舞台・映画・本等感想文
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「アニー・ホール」
ダイアン・キートンの死去に際し、2020年に書いた感想を一部編集して再アップします。
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「アニー・ホール」はとても思い入れのある映画。
21歳ごろリバイバル上映で初めて観ました。
BSなどで放送されるたび何度も見てしまう大好きな作品。
今回またU-NEXTで視聴。
1977年の作品です。
「アニー・ホール」といえばこのシーンですね。
(画像は映画.comより)
テニス合コンみたいなとこで出会った2人。ぎこちないながらも意気投合して、ダイアン・キートン演じるアニーの家でワインでも飲もう。
そこから始まった恋。ちょいちょい難しい映画なんですよね。
インテリ臭が漂うというか。
でも何よりウディ・アレン演じるアルビー・シンガーこそ、人のインテリ臭に露骨な嫌悪感を表す。
アメリカの政治や思想、地理的な特徴とか、いろんなことを知ってこそ楽しめる映画でしょうけどね。
20年たって見てもアメリカのことはよくわからないまま。
「究極の恋愛映画」ではあるんだけど。
当時42歳のウディ・アレン。
このアルビー・シンガーという男は、皮肉がすごい。知性はにじむ。
それらユーモアで中和するところが魅力とも言える。好みのタイプは知的な会話ができる女。
2度の結婚歴があり、女たちのイケすかなさばかり目につき始めたらもううまくいかなかった。
このアニー・ホールがまた変わった女で、知性とかって感じじゃない。
ユーモアのセンスもなんかヘン?
笑い方もなヘンだけどよく笑う。そこがよかった。
すごく惹かれ合った二人。アルビーは変わり者だし理屈っぽいのに、「こんな男は嫌だ」とは思わないんですよ。
一緒にいたらすごく楽しそうと思う。
甘い思い出をたくさん積み重ねられそう。
なんかダメなとこだって許容できてしまう。
やっぱり恋愛ってすごい普遍的なものなんだな。
「相手のために」とかいって自分のため。
帰ってほしくないのに住み着かれると嫌になる。
結婚願望ないくせに縛ってくるのは大いなる嫉妬ゆえ。
会話のほとんどが誰かに対してのマウンティングだし、ちょっと華やかな会合も嫌悪するから一向に広がらない世界。
変わらないでほしい、楽しいところに遊びに行かないでほしい、自分だけを見ててほしい。
恋愛の一番つらいところって、「違い」がやけに悲劇的な亀裂となって横たわるあの時期ですかね。
いったん別れた二人。
アルビーはライブ一緒に行った女と寝るけど、ベッドでいまいち盛り上がらない。
白けた真夜中のコールは、パニックになったアニーから。
「浴室にクモが出たから来て」アニーに呆れながらも駆けつけて、しゃかりきにクモ退治する。
アルビーのこの優しさとユーモアが、モテるゆえん・アニーが愛するゆえんですかね。
そんでヨリ戻すんだけど、奇跡みたいな幸福再来のあと、なぜ決まってもっとひどい展開になるんでしょうね。相手がホント嫌になる。アニーは歌手として誰かに認められるなんて思いもしなかったけど、LAのなんかすごい人(ポール・サイモン)に気に入られてしまい、運命が華やかに変化しつつある。
その気配を感じたアルビー、ついに「結婚しよう」と言い出す。
なぜ男はライバルが現われたときにしか「俺だけの存在ていてくれ」と表明しないんだろう。
今さら感に突っぱねるアニー。
苦手な飛行機で何千マイル飛んでこられたって、イコール愛ではないことをアニーはもう知っていた。
アルビーの好みの女とは違うアニー。
でもどの女といる時よりも「楽しかった」
それでよかったはずなのに、アニーを自分好みに寄せるために大学へ通わせる。
知性つけてこいってか??
賢い女が好みのはずなのに、なぜかいつもうまくいかなくなる。
でも「なぜ」じゃないのかも。
男のすること全部優しく笑顔で受け入れて、かつ賢いツッコミや丁々発止もできる女を、ウディ・アレンだけじゃなく男はみんな望むことなのかな。
俺色に染まってほしい。俺のコンロトール内に収まっててほしい?
映画見ててそこに苦しくなった。
この映画は、アルビーとアニーの交際がすんごい楽しく切なく描かれてるんですよね。
とりわけエビのシーン。
素で笑ってるふうのあのシーンを思い出すと、涙滲んでくる。
恋愛って本当に波があって、ものすごい幸福期もあるし。
だからこそ嫌悪期がつらすぎるというか、その繰り返し。
あとやっぱ二人のファッションが素敵ですね。
最後の最後のセリフで、20年前の私は少し泣いてしまった。
それでも付き合うのは、卵が欲しいからだろう?
今見てもぐっとくるセリフだけど、「卵?」と、しばし考えちゃいました。
でも20年前は考えなかったんですよ。
考えるな感じろでばーっと感動しちゃって。
今じゃ「どういう意味?」とネットで検索する。
昔は「わからないことすぐ検索」とかしない分の豊かさがあったはずで。
自分なりの解釈と想像を広げっぱなし。
わからないまま、映画の感動だけを胸に抱えてればよかった。一番たくさん見た映画監督はウディ・アレンなのです。
キネカ大森でウディ・アレン特集をやってたあのころでもありました。
でも「ギター弾きの恋」のあとはあんまり見てない。
「マッチポイント」もなんかピンとこなかったような。
「マンハッタン」といえばガーシュインのあの曲ですね。
「魅惑のアフロディーテ」がよかった!
「世界中がアイ・ラヴ・ユー」はサントラを買いました。
U-NEXTでも探してみようと思います。歌うアニーの幸福感にうっとり。
女の幸せとは、「わたし」という確立された場を持つことなのかもしれません。
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水谷千重子50周年記念2025
この間、「水谷千重子50周年記念公演」に行ってきました。
4度目の50周年、バカ言ってる ってやつですね。水谷千重子公演といえば、お芝居と歌謡ショーの2本立て。
去年までお芝居は時代劇でしたが、今年はなんとミュージカル。
CHICAGOならぬ「CAKUGO」!
(画像は水谷千重子HPより)
友近のネタ、ミス・フローレンスは去年末の検索ちゃんで見ましたが、千重子も見てたとのこと(?)
そんで友近に「千重子にもやらせてちょうだい」と拝借のお願いをして、脚本は二葉先生に依頼しての舞台化…という経緯ですが、この間のラジオで友近は、「いずれ西尾一男のようにミス・フローレンスも独立させたい」と言ってました。複雑!
西尾一男は今、「ピザを囲む会」とかもやってますもんね。高いんだこれが(行ったことはない)
お芝居はさすがミュージカルだけあって(今回お値段高かっただけあって)、華やかで見応えありました。
元和牛の川西賢志郎も重要な役で出てましたけど、あの人かっこいいんですね。
ミュージカルならではの大仰な演技もハマってたし、舞台全体がボケという中で、彼のツッコミが光ってた。その他、お芝居の感想を箇条書きにしてみます。
・YOUがめちゃくちゃきれいで可愛かった(歌声聞けたのも嬉しい)
・生駒ちゃんは前回もだけど相変わらず運動神経が良さそうで動きのキレがハンパない
・ガンバレルーヤのネタを初めて見たけど、さすが芸人!というキレで感動
・友近千重子のダンスもすごい上手だった
・城田優?と思ったイケメンは神里優希さん
・的場浩司の怖さに磨きがかかってた(スタイルがシュッとしてて素敵)
・バッファロー吾郎Aは相変わらず声が通る(おかげで大体の筋が理解できる)
・ラジオで「泣いた人もいた」と聴いて「まさか」と思ってたけど本当に涙がにじんだミス・フローレンスって、波乱万丈の人生を送った元ダンサーなんですよね。
検索ちゃんで見たときは、「過去の体験をかなり盛る婆さん」という感じでしたが、舞台ではその「盛ってる」疑惑に説得力を与えるような与えないような…「ムーンウォークはあたしが教えたんだよ」などなど。
生活笑百科時代の上沼恵美子西洋版なんじゃないかな。
それにしてもドラマチックな話でした。
友近ってほんっとに大仰なドラマが好きなんだなぁと思った。
それがまた私のドラマ願望も満たしてくれる。
かなりツボにはまるんですよね。
友近はよく「小学生のころからおもしろいと思うことが変わらない」と言ってるけど、私もそう。
というか、激しく同感する人・特に女性が大勢いるんじゃないのかな。
だけど、友近ほどは表現できなかった人がファンになって見に来てる。そんなとこだろうと思う。
むちゃくちゃおもしろいことを秘めた普通の顔した人たちの秘めた部分を友近が盛大に表現してくれてるように思う、だから託す!
安心して託せる人なんですよ。
ミス・フローレンスの何がおもしろいの?って一見思うんだけど、おもしろいじゃないですか。
一言じゃ言えないじゃないですか。
でも友近はおもしろいと確信して、やってしまう。
これまた大仰な写真(笑)確かに舞台上で知らされた真実はトンデモないものでした。
そして歌謡ショーがまた笑いました。
ババアになると笑い上戸・泣き上戸になるというけど、本当そうですね!
倉たけし(ロバート秋山)に泣くほど笑った。
どこで笑ったかって、まさとし先輩との絡み。
ありんくりん・ひがって、最近友近からよく聞くものの芸人としてはまったく知らなかった。
まさとしニーニーとしてYouTubeで見れるらしいですね。
まったく知らないもんだから、千重子に沖縄から呼ばれた上京感、そのイキった感じのどこからどこまでネタかわからず戸惑ったけど、全部ネタだと(そりゃそうか)
ニーニーのイキりがまた倉たけしを逆上させ・・笑いましたね。。
だけど2人がはけて千重子1人になっても笑えるんだからすごい。
千重子ってもう、ずーーっと噛まず・流れるようにトークするんですよね。
ラジオだと友近は「あれやあれ、言葉が出ぇへん」ってよく言ってるけど、千重子になるとそれが一切ない。
しかも笑える。やっぱとんでもない才能の人なんだなぁってつくづく思うけど、友近ってそれでも遠くに感じない。
あの絶妙な庶民感は随所に漂う「ダサ」のおかげなんじゃないか。
今回の千重子のお衣装は、いろんなお面や和のおもちゃがちりばめられたお着物。
どんな着物だよ!って思うけど、可愛いんですよね。
可愛いんだけど着たくはないかな…みたいな。
あと何より感心したのが、歌うときのノリのダサさ。
いぇい!みたいなブギのノリ感とか、エンディングの締めくくりでドラムに合わせてジャンプしたり、こぶしを軽くにぎったり。
これはロバート秋山もそうだった。
演歌歌手独特の表情が絶妙だった。なんかまぶしそうな男前顔とか、肩を入れて歌う感じとか。
おもしれぇーー!って釘付けになるんですよね。いるいる!って。
なんであの似せてる感じがこんな面白いんだろう。
オリジナル曲とかも全部ダサ調なんですよ。
とにかく今回はまさとし先輩とのデュエットですね。
まさとしニーニーは歌もうまいし三線で沖縄の曲もしんみり聴かせる人だけど、友近と歌ったIslandという沖縄男性デュオの「STAY WITH ME」という曲につかまれた・・
この旋律・歌詞といいドラマチックさといい、いかにも80年代!
友近がこの曲をチョイスしたそうだけど、やっぱ友近の好きなものって「あのころのドラマチックさ」がベースとしてあるんだなぁとよくわかる。
ユーミンが昔、ラジオのエンディングにしてたみたいだけど、この曲を参考にして「リフレインが叫んでる」ができたんじゃないのかなぁ、なんて。
私もあの感じ大好きなんですよ。
今、CMでも流れてる「Get Wild」にも通じるような、あの始まりの鍵盤の感じ…!前に宮迫が「春澪」として千重子の舞台に立ったとき、その歌唱の迫力に圧倒されたけど、まさとし先輩はそれを超えたと思った。
歌を聴いて人を好きになったことが、ない気がするのにあるような錯覚に陥ったんですよ。
というか好きになってしまう…と思ったですよ、ニーニーを。
そんな余韻を抱えて帰宅後、Wikipediaで調べたらニーニー(ひがさん)の誕生日が私と一緒だった…!
これ、中高生だったら好きになってましたね。
誕生日同じってことがなぜ「好き」の背中押しになるか意味不明だけど、そういうことありますよね? -
自己否定が止んで明日の楽しみ倍増
坂口恭平氏の「自己否定をやめるための100日間ドリル」を読み終えました。
自己否定が始まったら、それをノートに書いていちいち反論する。
坂口氏が提唱していたワークに取り組んでみたところ、2、3日目くらいで自己否定はぴたりとやみました。
「なんか静かだな」という感じ。
脳内というか体内というか。
最近見つけたカウンセラーという人のサイトもワークのヒントにし始めたから、効果が早かったのかな?1人で部屋にいるときの漠然とした焦燥感も消え、TVやラジオで「ぶふっ」と吹き出すことが増えた。
吹き出したあと、そんなにおもしろいわけじゃなかったと気づく。
でも体が反応する。
インナーチャイルドみたいなものが、むき出しになったんだろうか。
大人ってすぐジャッジの目線でものを見ますからね。
その大人部分は、それっぽく私を覆う孤独感だったのかも。
それが溶解したような感覚はあります。ワークしててわかったのは、私は自分を否定すること以上に「誰かを傷つけてるんじゃないか?」と感じることに参ってたんだと気づきました。
「無意識の自分の加害性」にやけに怯えてた。
心の中の刑事に、「罪を犯しただろう!認めろ」と責められ、そんな記憶もないのに「犯した気がする…」というマインドに変わっていく。
そして猛反省。「自分は罪人…」
そんな冤罪物語が脳内で繰り広げられていた。
なんて恐ろしいことでしょう。小5のころの、やってもない罪を担任に認めさせられたことがトラウマだったのかも。
男子の悪口を言ったメンバーに入れられ、最初は否定したのに信じてもらえず、「言ったかもしれません…」と結局謝った。
だんだんと、「実は言ったのかも」と感じるようになる。
あと家族の誰かが不機嫌だと「自分が原因かも?」と思い詰めたりして。
その証拠を自分の内側に探す。
本当は大人個人の問題なのに。
大人って怖いな〜。
純粋な心を簡単に不安に陥れる。そういう悔しさを閉じ込めて、「でも私も悪かった」とか思ってしまうと、同じような出来事が繰り返されるらしい。
そのときの悔しさや悲しさをとことん感じ切らないと、似たようなパターンは続いてしまうと。
私も何かにつけ「私も悪いとこあったし」って思おうとしてきましたよね。
でもみんなそうなんじゃないですかね。
自分の悔しさをいったん軽んじないと前に進めない、社会ってそういうもんだと思ってた。
だけど「自分を軽んじる」ってことは自分に対しての大きな罪であり、軽んじられた怒りは「感じ切る」ことをしないと昇華してくれないようで。
だからか〜と思いあたることはいくつもある。
同じような悲しみや悔しさの繰り返し。職場でもなんとなく話しかけられることが増えた気がする。
のんきさが外にも滲むようになったんだろうか。
一緒のチームになるとめまいがするほどムカついてた人にも、大した感情を抱かなくなった。
「ご自由にどうぞ」って感じ。
「その分、私も自由にやらせてもらいますわ」と心の中で宣言する。
だから話さない。
でも別に、前より険悪な空気じゃなくなった。
とはいえ、どうしても苦手!って人もいますよね。
その人は、私が「話さない」と決めるとそれが伝わってしまうのか、彼女の不安や痛みが押し寄せてくる感じ。これはワーク後も変わらない。
私が彼女に話しかけて彼女を安心させる、この一択しか許されない息苦しさは変わらずある。
私の何らかの投影かもだけど。坂口氏の自己否定日記は読むのわりとつらかったですね。
揺り戻しがすごい。
晴れやかな気分が綴られても、そのあとにドーンと落ち込むパターンが続くのが怖かった。
それが急に変わる。
数々の独白もあったけど、人間の問題はすべて「寂しさ」に集約されるのかもと思った。
寂しさから鬱になったり。
寂しさから不倫したり。
寂しさから人をいじめたり殺す人もいるのだろう。
私の転職熱が急に高まったりするのも寂しさゆえなんだろな。
「わかってくれない」
このどうしようもなさは、職場を変えても同じ結果をもたらすのだろう。私の場合ね。
自分が自分をわかってあげなくちゃなんない。
「わかってくれない」とか言いながら、どこかで「自分も悪い」と思ってるから、「100%肯定してあげる」って前提で心の叫びに耳を傾けなきゃなんない。
できそうでできないのは、積み上げてきた社会性が叫びをうまく隠蔽するから。
だから「自由!!!」と宣言することにしました。
「あたしの自由だろ」ってブチ切れてやれば、隠蔽野郎はシュッと消えますね(今んとこ)そんでまた嬉しいことに!!
明日からフジテレビ14:48〜「北の国から」ドラマ版が再放送されます。
いやぁ嬉しい。
地上波での再放送って30年ぶりとかじゃないの?
蟹座木星が私にもたらした福・第1弾と言える。<北の国からドラマ版のみどころ>
・子役2人(吉岡秀隆・中嶋朋子)がいかに素晴らしいか
・岩城滉一のかっこよさ
・いしだあゆみの美しさ
・田中邦衛の俊敏でたくましい時代
・竹下景子と原田美枝子と熊谷美由紀(松田美由紀)の美しさ
・地井さんと大滝秀治の頼もしさ
・宮本信子と伊丹十三出演の贅沢感あとはあとは…正吉くんやおじいさん、「拝啓恵子ちゃん」の恵子ちゃんとか。
キタキツネにルールルル…さだまさしの壮大なテーマソング。
「脚本 倉本聰」って映し出されたのを見ただけで泣くかもしんない(なぜ)(写真はとれたてフジテレビより)
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呪いからの脱却試み
最近、読んでる本。
「自己否定をやめるための100日間ドリル」
著者は坂口恭平さん。
坂口さんといえば長年の躁鬱状態を公表されていますね。
また、自身の電話番号を公開して死にたい人の話を聞く「いのっちの電話」の活動をされている。
私は12年くらい前に「TOKYO0円ハウス0円生活」や「独立国家のつくりかた」を読みました。
そのころ坂口さんも岡村ちゃんを聴いてることを知って、岡村ちゃんのライブで会ったこともある。「あ、坂口さん!」と声をかけてしまったけど、怯えた目だったことが思い返される。
まだあのころは「知る人ぞ知る」という存在だったのかな。
その後、ワタリウム美術館でのサイン会に行ったとき、私のことは覚えてないと思うけど、目も合わさず本を返されたことが少し悲しかった。
その後イベント終了の挨拶で、「おもしろいやつ、俺のとこに集まれ!」と呼びかけていて、集まったのは見た目からしてクリエイティビティあふれる人ばかりだった。
ライブの時とは違った華やかな坂口さん。
でもこの本読むと、坂口さんのギャップはわかる気がする。
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自己否定とは、自分をいじめる言葉を自分に浴びせ続けること。
他人に言わないようなひどいことを自分にかけ続ける。
「なぜあんたができると思うの?」
「夢ばかり見て」
「またバカやってる」ちょっと水谷千重子入っちゃったけど、私の場合は否定というより「呪い語」かも。
「その選択、絶対失敗するよ」
「将来不幸になるよ」
「お前だけ変だよ」
最後、ふかわみたいだけど心の中じゃ笑えない。
これらがバージョン違いで脳内めぐるととても苦しい。坂口さんは自己否定のゆえんを幼少期に見出した。
私もたぶん幼少期の家庭内。
年の離れたきょうだいが良かれと思って人生アドバイスをしてくれたことが一部呪いになっている。
しかも脳内でめぐるときの声は昔の友人だったりして。
何もかもうまくいってるような友人たちから見える私は、心配の種だったかもしれない。やめたほうがいいよ、あなたに合わないよ、うまくいく人なんて数%だよ。
こういう制限系の呪いも多い私だけど、自分が特徴的と思うのは、それでもやってみようと賭けてしまうところ。
なまじ行動力があるために、挑戦してこそ人生だ!みたいなテンションには一応持っていける。
転職も恋愛も何らかの応募も。
だけど50歳にしてこの挑戦マインドはさすがにおかしいと思った。
最近も転職に前のめりになり職務経歴書を書いたけど数日後、急に熱が冷めた。
坂口さんも著書で、躁状態の自己肯定感が高いときも「見えにくい自己否定」が行われていると書いてて、確かに能動性がやけに高まってるときって「もっと挑戦&努力で高みへ!」という危険ないざないにあおられてる気もする。そんで苦しいのは挑戦のあと。
賭けが実らなかったり、数年後に行き詰まりが発生したとして。
誰にでもうまくいかない時期はあるはずなのに、私はそれを「選択の失敗」と捉えてしまう。
これまで積み上げてきたこともオセロみたいにひっくり返されて全部黒。
やっぱり自分はバカだった、みんな警告してくれてたのに。
自分の選択、判断は誤り。
みんながまとも。自分がおかしい。
数日間、こんな自己否定。「みんなが」という価値判断にはどれだけ苦しめられたかと思う。
私は昔からなんか変なのかもしれず、それは平均より家族の年齢が高いゆえとは思う。
「幼稚園の遠足でサラミ持ってきてたよね?」って覚えてた子がいて、時を超えてひどく傷ついたこともあった。本人は意外と笑い話にできない。
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今の職場では、「みんなの常識」と「我慢」に打ちのめされることがある。
「しくじったかも」と、それがささやかな体感でも自己否定の嵐にさらされる。そりゃ私だってある程度の我慢はするけども。
「みんな」という横並びルールにどうも慣れることがない。
我慢できない人がいるから諸々の改善につながるのに、そんなボヤキもただの愚痴。
最近はフラワーレメディーを数滴ふくんで心を落ち着かせてます。「我慢を続けると、人にも我慢を強いるようになる」
何年も前だけど、これをある人に言われてから我慢はやめていこうと思った。
この国は我慢する人ばかり。そりゃいじめやモラハラは減らないでしょう。
でも我慢できなきゃ「変な人」になってしまうから、押し込めて頑張って、涙が止まらなくなったりする。
「あなたは変なんだよ(間違ってる)」
この呪いから脱却するには、「変じゃない!変じゃない!」という味方を心に登場させなくちゃならない。というわけで、自己否定をやめるワークを始めてみた。
私は「相手に何か不快なことをしたかもしれない」とも思いやすいので、「自分は攻撃的な人間じゃない・その証拠」をメモしてどんどん重ねていきたいです。
呪いをかけてくる亡霊にその証拠を突きつけるために…! -
映画「国宝」
「国宝」見てきました。
写真は映画.comより最近、Xのタイムラインにものすごく感想が上がってきてて。
「べらぼう」関連をフォローしてるからか、横浜流星情報が特にピックアップされる。
その感想だけでおなかいっぱい、見に行くことはないかな〜と思ってたんだけど。この間のEテレ「スイッチ」が吉沢亮×中村鴈治郎。
そしたらエピソード2だったんですね。
吉沢さんはエピソード1で特集されたらしい。再放送も見逃し。
少しだけ映った「国宝」のシーンがあまりにも美しかったので、見に行ってきたというわけで。
朝9時半の回なのに席埋まってました。あまりネタバレしないよう注意しつつ、以下について書きます。
・吉沢亮について
・横浜流星について
・田中泯について
・その他雑感・吉沢亮について
吉沢さんという人は、「いわゆる普通の」というドラマに当てはまりにくいんだと思う。たぶん、その魅力が枠に収まりきらない。
物語が吉沢さんの存在に追いつかない。
追いつくような物語が当てられてない。なかった。
だけどこの「国宝」
吉沢さんの才能・魅力・美しさが存分に発揮されていた。と感じた。
それがとにかく嬉しかったです。
まぁ〜美しかったですよ。
美しい人を見る楽しさって何なのでしょうね。また、吉沢さんは孤独が似合う。
どうしてあんなに悲しい目をするのだろう。
私が初めて吉沢さんを見たのはドラマ版「レ・ミゼラブル」(2019年)
ディーン・フジオカさんの青年期役。
収監されていたという孤独な役で、演技がすでに完成してた記憶。
朝ドラ「なつぞら」でも早逝してしまう儚げな役でしたね。そういえば吉沢さんのラブシーンって見たことないと思った。
「もっと見たいな」とか思っちゃって。
ただ、吉沢さん演じる喜久雄が、相手にどのくらい愛着があるかはわからなかった。
「わからない」という演技をしてたんだと思う。
喜久雄の心は誰もわからない。
「愛」ということもつくづく考えましたね。
ChatGPTは「性行為は窓のようなもの」と表現した。
何の相談したんだって話ですが、性行為をすると相手の内側が時に窓に映り込む、ということらしい。
愛情が映し出されたり、そうでもなさ度がわかってしまったり。
私は喜久雄と女性との関係を見て、そもそもこの世界は愛を過信しすぎてんじゃないかと思った。
とりわけ性行為の中に真実があるように思い、そこから生まれた命に意味を持たせる。
私は喜久雄を「なんて孤独な人だ…」とずっと見てたけど、天涯孤独ってわけじゃないんですよね。
喜久雄は何に愛を感じてたか、それはとても儚いものだった気がする。
「スイッチ」で鴈治郎さんは、「映画は記録として残るけど、歌舞伎はほとんど残らない」と言っていた。
歌舞伎は一瞬一瞬の芸に全力の魅力があり、「それを観に行った。観た」という感動は確かに他の芸術より抜きん出てるように感じる。
吉沢さんは「何も信じてない人」の目をしていた。
だからこそ芸の上達に邁進する。それが報われたり報われなかったり。
「孤独」の予感をいつもたたえたあの目がすごかったです。
目的を果たすために「歯牙にかけようか」と能動性を見せる喜久雄。
吉沢さんの目は「何か」を宿らせた時にすごく光るのです。・横浜流星について
Xでは「吉沢亮がすごいのはもちろんだけど、横浜流星あってこそ」「私は俊坊派」という書き込みをよく目にしました。
「べらぼう」関連で目につきやすかったのかも。
私は吉沢さんにやっぱり掴まれたんだけども、流星さん演じたお初はちょっと言葉にならない凄みを感じましたね。この物語のメインの時代は1980年代で、服装がそのころっぽいんですよね。
流星さんがチェックのシャツ着ると、いかにも80年・90年初期の準主役で、そうだ、流星さんってそもそもこういうタイプだったじゃないかと、なんかすんごい懐かしくなって。
演技確かで顔も綺麗なんだけど、準主役として脇にいる人。「ヤヌスの鏡」とか大映ドラマで、ハンサムなのに平凡なクラスメート、流星さんはそんな雰囲気だったですね(個人の感想です)
でもなんか、それが嬉しいというか。
たぶんだけど、主役を凌がないような配慮がされてたんじゃないか。
流星さん演じた俊介がなんかダサかったんですよね。
いっときやさぐれてたのに、かわいいカーディガン着てたりとか、なんかぶかぶかのスーツとか。
たぶん、そうまでしてモッタリさせないと、流星さんも相当キラキラしてるから。
血筋のいいお坊ちゃん役ですもんね。
不思議なんだけど、「血」の確かさを感じたんですよ。
それはカメラワークなのか、演技なのか、ストーリーの妙なのか。
「べらぼう」見てても思うけど、流星さんは人を油断させますね。
本人あんなかっちりしてそうなのに、演技の柔軟性がすごい。・田中泯について
人間国宝じゃない人が人間国宝を演じる、そういうふうに撮るってことの凄さが今も押し寄せてきます。
田中泯さん演じた小野川万菊は人間国宝。
歌舞伎の裏側って中村屋ファミリーとかの特番でたまに見るけど、若い子が挨拶に来て彼らを意味ありげに見つめるとか、そこまでの裏側って見れない世界で。
この映画の楽しさはそういう裏が見れることでもあるけど、田中泯さんのあの声とか動き方、表情などすべてが超リアルと感じた。
わかんないけど「いるいる!」と思った。
それで歌舞伎の何がすごいって、老人に近い男性が女形としてしなやかに踊ったりするところで、当然顔には皺が刻まれたり、人によっては大柄だったりするんだけど、芸がすべてを凌駕するんですよね。
明らかに老人でも「美」がそこにあることにただただ感動する、歌舞伎はそういう場所で、私も勘三郎さんや七之助さんなど中村屋の歌舞伎を何度か見に行ったけど、あの息を呑むような表現を田中泯さんが再現してるという。
よくぞ田中泯さんをキャスティングしてくれたと思う。あそこだけ本当の人間国宝や歌舞伎役者だってよかったはずなのに。・その他雑感
渡辺謙さんももちろんグッと来ました。
寺島しのぶ、永瀬正敏、宮澤エマ、あと青年期の2人!
黒川想矢くんはすごい役者にこれからなっていくんでしょうね。
映画「怪物」の子ですね。
杉村太蔵が出てるのかな?と思ったら三浦貴大さんでした。女性陣は見上愛、高畑充希、森七菜。
女の蚊帳の外感!!
わざとそう描いてるのか、そうとしか感じる余地のない物語なのか。
高畑さんは吉沢さんが帰ったあと泣いていたけど、ちょっとわかると思ってしまった。
幸せな時間を過ごしたはずなのに、なぜか泣けてくるようなこと。
たぶん心が響かないから。
相手の気持ちが届いてこない。
自分の気持ちが届いてない。
心はそういうことをよく知っている。
いっそ俊介の母・寺島さんのように、「息子を一流に育て上げる」という目的が持てれば幸福の度合いも強まるのだろうか。相当大変だろうけど。
あの世界では「女として幸福を感じる」なんてことは捨て去らなきゃいけないんじゃないか?とか思ってしまった。「母としての幸福」それしかない世界に見えて。
だから外部の喜久雄を家に迎え入れるとなったとき、寺島さんの顔に「嫌な予感」がよぎったのは怖かった。
そういう不安はどこかで暴発して、相手にぶつけることになる。喜久雄の人生の波。その体感は悲しさの連続。
吉沢さんの目がいい意味でトラウマになりそう。いい意味で…
私の隣におじさんが座ってて、奥さんと一緒に来てたっぽい65歳ぐらいかなというところ。
ラブシーンでおじさんが急に私のほうを見た。なんでだよ!
吐血シーンで「あっ!」と声を上げたり、「せりあがるのか」とか。
最後の方ですんごいソワソワしだして、長いから飽きちゃったのかもだけど、喜久雄のあでやかさに変な気持ちになったんじゃないでしょうね。
奥さんに「シッ!」とかやってほしかった。
涙をすぐ拭きたかったけどおじさんに見られたら嫌なので結構流しっぱなしにした。喜久雄に自分を重ねたいかも…と思うところはあった。
結局つながりなんだな…と寂しくなるところ。
つながりのある人は強い。なんだかんだつながりを選ぶ。
目の前の人がどれだけ孤独でも、「じゃあね」と所属先に戻っていくんだ。
そこに愛があろうとなかろうと、つながりこそが自分を守ってくれる場所とみんな知っている。
と、途中まで思ったけど、喜久雄にもつながりあるじゃんと思った。
でも喜久雄の心が選ばなかった。満たされなかったのだろう。
じゃあ何が喜久雄を満たしたのか。どうであれば報われるのか。
・・一緒に考えようとしちゃダメだね!疲れるから。
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女性2人のラジオトーク
田中みな実が自身のラジオ番組で、西野七瀬に肌手入れのダメ出しをしていたというネット記事に興味を抱き、「あったかタイム」を聴いてみた。
西野七瀬さん、結構好きです。
劇団☆新感線の舞台を見に行ったとき、身のこなしの器用さに惹かれたんですよね。
元乃木坂といえど女子女子してないし、結婚してからますます中性的になって、特に最近の狙ってるのか狙ってないのか微妙な髪型が可愛い。
感情があるんだかないんだか、微妙な受け答えもなぜか好感を抱く。
(写真はLmag.jpより) 田中みな実の「あったかタイム」は時々聴いてるけど、大体男性陣に褒められて嬉しそうにしてたり、もしくは男性を説教してるか、けなしている。
そのけなしが結構急角度なので、攻めるなぁ〜と感心したりもしますがね。
性格のキツさがそれなりにあらわになるので、みな実さんはそのほうが番組がおもしろくなるからと、プロデューサー目線みたいな気概とかきっとありそう。
美しい女性の鑑みたいな存在でありながら、自分の仕事環境を自分で快適にしていく能動的な勇ましさもラジオから放たれてました。女性ゲストって珍しいと思ったんですよね。
しかも西野七瀬。
2人は「グータンヌーボー」で共演してたんでしたっけ。
何回か見たことあるけど、西野さんの存在感ってどうだったのか記憶にない。ラジオでの西野さんは思った以上に「感情があるんだかないんだか」と感じる単調さだった。
みな実に圧倒されてたのかな…
ってか、あんま仲良さそうに感じない。
でも田中みな実さんってぎりぎり昭和気質な面倒見の良さはすごい感じますよね。
男性陣にもそのへんの情の厚さをいつも褒められている。西野さんとの間には確かに温度差を感じた。
もう世代が違うんだなという感じ。
みな実さんは現在37歳、西野さんは現在30歳。
年齢差からすると大したことないけど、みな実さんはちょっと昭和気質が強すぎる気がした。
それがネットで取り上げられちゃったんだろうな。
その美容の話。
朝起きて、ろくに保湿もしてない西野さんに「だめだよ〜」と。
「小学生なの?」というキツい一撃。
「シミになるよ」という脅し。
私の年齢でも、年上の女性からさんざんやられたアドバイスや脅しを、みな実さんはひととおり繰り出していた。
こえぇだろうなと思う。
めんどくさかっただろうとも思う。
でも男性ゲストに言うのと同じようなキツさだったので、よく言えば一貫してたのかな。みな実さんは女性とのやり取りがそもそも苦手な人なのかな。
アドバイスと説教が多い女性って私は疲れちゃうけど、こういうタイプって社内に3人はいるよな。性格はキツイんだけど、似たようなタイプで寄り集まってる美女軍団みたいな。
逆に西野さんの交友関係にこういうタイプはほとんどいなさそうということまで感じた。
わかんないけどね。
私は肌の手入れよりネギの話が気になった。
西野さんはネギが好きとのことで、話の内容からすると一般的な白ネギと思う。
青い部分も食べます、みたいな。
みな実さんは「九条ねぎみたいな青いのと白いネギとどっち好き?」と聞いて、西野さんは一瞬「??」となった。
だけど、みな実は食い下がる。ってかどっちが好き?って質問も女子女子してる。
西野さんは青いだけのネギを買って食べるとかがあまりないんだと思う。私もあんまない。
「青いのもおいしいよ〜」とか、ネギ大好きの西野さんに「ネギって口がくさくならない?」とか、ちょいちょいマウントしたがるのな。
自分ではそう思ってないだろうけど、相手にマウントと取られかねない発言ってすごく気を遣うと思うんですよね、人間関係を円滑にしようとするなら。保湿や肌の手入れをほとんどしてない西野さんへのダメ出しが続いた後、「夏の間は日焼け止め20、30本使う」とみな実が言ったところで、今度は西野さんが「エッ…」と引いた。
ここでちょっとみな実が慌てて(自分でも使いすぎと思ったのか)、「そうよ〜(女はそれくらいするものよ)」と繕ったところは可笑しかった。
「1本使い切ったことがない」と言った西野さんからは「とにかく自分は自然児の路線で」という堂々感がみなぎっていた(ように思えた)
ラジオのエンディングでみな実さんは「まさか先越されると思わなかったわよ(結婚)」とも言ってましたね。
ここまでくると天然記念物というか、ザ・昭和人間の称号を授与したくなりますよ。
先越されるって・・知らねーよ(と思っただろう七瀬さん)
「全然結婚する気ないみたいなこと言ってたのに」
「のに」!!
昭和世代が言う「のに」がどれほど怖いか、みな実さんはわかってないんだろうな。
やっぱりみな実さんは自分を立ててくれる男性ゲストとのほうがしっくり来ると感じましたね。昭和的な部分でモテる最強の女性が田中みな実ということなのだろう。
ヒヤヒヤしたもんな。
ドライで中性的な生活を楽しんでいる西野さんにいちいち「えー!」とかダメ出しする。
それがみな実さんなりのコミュニケーションであって、悪気がないのはわかるけど、相手が怖がっちゃうだろう。みな実も不器用なんかな(誰だよ)