舞台・映画・本等感想文
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太宰治と女と映画
この間、小栗旬さんが「太宰治って結構おもしろい人だったみたいです」と言っていた。
ユーモアある人だったみたいですよ、だか、結構三枚目だったみたいですよ、だったか忘れちゃったけど、「そうなんだ〜」とずっと引っかかってました。
小栗旬さんは太宰治役で映画の主役やってたんですね。
(人間失格 太宰治と3人の女たちインスタより)
U-NEXTで映画を見てみました。
感想はあとでも触れますが、小栗さんの太宰ってすごいマッチョだなと。
太宰ってもっと内向的で常にビクついてるような、キモいくらいの男性だったんじゃないのかな。
小栗太宰は語りすぎ・かっこよすぎだったから。・・なんてね。
確かめようもないのに「私は知ってる」と思いたくなる魅力が太宰治にはある。
20代にすごいハマりました。
確か没後50年の桜桃忌にあちこちで太宰フェアみたいのをやってて、私は吉祥寺東急の太宰治展に行った。
今でも心に残る展示会だったんですよね。
青森の太宰ツアーに参加した友人もいました。山梨の御坂峠「天下茶屋」も何度も行きましたよ。
ほうとうが美味しい。
私の母親が新婚時に三鷹・下連雀に住んでて、そのころ太宰はすでに死んでたけど、母親も「これがあの玉川上水か」と思ったらしい。
水量が今よりたっぷりあって流れも速く、入ったら危険そうな川だったと。
「玉川上水」という響きに独特の感傷を覚える、それは私だけじゃないはずです。
太宰の作品の中で、何度も読んだのは「パンドラの匣」。
結核療養所に入院中の青年「ひばり」の目線から見える人間関係とか死生観。
それは一見爽やかに語られるけど、ひばりの明るさからにじむ弱さというか華奢さがたまらないんですよね。
太宰治の小説ってとても読みやすいです。
他の文豪より小難しくないんですよね。
そんで、すごい自意識過剰・自己肥大症。
でも自分にも心当たりがあるのです。
10代の頃から何度も恥かいて人間関係もつまずいて、ついにここまで来ちゃいましたという情けなさは誰にもあるはずで、太宰の小説が「これは私の物語だ」と多くの人に思われるゆえんは、スケールがさほど大きくない「心」という領域がこれでもかと描かれるからでしょうかね。
なのに不意に感じられる「死」という危うさ。
弱えぇぇって感じに母性本能がくすぐられてるのかもです。小説読んでても「上から目線」みたいなのを感じない。
むしろ徹底的な卑屈さ。
でも家が金持ちだから弱者にもなりきれない。
そんで「あたらしい男」になろうとすると。
「パンドラの匣」では何度も「あたらしい男になる」と書かれてて、なんなんだってツッコミたくなりますが、それは「対等性」ということなのかな。「男」という色を薄めた存在に憧れたのだろうか?と感じたけどどうだろう。太宰治は双子座です。

太陽双子、月蟹、水星双子、金星蟹、火星魚双子座が強い!!
太陽ー水星ー冥王星コンジャンクションですか。
「究極に双子座的なことをやる」→「発信」「文筆業」ということでしょうね。
恋も出生も不倫も、自分の生涯を極端につまびらかにした。
ドラゴンヘッドも双子座です。
本人は生涯苦しんだでしょうけど、才能があったんだろうなとも思う。また蟹座部分。月ー金星ー海王星コンジャンクション→「モテすぎるダメ男」
ダメそうだなぁぁ。
火星は魚座ですよ…薄そうだなぁぁ。
でも確かに恋に生きそうです。
お酒も好きそう。「酔う」ことに弱そう。
女性が確かに寄ってきたのでしょうね。
でも私には、「自分ダメっすよ。全然ダメっす…」と、顔隠しながら後ずさりしていく情けなさが感じられるのです。
すべてにおいて挙動不審。
来ちゃうんだっていう、女が。
じゃあ抱くよね…っていうダメさなんじゃないかという想像。
流されやすそうだし、「上」に立たなそうだし、「かわいい♪」って思われちゃうのかな。
女に迫られたら追い返したりしなさそうだし、何もかもがずるずる。たぶん。
縁のある女性も母性本能が強そうです。こんだけ蟹座が強いと、あざとさもコントロールできそうな気がします。
だから「走れメロス」みたいのも書けたんですかね。
なんだかんだお金貸してもらえるし、待っててもらえるというか。
金星=金運とも読めますが、お金にもルーズそう。そして太宰といえば「死」
太陽と冥王星がコンジャンクションで、ドラゴンヘッドも近くにあるなら、「死」が人生につきまとうでしょうね。意識につきまとうというか。
火星も魚座で、太宰は火星期に亡くなりました(38歳没)
金星ー海王星コンジャンクションも、関わる女との死。
死の淵まで女性についてきてもらいたかったのかな。
「ねぇ、来てよ…心細いから…」って膝抱える荒唐無稽さがあったとして、まともな人なら「バカ」って突き放すだろうけど、恋人たちは「わかったわ」なんて言っちゃったのかな。
それでこの人が救われるなら…ってそこまで愛したのだろうか。
また双子座に星が集まりすぎると、神経過敏・思考過剰にもなるようです。
そして結構、人の日記を作品に取り入れてるんですよね。「パンドラの匣」もそうみたいだけど、「斜陽」も。
双子的極端に「盛る」人でもあった気がします。
太宰の妻・美知子夫人の星も見てみます。

太陽水瓶、月双子か蟹、水星山羊、金星射手か山羊、火星牡牛か双子太陽が天王星とコンジャンクション土星とスクエア、月が冥王星とコンジャンクションで、夫運にも妻運にも極端さが感じられます。そりゃそうですよね…
金星が境目ですが、水星・金星山羊だとして、双子座過多の太宰の繊細ルーズさにも、クールに気丈に対応してたんじゃないですかね。太陽は水瓶だし。
でも美知子夫人も双子部分や水星が利いてそうなので(水星ー海王星180度)、まともに取り合わなかったとしても言葉のチョイスにセンスがあったんじゃないのかなぁと。
なんとなく「生」へのたくましさが感じられます。
太宰は奥様を「道連れにしてはいけない人」とわかってたんじゃないでしょうかね。想像だけど。
映画では宮沢りえさんが演じられてました。玉川上水に一緒に入った女性・山崎富栄さん

太陽乙女か天秤、月乙女か天秤、水星乙女、金星乙女、火星獅子富栄さんは金星乙女でしたか!
映画では二階堂ふみさんでしたが、女性たちの中では確かに堅そうなメガネ女子でした。
その金星は土星とコンジャンクションだし、恋愛や自己表現は抑制的だったんでしょうね。
でも獅子座部分が肥大傾向です。火星・木星・海王星。
恋愛にどっっぷりになってしまう。ドラマチック万歳…しかも相手が太宰先生だったなら…。
こんな願いが叶ってしまったら死んでもいいと思うかもしれません。
これまた太宰から「死ぬ気で恋愛してみないか?」と持ちかけられる。
「死ぬ気で恋愛したい…」と応じる富栄さん。ヤバイよヤバイよ!
太宰ももう病んでたのかな。依存的な愛にしか救いを見出せないとか?
太陽月水星は冥王星とスクエア。
思いつめたら本当に極端な人…とも読めるけど、妻帯者と深い関係にあることの罪悪感もものすごかったんじゃないか。
というか、こんな自分が妻や太田静子さんに勝てるとしたら一緒に死ぬことしかないと思い詰めるかも。そして「斜陽」のモデル・太田静子さん

太陽獅子、月魚、水星獅子、金星蟹、火星双子この中では太宰と最も共鳴しそうな感じです。双子、蟹、魚に星があることが太宰と共通してる。どこか二人羽織的な。
これは「斜陽」が実質2人の共作だったことが表れてそうです。
映画では沢尻エリカさんでした。
太田静子さんも文筆の才能がおありだったんでしょうね。
水星ー天王星オポジションー海王星コンジャンクション、金星ー木星オポジションで、太陽水星は獅子、月は魚座。
創造性や豊かな表現力が備わってそうです。
2人の関係の始まりは、太宰のファンだった静子さんが自分の日記風告白文を太宰に送ったところ、太宰から「気が向いたらあそびにいらしてください」と返事が来たと!
これはファンレターをもらったミュージシャンのやり口じゃないですかね。
でも実際は「もっと日記見せて」って、太宰が静子さんの文章に興味を示して、「もしかして私の表現目当て…?」という疑惑がありつつ関係を持つという。
こうやってファンの作詞を自分の表現にしちゃう人、現代にもいそうです。
火星と土星がコンジャンクションというのも、男性からの制限や圧力が感じられます。
しかも双子座→太宰。
静子さん、受胎するんですよ。
2人が生み出したのは作品だけじゃない。それが蟹座金星っぽいです。映画には出てきませんでしたが、太宰といえば最初の奥さん(内縁)・小山初代さんです。

太陽魚、月射手、水星魚、金星水瓶、火星双子この方はちょっとモテそうです。
射手ー双子ラインがぱっと目につくのです。
柔軟宮がちだし、恋愛に没頭しつつ、うまいことかわしそうですよね。
芸者だった初代さん。
太宰と別れたのも、太宰の知り合いの画家と寝てしまったことがきっかけ。
それが発覚してから2人で自殺を図るなど、太宰と関わると穏やかな恋ってわけにいかないのか…
でも多分、初代さんもどこか破滅的な才能ある男が好きなんでしょうね。
太宰とは太陽スクエア同士ですが、強く惹かれあっただろうなと思ってしまう。
双子と魚座部分の共鳴もそうですが、どんなダメ男でも見捨てない情の深さがあったんじゃないかなと。
でも何度も「別れてやる!」という喧嘩もしつつ、元さやを繰り返しつつ、柔軟宮の揺らぎ。想像です。
初代さん、太宰と別れてからもその境遇は激しく、33歳のとき中国で亡くなられたそうです。
太宰は初代さんとの交際中にも他の女性と心中未遂をしてて、田部シメ子さん。
この方だけ亡くなってしまいました。18歳。
映画はこのシーンから始まります。
シメ子さんは太陽水星火星射手、月乙女か天秤、金星山羊座。
月がドラゴンテイルとコンジャンクションなのです。
あのころ、「ねぇ、死んじゃおっか」ということがそれなりにある時代だったのかもしれません。
映画の太宰は元気なパリピで、「恋愛巧者」という感じだった。
太宰はモテたかもしれないけど巧者ではないんじゃないかと。わからないけどね。
そりゃ山羊座の小栗さんは巧者でしょうね。
その小栗さんの性質が前面に出てる感じでした。
蜷川実花監督はきっと美しい人やエロスが大好きで、それらとご自身のセンスを表現するために太宰を使ったのかなというふうに見える映画。
常々最近の映画の乳首と汚物には辟易してましたが、小栗さんのえづきがわりと長いとこはつらかった。
雪が赤で染まる色彩を見せたかったのかな。
蜷川監督の「表現前面!」というのがどうも自分と合わないです。
表現ってある意味弱者と繋がるところがあるはずと思うけど、それは私の一方的な期待なのかもしれない。巧者、勝者のパーティーを見てる感じになりました。
二階堂さんはやっぱりうまいですね。
作品も子供も2人で生み出せない焦りと狂気。
でも乳首いる?と思った。
女優にこれほど同情したことはないかも。女優だって1人の人間です。
夫人役の宮沢りえさんの母性、背中のなで方や太宰に甘えられるところはさすが一番の包容力という感じでした。
それにしても小栗さんの男としてのパワーがギラギラとみなぎってましたね。
そりゃかっこいいけど、何を演じてもタワマンの屋上に住むような勝者に見えてしまう。
ほかの出演者は成田凌、壇蜜、藤原竜也、高良健吾、千葉雄大など、美男美女がたくさん出てくる映画でした。お金があるなら何をどう撮ってもいいのか。いいのか?
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映画「きみの鳥はうたえる」ー150度と60度ー
映画「きみの鳥はうたえる」をU-NEXTで見ました。
柄本佑さん・石橋静河さん・染谷将太さんの物語。
人と石橋静河さんの話をすると「この映画を見た方がいい」とよく言われます。
(写真は映画.comフォトギャラリーより)
柄本さん(僕)と染谷さん(静雄)が同居する友人。
石橋さん(佐知子)と柄本さんが本屋バイトの同僚・交際。
染谷さんと石橋さんは・・・星的にも惹かれる3人でした。
柄本さん射手・石橋さん蟹・染谷さん乙女。
同居人の柄本さんと染谷さんがスクエアなんだぁと思ったし、すぐ交際に発展する柄本さんと石橋さんは150度と。
石橋さんと染谷さんは60度・セクスタイル。2人が住む部屋にすぐなじんだ石橋さんは、染谷さんから「2人はなんで知り合ったの?」と聞かれる。
「バイト先が一緒で。2人はなんで?」
「俺たちはアイスクリーム工場で一緒だった。エスキモーみたいな格好して作るのが大変でさ…」染谷さんの様子を「お?」と珍しそうに見ている柄本さん。
意外と社会性あるんだね…と見守ってるような。
染谷さんは無職中でちょっと引きこもりっぽくもあり、柄本さんはその静雄を寛大に包む兄みたいだった。
石橋さんも静雄とは彼氏の弟っぽい距離感。柄本さんはどっからどう切っても射手座男でした。
現代の射手座。三宿のスチャダラみたいな。
この舞台が函館でよかった。渋谷や目黒だったらいまいましく見ちゃうと思う。
柄本さん演じる「僕」は一見汚い髪・服装だけど、めちゃおしゃれ。
すべてにおいて肯定的で、基本束縛ゼロ。自分の彼女が誰と何しようが自由じゃんと。
喜怒哀楽の「哀」がない。
「怒」がないようにも見えるけど、怒ると怖そうな迫力はある。
「哀」の雰囲気を「別に」と避ける。染谷さんがまたまさに乙女座という感じ。繊細な緊張感が漂ってました。
家庭環境・とりわけ母親との関係が複雑そうで、優しげでありながらストレスMAXになると何するかわからない狂気が秘められてる。
だから織田信長に選ばれたんだよなぁとつくづく思いましたよ。
そして言動がなんだかんだまとも。きれい好き。石橋さんを令和の赤名リカに抜擢した方は確実にこの映画を見てると思いますよ。
蟹座って星占い本とかだと「ぶりっ子」とか「涙目」「お母さん」みたいな情のあたりが強調されがちですが、石橋さんを見てると新時代の蟹座はヤンキーがちょっと入ってくるんじゃないかなと。
ヤンキーといっても新時代のヤンキーで、「いいじゃんべつに」という強がり感。
射手座の「いいじゃん」とは違うのです。
校則をこれ見よがしに破って「いいじゃんべつに。誰もあたしのことなんて…」という寂しさ全部語る前に誰かに抱きしめられる感じ。
感じ、とかいって新時代でもないか。石橋さんはいつも自由人みたいなキャラですが、なんだかんだ「情」の人なんですよね。
なんだかんだ蟹なのです。
この物語は柄本さんが人を振り回してるように見えて、佐知子が人の心を随分かき乱してた。
でも石橋静河さんという方は独特で、「女」でありながら女としてぶつかってこないんですよ。
いや、体の関係まで早いから最初は女を前面に出しているけども、関係深まるごとに女じゃなくて「人」になっていく。
これは「窮鼠」の成田凌さんにも感じたことであり、また図々しいながら「自分と同じ」という重ねやすさがある方。中性的な仕草や声がとっても魅力なのです。
男は結局、「人」を求めるのであって、女が欲しいわけじゃないんじゃないか。
やっぱ窮鼠とつながっちゃうけど、「女」とか「男」で自分を埋めようとするうちは、どこにも到達しないような。石橋さんを見てるとそこまで思っちゃいます。
ありのままの人間としてぶつかっていく。だから関わった人みんなから愛されるのだと思う。あくまで役の話だけど。
それは、同じ本屋のバイト女子大生との対比で浮き上がることでもある。
あの女子大生すんごい肉食女子だったな。
「あとちょっとだけ…ね?」
と男子をさらなる夜へと誘う折に、親指と人差し指で「ちょこっと」を表現して目の高さに掲げる女ですよ。
もちろん上目遣い。
柄本さん演じる「僕」はこういう女を好きにはならないだろう。きっとたぶん。
柄本さんと石橋さんが重なると、柄本さんの大柄さがよくわかる。
男の人を好きとか「男だ」と感じるときは、そのたくましさの中に自分がいると思えるとき。
でも同じ背格好で感情の振幅も似たような、双子みたいな人を目の前にしたときのあの通じ合いもまたなんでしょうねと。
自分はこれから女として生きていくのかそれとも分かり合いの中で生きるのか。
もちろん両方ってことがあるにしても、「女」を意識させられる人とは長く続かないのかもしれない。
でも続けたくなるから苦しくなるのであって。一生女でいたいと思う苦しみ。
(一生女でいたいと思わなくなれば苦しくなくなる)石橋さんと柄本さんは太陽150度というわけですが、この150度というのはやっぱり恋愛が美しくなるのです。
たとえ別れてもなかなか忘れられない・忘れたくないほど景色もお店もなぜかドラマの一コマみたいに印象にこびりつく。
だけどソフトアスペクトと出会ってしまうとそっちのしっくり感が居心地よくなってしまう。
この映画はまさにそんな物語でした。「やっぱり誠実じゃなかったんだ」
石橋さんが柄本さんに興味抱き始めのときに言ったこと。
それが魅力なんだと石橋さんが誘う。
この石橋さんの目がすごかった。あなたに興味ありありという視線。私にはできないな…。
そして「俺すんごい興味持たれてる?」と感じつつさらっと流す柄本さんの表情もなんだか懐かしい。
平成の青春男女という感じ。誠実さってなんでしょうね。
佐知子は柄本さんと同時進行で店長(萩原聖人さん)との交際が続いてて、「めんどくさい関係なしね」と柄本さんに軽く釘さし。
それが手軽にできそうだから柄本さんに興味抱いたんだとも思うし、それでも誠実さはあるはずと、進んで見出したかったんじゃないかな。表面的には「別にこういう関係でいいじゃんね」というライトさで始まる。
やがて「ちゃんと向き合ってほしい」ということを求めるのは佐知子。
ちゃんと嫉妬してほしい。なぜオール「いいんじゃない?」が愛に欠けてるように思うのか。
いいんじゃない?=どうでもいいんじゃない?って聞こえてしまう病?
柄本さん演じる「僕」は、どう転んでもマイノリティーに転がる男に思えた。佐知子はそれに気付いて惹かれていったのかも。
でもなんか、現代風の「僕」にはそれが新時代の男の美学になりそうな危機感も抱く。
おしゃれで寛大で「いいんじゃない?」男がファッションみたいになるペラ感。マジョリティーベースの病巣。
これは物語だから成立するのであって、あれがリアルに溢れたらもう順応しきれません(順応対象から外れてるにしろ…)でもこの物語って昭和の作品なんですよね。
佐藤泰志さんの1981年の小説が原作。
だから「僕」は本当はどう描かれてるのかとても気になる。
三宿男ではないはずで。3人で遊んでるうちに、佐知子に静雄の誠実さが浸透してしまう。
静雄が佐知子を「好きかも」って気持ちをたぶん抑えられなくなって、それが漏れ出ているのを佐知子も気づく。
気持ちが正直に出ることだけが誠実じゃないだろうけど、「わかりやすさ」は相当な安心材料で。
150度の関係を佐知子は終わらせるんですよ。
きょうだい・同級生のような60度の過ごしやすさを選ぶ。自分を振り返っても周りを見ても、150度の関係性は続けるか終わらせるかの悩みが深いです。
・2人から生まれるセンス重視で、苦しみや噛み合わなさも楽しみながら150度を続ける。
・噛み合わないとこなど問題点を見ないようにして強引に150度を続ける。
・噛み合わないってなんてくだらないんだと関係を終わらせる。
この映画ですばらしいと思ったのは、行為の前に「ゴム持ってる?」という確認があったこと。
石橋さんがベッドから転げ落ちながらポーチからゴム取り出したのにはしびれました。
そうじゃなくっちゃね!
しかし相変わらず吐瀉と乳首を描く日本映画の風潮にはちょっと引く。
この映画は乳首なし。でもなんでわざわざ汚物を描くのか…。染谷さんの母役・渡辺真起子さんがまたすばらしかったです。
全体的に「俳優をたっぷり撮ってるな」と感じるアップが多くて、渡辺さんの目の動きとかかすかな表情もずっと見てたかったです。
柄本さんと2人きりになるところ、食っちゃうんじゃないかみたいな迫力もちょっとあった(笑)
あと石橋さんがカラオケで「オリビアを聴きながら」を歌うんだけど、ずいぶんジャジーなオリビアだなと。
誰のカバーかと思ったらハナレグミだった。
静雄と佐知子2人で行ったカラオケ。初めての2人きり。
歌の世界にどっぷり入る佐知子のこと「なんかいいな」って目で見る静雄。
同僚とカラオケ行ったときのことを思い出しました。
殻を破れずわざと音痴に歌う人よりも、この曲好きなんだなぁ〜ってくらい歌う人に惚れちゃいますよ。
クラブで踊る石橋さんも素敵だった。
ラストシーン、石橋さんの表情で終わる。
「泣くな、泣かないで」と祈った。それは「そっちに行かないで」という私の願いをうっかり託したということでもあります。「きみの鳥はうたえる」というタイトルは、原作ではビートルズの「And Your Bird Can Sing」が由来のようですが映画ではこの曲への言及はなかったです。ちょっと聴きたかったな。
恋心を久々思い出した映画。
石橋静河さんに青春時代の自分が引き出された感じです。 -
映画「窮鼠はチーズの夢を見る」
観てきました。
チケット売り場で「きゅうそ…1枚」とつぶやいたら「え?」と聞き返されましたが、「窮鼠はチーズの猫を噛む…」とか言いそうになるタイトルですね。
「きゅうそ、チーズの1枚」でチケ購入。この映画は肉体的絡みが多いです。
退院直後には刺激が強すぎた。おへその傷あたりがギュギューンとなりましたね…。
つっこみどころがたくさんありましたが、まず最初の大倉忠義さんのお尻アップ。
あれは気になりました。成田凌さんの目線という意味なのかな。卑猥だなと思って。
あと女性陣のいい意味で色のなさとか、男性同士の睦み合い(乳首遊び?)
なんたって国広富之さんですね。
とにかく胸にいろんな感想が渦巻いた!!
上映開始直後ですがネタバレで綴っていきます。
このお二人は星的にもお見事でした!!!大倉忠義さん(大伴恭一)…めちゃ牡牛座的に無難ハンサム、無意識エロ、グルメ、官能性に弱い、香水の会社勤務
成田凌さん(今ヶ瀬渉)…むっちゃ蠍的に長い片思い(8年)、粘着質、意識エロ、鋭い洞察力、探偵業(秘密を扱う)あっ、成田凌さんは射手座の可能性もあるんだった。
でもこの役で蠍決定でしょうと思いました。一応境目は15時半ごろ。このお二人は本当にすごかったです。
なんたって大倉さん演じる恭一の薄さ。セリフの9割が無難。
いや、この薄さがまたいいのです。
薄くて優しげで受け身な男前が一番モテるのかもしれません。
大倉さんに「元気なのか?」って普通に優しくされるだけでなんか泣きそう。そういう淡い魅力。
目が合ったりチラ見されたらすぐ好きになっちゃうと思う。
恭一の視線は全然濃厚じゃないのにね、女はそこに都合よく意味を乗せる。
恭一はとにかく流されやすく、来る者拒まずタイプです。
柔軟宮利いてんのかな?と思ったら、火星が双子座でした。その火星が射手天王星とオポジション。
でも柔軟宮はそれくらい。どこか魚座っぽさもある役でした。成田さんがまた…(泣)
思い出すだけで切なくなる。
成田凌さんの目がすごかった。
マジョリティーとマイノリティーの境目を鋭く見つめてるんですよ。私にはずっとそう感じられた。
自分はマイノリティーだと痛いほどわかっていて、王道マジョリティーを生きている恭一のゆらぎをずっと見てる。ゆらぎの波が1ミリでも自分に寄せてくれば、その隙を逃さない男・今ヶ瀬。
なんって悲しい目をする方でしょうね、成田凌さん。
月は魚座、金星は蠍座で冥王星とコンジャンクション。そういう感じ!(雑)
今ヶ瀬はすごい尽くし屋さん。そんでいつも手を袖で覆ってるタイプ。
小さな椅子の上にコンパクトに丸まって座るとか、可愛いかった…
でもかっこ悪かった。むき出しだった。
そこに感情移入したのかも。そして苦しんでいた。この映画はマジョリティー/マイノリティーの話なんじゃないかと、そういう目でずっと見てました。
もしかして、自分をマジョリティーと思ううちは誰のことも本気では愛せないんじゃないか。
マイノリティーの体感あってこそ真理が見えるんじゃないかと、今ヶ瀬を見てるとそう思えてくる。
もっとひりひりしながら生きろよと言いたげな恭一への鋭い視線は、愛と嫌悪とどうしようもなさで黒光りしてた。恭一は不倫して離婚して、大学の後輩・今ヶ瀬と再会、自然と一緒に暮らすようになる。
「自然と」とはいってもかなり強引なきっかけが冒頭にあって、それは伏せておきますが、「やめろよ」という態度を崩さない恭一。
そして離婚した妻含め複数の女性と関わりを持つ恭一の空虚さを埋めてくれるのは今ヶ瀬しかいないんじゃないかと、その恭一の心の動きを追った物語とも言えます。そう、空虚さが漂うんですよ、恭一からは。
今ヶ瀬はいつも寂しげな瞳だけど、「恭一を想う」という充実はあると思う。すごい苦しいだろうけどね。
恋ってやっぱ病気…と昔を振り返ったりもした。恭一の言葉ですごい印象的だったのが、これです。

恋愛でじたばたもがくより大切なことが人生にはいくらでもあるだろう。今ヶ瀬はかなり「本当」の自分も想いもさらけ出している。
「本物」の中でしか生きたくないという意思が強く感じられた。
ただ冷静に見るならば、確かに恋愛でじたばたしすぎ。
恭一がすべてで、これは「愛」なんだと断言するんだとしても、日々を恭一で埋めすぎてるように見える。
このセリフが出るのは二人が結ばれたあとだったので、恭一は二人の関係を前向きに考え始めてるんだなと思ったんですよね。
だけど今ヶ瀬は消える。
しょっちゅう消えるんだけど、一体何が正解なのか恭一は悩む。
でも正解をちゃんと与えてあげられない自分を責めたりもして。
大倉さんは終始優しげで、それが今ヶ瀬に向かうと途端に濃厚さをまとう。女性がね。
出てくる女性陣への違和感がすごかった。
あえてそう撮ってるんだろうけど、恭一に愛されたい女性たちは恭一で何かを満たそうとする、そう見えた。
でも恭一こそ、埋めてもらいたい男で。
婚約指輪を贈ることはできる。幸せそうな結婚生活を演出することもやれなくはない。時に激しく欲情する。でも女性の幸せそうな笑顔じゃ心は埋まらなかったんだな。だから似たような別れを何度も繰り返して。恭一のささやかに新しいライフスタイル、それがラストシーン。
あの穏やかさには泣けたなぁ。大倉さんめちゃかっこいい…!
こんな男性、今まで映像で見たことなかったと思うほど独特のムードでした。
今ヶ瀬は、恭一の薄そうなところが大好きなんだろうけど、「薄くないくせに…たぶん…」っていう賭ける何か確信めいたところに触れずにいられなかったのだな。「待ってるんだ」と、恭一は恋人の存在を匂わせて女性と別れる。
そんなに愛した女性がいたんだと、彼女は涙を流す。
恭一は男とか女を待ってるんじゃない。
今ヶ瀬という「人間」を待ってるんだよなぁと。
女性陣だって恭一をちゃんと愛してたと思うけどさ、恭一にかける「期待」がなぜかつらかった。
恭一は持ってるものがあまりにも多くて、まずその容姿、社会的地位、センス、優しさ。
今ヶ瀬だって恭一に一目惚れだったから男も女もないかもしれない。
でも、私にはどうしても、女たちは恭一というマジョリティーに手を伸ばしてるように見えた。
だって女たちが感じる恭一の魅力ってなんだろうね。
恭一に愛されたい。恭一から与えられたい。恭一の特別になりたい。
それは今ヶ瀬も同じかもしれなくても、「違う」と感じてしまうのはなんでだろう。自分だってそういう恋愛ばっかだったかも。
たくさん期待したし、与えられたかった。
あの小柄な女子みたいに「ハンバーグを作ってあげる、お皿も私が洗うから…」みたいなことが愛のお返しと私も思ってた。そのくせ子猫みたいに「おいで」と言われたがる。それを積み重ねればどこか「道」に通じるように思ってさ。
・・結婚という道だな。
今ヶ瀬と女たちが違うのはその到達点かもしれない。
女はその道をまったく頭に描かず恋愛することなんてできるのかな。
女も女でそれは苦しい。 -
「家族ゲーム」「野獣死すべし」
昨日は松田優作さんの映画を2本見ました。
夜には優作さんの最初の奥様・松田美智子さんによる優作さん記をKindleで購入。
作品を見れば見るほど知りたくなるし、読めば読むほどやはり惹かれていく方です。「家族ゲーム」は何度も見たのですが、最後に見てから20年は経ってるかもしれません。
宮藤官九郎さんがラジオ「ACTION」でよく家族ゲームの話題を出されるのでたまらなく見たくなり、このたびやっと視聴。
「梨泰院クラス」のグンウォン役の方が似てたというのも、優作さん熱が高まったゆえんと言えます。「家族ゲーム」の監督は森田芳光さん。
1980年代のあのころ、日本映画って独特のわけのわからなさがあって。
自分が幼いからわからないんだと思う一方、それなりに吸収するのが「映画を楽しむ」こととも思ってた。
金曜ロードショーなどでも女性の裸映像はするっと流されるし、「なんかわかんないけど観た経験」、それを積み重ねることで自分の成長としたかった。
理解したいという背伸びの気持ちを沸き起こさせるのが80年代の映画だった気がします。
特に森田監督の映画は、「音楽がない」「セリフがない」「一見わけがわからない」という引き算みたいな仕掛けがかっこいいというか楽しい。映画を楽しんでる!と感じさせてくれる。「家族ゲーム」は一応、受験・核家族・都市型生活がテーマなのかな。
そうはいっても、この映画にそれらを真面目に捉える気がないことはわかる。
大体、優作さん演じる家庭教師の吉本が三流大学7年生。
息子を一流高校に行かせたがる父・伊丹十三さんが、なんで・どういう経緯で吉本を引っ張ってきたのかがまず謎。
「この人選間違えたね」と思っちゃうとこがもうワクワクします。「野獣死すべし」もそうなのですが、松田優作さんの役における性的曖昧さが時代を先取りしてるように感じたのです。
「家族ゲーム」では女が好きそうなのはわかる。
茂之(宮川一朗太さん)のエロ本を持って帰っちゃうし、阿木燿子さんとのキスも「食事より断然好き」と思わせる激しさ。美人を見かければ適当に話しかけるし。
でも、茂之の隣に初めて家庭教師として座ったときのあまりにも密着。
「かわいいね」と囁いたり、頰にキスも。
伊丹十三さんと2人きりになれば、漂うものはなぜか危なげな色気。「野獣死すべし」では、女性への関心をダイレクトに示すことはありませんでした。
クラシックコンサートで隣の席になった小林麻美さんとの偶然が重なるうちに想いを寄せられ、優作さん演じる伊達が手を握られるシーンがありましたが、伊達が女性を意識した顔をしたのはあそこ1回だけの気がする。
最近見た「JOKER」や「タクシードライバー」では、主人公が女性にフられたことで犯罪への決意を固めますが、「野獣死すべし」では逆に好意を持たれることで伊達の過激さに拍車がかかるという、そこにすごく珍しさを感じました。
松田優作さんはいわゆる「男!」としてのお姿が魅力的な方とずっと思ってましたが、性別がどうとかとっくに突き抜けてたんだな。
この曖昧さこそが本来の人間らしさかもしれない。「家族ゲーム」の見どころの一つが由紀さおりさん演じる母親役ですが(ものすごい色っぽくて素敵)、松田優作さんは由紀さんにもこんな距離感。
(U-NEXTオープニングページより)
優作さんは全般「危険」なんですよね。
身長は180以上だし大柄。こんな男前からのこんな距離感。
その先にあるのが性なのか暴力なのか、見てる側からもわかりません。
距離を取りたくなるのは、油断したら吸い込まれそうな気もするから。
この男に吸い込まれたら人生どうなるかわからない。けどその先を見てみたい気もする。危険!!宮川一朗太さんがまた、ただの中学生じゃないです。相当生意気。
吉本を「危険」と感じるセンサーが未発達なのか、それとも吉本を何者とも思わないとこが茂之の潜在的な優秀さなのかやっぱ愚かさなのか。
ただ相性はよかったらしい。
松田優作さんが勉学指導してるように一個も見えなかったけど、茂之のやる気スイッチは探り当てたようで。(喧嘩の指導は熱心だった)兄・慎一は、優秀な西武高に進学して親を喜ばせることができたものの、進学後は気が抜けてしまったようで学校も休みがち。
部屋でいつも何やってるかというと、なんとタロットを展開してるんですよ!!
机の端には「タロット大全」みたいな本が数冊積まれてるし、部屋の壁にはホロスコープチャートがでかでか貼られてる!占い師目指してるのか!?誰もここに言及しませんが、ただ吉本もバカにすることはない。
しかし伊丹十三さんはさらなる将来を見据えるよう発破をかける。
とは言え、ろくに家族と向き合ってない、自分のことしか考えてないというあの時代典型的な父親です。
外見的な優良さばかりをいつも息子や妻に求めといて、「目玉焼きをチューチューしてる俺」を何年も一緒にいてどうしてわからない!?チューチューできる固さに仕上げろ!と激怒。
由紀さんは大抵「気がつきませんでした…気をつけます…」ってお上品に耐えるけど、さすがに「チューチューって…」とドン引きの目をしてた。
けど由紀さん演じる母親も、「息子が落ちこぼれになったらどうしよう」とか、息子の成績落ちたら「私が怒られるのよ」って息子に嘆く。やっぱ体面が大事。夫を立てているようで、夫の表面しか見てないのです。
そういう家族の風景を吉本は見てるのか見てないのか一見わからない。
でも確実に感じ取ってるでしょうね。茂之は幼なじみからのいじめも乗り越え、持て余してたような精神の自由さも「勉強」という軌道に乗せることができ、なんだかんだ優秀志望校に合格。
吉本も熱心に沼田家に通い続けましたが、お母さんが運んできてくれるお茶とケーキだけが唯一の楽しみっぽかったな。いつも一気に飲み干すけど、あの下品さもまた色気でした。
でも伊丹さんから破格の金額提示があったので、お金が絡めばちゃんとやる男だったのかもしれない。
結局ちゃんと教えてたのか教えてなかったかはわかりません。想像に委ねられてる感じ。そんで有名なシーンが、茂之合格祝いの沼田家+吉本の横並び食事風景。
あれはTVではカットされたということですが、あのわけのわからなさにはゾクゾクします。
昭和の名シーン10選とかに入るんじゃないでしょうか。
合格祝いなのに、吉本は最後にすべてをぶち壊して帰っていく。
あんなに何事も無関心な男、さらっと沼田家を去っていくのが吉本っぽいんじゃないの?と思うのに、「ぶち壊す」という能動性は何ゆえか。
この「なんで!?」って今でも尾を引くところがこの映画の永遠のおもしろさなんだろうな。ラストのヘリコプター音も謎すぎていろんな解釈があります。
ゲームオーバーを告げているとか、いろいろ。
私が思ったのはマンションの防音性の高さ、つまり「窓を閉めれば自分たちとは別世界」という遮断性が、あの時代の人間の変化として浮き彫りにされてるのかなということ。戸川純さんが沼田家を訪ねてきて、自分の病気の父がもし死んだら棺桶はどうやって下ろせばいいでしょう?エレベーターに入りません…狭いマンションじゃ盛大に見送ってやれない…と泣く。
由紀さんが「子どもが帰ってきましたので…」と言うと、「自分の家のことだけじゃなく、他人の家のことも心配してください!」と号泣。
巨大マンションに誰もが住みたいのだとしても、人間らしい部分はばっさり切り落とされるのだから、それでいいと思ってる奴だけが住む場所なのだ…というメッセージ?なんてね。
大体、吉本は満員電車に揺られることもなく、船で沼田家にやってくる男。
最初から最後まで時代性とかけ離れた存在。時代になんて沿わないほうがいつでもかっこいいってメッセージがもしあるのだとして、松田優作さんはぴったりなのです。予告編では優作さんを「ジョーカー」と言ってますね。なるほど!優作さんがジョーカーとして沼田家にもたらしたもの…それはなんかとても大きい。
ここからさらに「野獣死すべし」について話すと超長くなりますがね。
この映画、というか優作さん演じる伊達はもう「狂ってる」
主人公の狂気ががっつり描かれた映画はどうしてこんなにおもしろいんだろう。
「おもしろい」と言うことすらはばかられる描写は無数にあるけども。ただ、伊達の狂気は戦地での経験と結びついてるので、「ああ、それで…」とわかってからは伊達の狂気への恐れが少し薄らぐ。
それくらいの悲しさが後半びっしり描かれます。もう全部変わってますよね。
人に銃を向けまくる伊達は、東大出身の超エリートで金持ち。リッチな一人暮らしの29歳。
おしゃれだし、クラシック聴いてる時は品がある。だから小林麻美さんが一目惚れするんだけど。
小林麻美さんがまた美しいです!!
伊達という男は、まさか人を殺すとは誰も想像しないような華奢さ・知性・一見弱々しさ。
でも内側に秘められた狂気はヤバイのです。
最初っから優作さんは狂ってましたが、その狂気に歯止めがかからずどんどん狂っていくという。
そしてその原因はやはり戦地でしたか…というやるせなさ。どこに怒りを向けたらいいんでしょう。ただ、相当無口だった伊達は、鹿賀丈史さん演じる相棒を見つけてから割と饒舌になり、語る言葉が多いとちょっと正常に見えてくるから不思議です。言ってることはまじヤバイ。
後半はたっぷり劇団舞台のようでした。優作さん主人公の戦記舞台。狂気のピーク。でも悲しさのピークでもある。松田優作さんの表現に、どんなでもいいから触れたいという欲が刺激され・満たされる一本と言えます。
かっこいい。スタイルだけじゃなく、顔も。あの目に、お鼻。
目は一重だったけど二重整形手術をしたと、松田美智子さんは著書で明かされてました。
この本がまた美しい恋愛小説のようなのです。
優作さんはやっぱりそういう男性でしたか!!という感動でなかなか本を閉じられません。
本を読み終えたらまた優作さんのことを語りたくなりそうです。 -
映画「タクシードライバー」
私はいまだに「JOKER」の余韻を引きずってるようです。
「JOKER」について検索すると、必ず「タクシードライバー」もヒットする。
オマージュともいえる描写がいくつもあるらしい。
ずいぶん昔に見ましたが、ほとんど覚えてません。
ロバート・デ・ニーロが銃さばきの練習に励んでるとこと、13歳にして娼婦役のジョディ・フォスターのことは記憶にある。
たぶん、20代の頃と今じゃ感じ方が違う。
ましてや「JOKER」を見たあとの今とは。「JOKER」との共通点
・主人公が日記をつけてる(しかも字が汚い)
・同僚から銃を持った方がいいと勧められる
・まったく女性慣れしてない
・1人リハーサル好き
・こめかみに指の銃を当て「プシュ…」と言う仕草は完全オマージュと思う。
・主人公のイタさ主人公・トラヴィスのイタさは、JOKER・アーサーのイタさ具合とすごい似てました。
でも2人にどうしようもない愛おしさが湧き上がる。
自分に重ねてるのかもしれません。
「これ、コメディーかな」とちょいちょい思うのもJOKERと似てます。元海兵隊員のトラヴィス。
1976年の映画で、たぶんベトナム戦争に駆り出された。
私がイタさと感じたのは、軍人生活と戦後のNY生活のギャップによる空虚感かもしれなくて、あの時代の社会問題であるかもしれなかった。
その空虚感から抜け出せない元軍人はたくさんいたらしい。
最近見たホアキン・フェニックス主演の「ザ・マスター」も、元軍人が社会復帰できなくて新興宗教にのめり込みそうになる苦悩の話でした。(U-NEXTトップページより)
トラヴィスを外見だけで「あら、いいじゃない」と思う女性はこれまでもそれなりにいたんだと思う。
とあるオフィスの「いい女」に心奪われたトラヴィスは、結構強気に女性を誘い、好意を伝え、女性をうっとりさせることはできる。自分の都合いいように会話できるうちはよかった。
選挙事務所で働く女性=ベッツィに「誰を支持してるの?」と聞かれると、「…政治に興味ないんだ」とお茶を濁す。
「あなたってあの曲の歌詞みたい」と言われても、その歌手自体知らない。
歌詞の内容は「矛盾」 ←当然ここも通じてない。
外見まぁまぁいいし情熱的だけど、中身うっす…
トラヴィスと「会話」となるとなんか成立しないけど…?
等々ベッツィはうっすら気付くけど、「映画に行こう」というトラヴィスの誘いに、「どんな映画に誘ってくれるのかしら♪」ってロマンチックな夢見たんでしょうね。
しかし!!
トラヴィスが連れていった映画がポルノ。
なんでだって!!
ベッツィがためらっても「あっ、そだよね…ごめんね」とかならない。
複数プレイが映し出されてもトラヴィスに気まずさゼロ。
ベッツィは猛烈な嫌悪感で「もう帰る」(そりゃそうだ)
「え?待って待って!」トラヴィスはベッツィにあの歌手のレコードをプレゼントするけど、「いらない」と言われる。
「持ってるから」←でしょーね!!
持ってるからその歌詞の話ができるのに、「あなたが聴けば」と突き返されると、「プレーヤー壊れてて…」とトラヴィス。
これはベッツィにとって決定打でした。
こいつ、何なの?って。
もう電話に出ることもない。
トラヴィスは、「こうしたら女は喜ぶんだろ?」という輪郭しか知らないように見えた。
深めるということが苦手。
だからタクシードライバーを選んだのかもだけど。でも、戦争行ってたから政治もカルチャーも何も知らないのだろう。
そう思うと悲壮感が一層感じられます。
女性に振られたことでトラヴィスの復讐心に火がつくところもアーサーに似てる。
「この女もまた俺から離れていった」
つぶやくトラヴィス。
「この女も」ということは何回か同じ経験してるということで、やっぱりポルノ映画に連れてったのだろうか。
デートにポルノ…絶対NGですよね…ポルノを見てるトラヴィスは、男として高揚してるようには確かに見えなかった。
「あたしを抱いてと言わせたかった!?」というベッツィのキレにもピンと来てない様子。
カルチャーも政治も何も語れるものがないトラヴィスが夢中になれるのがポルノ。
戦地から戻って理屈抜きに安らぎを感じたカルチャーだったのかな。電話に出なくなったベッツィの選挙事務所に押しかけ、同僚の男性に制止されたら余計腹立って、攻撃的な脅し文句を吐き捨てるトラヴィス。
その勢いで銃を何丁も買う。
銃を入れるためのグッズも購入。
そんで部屋で銃さばきのひたすら練習、あの名シーンです。
筋トレまでして、復讐心は結構本気っぽい。
さすが元軍人だけあって、グッズの加工とかいろいろ器用なのです。
空虚だった気持ちがみるみる満たされていく、そのデ・ニーロの変化がすごかった。
どんどん男前になっていく。締まった体、「俺は銃を持っている」「計画があるんだ」と目標を見つけたトラヴィスは、異様な輝きを放つ。皮肉な話です。
結局、軍人時代のメンタルに舞い戻ったような。
組織の中で命令に従ってた時はそれなりに輝けてたのかもしれないけど。
12歳で娼婦をやってるアイリス(ジョディ・フォスター)を表向き「買った」トラヴィスは、アイリスからベルトを外されても「こんなことはやめるんだ」と教師のような説得。
「でもあたしはべつに…」と現状を変える気もないアイリスだったけど、「じゃあお兄さん、一緒にコミューンに参加しない?」と誘われたトラヴィスは、「俺はそういうのは…」と拒否。
ほらまた薄さの露呈。
コミューンって、ちょっと宗教っぽい自然派コミュニティーなんでしょうか。
物質至上主義の世の中に批判的な確固たる思想のもと、のびのび田舎で自給自足みたいな?
わかんないけど、トラヴィスにはだって思想がないから、アイリスのお誘いにもピンとこなかったんだと思う。
でもアイリスは2、3回誘ったんですよ。
「お兄さん、一緒に行こうよ」と。
アイリスの方が社会をよく感じてて、トラヴィスよりずっと成熟してたのかもしれない。
いや、俺には「目的」があるからね。
銃を使う目的。
コミューン参加してる場合じゃない。
マウント自己実現の絶好の機会。
アイリスは元締めに親のような信頼感を抱いてるのに、トラヴィスは「そいつから引き離してあげる」という使命感で胸を膨らませる。
本来の銃の目的。
ベッツィが支援している大統領候補、その集会をめちゃめちゃにすること。
この集会に足を踏み入れたトラヴィスのいでたちが…
私服はシャツにジャケット派だったトラヴィスは、アーミー系に路線転換(わかりやすい)
しかもハードモヒカン…!!!
ここ笑っちゃったし、もうイタタタタ…目立つっつうの。演説中の大統領候補に近づくトラヴィス。
SPにすぐ危険人物と見なされる。いや、目立つからね。
しかも前回の集会でSPに「君もSP研修どうだい?」と誘われたら舞い上がって資料請求してた(自分の住所しゃべっちゃう)
バカというか純粋というか。
いや、SPが巧妙すぎる。
もうこの時点でトラヴィスは怪しかったんだろうな。
計画が本気なら目立たないこと優先させると思うんだけど…「やってやるぜ!」をまず外見で表明しちゃったトラヴィスよ…。でも心が病んでたという見方もあるようです。
ベトナム戦争での体験のつらさと諸々の空回りとつなげることもできそうで。
何よりずっと「居場所」「生きがい」を見つけてた。
タクシーの運転手として街をあちこち流してても、それは一向に見つからない。
目に飛び込むのは歓楽街の堕落や汚らしさだけ。
何よりトラヴィスは、自分をアップデートするなんてこと考えられないみたい。
手っ取り早い自己実現がマウンティング。そう、今でこそマウント取るとかいうけれど、あのころから自分探しとマウンティングが危なげに結びつく若者の問題ってあったのかな。
トラヴィスがマウント取った感覚のときだけやたら輝いてた。
俺はこの銃で世の中の汚れを吹っ飛ばすと目標定まった日から、仕事スタイルも誰かとの会話にも常識がみなぎって、何よりアイリスを買ったときの交渉人に「警察じゃないよね?」と疑われてたのは、妙な潔癖さが溢れてたからかも。狂気にも近いような。
やっぱりトラヴィスはなんだかんだ軍人メンタルなのだろうか。
選挙集会での発砲が失敗した分、アイリス界隈の人間を全滅させたトラヴィス。
計画の最後は本当は自殺だったけど弾はもう残ってない。なんと…
トラヴィスはちょっとしたヒーローになってしまったんだな。
アイリスは親元に戻り、まともな学校生活を送るように。
両親はトラヴィスにむしろ感謝感謝、それがマスコミによって美談にされた。
この歪んだ崇められ方もJOKERっぽいといえばそうなのかもです。
トラヴィスも首に銃弾受けたけど、今じゃその傷跡はちょっとしたハクになった。
自分がいるべき場所にいられてる実感を持ったような顔でタクシーを発進させる。
最初から最後まで空虚だったトラヴィス。
でも今もそれって同じかも。
自己実現してるように目に飛び込むあの人もあの人も、空虚なメディアに利用された(利用した)空虚な人間なのかも。
ハクだけで人の上に立ったような顔は多くの人の夢を揺さぶる。
「自分はこんなとこにいる人間じゃないのかも」
そんでオンラインサロンとかに大量のお金つぎ込むのか。
…いや、タクシードライバーの見方ってそういうんじゃないか。
でも悲しかった。
トラヴィスの満足感は、そう遠くないうちに枯渇するのだとも思うけど、どうだろう。
「アイリスを助けたんだ」と思い込めればそれだけで一生暮らせるだろうかな。
でもなんか、「気づいちゃう」ナイーブさはちゃんとあるようなトラヴィスと思った。
前以上に苦しんで、そこからが本当の人生かもしれない。何者にもなろうとしないタクシードライバーとして生き続けるんだっていいはずなんだ。
デ・ニーロは太陽獅子座で、獅子座持ちってやっぱイタい表現が素晴らしい。
しかも金星乙女だった。完璧です!
ほかのデ・ニーロ作品も見たくなりました。
若いデ・ニーロといえば「ゴッドファーザーⅡ」で、マーロン・ブランドの若かりし頃を素敵に演じてましたね。
マーティン・スコセッシ監督と何作も組んでるみたい、そんなことはよく知られてることでしょうけどなんせ疎くてね。
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映画「JOKER」
映画見終わったあとは、JOKERの考察とか感想をやたら読んだり、ホアキン・フェニックスについて検索したりが止まらなかった。
私はアメリカ映画界に本当に疎くて(どの映画界も疎いけど)、ホアキン・フェニックスといっても顔は浮かばないし、「バットマン」も見てないのです。
また、人の考察を読んで初めて「あ、そうなんだ?」ということばかり。
それでよく楽しめるなと我ながら思うけど、「JOKER」のラストで涙があふれてしまった。いや〜ホアキン・フェニックスにずっと惹きつけられた。
あの悲しい目!悲しいダンス!あのイタさ…!
どうしてこんな表現ができるんだろう?といろいろ調べてたら、そうそう、リバー・フェニックスの弟ですね。
ホアキンの悲哀感とリバーの死が繋がってるのかはわかりませんが。
なのであれこれ疎い私が見た拙い感想です。まず元のホアキンをよく知らなかったけど、裸の後ろ姿を見て「ものすごい減量したんじゃないか?」というのはすぐ感じられた。

頬もげっそり。
52歳ぐらいと思ったら45歳ということでびっくり!!
「JOKER」のことが語られるとき、「パラサイト」や「万引き家族」もよく引き合いに出されるというのはわかる。
貧困問題・貧富の格差・抜け出せない負のスパイラルのあたりが強調して描かれてます。
ホアキン演じる「アーサー」は、ふいに笑いがこみ上げ、しかも止まらないという障害を抱える男。
その笑いに接した人は、「なぜ笑うの?」「ここ笑うとこ?」という不快感を隠さない。
でもそのうち、あれ?泣いてんの?と気づく。
もしかしたらその笑いは咳みたいなもので、激しい咳すると涙が出てくるような、アーサーの笑いはそういうものかもしれない。
なのになまじ「爆笑」に見えるから、障害とは理解されにくい。
「僕は笑いが止まらない障害を持っています」というカードを持ち歩いてて、不快がる人にそれを見せて理解を求める(あんま理解されない)そのほかアーサーの暗い側面がたくさん描かれます。
ピエロのアルバイトで生計を立ててたり、母子家庭でお母さんの介護を何年も続けている。
仲間はいるけどどこかバカにされがち。
メンタルのカウンセリングルームも、市の要請で閉鎖される。
やがて仕事も失う。どん底の日々。
でも夢がある。
それはコメディアンとしていつかステージに立つこと。
笑いのセンスがどうもないけど…アーサーのこの「笑いのセンスがない」ところにちょっとキュン…としてしまいました。
イタすぎる…サムい…という同情心みたいなのがいつしか恋心に変わるような。
・・恋はやっぱないか。
でもアーサーが小児病棟で拳銃を落としたときのあの間の悪さはたまらなかった。
たまらなくウケた。
「シー…(内緒!)」→シーじゃねー!(速攻チクられるし)
いや、あのアーサーすごい好きですよ。
間違って発砲したときの慌てふためくとことかドリフ!志村けん!
あと、アーサーが感極まったときに踊り出すところ。
あの舞がたまらなく切ないし、すごく高揚する。
かっこいいじゃん、アーサー。
なのに、あのダンスは大抵誰もいないときに繰り出される。
「かっこいいアーサー」というのはわりと幾度も目にします。
その踊ってるときと、あと同じアパートに住む黒人シングルマザーのソフィーと一緒のとき。
ソフィーが笑ってくれれば、ステージでだだスベりみたいなアーサーのギャグも、なかなかイケてたんじゃないかと感じられる。
倒れた母親を心配するアーサーの背中をなで、額にキスするソフィーは、アーサーの献身さを十分知っているんだと思う。が!!!
アーサーには他に「妄想」という重大な障害もあった。
妄想を現実と混同する。
ソフィーとのこと・・妄想
ステージに立ったこと・・妄想
発砲したこと・・妄想の線が濃厚これは悲しすぎる…!!
特にソフィーとのことが妄想と自覚した瞬間の、テッテレーっぽい答え合わせ映像みたいのには私もショックでした。
どうりでアーサーに都合のいいことばかり起こると思ってた。
そういえば、おかしいところも満載です。
ただ「どこからどこまで妄想か?」というのはいろんな考察があって、どれが正解とかわかりません。
99%と言う人もいれば、あれとあれはリアルっぽいと言う人もいる。でもほとんど妄想と思うと納得がいく。
アーサーがかっこいいとこでは笑いの発作も起きない。
またアーサーに向き合ってくれる人は黒人や障害者で(母親も含めて)、アーサーを追いつめたり迫害してくるのは白人、とりわけお金持ち。
いつかそれらに対して正当に反撃するために、アーサーが自分の中で温めながら肥大させてきた被害妄想物語とも言える。
アーサーが誰かに語った瞬間、何もかも泡となって消えるようなストーリー。
「恋も華やかなステージも、事実はどこにもなかったのさ」
「確かなのは、アーサーという病んだ男がこの世にいたことだけ」
「可笑しいかい?」
ってことなのかも・・?
それにしたって悲しすぎる物語ですよ。
あの差別や迫害や、金持ちからのぞんざいな扱いは決してアーサーの妄想だけじゃないはず。
「実際あるんだよ」
と声高に訴えても誰も取り合ってくれないなら、存在しないのと同じこと。
だったら妄想の中で盛大に殺してもいいだろう…?
そういう皮肉ストーリーにも感じました。
この映画の素晴らしいところはあと音楽と、なんかおしゃれってところ。
それらがホアキン・フェニックスにぴったりハマってたのがかっこよかったです。ハレの日にこんな衣装を合わせるなんて、アーサーめちゃおしゃれじゃん。

でもこれも妄想なのかも。実際の私服はこれ。

ロバート・デ・ニーロ演じる大物コメディアンに、「俺のことはJOKERと紹介してくれ」と強気に求めるアーサー。
それも妄想だったのかもしれない。
またデ・ニーロの大物MC感が見てて気持ちいい。
音楽に合わせてゴーゴゥ〜!みたいなノリもすごい好きです。

いよいよステージへ!という前にひと踊りする余裕も全部夢…?(わかんないけど)

アーサーは、あの人もあの人もあの人も殺してしまう。
その全ての遠因に、差別の恨みよりもっと根が深い、「父親不在」ということがあるようにも思えます。
「傷つけられた」「裏切られた(捨てられた)」という被害感情が、生まれてから切り離されることのなかった男の人生。
これをどういう気持ちで観ればいいだろう?というのが難しい。
映画が難しいわけじゃなく、自分の気持ちの置きどころが難しい作品と思いました。
それにこの映画は、「同情不要」という仕掛けがうまいこと隠されてるように感じた。
同情したくなるけどできないんですよね。
アーサーに心を寄せたいけど「なんか違うな」と思う。
うっかり共感とかして煽られないでねという仕掛けがあるのかも??
ただなぜ感動したかというと、徹頭徹尾イタかったからかもしれません。
笑いのポイントが周りとずれまくるけど、人を笑わせたいと夢見てるアーサー。
汚いネタ帳をいつも手に持って。
人から見たらバカバカしいことに一生懸命になるとこは、自分同じかも…と思った。
私がこのブログを書いてるこの熱量も、知り合いからバカにされてんだろうという妄想を肥大させようと思えばできるんだと思う。
この映画にメッセージ性はさほどないように思ったけど、デ・ニーロ演じるマレーにアーサーが、「外に出たことあるのかい?」と問うとこは唯一リアルな鋭さに感じた。
世の中が今どうなってるかわかってる?僕みたいのもこの街で暮らしてるんだ…それって見えている?
(見ようとしてる?全部ジョークで笑い飛ばせる金持ちさん)
2回見てまたちょっと書き直しました。
やっぱラストのエンディング曲とドタバタ感が泣けます。マイケル・ムーア監督の「JOKER」評がとても刺さる。さすがです。
「あなたがこの映画を観ないなら、それが社会の危機になるかも」アカデミー賞授賞式では体型が戻っててホッ!
環境問題、動物愛護問題に向き合うべき私たちの変化がいかに難しいか、自然を奪う人類への批判をスピーチに込めるホアキン。
最後は声を震わせながらリバー・フェニックスに触れる…(泣)
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映画Redと結婚
Netflixに映画「Red」が入ってきたので早速見ました。
以前にも出演者について書きました。
→妻夫木聡×夏帆×柄本佑公開直後にコロナが蔓延して上映中止に。
そんな映画はとても多いですね。
妻夫木くんと夏帆ちゃんの性シーンが話題となった映画。
赤色ってやっぱりセクシーですね。
おもしろかったかと問われれば、あまり好みじゃない感じです。
夏帆ちゃんはどこかさとみチックで、手の甲をセーターで覆ってました。
…そこはいいだろって話ですが、「私さえ我慢すればうまくいく」というその我慢が崩壊する。
つまりはそういうストーリーだったと言えます。
やっぱりそういうタイプは手の甲を覆うんじゃないでしょうか。
夏帆ちゃん演じる塔子は、金持ちの家の嫁という極端さはあるものの、家事も育児もほぼワンオペ、しかも姑の監視付き、夜は性奉仕、そういう妻ってどれくらいリアルなんだろう。
映画の口コミでは「そもそもなんで結婚したの?」というのがいくつもあって、私も見ててそう思うほど夏帆ちゃんから「こんな生活息苦しい」という思いが溢れ出てた。塔子は母子家庭。
島本理生さんの原作でどう描かれてるかはわからないけど、間宮祥太朗さん演じる夫から「選ばれた」というあたりで結婚を決めたのかなと思った。
母との不和もありそうな塔子。
この結婚でつらかった過去を一気に捨て去ることができそう。
選ばれたからには…!ってんで本当に頑張ってきたんだと思う。金持ちの嫁。
人前に出るワンピースすら夫の要望通り。
いつの間にか自分の意思など存在しないような家庭内。ところがまた「選ばれた」という。妻夫木くん演じる「鞍田」に。
塔子がまだ独身だった10年前に鞍田と不倫してた。
なんで別れたかは描かれてないけど、鞍田との別れもボロボロだったんだろうなと推察。
そうであればこそ納得できる金持ちとの結婚。
間宮さん演じる真がなんでも与えてくれたんだと思うし、家長主義みたいのが染みついてるとはいえ、基本は優しい。塔子に愛着があるのはわかる。籠の中の鳥を愛でるような愛着だけど。塔子と再会した鞍田はその息苦しさを読み取り、自分の建築事務所で一緒に働くよう誘う。
ここでまた「選ばれた」。10年ぶりに。
しかも女として、プラス設計士として。これは嬉しいと思う。
さらに!入社して早々、柄本佑さんからも「選ばれる」この映画は妻夫木くんと夏帆ちゃんの性行為シーンが2回ありましたが、私は柄本さんとのやり取りの方がすごいエロと思ってしまった。嫌悪感もありつつ。
(しかし後半は柄本さんのあの怪しさはなんだったんだと思うほどただの人だった)
さらに塔子は正社員として選ばれる。
選ばれたときの夏帆ちゃんはとっても生き生きする。
子どもを迎えに走ってても、子どものことじゃなく選ばれた嬉しさで心が満ちていることはよくわかる。
もちろん見てる側の主観だけど。女は選ばれないと生きていけないだろうか。
そりゃ男女関係なく、就職でも受注にしても選ばれないと成り立たないことは多い。
でも人は選ばれてないときに全部しぼんでるわけじゃないと思う。
なのになぜか女でいるということは、選ばれなければ自分の存在価値を疑うような、そう思う時期は確かにあった。
自分の話でも、25歳以降は「選ばれ」がずっと付きまとってた気がする。
選ばれさえすれば3番目でも許したあのころ。
付き合った彼氏に「家庭的なことできるよ」アピールとかもしてたっけなぁ。
「そうしてでも選ばれたい」という女性はさほど特別でも卑屈でもないように思ってたけど、「病巣」に近いことじゃないかと今は思う。
そしてマンネリが起きたら今度、塔子のように「性的に満たしてくれそう」という夫以外の選ばれに乗る。
そういう女性も少なくないはずで。
私がこの映画でイライラしたのは、そうして塔子が「選ばれ」で成り立っていること。
その選ばれが、美人でエロいから?と思わざるを得ないあれこれ。
そして最後、子どもからの訴えを振り払うという。
「女」であることを最後に選んだということ…?うーん。
塔子の個性、塔子独自の優しさみたいのとか、なぜここまで男を惹きつけるのかが描かれてないことが残念でした。
もしかして、東京ラブストーリー令和版でも思ったけど、独自性などないほうがいいんだという暗喩?まさか。
独自性や自発性がないからこういうふうに巻き込まれるんじゃないのかなと思う。
外見的魅力で選ばれて激しい性愛に流される生き方も一つの選択肢という提示なのかな。
でもこういうストーリーはうんざりなのです。結婚って本来、自立した1人と1人の生活のはずで。
それが家庭内で実現できないなら結婚しなくてもいいという人が増えるのもごく自然に思える今。
この作品はそれぞれの内面がどうということにはあんまり触れられてない。
でも「女性の生き方」を訴えるシーンは時々あったから、結婚という庇護の下にいても自由がなければ意味がないというメッセージは感じられた気がする。
でもその自由を謳歌するんだったら、内面がどうだということがすごく大事なんじゃないかと思ったんですよね。そこにぽっかり感があって。原作の表現が削ぎ落とされてるのかもしれません。また細かいんだけど、妻夫木くん演じる鞍田が、初出社の夏帆ちゃんに「やぁ」と声をかける。
この「やぁ」と声をかける人に実際会ったことがないです。
でもそういえば同期会に遅れて行ったとき、酔っ払った同期に「やぁやぁ」とおどけて挨拶された記憶。
植木等か森繁久弥の真似かな?と思って笑ったような。
あと夏帆ちゃんの「ええ…」という返事。
「はい」とか「うん」じゃなくて「ええ」
お金持ちの嫁っぽいけどさ、「ええ、そうですね」のときしか使わない気が。
あとクレーマーからの適当な相槌、青筋浮かべて、「ええ、ええ…」
どうでもいいことばかり目につきます。
ちょっと集中力を保てなかったRed。 -
「さびしんぼう」「百円の恋」
「さびしんぼう」とはあの大林宣彦監督の尾道三部作の3作目です。
1985年。主役は尾美としのりさんですが、相手役が富田靖子さん。
この富田靖子さんが…!!
素敵すぎて言葉になりません。なんか泣けるらしいということは聞き知ってました。
そんでやっぱり終盤号泣してしまった。途中まであんなに涙と無縁っぽかったのに。
「さびしんぼう」というタイトルなのだから、少女の寂しさに泣けるのだろうなと思ってたら、なんと「お母さんの寂しさ」が迫る物語だった!この映画を薦めたい人
・富田靖子さんを堪能したい人
・尾道の風景に思い入れがある人
・大林監督の作品に触れたい人大林監督らしく、時空がちょっと不思議な物語。
だけど、どうしたらこんな物語を想像できるのでしょうねと。尾美としのりさん演じるヒロキが、趣味のカメラのファインダー越しにピアノを弾く富田靖子さん・百合子の横顔を眺める日々。
ある日、ピエロのような格好をしたオーバーオールの少女がヒロキの生活に入ってくる。「さびしんぼうだよ」と。
このさびしんぼうも富田靖子さん。一人二役で演じてます。ちょっと複雑なのが、このさびしんぼうが実は16歳の頃のヒロキの母。
42歳のヒロキ母は藤田弓子さんですが、この二人は同一なんだということや、いろんな不思議さも実にわかりやすく描かれてるのです。ヒロキ母は最近やけにヒステリックで、勉強しなさいとか、なぜだかショパンの「別れの曲」を練習しなさいよとか。
あるときはヒロキのいたずらで学校から呼び出しくらって、そのことを夫・小林稔侍さんにくどくど愚痴るけど、お寺の住職である夫は念仏を上げるだけで妻と向き合うことはほぼない。
「さびしんぼう」がこの家に現れてから、母のヒステリックがますます病的になり、「ノイローゼ」だなんて周りから言われたりも。あのころの42歳というのは、おそらくイライラしてたら今以上に更年期とか言われてた時代。たぶん。
大林監督はそこに光を当てたように勝手に感じてしまって泣けたのかかも。
16歳のあのころはお芝居に打ち込んでて、「さびしんぼう」という役で舞台に立ってた母。
そのころ大好きな人がいて、自分に別れの曲をピアノで弾いてくれた、とても成績の良い人。
名はヒロキ。
その恋はそれっきりで、ごく平凡なお見合い結婚をした母は、生まれた男の子に「ヒロキ」と同じ名前をつけた…。あとはただ、しわくちゃのおばあさんになるだけ
さびしんぼうのセリフが悲しかった。
お母さんにだって若い頃はやりたいことや表現したいことがあった。
それを全部ないものにして主婦として生きてきても、どこかで必ずあのころが噴き出す。
誰のどんな人生だって、しわくちゃ一直線ということはないはず。
きっと「さびしんぼう」がどこかで顔を覗かせて、人からいっとき「頭おかしい?」みたいに思われたとしても、何かに夢中だった自分がただむき出しになった、それは蓋をしちゃいけないんだな。浦辺粂子さんが祖母役で、縁側でひなたぼっこしたり一人かるたを楽しんだり晩酌でウトウトしたり、なんとも朗らか。
たとえしわくちゃだとしても、どこかでとてもいい感じに折り合いをつけた姿なんだと解釈した。尾美としのりさんがまたうまいですね。
弱冠20歳であのひょうひょうとした演技。
ピエロの富田靖子さんが、雨に濡れて黒い涙を流す。
「お前泣いてんのか?」
(U-NEXTより)大林監督って「黒」を効果的に使うんですよね。
ヒロキと百合子が初めて言葉を交わしたのも、百合子の自転車のチェーンが外れて、お互い手が真っ黒になったあの日。ここまで書いてさらに映画の感想は続きます。
「百円の恋」
武正晴監督、2014年。
安藤サクラさんがこの作品で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得しました。
体型の変化がすごい話題になりましたよね。
ものすごい大柄な体型から、最後、ボクシングのリングに立つ頃には締まった体型になってるという。これは安藤サクラさんがどれほどすごいのかというのを堪能できる作品と思います。
基本ずーっとひきこもりコミュ障の役で、体が締まっても「あ…はぁ…」という内気さは変わらない。
そして締まった新井浩文さんも相当かっこいいです。しかし新井さんというのはやっぱりクズ男の役が似合いますね。
この映画でもクズ度が増す一方。
というかほかにも無数のクズが出演する。
ボクシングジムのコーチだって、最初は入部してきた安藤サクラさん(一子)の面倒をよく見てたのに、一子が「試合に出たい」と言った途端、「なめんじゃねぇぞ」という突き放し。
あれショックだった。男ってなんなの!と。
一子の父親は優しげだけど、基本ぷらぷらしてるし優しげなクズ。
バイトの野間って男がとにかく最低で、一子を襲うクズの中のクズ。どこまで一子を痛めつけるのかと正直見ててつらくなる箇所はいくつもありました。最近の日本映画に言いたいのは、エロ・グロ・乳首の要素をやたら入れるのってどうなの?と。
これ、映画館で観なくてよかったと正直思いました。
エロはまだしも、グロがあると思わなかったんですよ。
でもちょっと嫌な予感はしてた。
というのは、安藤サクラさんがパンツを脱いで便器に座ってるところとかお尻のアップとか(パンツはいてる)、グイグイの描写が多いなと。基本グイグイの監督なのかもしれないとちょっと構えてたら、嘔吐シーンが出てきた。
私は嘔吐シーン本当にだめなんですよ…あれを入れる意味がわからない。
でもボクシング映画だし、「どついたるねん」でも赤井英和さんが減量で?吐いてたので、そういう予測をつけといてよかった。けどもそのシーンはボクシング関係なかった。
ただ狩野祐二(新井浩文さん)はクズでっせとお知らせの意味の嘔吐。
私がそれを苦手じゃなければよかったんだけど。でもこんな私ですら目元をガードできたので、ヤバっ!と構えるクッションはあります。なんでそれを入れてくるんだろうとね。
そのへん入れてこないとひよってるみたいになるのかな。
また乳首にも驚きました。安藤さん脱いでたんだ!と。
描写がグイグイ鋭いんですよ〜。

でもこの映画のベースに漂うのは底辺・弱者への寄り添い。
ここはもう徹底されてた。
コンビニの廃棄食材を盗みにくる人への一子の受容感。
社員は「ルールだから絶対あげないで」と一子にキツく注意する。
「正しい」と思ってたことの逆側からの視点が必ず意識されます。
監督は、聖も俗もごまかしたくない方なのかもしれません。
ここ山谷?って思うようなところに一子の働くコンビニはあり、私も山谷をうっかり通ったことがありますが、汚物を描かない方が不自然な世界というのがこの世には確実にある。
そこから私はあまりにも目をそらしてきたからこそ、こんなにも怯えるのです。(実際の舞台は周南市)思えば美しいものは一切出てこない。
でも、一子がコンビニの仕事を一生懸命覚えようとする姿からもう美しさがにじむんですよね。
髪ボサボサで間違えまくるのに。
その輝きに何人かの男は気づくのだけど、この映画のメッセージっぽく私が勝手に受け取ったのは、「みくびられてはだめだ」ということ。人はみくびられるとどんな目にあうかわかりません。
「なぁ、いいだろ?」なんて気やすく腕をとられるのも、モテというよりみくびられてるから。
祐二だって一子の女の部分を自分に都合いいように受け取って、そんで捨てた。一子もそれはわかってるからこそボクシングに打ち込んだ。
踏みにじられてばかりの人生。そもそもは妹からの攻撃的な非難。
最後、「勝ちたかった」と言って泣く安藤さんの前に立つ新井さんは、ただ立ってるだけなのに優しかったんですよね。
美しさとは本当は描かれるものじゃなく、滲んだり見出されたりするものなのかもしれません。それにしても男性のゲスさがなんともバリエーション豊かに描かれてましたね…。
絶対にみくびられてはなりません!!
あとニート・一子へのお母さんのなんだかんだ優しさもリアルでした。
次女に「甘いよね〜」と非難されてるとことかも。
きれいごと一切なしの世界にも美しさを見出したい人にお薦めの映画です。 -
最近見た映画2020年5月
最近見た映画
・わたしは、ダニエル・ブレイク
・ゲゲゲの女房
・の・ようなものダニエル・ブレイクはイギリスの映画。
イギリスの貧困問題のことなど全く知りませんでした。
役所の対応や制度は、日本よりもっとタチが悪いかもと思った。
「私はダニエル・ブレイク。犬ではない」
こんなメッセージは誰に届くだろうという絶望感がありました。
「おかしいじゃないか」ということがどうしてこんなに届かずに。
この社会の中でどんな生き方を目指しますか?という問いが突きつけられるような映画。「ゲゲゲの女房は」、朝ドラ版と全く違います。
宮藤官九郎さんが水木しげる役で、奥さんは吹石一恵さん。
この映画がまた最初から最後まで貧困でした。
吹石さんの大きな目が、ずっと夫への怒りをたたえてる。
でも吹石さんってその緊張感がほわっと解けたときがすごく美しい。
水木しげるさんといえば国民的漫画家ですが、この映画はその手前で終わらせてます。
ということは成功譚にしたくなかったということ。たぶん。
すごい珍しい邦画、素敵な映画でした。「の・ようなもの」は、森田芳光監督の第1作目です。
落語と風俗の話。
秋吉久美子さん演じる風俗嬢が魅力的だった…。
伊藤克信さん演じる二ツ目の落語家が秋吉さんとも女子高生とも交際をする。
女子高生とのデートのあと、旅館の前で「変なことしないから(入ろう)」とのお誘いシーンではドキッとしましたが、「だめよ、帰りましょ」と叱られてすんなり旅館をあとにしました(ほっとした)この映画はいろんな人が出てくるけど誰かを突出させることもなければ誰かを下げることもない。
3本ともそんな優しさが根底にある映画でした。
みんな見事に並列されてて、それが泣けるほどあったかかった。
ありふれた近しい人との会話がなぜこんなに胸を打つのかと。たまたまそういう映画ばかりでした。成功とかキラキラとか、そんなんじゃないありふれた世界が描かれた文化、それがもっと誰もが触れやすいところにあればいいなと思った。
地上波で劇団の舞台を時々放送するとか、貧困とか平等性の問題が描かれた映画をもっと放送するとか。
あと映画の紹介番組が今全然ないかも?(新作の宣伝じゃないやつ)
8年前くらいの、バナナマンの設楽さんの「シネ通」って番組見てた時は映画との距離が近づいたように思ったのに、なぜあれはなくなったんだろう。
この時代にただ生きているという描写の中に、社会的なリアルのメッセージが込められている作品をもっと。。
キラキラと同じ分だけの闇が必ずある。それが普通だし、それでいいんだと、大人がもっと攻撃を中和する表現をしなきゃなんないかもしれない。
暗さや底辺、疎外の物語は確実に多くの人の救いになるんですよ。
はっきりしたものだけが何かに効果的なわけじゃなく、なんかわからないけど救われる・矛を収めたくなるような表現や寛容さ。「きのう何食べた?」や「透明なゆりかご」はそんなドラマだったとまた思い返されちゃた。秋吉さんの高級猫のようなパーマがとっても魅力的で…!
伊藤克信さん演じる志ん魚(しんとと)に「今度電話してね」って。
なんかもう愛おしい映画でした。

(「の・ようなもの」のU-NEXTトップページより)
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あのころ邦画並列
私はそんなに多く映画を見てないほうです。
特に洋画が全然です。
スター・ウォーズも初期の1、2本見てそれっきり、レイダースもまともに見てない。
タイタニックもオーシャンズ11も見てないのです。古いのはBSで見るようにしてます。
ヘップバーンのとか、あとゴッド・ファーザーの1、2は何度も見ちゃいます。
バック・トゥ・ザ・フューチャーとE.T.のおもしろさはなかなか塗り替えられないですね。
寅さんはほとんど見ました。映画歴がごく少ないですが、「あのころ」邦画映画編ということで並列してみます。
ただ内容は覚えてないものが多いです。
これまた12星座別。(敬称略)牡羊座(いしだあゆみ)
「時計」(1986年)監督・倉本聰
眠ってる・・・あいだにぃ〜という曲が今でも鮮やかに思い出されます。
歌ってるのさだまさしさんと思ってたら、金子由香利さんという女性でした。
いしだあゆみさんと中嶋朋子さん母娘のフィギュアスケート物語でしたね。
いしださんと誰か男性が寝転んで抱き合ってるシーンが焼き付いてます。
あんな大人でも恋をするのかと幼い頃思ってました。
牡牛座(風間杜夫)
「蒲田行進曲」(1982年)監督・深作欣二、脚本・つかこうへい

これはもう何度見たことでしょう。ドラマチックごころがくすぐられます。
松坂慶子さんが最後、「怖くて目を開けられない…」と目をつぶって泣くシーンでは、「目をつぶっても涙が出るんだ」と思ってた幼い頃でした。
双子座(薬師丸ひろ子)
「探偵物語」(1983年)監督・根岸吉太郎、脚本・鎌田敏夫、著作・赤川次郎
薬師丸さんの「探偵さん…」というつぶやきは、今思えば「チャン・リン・シャン…」に引き継がれてる気がします。薬師丸さんの丸いボブが可愛いのなんのって…。
松田優作さんと薬師丸さんの身長差キスに釘付けだった幼い頃でした。
蟹座(緒形拳)
「火宅の人」(1986年)監督・深作欣二、著作・檀一雄

これは大学生になってから見ました。
檀一雄の小説を読んで映画も見たくなったのです。
愛人役の原田美枝子さんとのベッドシーン見て緒形拳さんエロすぎだなと思った。
妻役はいしだあゆみさん。ちょっとおかしくなっちゃう妻でした。
獅子座(三上博史)
「私をスキーに連れてって」(1987年)監督・馬場康夫、脚本・一色伸幸
これもちゃんと見たのは大人になってから。
これは本当によくできた恋愛ドラマです。
こんなに脚本・ストーリーがちゃんとしつつ時代性のある恋愛映画って、今ないんじゃないのかな。
バブルのさなかでありながら、あんまりバブルっぽくない知世ちゃんと不器用な三上博史のすれ違い恋愛ストーリー。ユーミンと知世ちゃんの相性も本当ばっちりなのです。
乙女座(松田優作)
「家族ゲーム」(1983年)監督・森田芳光
森田芳光監督の名作。
この間、ラジオで宮藤官九郎さんと伊勢志摩さんがこの映画を話題に出したので、久々に見たくなりました。
由紀さおりさんは映画出演これだけだそうです。夫役は伊丹十三さん。
息子役は宮川一朗太さん。
天秤座(真田広之)「里見八犬伝」(1983年)監督・深作欣二、脚本・鎌田敏夫

これは去年ちゃんと見ました。
薬師丸ひろ子さんと真田さんは、最初子どもみたいにいじわるしたりじゃれ合ったりするのですが、そのうち激しく思い合うようになり、合体シーンがなかなか不思議でした。
別れのシーンが切なかった。でも最後、共に歩むんだっけ…忘れてしまうものです…。
蠍座(池脇千鶴)「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)監督・犬童一心、脚本・渡辺あや、著作・田辺聖子
この映画は、なんたってくるりの曲にその世界観がぎゅっと閉じ込められて切ないです。
上野樹里さんが大胆な演技されてましたね。
射手座(安田成美)
「そろばんずく」(1986年)監督・森田芳光
とんねるずと安田成美さんの映画。
これがきっかけでノリさんと結婚した安田さんでしたね。
何が何だかちっともわからない映画でしたが、映画の中でもノリさんと安田さんがいい感じに。
あのころ安田成美フィーバーだった記憶です。
山羊座(深津絵里)「(ハル)」(1996年)監督・森田芳光

パソコン通信での恋物語でした。
相手役は内野聖陽さん。あのころ内野さんフィーバーでもあったかな。「ふたりっ子」と同じ頃で。
仕事でくたくたな日々でも、パソコン通信のつながり合いが癒やし…そんな物語でしたっけ。
「会おう」ということになってどうだったかあんまり覚えてません。
水瓶座(高倉健)「野性の証明」(1978年)監督・佐藤純彌、脚本・高田宏治、著作・森村誠一

薬師丸ひろ子さん大活躍。このころ14歳です。
これは大人になってから見ました。
最初は田舎での殺人事件からスケールがどんどん大きくなっていって、トロッコに乗ったり、自衛隊の特殊部隊が出てきたりして、なんか壮大な感動と悲しさが残る映画でした
いきなり首が飛ぶシーンがちょっとトラウマです。
魚座(松田聖子)「夏服のイヴ」(1984年)監督・西村潔、脚本・ジェームス三木
この映画、誰か覚えてる人いるかな…。
大体この曲を知ってる人が少ないです。
私も映画の内容は全く覚えてませんが、羽賀研二と聖子ちゃんが抱き合ってたようなイメージが脳内にこびりついてます。(抱き合ってないかも)
どれもちゃんと覚えてるわけではないのに、ワンシーンがふいに立ちのぼってくる映画です。
最近は星座ごとに並べるだけで、星ならではの記事書いてないですがね、もうどうでもいい感じでもあります。
ただ並べたり思い出すのに便利に使っているという。何か思い出したら差し替えたり追加したりします。
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映画「トーク・トゥ・ハー」
ついにネット視聴民の一歩を踏み出しました。
U-NEXTに加入。初視聴は「トーク・トゥ・ハー」でした。
すごく評判になった問題作というのはちらっと記憶にあるような。
スペイン映画なのですね。「なんでこんな物語を発想できるんだろう?」とそればかり考えてました。
アカデミー賞で脚本賞を受賞したそうで。やっぱり…。
とにかく「珍しい」が散りばめられてて、まず主要な女性2人が昏睡状態になるなんて、そんな物語はほかにないでしょうね。
しかも女性のうち1人の職業が闘牛士。珍しすぎる!
それにスペインの文化を美しく目にできたことは貴重なことでした。
男女4人の物語ですが、1人の男性は介護のプロ。もう1人はフリーライター。
始まりはライターと女闘牛士の恋の話です。本当に西洋の方というのは情熱的で、すぐキスしちゃうんじゃないかと余計な感情でハラハラしてました。
(キスしたっていいけど)
最初30分は、ヨーロッパの映画にありがちな「わけのわからなさ」が漂っていて、私はこの作品の名作感にピンと来ないままかも…と不安になりますが、1時間になる頃には「え…?え…?」と物語に引き込まれている。
結果、最後までずっと「え…?え…?」の連続。
あれこれ珍しすぎるから…。
つまり想像がつかない・つけようがない物語。
なのに「ありがち」も散りばめられてて、そこがまた切ないのです。
男女4人のストーリーなので、誰に感情移入するかでこの物語の見え方も感想も全く変わりそう。
私は主役ともいえる介護士のベニグノに惹き込まれました。
どこか浅利陽介さんに似てて、優しげと同時にうっすら気持ち悪さがあり、自信なさそうに見えて余裕たっぷり。
おどおどしてるかと思いきやむちゃくちゃ大胆なことをしでかして、危険度と純粋度は紙一重、そんな男。ベニグノは、アリシアというバレリーナの卵だった子の介護に4年携わっている。
その手つきもメンタルも慣れたもので、それはかつて20年、母親の介護をしてきた経験があるから。
アリシアが生理中でも動揺などない、時にはアリシアの内ももマッサージ。
そこへアリシアの父親が入ってきてもベニグノはマッサージの手を緩めない。
別にやましい気持ちなどないことの表明?
でも父親はその手つきに意味があるのかないのかを見極めなくてはならない。
そこでベニグノに「君の性の問題」、その問いをぶつける。「どっちかといえば男性が好きです」
・・・・
「失礼な質問ぶつけるから嘘を言ってやった」とかってベニグノは同僚にこぼすけど、見てる側としても「本当に嘘?」と思えるような、この俳優さんがすごいうまいんですよね。
この映画全般、「生死」以外はなんにもはっきりさせてないように見えました。これ2003年の映画で。
スペインでは「人権」がもう当たり前のように横たわっている。
昏睡状態の患者、裸の患者、過去の恋人、現在の恋人、仕事仲間、在監者(囚人)、そして近所に住むお年寄り。
当たり前の優しさ、ただ存在することの肯定感がずっと横たわってるのに、それを前面に出そうともしてない。
日本だとすぐ前面に出してくる、あの押し付けが一切ないと感じました。ベニグノはアリシアの父親から、「確か4年前は童貞だったな?」と確認される。
介護士として自信に溢れてたベニグノの弱さがここでうっすらあらわになり、4年前に自分の部屋から見えるバレリーナ教室にただ釘付け状態の、まだ何者でもなかったベニグノの回想。
窓から見えるのはレッスン中のアリシア。
アリシアが教室を出る様子とかもずーーっと見てた。
ある日話しかけるチャンスが巡ってきた、その接し方とかもちょっとキモい!
そのキモさが悲しいぃぃ…と切なくなったのもつかの間、やっぱこういう手段に出ましたか…という家宅侵入とは言わせない正当手段(アリシア実家のメンタルクリニックに通う)
でもプチ窃盗しちゃってるし(アリシアの髪留め)
恋する人はみんなキモい・おかしいとも言えるかもです。
誰だってそんな濃厚な感情は経験済みのはず。
ガッキーと松田龍平だから美しいわけじゃない。
松田龍平が髪留めをカチカチして妄想してりゃ絵になるってんでもないでしょうに。
いや、恋は誰にとっても美しいとも言える?思い詰めるベニグノだって見方を変えれば…。そんなベニグノがなんと、交通事故で植物状態となったアリシアの介護担当に。
20年母親介護というその腕の確かさを買われて。
また友人マルコの恋人で同じく昏睡状態になったリディアと接するときなども、仕事人として・人としての輝きが放たれる。
どこか濃厚すぎて歪んでるベニグノからあふれる自信と頼もしさに、私はちょっと感動しちゃいました。
どんな人にもこんな輝かしい一面があるものかと。
しかしそれは、昏睡状態の相手にしか発揮されない輝きかもしれない。映画は優しさにあふれるけど、むやみに優しいわけじゃない。
ベニグノをただの慈悲で世に放つわけにいかない、そんな罪を犯したベニグノ。
でもベニグノの最後に涙を流すマルコという友人を持てたのは、ベニグノがただ罪人であったからじゃない。
友人の力になろうとする一面。
愛のためになんでも頑張れる。人をそこまで愛するという一面。
ただ、どれも「社会性」という枠に収まらなければこの世では生きていけない。
一見情熱的で寛容的なこの映画の至極きちんとした線引きに、ぉぉー…という感動がありましたね…。魚座っぽい物語だなぁと思うと同時に、射手座っぽいなぁとも思いながら見てました。
というか魚ー乙女という猛烈な献身ラインに、射手座がツッコミを入れてくるような物語。
「誰かのために」という世界以外にも、人生には「自分」を癒す旅とか文化芸術も必要だよ…。
その文化芸術にベニグノは煽られたとも言えるけど。。あちこち旅してガイドブックたくさん出してきたマルコ。
刑務所内でそのガイドブックに心が慰められるベニグノ。
愛にも生きるけど女闘牛士としても生きるリディア。
バレリーナをひたすら夢見るアリシア。
「そういう男がいた」「女はそうして生きてきた」という物語だったのかな。
正しいとかも何もない。
なのに最後、「生」がどわーっっと。
しかもちょっとだけコミカルに見えた。あそこだけポップなCMみたいなキュートさ。
それが泣き笑いというかなんというか…。
見てない人には何のことやら…ですね。この映画の珍しさは、バレエとかボサノヴァ、サイレント映画などが多数挿入されていることもあります。
あと闘牛のシーンはやはり美しかったです。
すべてがスペインの文化芸術というわけじゃなく、ドイツとかブラジル?
なんか思い出したのは北野映画「Dolls」の人形浄瑠璃。
私は確かにあの映画で文楽に興味を持ち、いっとき足繁く通ってた。
映画の中にさらに芸術が挿入される効果ってすごいなぁと思いました。感想を述べといてなんですが、私はヨーロッパ映画にちょっと苦手意識があり、それはエロやグロをダイレクトに突きつけられる気がして。
美しい人の口からいきなり何か吹き出したり、血の容赦なさとか、なんたって愛が高まったときの激しさ。
「見たくないもの・音」を見せてくる、あのぐにょっとした感触が怖くて怖くて。
ホドロフスキー監督の映画とか、見たい!けど怖い!でバクバクし通し。なのに号泣。
ヨーロッパ映画って、なんかそういうパワーがありますね。
「トーク・トゥ・ハー」では結果、目を背けたくなるシーンはなかったですが、眼に映るものがやたらエロい感じはありました。
これはそう見せているのか、そう捉える私がエロいのか?なんなら全部エロい。考えすぎ?
その悶々に集中力削がれるのも苦手というか。いちいち怯えたり、あれこれ克服しなきゃならないです。
「見たくないもの」・・それも魚座っぽい感じ。魚座30度期の課題?
U-NEXTで慣らしていこうと思います。私はベニグノに今でも揺さぶられてると言える。
ベニグノぉぉ〜と愛おしい気持ちになった直後に、ものすごい嫌悪感が湧いたりとか。
愛とかいって、やっぱ単なる支配じゃない?
肯定も否定も確かめられない相手にいくら自分のすべてを捧げたって、それは暴力にもなりうる。
そう思ったらキモいという感慨、それでよいという気もするし、ベニグノみたいな男が輝きを放つ瞬間のことを忘れたくない気もして、揺れている・・
でもね、愛と支配が混同するがゆえの悲しすぎる話は現実にもたくさんあってその報道目にするたびに猛烈な怒りが湧くのです。
支配のない愛情関係は、もしかして同性間にしか存在しないんじゃないか…なんて。親子以外。
んなことないか?
人の映画の感想って、全然違う視点でおもしろかったりしますね。
またあれこれたどってみます。 -
スローな武士とミュージカル
NHKで放送されていた「スローな武士にしてくれ〜京都撮影所ラプソディー」をやっと録画で見ました。
最近は星のことをなかなかテーマにできず、そんな気分じゃないような・コロナと無関係のようでいてありそうなこのところです。
今回もまた感想文。
ちょいちょい星も散りばめてみます。この「スローな武士にしてくれ」
タイトル聞いたときはなんか恥ずかしかったけど、素晴らしいドラマでした。
この数年の中で最上のものを見た感じ!ストーリーとしては、アナログ感満載の京都撮影所と、最新機器を駆使するNHKとで時代劇をコラボする物語。
映像実験的なドラマだと思ってました。
しかしストーリーがまた素晴らしい。
大ベテランの役者さんが多く出演するドラマってどうしてこんなに楽しいのでしょう。立ち回る里見浩太朗さん(射手)をちゃんと見たのは初めてだったかもしれません。
美しい。。
監督役・石橋蓮司さん(獅子)の「カァーーーッツ!」っていう叫び声のすがすがしさと、ずっと漂うコミカルさ・ドラマチックさ(獅子的!)
本田博太郎さん(水瓶)のいちいち外すコメント、体張るカメラマン役(水瓶的個性!)
そして撮影所の所長は伊武雅刀さん(牡羊)。
はんなり京都弁からにじむ薄情さと不思議なあったかさ(やりまひょ、と牡羊的に何でも飛びつく)
そして空中に浮くドローンにベテラン陣が「おぉぉぉ…」とみんなでおののく姿の可笑しさ。その中で可愛がられつつ小馬鹿にされてる斬られ役俳優が内野聖陽さん(乙女)なんだもんなぁ(乙女的に殺陣の完璧追求&小心者)
殺陣は一流なのに、台詞がてんでだめ。声が裏返っちゃうという情けない役が、いつしか内野さんにぴったりになっちゃって。
妻役が水野美紀さん(蟹)というのがまた嬉しい(蟹的地元の大福屋&愛妻弁当)
水野さんはアクションの修行をされてたんですよね。
それを知って当てたような「くノ一やらせたら日本一」の元女優役は、「アクション女優は清野菜名さんだけじゃないよ!」という声なき声をもしや拾ってくれたんじゃないかと(錯覚)。何よりワクワクしたのが、ところどころ「蒲田行進曲」が散りばめられてたところ。
他にも有名映画のオマージュがあったようですが、とりわけ私の大好きな映画がこうやって使われるということは、やっぱ「蒲田」は素晴らしき日本映画だよねぇという改めての感慨。
(写真はHPより)
またNHK職員役の柄本佑さん(射手)ですよ!
こってりアナログおやじがエバる京映の中でも、ひょうひょうとしたマイペースさを崩さない器用な現代っ子(柔軟性と楽観性がいかにも射手)
だけど「階段落ちのシーンどうしようか…」と撮影のことで頭がいっぱいになるんだから、良質な時代劇を完成させたいという熱さは誰も一緒で。
そのほかラオウ役の藤本隆宏さん(蟹)とか、名前は知らないけど助監督役とかドローン操縦者とか、見てるだけで楽しかったです。
伊勢志摩さん(獅子)の記録係役も、「いそう!」ってな感じがなぜか笑えました(佇まいのドヤ感とコミカルさが獅子)
内野さんと中村獅童さん(乙女)の熱い喧嘩もほんと今時アツすぎるけど、ベタな焚きつけってやっぱ目が離せない(内野さんの奥さんをずっと好きだった乙女のこじらせ!)
スマホの手も止めて膝抱えてました。というのも私は先日、とある映画のエキストラに参加してきたのです。
ドラマでは石橋蓮司さんのお名前から「国重組」とチームが名付けられてましたが、あれまさにそうだった。〇〇組。
「カーーーット!」「オッケェーーイ!」と監督が叫んだ時の全体の安堵感。
映画を作るなんてあんなに労力もお金もかかること、今の若者は果たして目指すだろうか?と思っちゃうほどスタッフの動きは複雑で大変そうだった。
何もないところからストーリーを生み出し、それを立体的に仕上げていくことの途方も無い労力。
それでも映画を撮りたいという熱意はどこから湧くのだろう?と正直思ってしまった。だけどこのドラマを見ると、「とにかく好き」これしかないんだろうなとわかった気がしました。
あれ、好きじゃなくちゃできないですよ。
数年前に広瀬すずちゃんが音声さん?だかスタッフに「なんでこれをやりたいと思ったのかわからない」と発言してバッシング騒動になってましたが、すずちゃんの発言わかる!
女性が重くて長いマイクを持って動き回ってて、どうしてこれがやりたいと?と私も問いかけたかった。
しかもみんな美しかったのです。キラキラしてるというか。
なぜ裏方に?
それは表舞台にいるすずちゃんからしたら、見下すのとは真逆のリスペクトが込められているはずと思うんですよね。たぶん。私のこれまでの世界には、映像制作に関わるなんてこと1ミリもなかった。
だけど数年前からこういう世界に関わりたいと、舞台やライブを見に行くたびに疼いてしまうのです。
けど、今の私の生活がその道に通じてると思えない。
たった数回のエキストラは、ものづくりにかかわる人の壮大な夢に触れたという強烈な体験でした。
だから余計に「スローな武士」を楽しめたんだとも思う。金曜日にはミュージカルを観に行ってきました。
「ホイッスル・ダウン・ザ・ウインド」
三浦春馬さん(牡羊)・生田絵梨花さん(水瓶)主演です。
行くかどうか本当に悩んだ。いっそのこと公演中止のお知らせ出てくれたら安心するのにと。
そしたら土日の公演が休止となり、金曜日が急遽千穐楽となってしまった。
これも何かのさだめかと思って姪っ子と行ってきました。
そしたら空席がずいぶん目立ってて…。
やっぱり心配な人多いでしょうね…遠方から来る予定の人もいただろうし。しかし、いやぁぁ…行ってよかったです。
こんな感想も呑気すぎるかもしれませんが、舞台終わりに座長の三浦春馬さんが客席に語りかけてくれた、声を詰まらせながら。
生田さんも涙を拭ってた。
だってこの方たちのミュージカル・千穐楽が空席だなんて…。
しかもたった8日しか公演を果たせずに休演決定。
地方公演はまだなんとも言えないとのことです。「エンターテイメントは、観てくださるお客さんがいなければ成立しない」
三浦春馬さんはそう言った。
エンターテイメントに携わる人はこんな状況になると、その意義とかを考え詰めちゃうと思う。
音楽、芸術、スポーツとか、こういう非常時に真っ先に切り捨てられてしまうと、携わる人はよく口にするけれど。
「元気をもらう」とか言われやすいこれら、私は果たして元気をもらいに行ってるのか?考えると、そんなはっきりした意図はない。
理屈じゃなく「あ、行く(行きたい」」ってチケット取っちゃうんですよね。
もちろん経済的に行ける現状ではあるけど、自分の元気どうこうより「会いたい」とね。
春馬に会いたい。生田さんの声を聴きたい。そんで生田さんの声がまた本当に素晴らしかった!!
松たか子さんに匹敵するような福音感というんでしょうかね。
声が真っ白。
って透明?黄金?天使の声。
心も真っ白なんじゃないかと思わせる。
春馬さんはまたしても!追われる罪人の役。
牡羊・天秤の方は山羊座T冥王星スクエアの影響からか、大きな困難立ちはだかる役でとても輝くこの時期です。自分のことを「ケダモノ」と歌う春馬さんの声は、全身から汚いものを吐き出すような野太いイガ声。
生田さん演じるスワローは、春馬さんのことを「イエス様」と信じ込んでしまう。
クリスマスの日に納屋に倒れ込んでた春馬(いっそ呼び捨て・役名なし)。
スワローの願いは「死んだお母さんがよみがえること」
その願いを叶えるためにきっと私たちのもとに舞い降りてきてくれたんだ…と。
本当は刑務所から脱獄した殺人犯。
春馬がスワローの清く白い手を振り払っても、スワローは美しく歌いながら腕にしがみついてくる。
「この人は神よ…!」と信じすぎ・トチ狂った生田さんというのはかなり見もの…というか、生田さんは優等生役が多い印象だけど、信仰深すぎる役がなんともぴったり。
そのいじましさに泣けてくるほどでした。
「ち、違う、オレは…」と後ずさりする春馬の手を取る福々しさ…。
生田さんは魚座持ち?と思いましたが魚座に星はなし。
水星と金星が山羊座。
確かに、っぽい優等生感はありますね。スワローも長女でした。
火星が天秤座でテイルと合。
しょうもない境遇の男前に身を捧げる役がやっぱり合ってるのでしょうか。
地球星座獅子座的に、これからもどんどん重要な主役を務めていかれると思います!子どもたちの歌声がまた泣けた…。
とってもわかりやすいストーリーだったのは子どもが重要な位置を占めてるから。
子どもが体を張って春馬を守る!
あと生田さんに想いを寄せる遊び人・エイムス役の東啓介さんはとても高身長・スタイルがよくて素敵でした。
エイムスの彼女役・キャンディの鈴木瑛美子さんがまた素晴らしい歌声!
拍手が誰よりも大きかった。
なんと初ミュージカルとのことでびっくり。一つ難を言えば、三浦春馬さんの役柄が脱走犯ということで身なりがボロボロ(笑)
遠くからあんまり三浦さんに見えなかったのが残念。
せめてポスターぐらいのサラサラ髪とシャツの白さ、あと役でもサスペンダーだったらちょっと可愛らしかったんじゃないかなぁと思いました。
終演後にステージ出てきたときの白い歯スマイルでやっと「あぁ春馬…!」と感じられた。↓三浦春馬さんの汚さ(笑)と皆さんの美声はこちら

