貫けたし、「お先にどうぞ」と、密回避を装って同乗を避けることもできた。
そんな日々を過ごすうち、「誰にどう思われてるか?」というあの痛々しい感度も鈍麻していったというかですね。
自分が気にしなくなったら、誰にも嫌われてないような気がするから不思議。
「いい人でいなくちゃ」という気負いがなくなるのは、大きなストレス一個減ったということなんでしょうかね。お金を使わなくなってよかった
(体力・好奇心の低下)あくまで私の場合ですが、30代はしょっちゅうCDを買ってたし、雑誌も本も買っていた。
「仕事帰りにどこか寄る」というのを日々楽しみにしてて、それがストレス発散だったんですよね。
先日、同い年の友人とも話してましたが、ルミネ10%オフの期間なんか閉店までうろつく日を何度も繰り返して、へとへとになるまで欲しいものを探したりしてたよねと。
今じゃ「早く帰りたい」、頭に浮かぶのはそれだけ。
パートナーやペットが待ってるわけじゃありません。もう、お財布出すのが面倒なのです。
お金がない、とかいう前に「欲しい→買う!」と心が動くことに疲れてしまった。
無印とかソニプラ寄って何にも欲しいと思わない自分に愕然とするぐらいなら帰りますね。好奇心の低下。
そんで休日に限って眠い・ダルい・どこかしらの鈍痛。体力低下。
推しへファンレターまで書いてたのに、今じゃその人の音源も聴かなくなった。
「よかった」どころか病んでるんじゃないかという話ですが、何が日常にもたらされたかというと「落ち着き」ですかね。
「あれやりたい」とかの持ち手カードが昔20枚ぐらいあったとしたら、今は7枚、いや5枚もあったかな。
いっぱい抱えても頭が混乱するだけなので、生活や自分自身がシンプルになりつつあると感じます。物欲が減る。
(とはいえ毎月の収支は赤字。なんでだ?)「経験」から判断できるようになってよかった
(真の自立)ここまで「老化」をただ前向きに捉えただけという感じもしますが、40も後半になれば「経験」を生かせるようになってきたなぁと、感慨深くもなります。
特に人間関係ですね。
距離感には特に気をつけるようになりました。
近いから親しくなるとも限らないし、会わないから疎遠になるわけじゃないことを知った。
あと終電間際の酔っ払いにはかなり敏感になりました。
やばいな、と察していち早く隣の車両に逃げたら、数分後にあとからあとから逃げてくるとか、そんな能力は身につきましたね。恋愛・結婚の価値観もずいぶん変わりました。
かつての私は恋愛至上主義傾向でしたが、自分の魂胆に自分で気づかないようにしていた。ただそれだけだった気もします。
自分1人で生きることにどこか手抜きをしたかった。
全力で頑張っても上昇できる気がしないので、上昇していきそうな人ばかり好きになってましたよね。
そんで一心同体をもくろむ。アブない女でした。
ただ、「全力で頑張っても上昇できる気がしない」
そう思わせる時代に生きているということ。自己責任じゃないだろう。
堂々こんな責任転嫁もできるようになるもので。何より「無理しすぎないほうがよい」ということを経験で感じられるようになったのは大きい。
いい意味で「自分中心」になれました。
高齢母の介護生活に入って、そりゃ母親のことを考える時間は増えたけど、子どもも夫もいない自分が誰かの生活に責任持つことを体感できた。
これが自立なのか。
末っ子の自分がどれだけ人の脳みそ借りて生きようとしてたかも思い返され、そんな反省ができるようにもなった。自分は非正規で独身。加えて神経質で未来の不安ばかり抱えてきたのに、「ま、いっか」と思える大人になってたというのはちょっと想像してませんでしたね。
「40後半でよかったこと」をこれだけ連ねられて本当よかった。
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葛藤を愛する
ホロスコープってどう役立てればいいんだろうということは、この数年ずっと考えてることではあります。
私はここのところ、日々の月の運行も気にかけなくなってしまった。
そういえば新月・満月か、くらいなもので、予定が入れば少しはボイドを気にする程度。
スマホに入ってるカレンダーが天体の移動も表示されるので、サインの移動はチェックします。
ただ、チェックするときって大抵、生活や心身になんらか起きてるときで、そのゆえんをたどるべく星を見ている感じ。
プログレス月は1ヶ月に1度進行するので、それはサビアンメッセージまで毎回気にかけてますね。
芸能人の星をチェックすることが激減しました。
太陽サインで「っぽいな〜」と思うくらい。
前は演技でグッと来た俳優がいると、そのゆえんをホロスコープから見出そうとしてましたが、もう全部年齢のせいと思うけど好奇心が薄れてるんですよね。
前は、「自分の熱意は誰かに届くはず」みたいな熱さがブログを書くモチベーションだった。
自分で「書き切った」と手応え感じる記事を書くと、鑑定依頼が舞い込んだりして、私の表現って本当に誰かに見てもらってるんだな…と感動しますよね・・私にとって「星」「占星術」が生活に密着するほど重要なものではなくなってます。
星を見たからって何かが解決するわけじゃなく、誰かの気持ちを攻略できるわけでもなく、先々の不穏な運勢を回避できるわけじゃない。
15年、占星術に関わってつくづく感じたことです。
そりゃ人によっては、鑑定によっていろんな悩みを解決したり成就に導いたりする技術をお持ちかも知れません。
私は人の何かを解決するなんてことはできないと、あるときはっきり思いました。鑑定内容で多いのは、やっぱり仕事でしたね。
過去の自分はできたのに、今の自分は頑張り方がわからなくなった。
もっと結果を出さないととわかってるのに、出せなくて苦しい。
やりがいを感じられる職場へ転職したい。あと恋愛・結婚。
周りみんな結婚してるのに自分には出会いがない。
どうしたら色気が出るのか。
〇〇歳までに結婚・出産したい。人が悩みを抱えるのは、「社会的に自分はこうあるべき」という太陽系の自分と、「社会がどうあれ自分は自分」という月系の自分に葛藤があるからじゃないかと、ホロスコープを多く見てきて思ったことです。
そこに葛藤がない人・折り合えてる人というのもいるとは思います。
堺雅人さんは前にラジオで、「自分の中に葛藤とかない(人生で一度もないから葛藤がわからない)」と言っていた。
そんで思わず堺さんのホロスコープを見てみたわけですが、太陽と天王星がコンジャンクション、金星は火星とコンジャンクション。
まぁ役者さんってありえない役を演じるので、「普通じゃなさ」を存分に表現することで満たされるのでしょうね。堺さんは殊更「普通じゃない事態」に巻き込まれやすい(役で)
もし普通のサラリーマンだったら、変わり者に翻弄されやすい人生だったかもしれません。今は男性も生きにくい社会とはいえ、女性はさらに閉塞感を増してるように感じる。
しかも冥王星がずっと山羊座にあったので、この15年は「普通」「まとも」「コンプラ」とかのプレッシャーにさらされまくった人は多いでしょう。ただ、ホロスコープが面白いのはその「葛藤」と思うのです。
鑑定ではその人の「葛藤部分」を探って、「だから苦しいのか」というのを言語化するようにしています。
これまで何度も見ている自分のホロですが、「みんなと足並みそろえて役立つ社会人でありたい」蟹太陽土星+乙女金星系と、「おもしろくドラマチックに生きたい」獅子月+双子水星系が常にせめぎ合ってるんだなと、ストレス感じたときに思い返すようにしています。
ドラマチックさが「無難さ」に押し込まれるというのは、もう本当つまんないですよ。
ただ、ここで牡牛火星からヒントがもたらされる。
「創作してみてはどうだろう?」と。
部屋でPCたたくのは双子水星の得意技だし、部屋で地味に過ごすのは蟹のお家芸。
「表現」をすることで、それを人の目に触れさせる。
これは獅子系の承認欲求が満たされます。
私の月は火星とスクエアなので、「磨きをかける」ことに邁進しようとする。
それはストレスにもなるんだけど、ストレスってドラマチックなんですよね。
長らく自分を不幸・面倒引き受け体質と思ってましたけど、大仰に生きてる感を得るためになんだかんだ自分らしい方法をとってんだなと。まぁ、そう頭で思ってみても「くそー」という報われなさを獅子月は感じるわけですが、月さえ黙らせれば、なんだかんだ恵まれた環境で平和に生きてることに「十分じゃないか」と思えてくるわけで。
それに、獅子月は群れるのが嫌い。
寂しがり屋だけど、複数人と無難な会話で気を遣い合うのはもっと苦手。というわけで、「自分のどの部分が不満を訴えてるのか?」という箇所をホロスコープで探り当てられれば、自分にとってまぁまぁ有益と言えるんじゃないかなと思ったりします。
また、私の獅子月が暴走すると蟹の太陽と土星が社会的なダメージを負うわけで。
その月を監視するのは私の場合スクエアの牡牛火星ですが、ぐっとブレーキかけるストレスはなぜか「悲しみ」に変換され、これはこれでドラマチックですが、いったん落ち込むとドラマとか言ってられないほどつらくなる。
なので、「ダメージを自分で自分に与えない」というのが私の人生目標として、そういう内側の目標を打ち立てるためにホロを見るのもいいんじゃないでしょうかね。私は「いつ〇〇できるか?」という鑑定はお断りしてるというか、できないのです。
私自身、「あなたは20××年までに必ず出会いがあって結婚する」と言われたことも何度もあります。
高いお金を払って実績のある(らしい)占い師に見てもらったこともありますが、「いつ〇〇」というのが当たった試しがない。
「あの占い師の言ったとおり30で出産した!」という友人もいましたが、私はきっと期待が大き過ぎたんだと思う。
「期待」と「当たる確率」は反比例するんじゃないかと本気で思ってますね。
地震も「〇日が危ない!」と鑑定されたものって大抵外れてるし。
振り返ったときに「確かにホロスコープどおり」と思うことはたくさんあるけど、とにかく占いに期待は大敵です。
「結婚できそうですよ」と占ったところで、人をいっとき落ち着かせるだけにすぎず、「未だしてないんだけど…」という事態を人のせいになどできないのです。
私は自分で〇〇占いの結果を読む側としても、期待を抱かせる占いを避けてます(鑑定は今は休止中)
雑誌の週間占いとか、「いい出会いがあるはず」なんてよく書けるなと思う。
出会いがありそうな星回りというのはわかるけど、木星が7室に入ったから「今年は結婚のチャンス!とか、乱暴すぎやしませんかと。
でも統計学的に見れば、本当に7室木星とかN太陽T木星同室で結婚した人が多いのかもしれない。
というわけで、私は今後あまり星に関することを書かなくなっていくかもしれませんが、過去の記事などで楽しんでもらえるだけで、こちらとしては嬉しいかぎりです。
時々、星に対しての熱量がぐわっと高まるので、そんなときに勢いで書けたらなと思います。 -
私の占い・スピ体験記
西洋占星術・タロットの勉強を始めてから15年ほどが経ちました。
私は小学生のときから占いは好きで、家に「愛の星うらない」という結城モイラさんの本があって、いっつも読んでたんですよね。
そんな私を見てか、親は「血液型うらない」という本を買ってくる。
そこには星座×血液型の組み合わせで見る性格占いなども載っていて、他人に興味を抱くきっかけの本でした。中学に入ると「ピチレモン」とか「マイバースデイ」とか読んでましたね。
高校でも木星の移動について語る友人ができて、雑誌の12星座特集は必ず買っていました。
ところがその木星の友人が私の部屋に来た日。
本棚に占い雑誌がたくさん並んでるのを見て引いたんでしょうね。
「結構信じてんだ?案外子どもっぽいね」と言う。
ぐさっときて、そこから「占いへの興味=恥」という思いがいくらか植え付けられてしまった。
大学に入ると、占いとか星座への関心は封印してました。
が!
そのころ「街の占い師に見てもらう」という人がちらほら出てくるんですよね。
中学時代からずっと片想いしてる人と結婚の縁はあるかどうか?を定期的に見てもらってた友人は、その後、その彼と結婚しましたね。
あと、口コミで「杉田さん」という霊視できる人が評判になり、みんな見てもらった。
私も見てもらったかな。
家族写真を見せると、そこに写る姉と夫の仲を危惧した。
それは結果として当たったんだけど、私の運命がどうだったか全然記憶にない。
でもあんま、結婚への太鼓判を押された記憶がない。
ふんわり「大丈夫ですよ」みたいな感じで、今思えば何が大丈夫なのか、「結婚しなくても大丈夫な感じで生きる人」という意味だったのかもしれない。
それなら当たってる。
それから占いにどれだけお金を使っただろう。
伊勢丹の階段のところにいらした新宿の母にも見てもらったことありました。
今思えば大して好きじゃない人のことでやたら悩んでて、なんかそのときも手のひらを見て「大丈夫」と言われた。
「同い年と4つ5つ上は付き合わない方がいい」とも。
その大して好きじゃない人は同い年だった。
なんかそんなんで吹っ切れた記憶です。Yahoo占いとかもいくらか課金してたけど、あれはほとんど当たってない記憶。
占いを続けていると「当たってる」「適当」の感覚がわかるようになり、逆に当たる占いというのは何を見て導き出してるのか?に興味を抱くようになる。
12星座で太陽だけ見ても意味がなさそうなこともだんだんわかり、石井ゆかりさんの本に出会ったりする。
石井さんは月や火星など多面的に分析されてて、また新月や満月も人の心に何かしら影響を与えると書かれていることにすごくワクワクしましたね。
そのへんのタイミングでたまたま行ったオイルマッサージ店で、石をもらった。
レムリア石というもので、持ってる人の絶妙なタイミングで誰かの手に渡ったりするのだという。
それをもらったのは新月だった。
そこからスピリチュアルの扉がこれまでになくガッと開いた感じがしました。
その石は数年後、猫がホッケーのようにどこかに飛ばしたらしく、行方不明に。
キャメレオン竹田さんのブログに出会ったことが、「占いを学ぶ」きっかけになりました。
渋谷でキャメレオンさんの鑑定を受け、その後、占星術やタロットを学びに行く。
彼女が所属しているという中野トナカイもまた運命的な出会いで、よく足を運びました。
そこで「フラワーレメディー」の講座に参加したこともありました。
これがまたなんとも心惹かれるスピリチュアルで、今の自分に必要な花のエッセンスをボトルでもらったりして、なんか本当に変化するんですよね。
そして自分自身が凪いでくると、ボトルのことなど見向きもしなくなる。
必要なくなるというのか。
「当たる!」と毎回思ったのが中野トナカイに所属する方達の鑑定でした。
タロットが不思議に当たる。
「この絵柄からどうやって言語化してるのか?」ということに興味を抱いて、タロットにものめり込んでいきました。
中野トナカイの先生は教えることも上手で、どうやら多くの方に松村潔イズムがベースとしてあるらしく。
松村潔先生の千駄ヶ谷のおうち?鑑定スペースにも赴いたことがありました。
「あなたは7度惑星を3つ持っていて、落差を感じる人生であることは否めない」なんて言葉がすごく心に引っかかり、こんな鑑定をする人は松村先生くらいです。
35歳ごろ、家族がメンタルの不調に陥ってから心理学を大学のオープンキャンパスで学んだり、「心」にも意識が向くようになりました。
実際に心を病んでしまったとき、どんなに星を見てもなんの解決策も見出せない。
「心身健やかに生きるには」という答えをあちこちに求めた時期でした。私は夢占いにも関心を持っていましたが、見た夢のキーワードを本で照らし合わせてもなんかピンとこない。
そこで、夢分析を本格的に行なっている講座に申し込んで1年通いましたね。
そこは今までで一番まとまったお金を払ったところで、今思うとなかなかの荒療治というか、通うのが苦しかった体感がある。
あのころの私は受け身で他力本願で、結婚以外に目的を定められず、「こんな自分だからだめなんだと」何かにつけ自分を責めていた。
と同時に、「自分が悪いわけじゃないんじゃないか?」「私が悪いように思わせる相手が悪いんじゃないか?」という思いも芽生え始め、それを確かめるようにもっと心の学びを深めようとする。
そこで出会ったのがヒプノセラピーでした。
前世体験ですね。
正直、前世体験自体はぼんやりしたものでしたが、セラピストの方が「私が悪いんじゃない」と、はっきり感じさせてくれる言葉をかけてくれたことにとても救われました。
その方の講座にいくつか通い、ヘミシンクにも一時期ハマりましたね〜。
あのとき、こういうスピリチュアルに最もお金をかけていた。
さすがにスピリチュアルジプシーになりつつあることに危機感を抱いてました。
もうこの頃にはブログも始めてて、鑑定も始めたころだったかな。
自分で鑑定をするようになると、「当たる」とか「出会う運命」みたいなことにどんどん懐疑的になる。
ホロスコープが人を導くということはないんじゃないか。
スピリチュアルにどっぷりになると、まるで何か大きな運命に自分は乗っていて、しかるべき幸せな未来に向かって、しかるべき人に出会えるはずと思いたくなるんだけど、「しかるべき」なんてものが先に用意されていて…ということはないんじゃないかと感じられてくるのです。
あるのだとしても。
実感がないままに「ある」という前提で鑑定をすることが私にはできなくなり、少なくとも自分が生きてきた体感に沿ったものしか言葉にできない。なんかここまですごく長くなってしまった。
今年、ダウジングにいきなりハマったりしました。
振り子ですね。
堤先生の初心者講座を受けて、いろんなこと振り子で占ってみよー!ってワクワクしたものの、今の私には占うことがあまりない。
気づいたら「明日は排便するか」ばかり占ってて、そのころ便秘がちだったので日々の排便事情が気になったわけだけど、水晶のペンジュラムではイエスだし、金属だとノーだし。
排便占いに飽きてきたころ、またフラワーレメディーを思い出しました。
そう!自分にふさわしいフラワーレメディーを探るのに、ダウジングって向いてるみたいですね。
今、10年ぶりくらいにフラワーレメディーを飲んでます。
「これが私に必要?」という位置を振り子が差し、買って飲んでみてから自分はまた少し変わった。
悩みがなくなった。
というのは、大げさかも?でも結構ほんと。今まで自分がなぜうじうじ悩んでいたか。
それは不安とか寂しさとか、自分が作り出したモヤモヤに飲み込まれていたようで。
フラワーレメディーはそのモヤモヤを作り出す必要などない、ニュートラルな状態を思い出させてくれた感じ。
そう、人をニュートラルににするみたいですね、効能として。というわけで、学んできた方などのお名前も連ねたかったけど、それはまたいずれ。
スピリチュアルや心理状態、運命性というのはこれからも私が興味を持って追究する分野のようです。
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「ライオンの隠れ家」
金曜22時TBSの「ライオンの隠れ家」見てます。
1話は見逃してしまったけど、さっきU-NEXTで見ました。
現在3話まで放送中。
さすが柳楽くん主演だけあって、今期一番の良作の雰囲気です。
(画像は「ライオンの隠れ家」HPより)
柳楽くんは茨城のとある市役所勤務で、弟と二人暮らし。
弟は坂東龍汰さんで、自閉症スペクトラム症。
両親は亡くなっている。
2人が住む家の軒下に、ある日男の子が隠れていた。
「ライオン」と名乗る彼はどうやら、かつて父の連れ子として短い時期暮らした姉の子どもで、その姉は行方不明、事件性がある。物語はサスペンスの要素がありますが、ヒューマンドラマでもあるでしょうね。
男3人の暮らしっていう設定がまた珍しく、しかも障害を持つ弟と兄の話って「ギルバート・グレイプ」が思い出されるけど、坂東さんの演技はあのときのディカプリオのようで、すごく惹きつけられるのです。また、この小さな男の子、佐藤大空くん。
まだ本当に小さいと思うんだけど演技が自然で、でも絶対演技でしか成り立たないセリフを曇った表情で言ったりとか、すごいんですよね。なんたって柳楽くんですよ。
いつまで「くん」とか言ってんだという話なので、柳楽さんに言い換えますが、もう表情にいちいち胸打たれます。
佇まいがいかにも市役所職員で、ファッションも基本的にシャツインスタイル。腕まくりしてるあの腕の見え方がいかにも中年に差し掛かっていて。
柳楽さんはまだ30代前半と思うけど、これからの人生に夢のような期待をかける、なんてことはとうに手放して枯れに向かっていく…という諦めみたいな演技がすごいんですよね。こう見えるのは、親の介護に差し掛かってる自分を柳楽さんに重ねてるということもあります。
坂東さん演じる「みっくん」と2人で暮らしていかなきゃいけない人生。
みっくんの「正確性」へのこだわりに沿って生活をするという1日の流れにも、「今じゃすっかり慣れてきて」という「経過」が、柳楽さん演じる洸人(ひろと)からすごく感じられるんですよね。
万事スムーズに行くようになるまでどれだけ大変だったかが、なぜか滲む。
もちろん時々、過去にみっくんが暴れた映像は差し込まれるけど、みっくんをお迎えのバスに乗せてホッとする一瞬の表情から、「やっと受け入れてきて、今平和」という「山」を乗り越えた重さが柳楽さんから漂っている。私は母親と2人で暮らしているわけじゃなく、まだ母は一人暮らしですが、母をデイサービスのお迎えに間に合わせるよう毎朝定時に電話して…という日々ではあります。
私もまた「そのルーティーンにやっと慣れてきて」という乗り越えた感がある。洸人がまたみっくんに足並みをそろえる。
しかも丁寧に。
みっくんは時々わけのわからないことを言い出すけど、洸人は「そうなの?」と優しく受け止めたり、時には何も言わずにみっくんの次の反応を待つ。
一見、洸人はとても優しい。
でも学生時代の洸人はいつも弟と一緒にいること、それを仲間に見られることに嫌気が差していて、バスの中にみっくんを置き去りにしたこともあった。
そういう冷めた自分がいることも自覚している洸人が柳楽さんから滲むのが、すごいなぁと見てます。誰から見ても愛があって優しいと映るのに、本人だけは「そういうんじゃないんです」と否定するようなこと。
「こうじゃないとうまく回らないから」
たぶんそれは謙遜5割、本心も5割。
自分の本来のエネルギーを数十%ほども落として家族に足並み揃えて。
でも今じゃその生き方こそが自分っぽいんだと受け入れてきた感、柳楽さんがホッと息をつくたびに自分にそう言い聞かせるような。
ところが、「ライオン」と名乗る少年と出会ってから生活が大きく変わる。ルーティーンしかなかった生活に「予想外」が舞い込んできた当初こそ混乱と迷惑でしかなかったけど、みっくんの変化を感じた洸人は、その変化によって自分の気持ちにも光が差すような心地になっていく。
と同時に、ライオンの親が関係する事件にも足を踏み入れていくのだけど、たぶん一番変化するのは柳楽さんだと思うので、それをこれから見ていくのが楽しみです。坂東さんのみっくんも魅力的です。
第3話で、みっくんが描いたライオンの絵に涙出ましたね…
みっくんが毎日通うのは職場、なのかな。
みんな何かしら障害を抱えてるんだけど、アート活動に励んでいる。
障害者の日常が描かれるドラマってNHKくらいしかないと思ってたけど、NHKのあのレベルに匹敵する良作にきっとなりますよ!偉そうだけど。齋藤飛鳥さんが怖いですね。
優しくて物分かりがよくて、完璧女子じゃないか!と思ったところで、不穏さが現れ始める。
「よかった」と思ってしまった。
あんな可愛い人が洸人の良き理解者で、すんなりカップルかよと思っていたから。
あと、同僚役の岡崎体育さんの横のシルエットには、ちょっと健康状態大丈夫かなと思った。
ライオンの父親は多分向井理さんで、母親は尾野真千子さんで、すごい豪華なんですよ。
事件を追う記者役は桜井ユキさん。その部下は私は知らないけどアイドルグループの人。
でんでんさんに柿澤勇人さん、入山法子さんとか。
NHK火曜22時の「宙わたる教室」もいいドラマです!
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自分にとっての〇〇座
天秤女性を見つめる自分の目は、ちょっと厳しいかもしれない。
「かわいいね…」と思っているのに、それを認めたくない気持ち。
「はぁ〜結構なことですね」と、人気ぶりに呆れる感じ。
なぜかライバル意識を抱くんですよね。
私がスクエア位置の蟹座だからかな。でも牡羊にはそんなふうに思わないんですよ。
牡羊座に木星があるからという気もするし、1室が牡羊なので自分の良い面を映し見てる感じがするのかも。というわけで、あくまで「自分」から見える〇〇座を12サイン連ねてみます。
牡羊座…自分にとって「良き自分の一部」
牡羊座を見てると元気になります。
その率直さに触れると、「自分もそうでありたい」と思う。
好きになった男性のほとんどが牡羊座で、「生かしたかった男性性」を映し見てるということかもしれません。
時々いがみ合う牡羊女子がいるけど、ドロドロ怨念とかにはならない。
嫌い合っても挨拶はちゃんとするとかいうフェア精神を互いに大事にできる人。牡牛座…自分にとって「真っ当な人」
牡牛座って本当に生活感に溢れてる。庶民感覚が真っ当というか。
牡牛座の知り合いで承認欲求がやたら高い派手な人とかいない。
一見そう見える人でも、水筒を持参して白湯とか飲んでる。
あぁ白湯っていいよね…ということを思い出させてくれる人。双子座…自分にとって「一生の話し相手」
双子座とは話が尽きない。
政治家の話から、懐かしい昭和の菓子の話、カルチャーの話など、お互いに突飛な切り出し方をしても「うんうん」ってすぐ雑談スタート。
「束縛されたくない」というのもわかりやすいから、こっちとしてもさらっと距離感取りやすい。蟹座…自分にとって「分かり合えるけど距離を取りたい人」
やはり同じ蟹座だと「話が早い」と感じることが多いです。
「同じ感覚が流れてる」と肌でわかることがあるんだけど、そこまで仲良くしたいとなぜか思わない。
蟹座は話の中心になりたい人が多いと思う。
蟹座同士がつるむと誰かがその中心になるわけで、中心になれなかった蟹座の繊細さを敏感に感じ取ってしまう。
侵害したくない・敵対したくないという気持ちを抱きつつ、距離があるからといって嫌ってるわけじゃないという信号を出し合ってる感じもある。獅子座…自分にとって「繊細な相手」
蟹座とは違う繊細さが獅子座からは感じられます。
獅子座は私の知る限り、「自分!自分!」となる人はごく稀(男性にはたまにいる)
でも一言意見したい気持ちは感じ取れるし、獅子座の率直さが場の雰囲気を変えたりするので、私は自治会長にでもなったつもりで、「獅子さん、何かある?」と振ったりする。
すると、なんとも爽やかな新意見を言ってくれたりするので、私も嬉しくなるんですよね。
面倒な時は意見したがってる獅子に気づかないふりもするんだけど、そうすると静かな不満団子みたいになっている。乙女座…自分にとって「緊張か?楽か?極端な人」
乙女座は私にとって相性がいいと感じられる相手ですが、すんごい怖い人と、昔からのクラスメートみたいなタイプと分かれるんですよね。
乙女座はおもしろい人が多いので、怖くても話しちゃえば楽しいということはある。
でも何か表現を間違えるとピキーンと緊張が走る怖さ。
基本的に優しいし真面目なので、孤独で寂しいときに頼ると温かな話し相手になってくれます。天秤座…自分にとって「ライバル心あおられる人」
天秤座も孤独で心細いとき、すごく寄り添ってくれる人。
でもどこか「信用ならない」と警戒しちゃうことがあるのは、「やられた!」と思うことが何度かあったから。
「あのとき寄り添ってくれたのに」と、遠くから華やかな天秤に恨みがましい目を向けたことは人生で何度かありました。
いい人だとは思うんだけど、「自分が守りたい何か」で実はガチガチな人で、八方美人な割に人のことを背負えない。背負えないのに八方美人。
さらっと見える外見よりずっと重い何かを抱えてるように見える人です。蠍座…自分にとって「本音の人」
蠍座ってわりと謎でしたが、最近思ったのは「蠍座は時代が移ろっても本人は変わらない人」だなということ。
例えば今の時代、何かとハラスメント色を帯びてしまうけど、蠍座はストレートにものを言う。
それで傷ついた人がいても、「傷つく方が悪い」という感じで、それは今の時代だと「いやいや」とはなるけれど、蠍座の本音は自分の中に確実にあると呼び覚まされるような。
「コンプライアンスとか、何それ?」って言えちゃう人なんですよね。
うん、本当なにそれ?だよねって気持ちは自分の中にあるはずなのに、みんなうまく押し込めて良識ある顔をする。蠍座はそういうのに乗っからない。射手座…自分にとって「気楽な人」
射手座の距離感って、今の私にとってすごくいい感じです。
少し前は「距離空きすぎ!」と思って、仲良くしても寂しくなることがあった。
射手座って人のこと根掘り葉掘り聞いたりとかしないんですよね。
自分の話もコンパクトにまとめるから、なんか会話が続かないことがあった。
それでもまぁ気楽です。「他意がない」というまっすぐさが肌で感じられる人。
今の自分がわりとポジティブだからそう思えるのであって、ネガティブなときは突き放される感じしましたけどね。山羊座…自分にとって「社会を感じられる人」
私が一番親しい友人が山羊座。
この年になると子どもがいる友人と疎遠になりがちだけど、彼女は既婚・子持ちでもそれが疎遠の理由にはならなかった。
むしろ私の経験しない子育てや母親同士の交流、夫や義実家とのコミュニケーションの話を聞くのがすごく楽しい。私にとっては彼女と過ごすことで自分の未知部分を補ってる感覚もある。
職場でも山羊座は真っ当な視点を持つ。
出世に抜かりない後輩には忌々しく思うこともあるけど、それも含めて社会人っぽさが感じられるのはある意味楽しいです。水瓶座…自分にとって「謎の領域がある人」
水瓶座の知り合いは多いですが、謎の領域が他の人と比べてすごい広いと感じます。
何を話しても「そういう観点があるんだ」と気付かされたり、「そこまで考える?」ってくらいすごい不安を抱いてたり、視野が広いのかな。
表には出ない謎の領域がかなりあるんだろうなと感じる。魚座…自分にとって「いい人だけどわけありな人」
魚座は本当いい人だと思う。
基本優しいし、あとおしゃれな人が多いから見てるだけでも楽しいというか。
ただ二面性があって、いい人なんだけどキレると怖いとか、なぜか教えを説いてきたりとか、誰かを助けすぎて何かに巻き込まれてたり。
謎にトラブルを抱えてたりするから、深く関わるのに勇気がいる。
魚座側としてはいつでも本気の交友を求めてる感じはします。あくまで「自分にとっての〇〇座」、その印象です。
自分の周りの〇〇座に傾向を見出してみたという感じ。
私は1室が牡羊座なので、ハウスの特徴ともリンクするわかりやすさがあります。
自分の何ハウスに入る人か?で見てみてもよさそうです。 -
苦手意識とコンジャンクション
苦手な人。
なぜ苦手なんだろうということをよく考えます。・支配されるような感覚になる
・行動をずっと見張られて、ダメ出しされそうという被害妄想が生じる
・その人に否定されない行動を心がけてしまう(苦手なのに)総じて、苦手な人から「ターゲットにされる感覚」を抱いてると気付いた。
あっちはそんなつもりないかもだけど、こっちはその人の影にビクビクしてしまうのです。
パワハラ的な怖さも苦手だけど、いつだって自分よりその人のほうが「社会的に正しい」とジャッジされるのだろう、ということもすごく恐れている。でも実際は、私が「ターゲットされに行ってる」んだと思う。
最近、「自分のホロスコープって自分の人生の脚本だな」とつくづく感じたんですよね。
自分の星の配置に沿って登場人物を演出しているのは、この自分。
私だと、月ー火星スクエアを誰かと自分に当てはめることも多いと気づいたし、太陽ー土星コンジャンクションの投影も多いと自覚した。
とはいえ、誰かを「苦手」と思ってしまうのはその人との縁や相性も何かしらあるでしょうね。長いこと恐れを抱く、ある人との相性ホロスコープを改めて見てみました。
その人と自分にはオポジションが形成されてることは前から知っていた。今回気づいたのは、相手の側に月を含むトリプルコンジャンクションがあったこと。
その人は、人をコントロールする癖があり、まぁ山羊座にこれだけ星があればな…なんて思おうとしてきたけど、そんな意識だけじゃ実害は免れない。
今回改めて感じたのは、「互いのコンジャンクションを都合よく相手に投影してた」んじゃないかということ。「コンジャンクション持ちは人との距離感が近すぎることがある」というのも感じてたことではあります。
私が「ターゲットされる」と感じる相手は、私の太陽土星にオポジション・コンジャンクション・スクエアを取る人&相手もそこにコンジャンクションがあったりする。
自分の強いこだわりと相手の強いアスペクトが、なんらか絡み合ってしまうのでしょうね。その人との関係性において実害や不快感を感じるのであれば「距離を取る」
これしかないかもしれません。
それがで難しいなら「線を引く」とか。
ただ、この線引きすらものすごい罪悪感が掻き立てられる。
これは私の土星ゆえっぽい。例えば上記のトリプルコンジャンクションの人は、周りの人間を手足のように使おうとする。
罪悪感があったらそんなことできないだろうと思うのは、私の土星思考ゆえ。
その人は、特に年少者(水星金星)と心の距離が取りにくいのかも知れず、「自分の意思は当然相手に理解されるだろう」という思考なのか、図々しい頼み事が多い。
私は太陽をターゲットにされてると感じつつ、土星部分で猛烈に相手に反発する。ただね・・オポジションって反抗上等!なんですよ。
私は自分の反発で相手が「シュン…」となると、ひどく罪悪感を抱く → 余計なフォローを入れる → 相手はまた要求してくる…このループ。
断ち切るには縁を切るレベルで距離を置くしかない(今現在、年単位で連絡とってない)
その人は実は姉です。
姉は私よりかなり年上なのですが、私自身はよく「長女だと思った」と言われる。
今回、姉とのオポジションラインを見て、私は姉に「年長の保護者」を期待し、姉は私に「無邪気な妹」を強く期待し合っていることが感じられたと同時に。
姉は私を前にすると子ども時代の自分が出やすくなるのかもしれず、私はそんな姉に対して保護者っぽくなる。
だけど妹であり保護者じゃないので、「ちゃんとしろよ!」という「まともな大人」を姉に勝手に期待しては失望し、姉も姉で「妹ならわかるだろ!」と家族的一体感を私に期待する。
いつでも争いはそんな感じでした。もう1人、苦手と感じる相手は、天秤座に星がすごく集まる元上司。
彼女は私の太陽に土星も乗っける。
だからなのか、私は必要以上に彼女を「正しい人」と思い込み、自分の行動が蟹土星からも天秤群からも監視&ジャッジされるように過剰反応してしまう。彼女のにぎやかな天秤部分は、一緒に働いてた当時の彼女の周辺そのものでした。
チームは天秤座が多く、「みんなでさらっと広く付き合う」という楽しげな雰囲気が彼女中心に漂っていた。
私も大抵は楽しく過ごすのですが、「本当の自分をわかってくれる人は誰もいない」という若干重めなマインドで仕事をしてましたねそういう私にも敏感に気づく女性上司。
彼女も蟹土星部分でキャッチするのでしょうか。
「どした?」って私の孤独を気にかけてくれるのだけど、それがだんだん辛くなってきて、私は彼女から離れるように異動を申し出た。
異動しても彼女と顔を合わせるのですが、ずーっと「どした?」と、顔色を気にされてるような気がしてしまう。
「こっちおいでよ」と言わんばかりに会話の中に私を入れようとする優しさからも逃げ続けてきた。
これもまた私の太陽上の土星が、必要以上に罪悪感を育てたのでしょう。
私は蟹太陽で「天秤ルールが正しいと思うなよ」と反抗してたと同時に、蟹土星が「そうやって敵対するな!蟹座だろ!」と太陽を責める。
そういう脚本・演出をしてたんだなぁと振り返って感じることですが、もしかして。天秤マジョリティーの上司も、どこか蟹座に苦手意識があったんじゃなかろうかと推測。
蟹座の私がまんまと彼女の罪悪感を刺激する存在で、きっちりスクエアアスペクトをとる我らは互いを過剰に意識しすぎてるのかもしれません。
あいさつなんて適当でいいじゃん、と思う私の目を、いつもきっちり見てあいさつしてくる彼女。
うんざり…と思うのだけど、今はかなり距離をとるようにしています。
ちょっとの立ち話ですぐ人の悩みを引き出そうとするので、私はそれやられると弱点を掴まれた気持ちになってメンタルが落ちてしまう。
その人の悪い癖として、打ち明けたことを他の同僚とかに「あの人も〇〇なんだって」って世間話のネタにしてしまうことがあって、私はそれをすごく恐れてるというのもある。
実際はその人だって節度持って話題にしてるんだろうけど、クローズドな蟹の私が、オープンな天秤を「そういうことやる人」と演出(認識)しちゃってる。
いつか意識を変えられればいいけど(自分次第で変えられるとは思う)自分のホロスコープと投影ということについて最近やたら興味があるので、またこのあたりについて何か書けたらと思います。
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月の底力時代
「月の自分では生きられない」というようなことは、占星術家の本やメルマガでよく見かけます。
私もそう思っていた。
月はまるで赤ちゃんのようだから。
不快感などは強く訴えるけど、月主体で生きることはできないと。でも、本当にそうかな?と思ったんですよね。
月って「生き伸びる」ことにいつも必死で、どんなに抑制されてもどこかで絶対、月の主張を強くしてくるじゃないかと。
人によっては大暴れするほどに。しかも昨今は、「月=心を大事にしましょう」というようなムーブメントが起きてる気がする。
平成までが「忍耐してこそ」の時代としたら、令和は「心第一」の時代になってるような。
仕事も家事も人間関係も「抑圧」に無理に飛び込まなくてよい。
「心が喜ぶことをしよう」みたいな。
それは結婚しない人が増えてることや、すぐ会社を辞める若者に寛容な社会。
多様性尊重の声が高まる現代は、もしかしたら「月の底力」が引き出される時代なんじゃないかと。少し前の大人が「太陽主体で生きるのが当たり前」だった時代として。
今は若者も中年も「月の自分も大事にするタイプ」が増えている気がする。
とはいえ誰だって太陽主体で生きようとしているし、それなりに月の自分も大事にしたいはず。
ただ、「月の自分を表に出す」ということが、すごく尊重され始めている気がする。そりゃ太陽主体で生きつつ、月っぽい自分も適度に出して社会をうまく生きていけたなら、とても良いと思う。
私の独自分析だと、そういうタイプは太陽ー月とも男性星座と感じます。
良く出ると「前に出る」「積極的に生きる」という能動性が公私ともに明るく発揮されやすい。
ただ悪く出ると、「能動的すぎる」ことによるトラブル発生も。
性やお金の逸脱、オーバーワークによる過労、危険な冒険行為など。太陽ー月とも女性星座タイプも、公私の自分に折り合いをつけやすいんじゃないかと思います。
良く出れば「社会の中で居場所を見つけやすい(友人や家族がいる)」「危険行為はしない」「女性的な感性を使って社会で活躍しやすい」
ただ悪く出ると「大きな選択・決断をしにくい」「個性に不寛容(悪口炸裂)」、「責任を避けたがる」など。太陽男性・月女性星座だと、良く出れば「社会の中でいい人に収まる」タイプかなと。みんなに合わせられる。
悪く出るとすれば、本当は「大きく出たいタイプ」のはずなのに、「月の臆病さに足を引っ張られてる感」がストレスになりやすいところでしょうか。
夢は大きく描くんだけど、具体的に積み上げていくことを放棄しがちというか恐れるというか。
ただ、主役になりたくないのになってしまう人生傾向はあると思います。太陽女性・月男性星座だと、良く出れば、「臆せず自分の意見を言える」タイプでもあります。
煮詰まった空気を変える気概がある。
悪く出るとしたら、「自分の能動性を過信するがゆえの横柄さ」かなと。
「自分はもっとできるはず」と、月が常に太陽の無難選択や現実の地味さにイラつくので、ストレスがたまりやすそう。
大きな夢を叶えたい月の願望を、太陽がどれだけ実現させられるかで満足度も変わりそうです。
また、このタイプはこれからの時代、とても生きやすくなるんじゃないか。
女性的な意思をこの世に大きな声で割り込ませる潜在的な影響力を秘めてるように思ったりします。太陽男性・月女性タイプの男性で、「結婚する」という責任を取りたがらない人を数人知っています。
太陽男性星座って一見頼もしく見えますが、おそらく幼少の頃からその「見える」部分で勝手に周りに負わされてきて、その抑圧の反発なのかずっと青春の中にいるように見える。また同じタイプの女性だと、太陽を男性に投影することもあるだろうと思います。
夫が大企業勤務、妻は専業主婦という夫婦が標準だった時代や、なんだかんだ夫がハイスペックという人に多いかもしれない。
ただこのタイプは自分が必ず太陽的な役割を担う日が来るはずで、おとなしく夫を支えるだけの人生にはならないと思うのです。
何かのリーダーに抜擢されたり、図らずも大黒柱になったりするんじゃないですかね。リーダーになりたいのになれないジレンマを抱えやすいのが太陽女性・月男性星座の女性。
自分がこのタイプですが、男性だったら大人気主人公になったりするんですよ。
大谷翔平選手とか(太陽蟹・月双子)、武豊騎手とか(太陽魚・月水瓶)
なぜいきなり武さんかというと、最近競馬を見てるから。
まだバリバリ現役でかっこいいんですよね。
マッチョではなく、しなやかな感性で人気者になれる男性がうらやましいです。「月」って必ず「抑圧されている・されてきた」という記憶を宿してると思う。
だから誰しもに「嫌だった抑圧の思い出」がある。
それが大人になってからどんなふうに表れてくるかは、各々の人生壮絶度で違うのでしょうけど、傲慢な振る舞いは許されないはず。
でも月は時々やりすぎてしまうのです。
どんなに「太陽」でいい人を装っていてもね。
いい人に見える人こそ、その抑圧はどこかで発散されてるはずと思う。
それが表現とか1人の時間ならいいんだろうけど、人に向けたりSNSで発散する人も今は多いんじゃないのかな。
「月」を「自分」とみなすのがあまりにもつらすぎる人は、外側の弱い対象に自分の月を投影することもあり、ハードアスペクトがある場合は自分を傷つけるか、誰かを傷つけるか、という極端さが時に表れたりする。
痴漢やDVにあう人は、誰かの弱い月を投影されている、そのターゲットになってるかもしれないです。
「他人の弱い内側を投影されてたまるか!」という意思を強く持ってほしい。
相手の暴力性は、裏を返せば自分の力強さとして変換できるはずなのです。
自分だったらそのパワーを暴力なんかに使わない!という意思。そもそも月にとっては社会的なあれこれが抑圧的。
自分の中に「社会」と「自由」は常に両輪としてあると思うこと、心(月)の声に耳を傾けてこそ、もっと発展していく自分の光、みたいのがこれから一人一人の内側で強まるんじゃないかと、希望を込めて締めます。
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たまに自分の星を読む(月のストレス)
時々猛烈に転職熱が高まる。
お前いくつだよって話ですが(アラフィフ)、こういうときって「変わりたがってる自分がいつでも真理」とか思いやすい。
「変わろうとしない周り」にうんざりしたりもする。そんで、いくつか履歴書を出したけど不採用だった。
さすがにアラフィフの採用は厳しいのだろう。
どこかほっとする自分もいました。
と同時に、「自分の転職熱って当てにならないな」とも思った。
一体自分の何がこの衝動を生み出しているのか。
こういうときに自分の星を読みます。自分のストレスのもとって獅子月ー牡牛火星スクエアにあるんだろうとは思っていました。
そのストーリーは「火星に攻撃される月」「火星に個性をねじ伏せられる月」
月は末っ子の自分。
きょうだいとか、クラスの横暴野郎にいじめられる自分を大事に内蔵してたんですよね。でもなんか、獅子座の月は被害者なんかじゃないかもなと。
むしろ蟹の太陽や金星乙女をどこか軽んじてるやつ。
獅子座って本当、自意識過剰なんですよ。
そんで上から目線はマスト。
お前らってそんな感じ?って態度で、蟹太陽と乙女金星の真面目さにうんざりしたりする。
私の内側でこれらが繰り広げられていることをあらためて実感しました。蟹太陽も乙女金星も本当真面目ですからね。
しかも「みんなに合わせる」ことができるし、むしろ合わせたい。
「テスト勉強してきた?」っていうおなじみの会話にも、「いや〜…ちっとも」なんてキャイキャイしたいのに、こういうとこで獅子月にスイッチが入ったりする。
「当たり前だよね」と。
「やらなくてどうするの?受験生だよ!?」
こんな発言で相手を驚かせたことが何度もあります。火星座のモットーは率直・正直。
「合わせたほうがよい」という常識をぶっ飛ばしたくなるんですよね。
嘘は嫌いと。
ただ、そんな正直さを放ってこそ「わたしらしさ」と言えるので、悪いことではない。
だけど蟹座の太陽土星は人間関係の亀裂に敏感。
争いの苦手な牡牛が獅子を軽蔑する。
調子いいときは、双子水星がテキトーに場に合わせたりするんですけど。私の獅子月は火星とスクエアといえ、牡羊ASCー射手海王星とグランドトラインを形成。
冥王星とはセクスタイル。
このアスペクトがより一層、月の横柄さを助長しているんじゃないかとも思う。
「自分には”社会ルール”とかよりずっと宇宙的な味方がいるんですけど」
みたいな感じでしょうか。
ドラえもんが身近にいるのび太というか。月単体でできることはほとんどないのに、なまじビッグな支えと影響力があるから大きく出たがる。
土星ルールに縛られがちな蟹太陽を「あーやだやだ」と思ったりする。
時に社畜気味に働く土星座金星を「ほかに楽しみないわけ?」、なんてつまらなく思う。
だけど、自分の内側は知っている。
「あいつ(月)が一番かわいそう」と。夏休みにどこも連れていってあげられない子どもを抱える自営業家庭、みたいなイメージが新たに湧きました。
時々、牡牛火星が「うるさい!手伝え!」と怒って獅子月はおとなしくなる、みたいな。
たぶん、この「手伝い」から極力逃げたいんでしょうね。
月は労働なんかやりたくないだろうから。
でも2室火星とのアスペクトなので、労働と関わらざるを得ない。
しかも牡牛的な内職コツコツ作業。ところがですね、私の職場はTVに関わる仕事なので、日々新しいニュースに触れるのです。
火星座の月は新鮮さが大好き。
しかも双子水星は天王星とトラインでPC系が得意。
職場行っちゃえば特技を生かすことができる。
不思議なんだけど、自分のホロスコープに沿った選択をちゃんとしてるものなのです。
だけど、そのスムーズさに乗るまで月はぐずる。
ベビーカーに乗せられたばかりの不安げな赤ちゃんと同じじゃないか。そうはいっても私はこの月を甘やかしすぎたのかもしれない。
独身生活はなんだかんだ気楽で、「自分だけの空間・自分だけの時間」をありあまるほど手に入れた。
ありあまりすぎ!と太陽&金星はがっかりする。
社会的標準形(結婚・子育て)から外れたことをやたら悲劇に感じる蟹と乙女ですから。
今の私は、いかにも4室蟹・太陽土星っぽく親の介護に邁進中。
姉は療養中、兄は経営者なのであまり実家に帰れない。
私は庭木の剪定や草刈りを業者に頼んだり、雨戸の中に鳥が巣を作ってしまった処理を業者に頼んだり。
疲れる・・
けど、ミッション達成の満足度は半端ないです。
太陽や金星を使うって、自分の成長や自信につながるものなんですね。
しかも私の母がいつも表情豊かに感謝してくれるので、獅子月はここでも満足できる。
この月が調子に乗って、「お前らは何感謝された?」とか、他のきょうだいに吹っかけかねない。
昔はよく吹っかけてましたが、きょうだいを本気で怒らせると(火星)、月がかなりダメージを受けることも経験済みなので、さすがに今は抑えられるようになってきました。
月も少しは成長する。要介護度1の母の介護はまぁまぁ大変とはいえ、実家に帰るタイミングや食事の用意、暑い日の心配など主に脳内の大変さ。
肉体労働を必要とする介護はまだ発生していません。
今は「やるべきこと」のルーティンが定まってきたので(乙女金星効果)、ミッション達成感を感じやすくなった。
生きやすいように、自分で自分をプロデュースすることもあるのです。
乙女金星は本当に働き者なので、我が事ながらこのスイッチに助かっています。
ただスタミナはない。
決まったルーティンしかできないので、他人から見れば特段清潔感のない屋内と思われます。ここまでだいぶ自分語りをしてきました。
これも獅子月らしいストレス発散法ということで。
こういうとき双子水星も使えるヤツで助かります。
私の男性星座はいつだって「やったれ!」と、おとなしさを突破して「おもしろ」を追求する。
私の女性星座は、とっ散らかった部分を丁寧に整えて、普通に頑張るいい人であろうとする。
誰しも「普通」と「突破!」の両面を持ってることと思います。
このどちらも抑圧されればそれなりにストレスを感じる。
ダイレクトにストレスを受けやすいのが、最も非力な月。
非力なんだけど、赤ちゃん並みに声が大きく不快さに敏感。
赤ちゃんの声も無視しちゃいけないけど、程度問題ですね。
赤ちゃんの声を聞きすぎると、私のように快適第一主義中年となるかもしれない。
だけどもし遊びたい赤ちゃんを放置したら、人を傷つけることでしか発散できない(楽しみ方がわからない)大人になっていたかもしれない。とはいえ「星を間違った使い方してる」なんてことはないはずで。
時にがっかりするくらい「ホロスコープどおり」になっているもので。
私の獅子月は海王星とトラインなので、とにかく楽しさのスケール・期待値が高い分、「何もない日常」にがっかりすることも多い。
恋愛に弱かったのは5室獅子月がドラマチック監督だったから。
だけど、多くが妄想で終わったのは蟹太陽と金星乙女が臆病だったからでしょう。
ナイスブレーキ!
以上、自分語りでした。