舞台・映画・本等感想文
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演劇感想3件2023
・「笑の大学」
先日、WOWOWで見ました。
三谷幸喜氏の傑作2人芝居と言われているそうですね。
1998年以来上演されてこなかった伝説のこのお芝居が、なんと今年再演されたと。
(チケットぴあより)
初演は西村まさ彦さんと近藤芳正さん。
今回はそれぞれを内野聖陽さんと瀬戸康史さんが演じる。内野さんは最初、西村さんを思い起こさせるような目つきや声色、折り目正しさで、すごく西村さんっぽかったです。
瀬戸さんがまた「鎌倉殿」の時房アゲインという感じで、あのなんとも言えない弟感は本当に愛らしいですね。物語は戦争の足音が忍び寄る時代の話で、内野さん演じる検閲官の向坂(さきさか)は芝居の台本を片っ端から検閲して上演許可・不許可を判断する。
瀬戸さんが演じるのは劇団「笑の大学」の座付作家・椿。
「こんなものに上演許可は出せない!」と向坂が厳しい顔で突っぱねるところから物語は始まり、最初こそ気持ちが折れそうだった椿も、向坂の無茶な要求を受け入れつつおもしろい本を書いてやろうと奮起するごとに作品も磨きがかかり、向坂も椿の新しい台本を心待ちにする。
笑ったことなど一度もないという向坂は、人を笑わせることに純粋すぎる椿に心が動かされるものの、検閲官という自分の職務にも忠実な男・・・「感動」ということしかもう言えないですね。
すごくシンプルなこのストーリーが愛らしくてたまらない。
瀬戸さんがまた本当に愛らしい演技をされる。
内野さんも心がひん曲がった中年なのに愛らしい。
土星座!!と心で何度も叫んだ(瀬戸さん牡牛座、内野さん乙女座)
何もかもが確かすぎる。
瀬戸さんの「猿股失敬!」のギャグのキレ。
内野さんが「カラス」「武蔵」と言うだけで笑えてしまうこと。
演劇人のこういうとこ本当に尊敬します。
そして蟹座三谷さんの「人間大好き」というハートフルさが舞台を覆う。三谷さんの大河見てても、「ちゃんと適役を当ててる」という安心感がいつもあるけど、「鎌倉殿」での瀬戸さんトキューサ役は今でも時々思い返すほど。
尾上松也さんとのやり取り、あそこだけで胸がいっぱいになるんですよね。
内野さんは「真田丸」で家康役。
家康っていろんな人がいろんなふうに演じてるけど、内野さん家康を見てしまうと、今の大河とかどうなんだろ?と思っちゃう。
内野さんは狡猾な中年役が本当にうまい。それなのに愛らしさをにじませるとこがすごいですよ。
イケメンとかそういう設定じゃない瀬戸さんと内野さんの職人的な演技をTVでも見たいものです。・水谷千重子50周年記念公演「大江戸混戦物語ニンジャーゾーン」
なんでも3回目の50周年記念公演らしいです(バカ言ってる笑)
今回、御崎進(藤井隆)回に行ってきたんですよ!!
(明治座公式サイトより)千重子の公演にはこれまで2回行ってます。
(「キーポンシャイニング歌謡祭」「水谷千重子50周年記念公演」)明治座での公演といえば1幕目が千重子主演のお芝居、2幕目が千重子の歌謡ショー。
前回明治座に行ったときは「なんだかな」という感慨だけで笑えてきましたが、今回のニンジャーゾーンはもしかしたら前回より真面目要素が強かったかもです。
結構複雑で、なかなか頭を使いました。
座席が端っこだったので音声があんまりクリアじゃなかったことも、理解にエネルギーを使ったゆえんかも。また、これまで友近色をほとんど表に出さず千重子に徹していましたが、今回のオープニングはなんとハイヒール講談!福田和子エピソード!!
こんなに福田和子が好きな人見たことない(笑)私が見に行ったのはハリセンボンゲストの日ですが、あの2人はやっぱオーラがありますね。
春菜の声量や的確なツッコミはいつでも胸がすっとしますが、はるかも存在感ありますよ!
声量といえばバッファロー吾郎A。彼のおかげでストーリーを感じることができました。
YOUも色気あるし、的場浩司も相当かっこよかった。
山崎銀之丞もオーラありますね。あと生駒里奈ちゃんの運動神経に惚れ惚れしました。殺陣がすごい!そして第2部の千重子歌謡ショー。
やっぱり以前より真面目路線になった気がします。
歌い方などで曲を茶化すことがぐっと減ったような?そしてお待ちかねの御崎進登場!!
前にクドカンの舞台で藤井さんのお芝居を初めて見たのですが(「のんちゃんの舞台」)、倒れない?と思うほど全力で表現していて、汗がとにかくすごかったのを覚えてます。
今回もエネルギー全開でしたね〜。
「汗がすごい」と千重子にも心配されてた。
進は基本、お世話になった千重子に頭が上がらない尊敬モードなのに、なんの反動かちょいちょいマウント取るんですよね。
ただ千重子が人間できすぎてるので(笑)、「変な子」って思いながらも「進ちゃん」ってうまくなだめる → そこで「はっ!」と自分の非礼さに気づく汗だくの進 → タオルを渡す千重子 → 平身低頭の進 → デュエットへと気持ちを切り替える2人。
このバカバカしさに触れられるってなんて贅沢だろう…とうっとりするほどでした。しかも2人で歌ったのが「ピンクのモーツァルト」
御崎進が「ちぇこさんっぽい」とセレクト。
※ 進は舌が長い時代の名残で、「ちえこ」と発音できないそうです(その後舌を短くする手術をしたそう。なんだかな)藤井さんも歌がうまくてねぇ〜。
「す・い・しょ・ぉ・の…」という高い歌い出しにしびれました。
そうそう、藤井さんが登場してきたときに歌った曲がすごくかっこよかったんだけど、なんでも東京パフォーマンスドールの川村知砂って人の曲みたいです(シャドーダンサー)
知らねーってうっかり笑っちゃうけど、藤井さんがこのマイナー曲を知っていたという驚きというかマニアックさにもじわじわくる。なんたって杏里の「気ままにREFLECTION」ですよ。
藤井さんが強烈で。
この曲をさっき聞いてみましたが超涼やか。あのデュエットの濃厚さはなんだったんだろう笑進がはけたあとは再び千重子ショーで、明菜メドレーはもう嬉しかったですね。
「北ウイング」でまた声が伸びる伸びる。
そんでクライマックスが「タイタニック」と。
あの時はまさかタイタニック号が話題になるとは思わず、このシンクロにただ仰天です。
私の座席は花道の脇でしたが、千重子がその花道でセリーヌ・ディオンを歌っているというのに、千重子と倉たけし(ロバート秋山)主演の和製タイタニック上映に釘付けになっちゃいましたよね。友近はますます歌が上手くなったように思ったし、本当の夢・目的は、こんなふうに腹から美声を響かせることなんだろうなと思ったほどです。
ちなみに家に帰ってからもじわじわきたのは、千重子の「スコッチがお好きでしょ」という曲にそっくりなのを石川さゆりちゃんも出したり、色々千重子に寄せてきてさぁ…とかボヤいてたこと。
「あれ?まただ」と思ったそう。いや、「また」って…・大人計画「もうがまんできない」
こちらもWOWOWで見ました。
本公演の生配信。
コロナ禍中に無観客で演じたものの再演で、お笑い芸人役2人をはじめ配役に少し変更があります。
前作も映像で見たけど、今回のその2人が断然よかった…
そう、すごくよかったんですよ。
仲野太賀・永山絢斗。ちなみに前回は柄本佑・要潤。
クドカンといえばイケメンをバカっぽく描くことでなぜか魅力を引き出す演出をしますが、柄本さんと要さんはまだ相当イケメンが残ってた印象。
これがドラマならイケメン要素はもっと消えてたかもですが、舞台だとお二人のスタイルの良さ(身長と顔の小ささ・足の長さなど)が目立っちゃってた気がします。太賀さんと永山さんも相当イケてるはずなのに、見事に男前度が消えてましたよね。
特に永山さんですよ。クドカン作品でおなじみ。
「俺の家の話」とかでも「バカだなぁ〜」という愛らしさ100という感じで、ああいう俳優ってなかなかそうはいないですよね…
でも平岩紙さんとうっすら心が通じ合うとこではちゃんと男前度がよみがえるという(笑)主役は阿部サダヲ。
阿部さんはやっぱりクドカン脚本でこそ引き出される輝きがあるなぁとつくづく思いました。
宮藤さんも役者に当てて本を書いてるだろうから、というのもあると思う。
中井千聖さんとかかわいかった。「一瞬松たか子に見える、ときもある」とか言われてましたね。これも見終わったあとしばらく充実感に浸ってました。
そんで永山さんのことを書いておきたかった。PR -
インド映画「RRR」
話題の「RRR」を観てきました。
(BS12HPより)
知ってる人からすると「まだやってんだ!」という感じと思う。
去年の秋から上映が始まったんでしたっけ?
年をまたぐというのはロングランということで、もしかしたらぎりぎり2月いっぱいどこかしらで観れるんじゃないでしょうか。
少しでも迷ってるなら、観た方がいい!!映像も予告動画も、私は視覚的な情報を持たずに臨んだ。
RRRはすごい!という評判はうっすら耳に入ってたけど、背中が押されたのはふかわさんがSpotifyラジオで興奮を語ってたから。
そして、ちょうど友人も気にかかってたようで一緒に行ってきました。映画の余韻が3日は冷めやらず…でしたがそろそろ記憶が薄れかかってきた。
なので、感動とインパクトをシンプルに綴ってみます。・まず映画の始まりの音楽がすごい
日本やっぱかなわねぇと思った。
かっこよすぎるサウンドは民族性の違いなんだろうか。・最初は重い、が、しかし・・・
重さの部分は、歴史の説明パートに当たります。
そっかそっか、インドってイギリスの植民地だったっけね…と。
しかし風景が変わって、
そこから「え?え?えーーーー・・・」の連続。・このあと1分おきにツッコミたくなる衝動
いやいや…なんでだっつぅの…いやいやいや…えーー?
劇場は満員だったけど、笑い声はあまりなくて私も肩を揺らしながら声出しは我慢。
たぶんあれこれが衝撃すぎて、ここ笑っていいとこ??と、みんな戸惑ってたんじゃないだろか。・ラーマとビームの出会い(インド人って目がいいな!)
ビームは本名で、しばらく「アクタル」と名乗ってました。
私はこれがなかなか覚えられず、少しだけラーマとビームの顔の見分けに迷った。
この映画はこの2人のストーリーなんだ!とわかるシーンがありますが、とにかく目がよすぎますね。
視力ハンパないおかげで運命が結ばれた。
しかしハンパないのは視力だけじゃない。
体力・運動神経・精神力・生命力・・・・・愛にあふれすぎてる
ラーマの笑顔がなんて優しいんでしょう。
ビームのまなこはなんて愛くるしいんでしょう。
2人の視力もそうですが、単純に「目」に惹きつけられました。・インド映画といえばダンス
私は初インド映画ですが、めちゃ楽しい時間でした。
すげー長い時間踊ってましたね。あの体力も伏線と言えるでしょうか。・獣たち!!!!!
いやぁ〜笑った。
でもここ、人それぞれの感情があふれると思う。・グロさレベル
私は極度のグロ苦手者ですが、ぎりぎり耐えられるグロでした。
「パラサイト」や「ジョーカー」よりグロくないのでは?
(この2つの映画、私は目を閉じ続けたシーンがあった)
ただ、感情移入とか同化しようとするとつらくなるので(痛そうなシーンが多い)、とにかく2人の生命力を信じられれば大丈夫と思います。
映画館の音響的にはそこまでグロ音じゃなかったです。・女性が美しい
なんたってシータの美しさですが、ジェニーも素敵でした。
エンディングでシータが踊ってた姿には拝みたくなりました。・愛は運命をつなぐ
運命的なあれこれが盛りだくさんですが、「愛」ってやっぱあれだけの奇跡を起こすのかもしれないとマジで感じた。
・残酷さ
大英帝国の残酷さをこれでもかと描いてますね。
歴史に関心も湧きました。・感動しすぎていろんな疑問が募る
どうやってこんなの製作できたんだろう?
この2人は一体どういう役者だろう?
製作者の意図ってどんな感じだろう?ここってやっぱ笑わせようとしてんの?してないの?って、頭に「???」がずっと湧きつつも笑っちゃうシーンが多かったです。
いちいち聞きたい。ここ笑わせポイント?
それとも純粋に作ったらこうなった?・連続奇跡の中のリアルな細かさが嬉しい
私が好きだったのは、ビームがラーマを肩車し続けてたとき、「よいしょ」って最適ポジションに戻したとこ。いや、リュックじゃないんだから(笑)
あとホースから大量の水が噴出されるときの、蛇みたいに暴れるホースとか。
いちいち薬草をすりつぶす丁寧さとかも好きでしたね。「愛の不時着」もありえないことが盛りだくさんでしたが、「この人ならやってくれそう」と思える説得力が「RRR」にもありました。
観てるこっち側としてはただただ衝撃を受けまくってましたが、実は丁寧にストーリーが描かれてて、いつの間にかこちら側に納得感が積もってたんだと思う。
知らずに積もってた!という理解力は自分のものなのに、ギフトにすら思った。
丁寧さありがとう!とラージャマハリ監督に礼を言いたいです。・ラーマとビーム、あなたならどっち?
愚問かもだけど、私はやっぱラーマめちゃかっこいいと思った。
最後の方とか美しくてため息出ちゃいましたね。
ただ、あのラーマの魅力やパワーを引き出してるのは間違いなくビームなんですよ。
そう思うと、ビーム生まれてくれてありがとう、とすら思う。
ビームの上目遣いとか動揺の怯えが愛らしすぎます。
動揺するくせにめちゃ強いんですよ(笑)なんたって1分おきにツッコミたくなる映画だったので、興奮ポイントはもっとあったはずなのですが、やっぱり記憶は薄れていくもんです。
友達とは席が離れてて、タイムリーに笑い合えなかったのもちょっと残念。
でももし隣だったら、結構笑い声上げてたかも。
そしたらうるさい客だったかもしれない。
ってくらい、みんな笑うのをためらってたように感じたんですよね。
音楽がとにかくかっこいいので(歌詞がまた素晴らしい)、今から観れるなら映画館をお勧めします。
楽観的な国民性っていいなぁ、、と思ってインド旅行情報とか調べてみたら、「100%下痢する」という口コミを見たりしてすぐさまくじかれた。
・・とかなんとか薄っぺらい感想しか綴れませんが、とにかく楽しかった・愛を感じた、それに尽きます。 -
映画の話(キング・オブ・コメディほか)
U-NEXTで「キング・オブ・コメディ」を見ました。
(VOD劇場より)映画「JOKER」を観たなら「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」も観た方がいいと、あちこちで目にしました。
「JOKER」の主人公アーサーは、デ・ニーロが演じた2作品の男のオマージュとして描かれたのでしょうね。とてもよく似ている。
浮かばれない人生・自意識過剰さ・誰かに見出してもらいたい何か。
今ふうに言えば「承認欲求」をこじらせまくってて、なんとも大それた計画をしでかす。
でも昨今はこういう男が本当にひどい事件を起こして取り返しのつかないことになっている。
上映当時の1983年は、まだそんな男がユーモアに描かれる時代だったのか、それとも昔からこういうヤバさは社会に潜んでて、だからこそ生まれた作品なのか、どうなんでしょうね。映画はとにかくおもしろかったですよ!
デ・ニーロ!!U-NEXTのあらすじでは「常軌を逸した男を演じさせたら右に出る者はいないロバート・デ・ニーロの怪演」とのことですが、本当に常軌を逸してます。
ヤバさから目を離せなくなり、一瞬でデ・ニーロ中毒みたいになる。
しかもずっとヤバイ。「バカだなぁ」と笑っちゃう。
なのにデ・ニーロよりもっとヤバい人が登場する!
それはストーカー・マーシャ。デ・ニーロ演じるルパート・パプキンはコメディアンを夢見る34歳の男。独身で母親と暮らしてる。
自室で自分主役の妄想コメディショーを繰り広げるのが趣味。
ここは「JOKER」のアーサーとそっくり。なんならアーサーよりイカれてます。
部屋の壁に大観衆のポスターを貼り付けて、その前で日夜ショーを繰り広げてたり、憧れのコメディアン、ジェリー・ラングフォードの等身大パネルの横で上から目線にトークしてみたり。人気者のラングフォードがストーカー女に付きまとわれてるところをデ・ニーロがうまく救ったのが事の始まり。
憧れの有名コメディアンと言葉を交わすことができた!
「ファンです。僕もコメディアン志望です(もじもじ)」
それだけでよかったのに、「今度、自分のジョークを聞いてほしい。例えばランチ後とか」と踏み込んでしまったルパート。「OK!今度、事務所に電話して!」
社交辞令というのは私でもわかる。
ルパートは本気にすんだろうなというのもわかる。それがおもしろい。
そこから予想通りの図々しさを繰り出すルパートですが、しつこすぎてなんか泣けてくるんですよ。ランチも成立してないのにコメディアンとして認めてもらおうとか。でも嫌いになれない。
私だって勇気が暴走することあるかもしれない。そんで「OK!事務所に電話して!」なんて惚れたスターから言われてまんまと事務所に電話しかねない時代がどこかにあった気がする。でもみんなそういうとこあるでしょ?必死で押し込めるか、うっかり出ちゃったかの違いだけで。
「誰にでもある(けど絶対見たくない自分)」をずっと見せられてるような映画で、おもしろいんだけど悲しさやドキドキも募るのです。そんでマーシャですよ。
どれだけストーキングしてるのか知らんけど、「今日は彼、ずっと事務所内にいるわね」というのを知っている。
ルパートはそのへんまだ甘くて(笑)受付に「外出中です」と言われたらひとまず信じる。
「じゃあずっと待ちます」というウザさ全開だけど。(でもうまく追い返される)そのルパートとマーシャ。
「あんた、彼の付きまといやめたら?」と互いに思ってる。
鏡!自分の見たくない部分が権化として現れた。
付きまといじゃねーし!こいつなんなの!?と街なかで大げんかしてるとこすごかったです。
もしこの嫌悪感を「自分を見てるかのよう(映し鏡?)」と感じられれば、あんな愚かなことしなくてよかったのかもしれない。あろうことか2人は手を組んでしまった。どこからどこまでがルパートの妄想かわかりにくいところありますね。
ここも「JOKER」に似ています。
ルパートの妄想は、最初から最後まで「自分!自分!」だった。ラングフォードみたいになりたい!共演嬉しい!とかじゃなく、ラングフォードより上を行く妄想を何度も描く。
「なんのために?」と周りは思う。なぜここまで「自分」を示したがるのか。
それは、ルパートの一世一代のジョーク内に表れてるということでしょうかね。
汚いジョークを多数交えた。笑えないし悲しすぎ。
誰がそんな話を聞きたいと思うのか。今までどんな事務所にテープを送っても、この部分で眉をひそめられたはず。
でもあの夜、奇跡が起きた。
「ほらね(大成功っしょ?)」というドヤ顔がまたうまいんだ、デ・ニーロ!!
あの首の傾け、ムカつく〜けど自分も部屋で真似したりして…。「昔、自分の歌声を録音して…」という話を人から聞くことがあります。
私も録音したことがある。けど自分からは言わず、誰かの告白に「実は私も…」と後出ししたことしかない。恥ずかしい過去。自意識過剰すぎるから。
歳をとるごとに恥ずかしさも消えて告白しやすくなったとはいえ、「なんのために?」という疑問をまともにぶつけられるとやっぱへこみますね。
ぶつけんなよ!録音したことないなんて普通気取りかよ!って本当は言いたい。それは恥ずかしさ以上に輝かしさとも思ってる魂の怒り。
ルパートはその輝かしさに1ミリの羞恥心も抱いてないらしい。
「そういう図々しい性格」というよりも、自分のネガティブ面を見ないようにするあまりに肥大した物悲しさがなんか浮き上がってくるんですよね。マーシャも同じ。「愛してる」だけじゃ愛じゃないのに、愛ということにして自分自身を正当化している。そうじゃなきゃ多分生きてこれなかった。
信頼感も何もない。相手が不快に思ってることも気づけない。自分の愛。それは素晴らしいのだから今からあなたにあげます、それが通用すると思ってる。
愛を無理に成立させようともがく。色気の育ってない白い下着が悲しかった。青いまんまでやけくそになった時の暴力性って本当怖いです。最後の最後。
あれは妄想か現実か?という論争が今でもあるようですが、私は現実に思えた。嫌な余韻が強く残る。嫉妬も交じってるかも。こんな男が?と。
この複雑な嫌悪感は令和の今でも感じまくってますよ。こいつの何がおもしろいわけ?という目の前のフィーバーとか。「じゃあ見なきゃいいじゃん」と言われて幾年月。私もまた、自分を正当化できる何かをずっと求めてる。好きなタレントの意見に激しく共感したときの自分のドヤ顔とルパートの妄想は地続きかもしれない。
最初から最後まで、「おもしろい」という感情がずっしりくる、重石のような映画でした。この週末は邦画も2本見ました。最近のと10年くらい前のと。
「おもしろい」とちょっと言えないのでタイトルは伏せます。
邦画をつまらないと感じちゃうゆえんは「長さ」がひとつあると思う。
今だいたい134分くらいですよね。108分とかで100分切ってもいいよ。
「キング・オブ・コメディ」は108分。
ワクワクしながら見てたのに「長い」と感じた退屈さが後に残ってしまう。特に最近の作品はミュージックビデオみたいなところがやたら長い。このおしゃれ風なところ何分もいる?みたいな。なんて偉そうに言っちゃいますがね。
そりゃ全作品は見ていない。
でも「2時間10分も満足できるかな?」という警戒心を抱いて何年経つだろう。
なんか全然残らなかった…という2時間超をどんだけ繰り返してきたことか。
その疲労感は私だけじゃないはず。映画離れが言われて久しいけど、「観てもらうために」というあたりの何かが、邦画と洋画で価値観ずいぶん違うように思います。
長いからつまらないと感じるのか、そもそも心をつかむ握力が弱いのが邦画なのか。個人的な肌感覚としては「鉄道員」あたりから何かが変わった気がする。海外の名作は「つかみ」がまた絶妙で、「つかまれた!」というのは胃袋に重石がのっかったような身動きの取れなさ。それが邦画には圧倒的に欠けてる…と思っちゃう。
嘔吐シーンも相変わらず多い邦画。エンディングのおしゃれ感に女性の裸、乳首。誰がそんなに待ち望む?「これ入れときゃ名作っぽい」のムードが20年くらい変わってない。
それに制作側は「この名優間違いない」と思うのかもしれないけど、観る側として「この人出てると大体おもしろくない」と嗅ぎ分けてしまう。
その役者の名前をわざわざ書いたりはしない。それはできないと思うほどの大俳優。いい人そうな。でも大体おもしろくない。大体正義感強い役。涙映画。それで130分とか146分とか。
アクションシーンとか鬼気迫る演技とかで「すごい」と言われる役者は多い。でもすごい=おもしろい作品とはまたちょっと違うんじゃないですかね。この時代、せいぜい80分とか110分に収めてほしい。それにどんなに興味ある役者が出てたって、やっぱストーリーじゃないですかね。
そして原作ものの映像化。
文学だからこそ成立してた世界観が、映像化された途端にただのゲス男みたいになるのもつらい。
平成以降の邦画に共通するふわっと感、相変わらず「役者頼み」なとこがあり、なぜこんなにふわっとし続けるのかといえば、それは社会問題が扱われないからじゃないのかな。
人の心の重石になるものといえば、「痛いほどの心当たり」と「目をそらしたいような社会問題」あと「異常なセンス」と私は思う。
80年代の森田芳光監督とか大林宣彦監督、角川映画、伊丹十三や北野武、松田優作主演作品はこの異常なセンス満載だった記憶です。異常な主役、奇怪な展開とかですね。
「男はつらいよ」はほとんどが100分台。つかみは最高だしユーモアと社会問題が感じられる。寅さんという男が社会問題背負ってるんだけど…ああいう映画はもう生まれないですかね…週末2本観たうちの1本は社会問題満載でした。
役者の演技はすごかったけど、退屈してしまった。
社会問題=重い。そりゃそうなんだけど、それをユーモラスに描くのも邦画の苦手分野なんでしょうね。
134分ずっと重いというのは耐えられない。
韓国映画・ドラマに惹きつけられるのは、貧困や差別などの重すぎるテーマを描きつつかなり笑えるから。
「万引き家族」は今思うと韓流っぽいかも。深刻すぎるけど図々しいほどのユーモアもありましたね。そんで「あなたはどう思う?」という問いかけを強烈な余韻として残すという。忘れられない映画です。「最近みんな映画館に足運んでくれないっすよね〜」という制作側の声にもモヤモヤ。
まるで映画を見ないこっちのこらえ性がないような、節約世代みたいな。ネトフリに奪われた、みたいな。
配信のよさは、途中で停止できることでもあるんじゃないですかね。倍速する気持ちも最近わかってきた。「ドライブ・マイ・カー」はどうだろう?観たいけど178分。長い!!
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映画「SNSー少女たちの10日間ー」
(映画HPより)
U-NEXTに入ってたので観ました。
12歳に見える女性をいわばおとりとして、チャットルームで男たちからどのような誘いが来るかのドキュメンタリー的記録。
いや、おぞましい映画でしたよ…ホラー?ってくらい。
まずモザイクが不気味。
どんなモザイクかけても一本の棒が向こうにある。
男の顔へのモザイクが芸術的に不気味!!
よからぬ企みを宿す男の目ってあんなにキモいのですね。口調は優しげな男。でも卑猥。
「怖くないよ・脱いでごらん」(オエっ!)
支配的で卑怯な男。
「脱げ。いいから脱げ。写真を送れ。ばら撒くぞ」(殺意)
落ち着かない男。
「テーブルの下で手を動かしてるの?」「えへへ…そうだよ」(ボエーっ!)
落ち着かない老人。
「右手が何か動いてるけど?」「金属を…磨いてるのさ」(スタッフ一同爆笑)精神科医などメンタルのプロも待機しながらの撮影でしたが、12歳の少女に卑猥さをぶつける男のほとんどは小児性愛症の特徴には当てはまらないという。
ということはいわゆる普通の男。
中には少年少女のキャンプを企画している男もいた。
何が怖いって、「これまでも12歳と交際してきた」と言う50代くらいの男。
「家に居づらいなら僕と暮らそう」と誘って彼女は遠い外国から家出してきたという。
2人の間には誰にもわからない「本気」があるんだと男は言う。
家出してきた少女もいっとき本気の関係と思ったかもしれない。
歳を重ねた男は「本気」の言葉をたやすく紡ぐ。
だけど大目的は「性」であることは透けて見えるじゃないですか。
少女たちだってその魂胆がわかるのに、「言葉」にからめとられて動くことができない。
何を言っても決めても男たちからの上から目線で「甘いな〜」とか言われたりして、少女の勝気さに火がつきかねない。「男ってやっぱみんな…」と絶望しかけたとき、少女と一人の男性との出会いがあった。
その感動の余韻でいつまでも泣いてしまいました。
顔つきからして違う。
私たちはきっと正しく判断できるはず!と思えてきた希望。
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のんちゃんの舞台
先日、宮藤官九郎作・演出の大パルコ人シリーズ「愛が世界を救います(ただし屁が出ます)」の舞台を観に行きました。
(写真は愛が世界を救いますHPより)
主役はのんちゃんと村上虹郎さん。
のんちゃん×クドカンのタッグは「あまちゃん」以来ということで話題になりました。なんとなんと、座席が最前列!
目の前にのんちゃんが立ったとき、こんな幸運なことあっていいのか!と思った。
可愛かった〜!!!
のんちゃんの輝きをこんな近くで見てるという事態に、「今年の幸運納めかも…」とさすがに思ってしまった。
私の恋はもう尻すぼみかもしれない…(そんな兆候がなくもない)のんちゃんは鳩のフンまみれのピンクTシャツ着てギターを弾く子。その指がめちゃ細くてねぇ…
肌が白っ。ほほにうっすらえくぼみたいなへこみ。
毛量が少ないのは梳いてるから…かな?(キモい目線)幸せそうに歌って笑うのんちゃんはやっぱスターでしたよ。キラキラしてた。
「福!」というエネルギーがこちらにダイレクトに突き刺さってくる。
だから幸運使い果たしたというより、むしろチャージされたんだと信じる。
虹郎くんと恋に落ちる役ですが、のんちゃんを意識した途端屁が出なくなった虹郎に、「あたしの前でも屁を出せ!」と怒りながら迫ったりする。
…なんでだって話ですが、屁が出る=超能力が使えるということで、その能力で人類を救うんだよ!っていう、そういうシーンでした。みんなみんな笑えたなぁ…
出演者全員のエネルギーに大感動!!
(敬称略)◎のんちゃん…のんちゃんとクドカンの相性ってやっぱいいなぁと思う。
のんちゃんは終始ガニ股でちょっとおバカで色気の出し方がヘンな子。それがこんなにキュートってのはもう、のんちゃんがとにかく全力だったからと思う。変顔も全力。
のんちゃんもまた超能力使える子。そのときの脳内の声がとにかく笑えました…!!思い出しても笑っちゃう。でんでんさんとのんちゃんとの相性もいい!
学ラン姿めちゃ可愛かった…◎村上虹郎…どう動いてもやっぱキマってますね。
屁が止まらなくても股開いてても見惚れちゃう!かっこいい!
そんで歌上手いんですね。当たり前といえば当たり前か。その声についUAの要素を感じようとしちゃう。
NONへの恋愛感情に気付いたとき、なんかすごいドキドキした。
汚い服からきれいなシャツに変わったとき妙に嬉しかった。似合ってたから!◎藤井隆…いやもう最高でした!!
すべての仕草・すべてのセリフに笑えるし、滑舌すんごい意識してる気がしました。
藤井さんがまた全力で、みんなみんな全力としても、藤井さんは200%出してると感じた。ずーっと。その張り詰めた感じに胸を打たれましたよ…役名は大江三千里!冴木のぞむって役名も合ってた!(優しさの裏の神経質さと熱さがなぜか谷原章介さんっぽかった)◎伊勢志摩…元タカラジェンヌの役(笑)歌うわよ(笑)
すべてに(笑)をつけたくなる伊勢さんは、顔がちっちゃくてお綺麗でしたよ。何をやっても昭和っぽく演じてくれてた…んですよね?伊勢さんのフレディ・マーキュリーも見れた感動。メイクや髪型がもう見てるだけで笑えます。学ランのんちゃんに振り回される若き三千里役のとき、いちいち「えっっ??」って振り回される動揺がウケました。◎少路勇介…やっぱ少路さん好きだなぁと思った。
いつも暴力的な男の役だけど、今回は子どもの役。でもサックスも吹いたりする。動きにキレがあるとこが本当好きです。「この人、すんごいうまい。この人のおかげで舞台がシャキッとするよね」って役者がどの舞台にもいたりしますが、少路さんってそういう人。色気ダダ漏れ(私にとっては)。◎荒川良々…荒川さん大活躍でしたね!三宅さんの妻役のときの色気もすごかった。
レコード屋のおじいちゃん役、よぼよぼなのにかっこよかったなぁ。九州弁にも惚れ惚れ。器用なんだなぁと思いました。が、実際はすんごい努力してこういうの完成させてくる人でしょうね…という気もします。◎三宅弘城…三宅さんって体操のお兄さんやってたんでしたっけ?その身体性をたっぷり拝めました。
結構な悪役だったけど、全然悪役に見えない(笑)認知症疑いかけられてたとき、すんごい切なくなっちゃったほど。でんでんの声に惑わされてるときいちいちウケてました。◎YOUNG DAIS…ラッパーの方なんですね。初めてお見かけしました。警官役がかっこいい。
この人、あちこちで引っ張りだこになりそう…と思ったら、すでにいろんな映画に出られてるようですね。
この舞台ではどれもマイルドで温厚さあふれたような役でした。◎よーかいくん…この方も初めて知りました。大人計画の舞台で関西弁というのが新鮮だった!
ウーバーイーツを運ぶロボットという役。ベース弾いてた姿がかっこよかったです。◎宮藤官九郎…クドカンって人は胸板が薄くてねぇ…細い。しかしそれがまた色気でした。
ギター弾いてる姿かっこよかった!また、下ネタ繰り出さないと死んじゃうんでしょうね…ってくらい自ら体張っていろいろ繰り出してたけど、セリフとか歌詞やネーミング、クドカンが考えてんですもんね。大江三千里の長すぎるタイトルの曲とか(笑)
80・90年代をこよなく愛してんだなというのが伝わって、それがなんか嬉しかったし、とにかくすんごいウケました。クドカンはのんちゃんのおじいちゃん役ってのがいいんだよなぁ。
後ろにいるのがレコード屋のじじい荒川さん。

あと映像だけの特別豪華ゲストが何人か出てましたね。
清水ミチコさんとか。お腹抱えた…!パンフレットでクドカンは、「超能力を信じてない」と書いてあったけど、なんか作品と世の中がリンクしちゃうんですよね。超能力あると思いますよ。
今回なら「ホームレスの命」とか。あの件より前に仕上がってたのに、誰もがハッとしたと思う。
大体ホームレスが主役ですからね。
藤井隆さんは「チケット代高くてすみません」ってパンフレットで謝ってた(笑)いい人すぎる。低姿勢。
いやいや、これだけ豪華な人たちの豪華なお芝居ですからね。
しかも楽器まで演奏してくれて。
ボーカロイドのんちゃんがまた可愛かったのです!
Perfumeっぽいけど、なんかガニ股?みたいなハズしとか。クドカンの妻・八反田さんの振り付けはいつもおしゃれだなぁと思う。ガニ股も振り付け?のんちゃんはとにかく全力。「自分を可愛く見せるために」という演じ方じゃないのはわかる。それに胸打たれた。胸打たれてばっかりなんだけど、お芝居とかスターの何が楽しいって、その全力度合いをダイレクトに受け取ることですかね。

舞台始まる前、クドカンはあちこちのラジオ番組に出てて私はだいたい聴いてたけど、藤井さんの役のことを「すんごい悪い役」と言っていた。
実際に舞台を見ると、しばらくは「どこが?」というくらいだったけど、見てるうちに、とんだ優生思想野郎だとわかる。
でもたぶん、あえて「すんごい悪い」と頭につけないと、「悪い思想かね?」って思う人がいるんだと思う。今の世の中特に。しかも藤井さんが優しげな人柄滲ませちゃってるから。
だからたぶん、「すんごいすんごい悪い役の藤井さん」と何度も言ってたんじゃないだろうか。
悪役の主張というのはドキッとする。
それは作家の思想の真逆ということだとしても、そう受け取らない人がいる危険性は常にある。
クドカンはそのことに細心の注意を払ったんじゃないかな。 -
「花束みたいな恋をした」
U-NEXTに早速入ってきたので見てみました。
「コントが始まる」「大豆田とわ子と三人の元夫」が掛け合わさったみたいな配役ですね。
この映画について肯定的なことはあまり言えない。
途中で「無理かも…」と何度か見るのをやめかけました。
でも、わりと早い段階で2人の間に切なさが漂い始める。
幸せの絶頂の中の切なさ。
恋愛物語で何がおもしろいって、やっぱり「下り坂」ですよね…。
(ネタバレあります)
「カルチャーでわかり合う2人」の描写に好みがあると聞くけれど、私は「カルチャーいらなくない?」と思ってしまった。
それじゃ意味ないかな。
恋愛部分だけで十分濃いと思うのに。
菅田さんがこだわり強い役というのはハマる感じはあるけれど、有村さんとマイナーカルチャーってどうも合わないような?
でも有村さんといえばやっぱ「恋の切なさ」ですね。
幸せの絶頂から下り坂、あきらめへと向かう有村さんの表情には確かに引き込まれました。最初の押井監督のところで結構引きましたよ。
あそこ感じ悪いと思う。
花束の2人は、自分の周囲の言動をいちいちダサ判定してるんじゃないかと気が気じゃなかった。
また2人の周りの人が結構雑というか下品というか。
でも「わかる!」という部分もある。
言いたいこと・ツッコミどころもたくさんあります。菅田将暉さんに業界はなんでも負わせすぎと思う。
イラストレーターを目指す菅田さんはとても「っぽかった」けど、営業マンとして理不尽さの中で日々を生きる(そして結婚しようと持ちかける)男の役は、どうなんだろう…と思ってしまった。
私は菅田将暉という人は学生時代から「普通」でありたくないと思ってたんじゃないかと感じる。
役者はみんなそうだとしても、菅田さんから特にそれを感じるのです。
ぶっ飛び路線でも、あえてのダサい髪型でも、若い頃から成功しまくってきた自信や自負が隠しきれてない。
2人が結ばれるシーン。カルチャーどっぷりでまだ「男」が中途半端にしか芽生えてないような21歳の麦にしては超色気すぎと思った。
イケてる菅田さんが出ちゃってたよ。
有村さんは普通っ子役がすごいうまいと思う。
でも自分のことまぁまぁ可愛いと思ってる普通の子。
そのあたりが一番モテるとわかってる女子のあざとさがうまい。
水瓶座にしてはとても普通なのです。
「渋谷パルコ」というワードがどうも有村さんにハマらない。
だから、過去の有村さんは「私ってたぶんこの先もこの路線だろう…」って一度ガクッとなったことあったんじゃないかと感じる普通さがある。
でも少し大人っぽい衣装だとぐっと美女の潜在性あふれさすから、「ダメな子(失敗続きの)」という役だとちょっと嫌味なんですよね。
やっぱり自分の潜在性を誰よりも「知ってたよ」という程度には成功体験を重ねる女子ですよ。
この映画が菅田さんと小松菜奈さん主演だったらおそらく「勝手にやってろ」で終わってたと思う。
でも有村さんなのですよ。メジャー級の有村さん。
それでいてガッキーでも綾瀬はるかさんでも成立しない何かが、確かに有村さんにはあると感じる。
女は自分のことを、ちょっと高く見積もった誰かと重ね合わせたいんですよ。
有村さんにはその絶妙さがある。
でも時々「あたしもっと女としての奥行きあるんですわ」と突き放されるような孤高さもあるよね…。
実際の有村さんは、カルチャーで世界を狭めるなんて愚かなことはしないと思う。
そんなことしたらモテが逃げるから。
なぜそういうカルチャー女子が生まれるかというと、恋愛をくだらないと見なす一部分があるから。
「自分」がまっすぐ評価されない恋愛市場はなんてくだらないんだと。
松岡茉優さんがそういう役すごいうまい。
有村さんはそんな回りくどくトンがったことしなくてもモテてしまう人という感じ。
でも女性ブロガーの言葉がつきまとうモノローグにはぐっときました。有村さん演じる絹が菅田さん演じる麦と別れを決意したのも、オダジョーから「女」として見つめられて、近いうち誘われるという勝算があったからと思う。
誰が3ヶ月もセックスレスの彼氏と流れで結婚しようと思うのか。
おそらくあのころの絹ちゃんは、麦から見てもこれまでと違う輝きを放ってたのだと思う。
「別の男の気配」という輝き。
「好きなこと仕事にできたからね」と、絹は余裕でかわすけど。 そうすると男は独占に走る。
結婚という独占。
恋愛感情や交わしたい言葉もとうにないのに、「結婚」をぶら下げれば女は喜んで飛びつくんだろ?と思う男になってしまったのかよ、麦。
私はファミレスで麦が「子ども2人くらい産んでさ…4人で手をつないで多摩川の土手歩こうよ」と言ったときゾッとした。
絹ちゃんもあそこ、すごいクールだった。
仕事ってそんなに男を平坦に変える? 子ども産むのは女なんだけどね。
2人分のブランクは何年で済むだろう。
男はなぜワンボックスカーCMのような円満な一枚を切り取るのか。
母親があの明るさに至るまでには心理的負担に不安、体力とかメンタルとか抜け毛、社会的ポジションの焦り、いろいろ乗り越えてのキャンピングスマイルと思うよ。
あんなに絹を気遣ってきた麦のセリフとは思えなかった。しかし、もし2人がとってもうまくいったまま30代を迎えたとして。
それはそれでトンがったカルチャー夫婦になってたと思う。
世間のダサに超敏感なのに、自分たちは町のパン屋でビニールに包まれた焼きそばパンを愛する。 メゾンカイザーじゃないとこに幸せを見出す自分たち。
わかるけどもね。
でもイケてるカップルがただでさえイケてるのに素朴の領域までやってきて息を吹きかければ何でも世界観作っちゃうとか、つらすぎるわけです。
「モテキ」も幸世やいつかちゃんが惨めの極みを体感するから成立するトンがったあれこれ。
長澤まさみと結ばれる映画版の幸世が感じ悪かったのは、「イケてる」に手が届いてしまったから。
しかし、こうも共通点あるかね?というくらいカルチャーの何もかも相性ぴったりの2人でした。
そこでホロスコープを出してみる。
内側が有村さん、外側が菅田さん。
双子??ってくらい星が同じとこで重なり合ってる2人でした。
というのも、2人は生年月日が8日違い。
月と太陽以外は同じ。
一目惚れレベルで引き合う役が巡ってくるわけです。有村さんはやはり月ー冥王星合だからか、ドラマチックな役の方が輝くと思う。
幸せ絶好調時代と、夢破れるどん底時代。両方描かれるような。
金星ー火星スクエアなので、恋愛がうまくいかない描写でまた魅力が放たれますよね。
涙の演技がいつもとてもリアル。こっちまで本当に悲しくなる。
「あまちゃん」でも辛酸なめる時代が続きました。
菅田さんとのラブラブシーンとか、同棲生活でのTシャツチェックパンツルックとか可愛らしかったな。
でも気は強いはず。
ゴキゲンなときは余裕でうっとりなのに、「は?何言ってんの?」って相手の言質取るときも余裕。
つまりいつでも余裕。
優位に立てる女でした。
ラブラブ期が過ぎて、あと必死で愛を絞り出すような忍耐ポーズも余裕。
菅田さんはご飯を作ってあげたり、アイスコーヒー入れてあげたり、「ゲーム、音出してやっていいよ」と譲ってあげたりとにかく優しい。
しかしこういう男が怖いのは、いつか必ず「してあげてる」が漏れ出すところ。
麦:じゃあ、いいよ、行こうか
絹:じゃあって何?…ここんとこ、”じゃあ”が続いてるよ…
坂元裕二さんは何を描きたかったのだろう。
恋愛の素晴らしさを存分に描いておいて、下り坂の道のりがどんなに恐ろしいかってことのほうを描きたかったのかな。
そして結婚の平坦さ。
私はこの歳になって、平坦結構じゃないかと思う。
自分のこだわりが愛しい人と共有できるなら、確かにそんな幸せなことはないけども、それは20代のほんのいっときだけの気がする。
「社会」という大きなものの前で、やがて自分の色を決めなければならない。
麦は絹に、「俺が一生懸命働いて稼ぐから、だから家にいて」と言った。
トンがってたい絹からすると、さぞ最低なセリフと思う。しかし並みの女ならもう少し感動すると思う。
絹ちゃんはまだまだ「女」として勝負したかったと思うよ。
恋愛における女というだけじゃなく、何かに「選ばれる」「手を伸ばす」ということに好戦的でありたかった。
26だもの。
「勝つ」というダイレクトな方向を目指さなくても「勝てる」、というなんらかの手段・道のりに自信がある女性。
その種の人が一番、女として最強と思う。
いや、坂元さんはそう描きたかったわけじゃないか。
個人的な感慨をもう一つ言うと、この2人、猫そんな好きじゃないよね、と思った。
猫の描かれ方が雑!
別れる時にじゃんけんで親権を決めて、やったー!負けたー!とか、あっさり。
いやいや。時々猫の目線が出てきたけど、常に涙目だったのは気のせい?
私はそのうち猫が病気になって、それに気づけなかった2人の後悔…という描写が出てくるんだと思った。
いっそそういう危機が訪れた方が結束はより深まったのかもしれない。
うるさい感想ばかりですが、語りたくなる映画なのです。
恋愛進展させるのがすんごい怖くなりますね。
麦と絹は、どうであったらもっと交際が続いてたんだろう?
でも続くことがいいこととも限らない。 20代だもの。
30代だって、一番変化の大きいとき。
悲しいけど、結婚は冷凍庫ではない。冷凍したって劣化する。
「恋愛は生ものだからね」これ言った人いたね!
あの2人は恋愛をたっぷり味わった。それでいいのでしょうね。
絹はこのあとも「で、私に何してくれる?(私もその分与えられるよ)」という余裕ポーズが崩されない人と恋愛して結婚するんだと思う。
麦は今度は、こだわりも何もなくむしろ真っ白な人にいろいろレクチャーする喜びを得るのかな。
そんで「平坦が一番」と思った矢先にまた2人再会する、もしくはそれぞれの面影宿した人と不倫するんじゃないかな。
これからのカップルってそれでもいいんじゃないでしょうかね。
人は適度に平坦で、適度に燃える人生を望み続ける。
坂元さんそれを言いたかったのかな。
思えば「東京ラブストーリー」にしても、うまくいかなかったカップルの物語をなんとも切なく見せてくれる坂元さんですね。
「でも私たちはこれでよかった」という少しの未練を見せつつ最後笑顔…というドラマも多い。
綺麗事のないカップルの宿命が映画化されたというのは、やっぱりすごいことと思えてきた。
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「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」
大島渚監督の作品をいずれ観ないと・観たい…と、この2作品をU-NEXTのマイリストに入れておいたものの、なかなか再生の勇気が出ませんでした。
今、修復版が再上映されてるようですね。
今ならこのムーブメントに乗っかれるかも…!と、U-NEXTでついに観てみました。まず「愛のコリーダ」(1976年)

(新宿武蔵野館より)「阿部定事件」が何なのか知ってる人は、誰しもが頭の中に鮮やかな鮮血と、その中にいる男女を思い浮かべるんじゃないでしょうかね。
でもそれは、「愛のコリーダ」という作品による世代的イメージなのかもしれません。
映画を見てなくても、40年近く生きていれば大島監督による「赤」のイメージが刷り込まれてるはず。阿部定事件が描かれた映画です。とにかく赤色が美しかった。
そしてとにかく絡んでますね。絡みまくってる。
この映画がなぜセンセーションを巻き起こしたかといえば、「本番」だからでしょうね。
いろんな感想が渦巻きます。
私はいまや「時代」にこんなにも敏感になってしまって、当時の演者にいろんな思いを馳せざるを得ません。
道徳観みたいな感想を無粋と切り捨てるなら、切り捨てようとする人に私は鋭い目を向ける。…向けといて、自分だけが感じたうまみみたいなものをひっそり味わい尽くすのです。大島監督の作品はどれもこんな背徳感を抱かせられるのだろうか?それを知りたくて、「戦メリ」も観たともいえます。だけど割と呆れましたね。
藤竜也さん演じる吉さんと、松田英子さん演じる定が同じ宿屋で朝から晩までまぐわってるのですが、そこの女中が「お客さん、すごいにおいですよ…」とうんざりした顔をする。そのにおいがこちらにも感じられるほど。実際、阿部定と吉蔵の部屋からは異様なにおいがしたそうです。
私も映画を見てて、あと何回やるだろう(もう見たくない)と思ってしまった。ひどいなと思う箇所もあります。注意が必要です。だんだん役者さんの苦労とかにまで思いが及んでしまって…こういう見方は監督の望むところではないかもしれません。周囲は定と吉蔵をかなり冷めた目で見てます。
大島監督の狂気を怖いほど感じる一方で、こういう真っ当視点とのコントラストを思うと、監督の中には「普通」という確固たる軸があって、あるからこそぶっ飛んだ作品を生み出すんでしょうかね。
私がこの映画で一番揺さぶられたのは、町なかを行進する軍隊と、軍隊とは逆方向へふらふら歩く吉蔵のシーン。「あっ!」と一瞬の衝撃というか感動がありました。思えば吉蔵は不思議な男です。
また藤竜也さんがうっとりするくらいいい男で…自分でもそれをわかってる男っぷり。
だからといって目の前の尻に触ってはいけません。しかし女たちはそれを喜ぶ。
「へへへ〜」とニヤつく吉さんは、表向きはずっと「命などべつに惜しくない」という危うさをずっと漂わせてる。何を肯定しても否定しても吉蔵には同じこと。だったら否定のエネルギーなんてわざわざ使わない。快楽があればそれでいい。すべてが緩みきってるようでいて、実は誰よりも命に執着がある…ように見えた吉蔵です。
もしくは「どうやって死ぬか?」を常に考えてる人だったかもしれない。召集されなかった男。
最後のほう、私にはもう定があまり美しく見えなかった。
あのまま関係を続けていたら腐る一方。吉蔵はそのときに観念したのかな。定を演じられた松田英子さんも不思議な役者さんです。どんどん美しくなるんですよね。
今でも私の脳内で響くのは、あんまり演技がうまくない松田さんの独特のイントネーション。
大島監督がここまで計算して撮ってるのだとしたら…。
いろいろ問題はあるにしても、作品を観たことで自分の感受性が刺激されることは間違いないです。
大島監督が描く「美」とか「快」、そこに込めた渾身さを私は受け取ったという感慨。
一生の背徳感を抱えてしまったかもですね。「戦場のメリークリスマス」(1983年)

(映画.comより)この広告、かっこいいですね。
大島監督の「美」のセンスにはどうしても揺さぶられます。
なんたってデヴィッド・ボウイの美です!!!美しすぎる…。
坂本龍一さん演じるヨノイ大尉がなぜ化粧してるんだというツッコミどころはありますが、それも不思議に美しい。しかし処刑されるべき人間性ですよ…。当時、この映画がどれだけ話題だったかの記憶はあります。
人気者だったビートたけしと戦メリのあの曲が、1983年を確かに彩った。
坂本龍一さんもYMOとして、清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」でも大人気者でしたね。
だけどこの映画が何なんだという議論までは耳に入ってこなかった。
「何なんだ」がずっと浮遊して2021年。観ても「何なんだ」はそのままだった…そんな映画です。たけしさん演じるハラ軍曹の笑顔が最大の見どころとも言えますがね、ハラが本当ひどいんですよ。嫌悪感マックス。私は最後にあの笑顔を受け入れられるのか?(もう見続けられないかも)とまで思った。
でも見れたのです。視聴者心理を考慮した仕掛けでもあるのかな。坂本龍一さんの演技が上手くないという書き込みを多く見たけど、そうですかね?
デヴィッド・ボウイにキスされて卒倒するヨノイ大尉、あそこすごい好きなシーンです。
坂本さんがドギマギする顔はたまりません。
大島監督の映画ってあえて不器用な人を入れることで何かの効果を狙ってるようにも思いました。
演技というなら、ハラの友人ともなるロレンスの日本語はかなり聞き取りにくかった。
それもそのはず、ロレンス役の方は日本語がわからないので音で覚えたとのことです。
見渡してみれば、誰が演技うまかったとかそういう人はいないかも。
でも内田裕也さんはキマってたし、内藤剛志さんも若々しさいっぱい。
演技どうこうより、この作品に君は出るか?に応じられる人をキャスティングしたのかなと思ったけどどうだろう。監督から熱烈オファーを受けた方もいるでしょうけどね、演技うまい人が嫌いなんじゃないですかね。勝手な想像です。もととなる原作があるようです。日本軍の俘虜となったイギリス人男性の手記。
本当にこんな状況だったのだとしたら、ひどいことばかりです。
戦争の酷さ、それは一体どんないいこと生み出したか?といえば、男の友情、そんなバカなことはない。そういうふうに見たくはない。監督や映画のメッセージがどうであれ、ひどさ、ひどさ、ひどさ…これをめいっぱい自分の中に叩き込むしかありません。
メッセージ性が実際あるかどうかわからないけど、それを脇に置いておけるのなら、視覚的に感激するポイントはたくさんあると思う。そして最後にあの曲なのです。
あざとさ盛りだくさんでもあります。
あの時代、そんなあざとさが何度も許されるものじゃないとしたら、この1作に何か賭けのように注入されてるように感じました。大衆性に挑むには、あざとさしかもう手段がないというような。大島監督っておしゃれだなとも思います。
愛のコリーダも、あの「赤」だけですべて許せてしまう何かがあるし、戦メリでは冒頭のクレジットがオレンジ色で、フランス映画みたい。あと歯並びですね。歯並びが整ってないってなんて美しいことだろう。デヴィッド・ボウイの犬歯が美しい。確かに伝説が詰まってる2作です! -
映画「82年生まれ、キム・ジヨン」
これまでも何度も触れてきた「82年生まれ、キム・ジヨン」
映画がU-NEXTで見られるようになったので視聴しました。
キム・ジヨンを演じたチョン・ユミさんがまたとてもきれいなのに、心を寄せられる普通感・友達にいそうな感じよさがすごく魅力的でした。小池徹平さんに似てますね。
夫役のコン・ユさんは「コーヒープリンス1号店」の方。大沢たかおさんによく似てます。映画は本と少し違ってて、オリジナルのエピソード・描かれなかった場面はあるものの、本の主題ともいえる絶望がほとんど代弁されてるんじゃないかと思えました。
夫と妻、互いにどんなに思い合っててもずっと平行線で、どこまでもどこまでも永遠に交わらないんじゃないかというくらい。
今までその隔たりは「愛」で埋められるものだと、私なんかはなんとなく思ってた。
でも愛じゃ埋まらないのかも。映画の夫は、本よりもずっと妻思いに見えました。
時に無神経で鈍感でも、「ちょっと!」って軽く叩いて冗談っぽくにらめば、あははと笑って夫婦仲良し、そんな繰り返しならいいのだろうけど、結婚は夫とだけ向き合えばいいわけじゃない。
夫の実家、夫の母、夫の会社、夫の将来。
それらもうまく回していくには、妻の協力がなければならない。協力というか犠牲?嫁というのは正月に夫の実家でああいうふうに動き回ることが宿命。そこに誰かが疑問を投げかけなければ当たり前のように続いていく社会。そして誰かが疑問の声を上げてきたからこそ「昔より楽になったね」といえる現在。でもそうじゃない女性もたくさんまだいるのですね。キム・ジヨンは、女として抑圧を受けてきた母親から「あなたはそうはならないで。夢を叶えて」と育てられた。だからなのか広告の仕事には誇りを持ててたし、上司の評価も受けていた。
そういう女性はブランクがあっても「いつかまた」と社会進出のチャンスを見出し、抑圧に反発する自主性だってある。
でもジヨンはある日うちのめされた。自己肯定感はもろくも崩れる。
それは夫から思いがけない事実を伝えられたから。
「君は病院に行ったほうがいい」
(映画.comより)優しくて思いやりのある夫は、どんなに「私」を見てくれても、多数派代表みたいな目をしてる。
多数派から「君はおかしいんだ」と言われたら、どこに救いがあるのだろう。誰が私の言葉を聞いてくれるのでしょうね。育児と家事で疲れ切ってるジヨンの携帯が鳴って、メールを開いたジヨンの顔がこの上なく幸せそうだったシーンがありました。
「愛する夫からのラブコール?」って日本のドラマ慣れしてると思っちゃいそう。
それは女性上司からの復職お誘いメール。
女が何に胸を弾ませるかって、それは案外愛とかよりも社会への道筋なのです。
子どもを預けて復職したいと願うジヨン。
夫が育児休暇を取ると言ってくれた!
順調そのものだったはずなのに、夫の母が激怒。息子の将来性をつぶす気?と。復職の道は閉ざされかかった。
ジヨンは打ちひしがれたけど、自己否定に陥ったわけじゃない。
なのに夫から、とある証拠というか事実を突きつけられたのですね。
最近のジヨンは時に「憑依」してしまう。「君はおかしいんだよ…」と夫からその動画を見せられ、そして「病院に行った方がいい。君は休んだ方がいい」と。
夫は自分の復職を心から応援してたか疑わしい。ってか家にいる=休んでるという認識!?「違うんですけど!!!」byジヨン
(映画.comより)一つ一つのセリフにいくつもの意味が込められてるように思えるシーンばかりです。
ずっと盗撮されてた女子トイレ。その画像を拡散してた同僚。怪しい男に付きまとわれた学生時代。「スカートがそんなに短いからだ」と父親に怒られる。
ベビーカー押して散歩の途中でコーヒー店に立ち寄れば、働く男性から「夫の給料で日中にコーヒーなんていいご身分だ」と揶揄されるし。男が作った安っぽい囲いの中で女は生きてきたのかな。映画の中ではジヨンの弟に希望がありました。
ジヨンの母は息子を「男」という理由で甘やかしたりはしない。
そこんとこよっぽど気をつけて、ジヨンの姉とサンドイッチのようにしてでも教育しないと、男性の意識は「オレ男だし」という型で固まってしまうのかも。「俺の(僕たちの)子どもが欲しい。産んでくれ、作ろう」というセリフが映画であったけど、もちろんこの映画では幸せワードとして描かれてはいない。でも一見そう見せてる。
仕事に誇りを持つジヨンは、今出産したら昇進とか失うものが大きすぎる…と真剣に憂いて、「え、子ども…?」とひるむのに、夫は「この強引さこそが好物だろ?」と言わんばかりにジヨンに覆いかぶさり、2人はシーツの中に溶けていく。つらい映画かもしれませんね。
私は夫が泣いたシーンがつらかった。
ジヨンの涙がそこですーっと引いたから。
「泣かれてもさ…」ってジヨンは思ったかわからない。
「あの人はこんなにやってくれてるじゃない」だからここには目をつぶろうよという風潮はなんにしてもあって、「だよね。不満を抱いた自分が悪い」、そうやって違和感を閉じ込めて「今現在」を平和にしたとしても、未来のためにならないのではないか。未来のためにならない我慢、一体なぜに誰のため?今、今、今でごまかされる未来。
ジヨンは、きっと娘に同じ連鎖を味わわせない。
そう思えたところが救いでした。
この映画は71年生まれの女性の話ではなくて、82年生まれの女性の話なんだなということ。
いろんな問題意識が日本でも噴出しやすくなったムード構築の一端になってる本・映画と思いました。
(映画.comより) -
映画「こんな夜更けにバナナかよ」
昨日見ました。いい映画でした。

(「こんな夜更けにバナナかよ」HPより)あれから三浦春馬さんの作品をちゃんと見たのは「カネ恋」以来。
いろいろ見るつもりでU-NEXTのお気に入りに入れても、なかなか見れない。
そして昨日。まだ今でも涙をにじませてしまう。いろいろ思いを馳せながら見てました。「バナナ」はみんなみんな演技が素晴らしかったです。
大泉洋さんはじめ、高畑充希さんも三浦春馬さんも、萩原聖人さん、原田美枝子さん、綾戸智恵さん…。
なんたって渡辺真起子さんです。映画「37セカンズ」では障害者をケアする風俗嬢。「バナナ」では大泉さんをケアする介護ボランティア。渡辺さんは本物の介護プロのような安心感がありました。Eテレの「バリバラ」で数ヶ月前、ALSを患う男性に何人もの学生ボランティアが交代でついて、なんとも和気あいあいとした介護風景を見ました。
また、親元から離れて一人暮らしを試みるダウン症の方の新生活を2週連続で追っていたりと、「障害者の自立」がここのところ特にテーマのようですね。この映画もその流れの後押しになったのでしょうか。
鹿野靖明さんは筋肉がどんどん弱っていく進行性筋ジストロフィーを患っていて、それなのに一人暮らしを実現させた。映画ではこの鹿野さんの自立生活とボランティアとのふれあいが描かれてます。
自助とかなんたらがトップのスローガンに据えられたこのコロナ禍で、「迷惑かけてもいいんだよ」という大泉さん演じる鹿野さんのメッセージがズドンと来ましたね。
モデルとなった鹿野さんは2002年、42歳で亡くなられたそうです。
この映画はそのおよそ7年前の話。1995年ごろ。
どうりで高畑さんと春馬さんがちょっと昔っぽくて、特に三浦春馬さんのポロシャツinズボンスタイル。
この映画公開は2018年。春馬さん、痩せてたなぁ。
このあとキンキーブーツ再演だから、ここから体作っていったのか。
それとももう既に悩んでただろうか…と、ついそういう目線で見てしまいますね。

それにしても春馬さんの演技は実に繊細でした。
亡くなってから殊更聞く「本当に優しい人だった」という評判はきっと誇張などないんだろうなと思うほど。
「優しい」って、人に親切な意味ももちろんあるだろうけど、万物に対してソフトタッチな方だったんじゃないかな。
お弁当の卵焼きを食べるとき口元に手を寄せた仕草が特に印象的でした。
さりげない春馬さんならではの仕草であるだろうけど、彼女である美咲(高畑さん)が作ってくれたものを絶対落としてはならないという気遣いにも思えた。
この田中くんという役は、「わたしを離さないで」のトモの延長線上にあるような、優しげで気弱な役。北大に通う医者の卵です。
人一倍優しいのに、高畑充希さんにかけたある言葉で自分のひどい偏見に気づいたりして、医大を辞めようとする。その苦悩の顔が本当に繊細…。
三浦春馬さんはここ1年くらいとても華やかなモテ系の役が多かったけど、本当はそんなんじゃないということは誰よりも一番わかっているのかもしれない、なんて思いました。春馬さんのマイノリティー寄りな表情はこんなにも救いだったんだなぁ。大泉さん、高畑充希さん、三浦春馬さんは3人とも太陽火星座。
全体的にとても率直さに溢れた映画でした。
鹿野さんが、最終的に500人のボランティアと関わることができたのも、初期のメンバーと何度も喧嘩して傷つけ合ってでも本音をぶつけたからだという退院パーティーでのスピーチは胸に迫りました。高畑充希さんは金星が蠍だからか、全体的な雰囲気は射手的天真爛漫さなのに、女性性がはちきれそうなんですよ。
夜中、怒りの形相でバナナをゲットしてきた美咲に「グッときた!」と鹿野さんはすぐ恋に落ちる。
その鹿野さんと美咲が”ベッドイン”寸前になるとは予想してませんでした。
”ベッドイン”とは鹿野流ホラとはいえ、「AV見て鹿野さんは何するの?」と聞く美咲・高畑さんには、私までドキドキしましたよ。今すぐ鹿野さんにまたがるんじゃないか、その瞬発力を日テレで見れるのか!?なんて思ったりして。高畑さんの月と大泉さんの水星が同じ魚座。2人の目つきと言葉だけでじんわりくるものがありました。
退院パーティーという晴れ舞台で、美咲に一世一代のプロポーズをした鹿野さん。
「ごめんなさい…」と断る美咲です。
それはボランティアをやめた元彼・田中くんがまだ胸にいるから。
…と、みんなの前で理由も発表。火星座はとにかくオープンなのです。田中くんと美咲がなぜ別れたかというと、鹿野さんが田中くんに「美咲ちゃんとベッドイン寸前までいった」と言っちゃったから。
実際は、美咲ちゃんの胸に顔を埋めた鹿野さん。でも、ボランティア仲間が部屋に入ってこなかったらやっぱベッドインしてたかな。
田中くんは美咲を「同情したら誰とでも寝るのかよ」と暴言を吐く。
あんなにいつも優しげなのに、なぜ…。田中くんも自分のこと「全然優しくない」とは言うけれど…。
「同情したから寝たんだろ」と思いたい気持ちと、「同情でしか寝れないだろ」という本音。
自分の本音にショックを受けて、どんどん崩れていく田中くんと三浦春馬さんを重ねてしまった。
本当は優しさで溢れてるのに、偽善で覆われたほんの一部分を責める人。三浦春馬さんの苦悩まで浮かんだような気がしたのは思いを馳せすぎだろうかな。 -
映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」
映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」(2001年)は数週間前にU-NEXTで見ました。
主人公ヘドウィグは、旧東ドイツ生まれ・ドラァグクイーン・トランスジェンダー・そしてロックシンガー。そのヘドウィグの愛の物語です。自分の魂の片割れを探そうとする。

(amazonより)「アングリーインチ」とは「怒りの1センチ」
つまり女性への性転換手術の失敗で、1センチ残ってしまった。
この1センチが壮絶な破局・究極の怒りまでもたらしたという。この作品はもともとミュージカルで、ジョン・キャメロン・ミッチェル氏が原作・脚本・監督、そして主演のヘドウィグも演じてます。
ヘドウィグが美しかった…
特に恋に落ちたとき。

あの若い子が自分のライブを見に来た。
これから恋に落ちるしかない2人。

このシーンがとても好きです。
この表情は一体誰ができるだろう。そう思うシーンばかりだった。
体の芯までマイノリティーと痛感してる人にしか表れない表情じゃないのかな。日本版ミュージカルでは、森山未來さんがヘドウィグ役を演じたようです。
この間の「ダウンタウンなう」で、そのことに少し触れてました。
森山さんはこの役をやるにあたり野宿生活をしたと。1ヶ月も!!
ヘドウィグにはホームレスのエピソードなどないにもかかわらず。
…やっぱ森山さんすごいと思った。
ヘドウィグを演じるからには、地を這い回るようなどん底生活をするしかないと。
マイノリティーの役ですもの。しかもベルリンの壁崩壊前後を生きてきたヘドウィグ、若い恋人に拒絶された上、自作の曲を盗られてしまった屈辱。若い恋人はその曲で今や人気ロックスターに。ダウンタウンと坂上さん・若槻さんからはただただ変人扱いしかされてなかったけど、そりゃこの人らにわかりっこないと思った。
森山さんは表現者としていわば成功者だけど、それらから解き放たれようと、どこか持たざる者でいようとする。
そうじゃないとにじまないリアルさ。そうまでして表現したいこと。
ヘドウィグはそうでなくっちゃ…。また、ヘドウィグの夫役・イツハクが切ない…。

イツハクも元ドラァグクイーンですが、女としての格好をヘドウィグに禁止されている。
イツハクにとってそれは虐待に近いほどつらいこと。夫婦でありバンド仲間の2人はそういう歪んだ関係。
この俳優は女性です。
そのあたり、ミュージカルを観ないと分かりにくいところがいくつかあって、調べながら見て、見てまた調べて…いろんな人の感想や解説に助けられました。プラトンが唱えた「愛の起源」をもとに作られた歌の中では、かつて3つの性があったとヘドウィグが歌う。太陽、月、地球。
それらが神々のいたずらで割られ、みんな自分の片割れを求めて彷徨う。自分の片割れは…この2つの何に胸打たれたかというと、置き去りにされゆくものに焦点が当たったところかな。
人は新しいものを求めるし、そりゃ明るいほうがいい。朝顔とヘドウィグは陰がある。
希望も宿してるんですけどね、人に時間に追い越されていく。
流れの中で立ち止まる朝顔とヘドウィグに惹かれたのかもです。
ジョン・キャメロン・ミッチェル監督がそんな人です。牡牛座。
よりよいものを作るために時間をかけて思いを込める。
インタビューでは、今の若者を猫のようだと警鐘を鳴らします。それで、ドラァグクイーンといえば思い出されるのがローラであって。
歌い・踊るヘドウィグを見て胸を締め付けられたのは、三浦春馬さん演じたローラの面影を見た気がしたからかもしれません。
独特の美しさと切なさを併せ持つドラァグクイーン。
ヘドウィグを見て、誰もこの美しさにはかなわないと思ったけど、春馬さんが演じたローラも飛び抜けてた。この大いなる長女感。
春馬さんはこの役をやりたい!と自ら申し出た。その意味ってとても深いと思う。
このなんとも憂いを帯びた切なげなドラァグクイーンをやりたいんだということ。三浦春馬さんの視点はいつもどこにあったかが、自ずと伝わってくる気がした…少なくとも上から見る人じゃない。もっと深いところを知ってた人・知ろうとした方だったんじゃないのかな。
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長澤まさみさん(フリムンシスターズ)
松尾スズキ作ミュージカル「フリムンシスターズ」を見に行ってきました。

(写真はステージナタリーより)「シスターズ」とは長澤まさみさん・秋山菜津子さん・そしてゲイ役の阿部サダヲさんのこと。
「フリムン」とは沖縄の方言で「気がふれる」とか、頭おかしいというような意味だそうです。長澤さん演じる主人公・ちひろは沖縄出身。
長澤さんは全編沖縄のイントネーションで、ユタによって脳内に祖先を投入された(?)不思議系無気力なコンビニ店員役です。要素が盛りだくさん。秋山さん演じるみつ子と、阿部さん演じるヒデヨシは劇団員仲間として古くからの付き合い。
大女優にまでなったみつ子の転落人生を支えるヒデヨシは、なんだかんだみつ子に金をたかって生きている。
ヒデヨシも過去、新宿二丁目から追放されたという傷を持つ。
無気力なちひろは、みつ子が過去に主演したドラマを見てるときだけが楽しい時間。
あるときちひろのコンビニをみつ子が訪れ、「ファンなんです!」というちひろの告白と同時に事件が起き、3人は結束を強めていく…。舞台全体の感想としては、「すごかった」「すごい」
舞台って本当にすごいものを見たとき、このワードしか思い浮かばないものです。
何がすごいってまず、これを作った松尾スズキさんがすごい。
だって歌詞とかセリフとか、数々のグッとくる言葉。
LGBTやいろんなマイノリティーに触れた物語でもあり、時代が抱える暗さや複雑さまでわかりやすく描かれてる。
この「わかりやすく」というのは今回の特徴と思います。
松尾さんの舞台はいつも正直難しく、「キレイ」も結局感想を書けずじまいでした。阿部さんも秋山さんも、そしてストーリーテラーである皆川猿時さんもすごい。
池津さんも猫背さんも村杉さんも、若手の篠原さんなど大人計画メンバーのインパクトもとにかくすごかったし、笠松さんという方の歌声、オクイシュージさん、みんなすごいです。感動しました。おもしろかった。
こんな陳腐なことしか言えません。そして栗原類さん、輝いてました…。なんたって長澤まさみさんです。
いやぁ…めちゃ可愛いですね…。
なんというか感動しました。
長澤さんにこういう役が当てられることをずっと待っていた。
「ドラゴン桜」以降ずっと待ってたのですよ。
超普通っ子の役。普通以下の役。汚れ役。
でも深刻すぎない。そこもまた普通っ子。
「うちはずっと奴隷さー。うちの中には芯がない。芯がないと奴隷になるんさー」
・・セリフはうろ覚えですが、こんな無気力ワードを連発。
この水色のワンピースに緑のバッグ、赤いアクセントがすごい可愛かったです。長澤さんはそりゃ美人です。
だからいろんな役を演じてもらいたいと多くの関係者に思われるはずで。
でもどんな役者さんにも合う役・合わない役ってあると思うのです。
長澤さんはどんな役を演じても称えられる方。
でも私はどこか不満を抱いてた。もっと長澤さんが輝く役があるはずと。
・・長澤さんはTVという枠にとっくに収まりきらなかった方かもしれません。長澤さんはバラエティーなどで年々、「普通」アピールを強めてるという珍しい方に思える。
ま、最近の女優さんは「別に普通です」って言う傾向があるけど、なのに巨大クローゼットの写真とか、超凝ってる手料理、3匹ぐらいのわちゃわちゃした犬や派手な交友関係、そこに「普通」を設定されたら自分はドブかな?みたいに思うことはよくあるけれど、長澤さんが「おしゃれイズム」で見せてた写真は極力情報減らしたような質素なものでした。舞台に出ると俳優って変わるんだと思う。
普通・普通以下方面に変わっていくんじゃないのかなと。
舞台を観に行く人との間には、どこか木綿の糸でつながってる感覚があります。
その糸には、TVでやらないようなことがびっちり書いてある。
それをわざわざ読みたいと思う人しか舞台を観に来ないでしょうね。
舞台俳優というのはその糸に書かれてることがびっちり頭に入ってて体にも染み付いてて体現してくれる人。
舞台ってマイノリティーの空間です。TVドラマを見てても舞台俳優の方には言いようのない安定感があって、もちろん「上手い」ということがありますが、「地続き」と感じられるリアルな表現が上手いということなんでしょうね。
「演じる」という華やかな世界にいても、勤め人というとこでは自分と一緒という地道さにあふれる舞台人。
長澤まさみさんの演じたちひろは、不思議系無気力でコンビニ店長と15分でコトを済ます女だけど、「わかる」となぜか思えた。それがなんか嬉しかったんですよね。境遇やキャラが自分と違ってても心を寄せられる。
松尾さんがこういう役を当てたということに感動したというか。
でもなんで普通っぽさがハマったかというと、長澤さんのコミカルな間とかも完璧だったからと思う。
いい子的な普通感じゃなくて、え??って即ツッコみたくなるダメさ。フリムン度合いが超魅力だったんだと思う。あんなに美しい人がそう演じるということの感動。長澤さんは自分と同じものを抱いてる(はず)。それを爆発させてくれたんじゃないかって。松尾さんは長澤さんに「普通」を込めたのかな。それが別に普通じゃんという真っ当さ。
でも今、普通も真っ当もコロナでよくわからなくなった。
PCR検査をみんな受けれた方がいいじゃんという意見が普通なのか、みんな受けるとかバカ言ってる…と思うのが普通か。
LGBTデモを容認・応援するのが普通なのか、無関心が普通なのか。攻撃が普通?まさかね。
奴隷のような働き方、奴隷みたいに雇用する側。
全部全部の中間にいたとしても、なぜかそれぞれの溝が深い。
わかり合いたいような・わかり合いたくないような、どっちにいれば正解で幸福か、何を観てれば自分肯定できるのか、とんとわからなくなった2020年ですよ…。
松尾さんはその混沌を描いたのだろうかな。松尾さんの舞台をそんなに多く観てるわけじゃないですが、いつもいや〜な気持ちになります。
自分の視点や感情が合ってるのかわからなくて、目を背けたくなる。
うわ、シュール…と思うことが多くて、え、なんか笑えない、とか。
でも今回のフリムンは最終的なメッセージ性が際立ってたと思う。「自由を奪うやつには怒っていいんだ」
今、「怒る」ってことすら正解??って場面があまりにも多いから。
でも舞台を観に来るような人はみんな怒りたい人だし怒れるんだと思う。
結局そこじゃんというシンプルさに行き着くような。
長澤さん演じるちひろは、奴隷に甘んじてるうちは怒ることもしなかった。
私はバイト情報見るたびに奴隷の覚悟で申込みボタン押そうとして…やっぱ無理ですね。
でも怒れない人はどんどん吸い込まれて行くと思いますよ。奴隷世界へ。
長澤さんはドブ世界の奴隷を見事に体現してくれた。
でも「目的」を持ってからガラッと変わるのです。
「責任取る」ってことが嬉しいちひろ。責任を取ることが目的。
責任取るくらいなら奴隷でいいやって人が案外多いですからね。
そもそも奴隷しか選択肢がない・生きれるなら甘んじる…という人もコロナで増えたのかな。
ちひろもそんな女だったけど、「責任」という最悪の中に自分をアジャストしてからの「生」への加速がまぶしかった。
あんなに美しい人と自分を重ねられる喜びの3時間半でしたよ!
長澤さんは身長が高いんですね(wikiだと168cm)
なんとなくの猫背と、腕の長さからのキレ、動きの華やかさも素敵だったなぁ〜。

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韓国の本2冊
「82年生まれ、キム・ジヨン」をやっと読みました。

読もう読もうと随分前から思ってましたが、どうも手にできず。
なので先にこっちを読みました。「クソ女の美学」

タイトルがすごいけど、これはいわば開き直りというか。
私がどう生きてもクソアマと言われるこの社会。クソは私?そう呼ぶ方?どっちでしょうねと。
これを読んで、「キム・ジヨン」やっぱ読まなきゃと思ったわけで。2冊とも男女差別がはっきり可視化された本なのです。
82年生まれキム・ジヨンの母の時代では、女児を妊娠すると中絶に追い込まれるような社会的ムードだったというのが驚きでした。
また、キム・ジヨンの弟がいつでも最初にご飯をよそってもらったり何かと優遇される。
日本だと、それが普通ってことはもうあんまないですよね。
だけど家の中に息子が1人いると、どうしても女の自分と扱いが違うと感じてきた人は多いはずです。
あと韓国といえば兵役義務。
兵役に就いた男性はその分、公務員採用試験の点数が加算されるという制度があったようですが、1999年に廃止。
廃止となってから女性への露骨な風当たりが強くなったと。街で男性から向けられる目線や態度は、日本よりずっと危険かもと感じる描写がいくつもありました。
そんな韓国でも日本よりは育休制度などが充実してるようなのです。Amazonサイトで試し読みできる箇所の抜粋です。



日本だと、男も女も老人もみんな穏やかに過ごしてるような日々。攻撃されることのほうがずっと少なくて。
だから、そんな日々にあえて波風立てることなんてない、そう思う女性が多くても不思議じゃないです。
この2冊を読むと寝た子が起こされるようななんとも怖い感覚を味わうのです。あと自覚してなかった怒り。男性は男性自身も気付いてないかもしれないけど、多くの「寛容」の中で生きているんだと思う。
生まれながらのマジョリティー。許されてること・優遇されてきたことがあまりにも多い。
それは一見本当に小さなことだらけです。例えば私には兄がいますが、家族の中でも親戚の中でも光のような存在です。
何もしなくても輝く。何かすればもっと輝く。
例えば、たまに実家に帰ってきて皿洗いしなくても責められない(私は責めるけど)。
皿洗いしたらすんごいありがたがられる。
私や姉が皿洗いしなくても怒られることはないけど、母親にやらせてるという罪悪感はものすごい。
「キム・ジヨン」や「クソ女」を読むと、「母親もしくは女にやらせてる」ということに罪悪感を抱かない男というのは一体どういうことだろう?と、謎にすら思うのです。ただ、兄だって罪悪感を全く抱かないわけではない。
「母親や実家のこと、いつも悪いな」と思ってくれてるみたいで、年に1回ご馳走してくれます。正月にふぐ刺しを取り寄せてくれたりもする。
しかしいつもモヤモヤするのです。
ご馳走はいいから、お皿洗ったり大晦日に掃除してほしいと言って正月のムードをぶち壊したこともある。
姉は「このふぐでチャラになるじゃない」と言う。チャラ??既婚の姉でもそんなことを言うとはね!
私は未婚ですが、妻を怒らせるたびにスイーツを買ってくる夫に「そうじゃねぇ!」と怒りを感じる妻の気持ちに共感しきりです。
私の兄に対する思いもそういうこと。
おいしいものでチャラにしてもらうという魂胆に私はムカついてるのか?うーん、でもちょっと違う。
一連の鈍感さに腹が立つんだと思う。「一連の」というのはとても根が深く歴史も長い。
自分1人の怒りとかじゃどうしようもできないこと。
「キム・ジヨン」ではそのへんを可視化するために、精神に異常をきたしたジヨンの生育歴が「カルテ」という形式で語られるのだけど、これがまた絶望的で…やっぱり男女差別はどんなにマイルドに思えても根が深いのですね。キャスターの有働さんが、セクハラを自分たちの若い頃に許容してきたせいで、セクハラを助長する一端を担ってしまったんじゃないか、その責任を感じるとおっしゃってたのを聞いたことがあります。
男女差別も、男性側だけの一方的な横暴さが問題ということじゃなくて、「男性優遇・それが当たり前」というムードを一生懸命蔓延させてきた女性たちの存在も確かにありました。
ただ、私も「世の中をどううまく渡っていくか」についてずっと考えてきた20代、女性上司にいつも怒られ、でもその日々のおかげで気を利かせることがだんだん身についてくるわけですが、それは女性から教わった処世術とも言えるものかもしれません。
だって男性上司をほったらかしにしたら、「気が利かないなぁ。そんなんじゃお嫁に行けないよ」と言われたりするわけで。
「〇〇課の△ちゃんは僕にお茶入れてくれたよ〜」とか言う奴がクソなのに、「今度は気をつけます」と自分をどんだけ矯正してきたでしょうね。でも男性上司に気に入られれば、意地悪な女性からも結果的に守られたりもする。
また、気を利かせるのとは別の次元で「もっと派手な色の口紅塗ってきたら?」と男性に言われたりしましたね。なんのために?お前のために?この間の「5時に夢中!」では、一般男性4人に「どんな女性が好き?」とインタビューして、2人が「ふわっとした子」と言っていた。
「ふわっと」というのは外見もそうだけど、性格も気が強くなく、ふわっとしてほしいのだそう。
なんでこんなに一般男性つけ上がらせちゃったんだろうとね。
「女だってイケメンがいいとか言うじゃねぇか」という反論もあると思いますが、だって女はそもそも夢を語っているわけです。現実のことをよく知っている。だからできるだけ高い夢→イケメンとか掲げるわけです。
横浜流星が「ふわっとした子」と言うならまだしも、こんな街角の男性も臆せず言うようになり、そしてそれがわりと叶ってるんだとも思う。女性は適応能力高いから。(最初ふわっとしてたのにとんでもなかった!という苦情の内情は女性の真の目覚めと思う)
しかし、適応もいよいよ無理と思いますよ。こんな衝撃的な本がどんどん入ってきてるのですから。「キム・ジヨン」の中で、「女は男のための性であった」という一文がありましたが、「性」というのはセクシャルな意味というより、男が「上」でいるための女。
歴史的にずっとそうだった、韓国も日本も。世界的にも、とも言えるかな。
韓国では貧富の問題も「パラサイト」で浮き彫りになったし、こういう素晴らしい作品が次々生まれてるというのは羨ましい限りです。
