飲酒・断酒日記を読む年末
クリスマスを越えてなんとなく気分が沈んでます。
せっかく書いた年賀状の半分に間違いを発見したからというのもあります。
この間見に行った大人計画の舞台「キレイ」は観るのにとてもエネルギーが要るもので、その疲れが残ってるということもある。
またなぜか今頃、美奈子と新夫の「ノンフィクション」をYouTubeで見てさらに疲れ・・
あと生理痛、そして新月。
そうでした。今日は山羊座の新月、しかも日食です。
新月前に気持ちが落ち込む人は多いのですが、私も久々ハマった気がしました。
不安や不満、ネガティブなことばかりなぜか頭に浮かぶ。
周りでもそういう人は多い。
私はフラワーレメディーをよく使用します。
ネガティブが頭から離れないときは「ホワイトチェストナット」を1滴含む。
気の持ち方や誰かの優しさだけじゃ乗り切れないことってあるものだし…。
心の助けになるものは、取り入れるべきと思うのです。
そういう弱った時って、ついお酒も飲みたくなっちゃうんですよね。
私は数週間・数ヶ月飲まないこともあるけど、週に2回飲んでしまうと、それが週3回になったり、缶チューハイを2日に分けて結局4日連続…ということもある。(量は全然飲めない)
気分はいっとき爽快になっても、体に負担かかってることははっきり感じます。
だからまたやめようとするのだけど…。
でも酩酊するほど飲んだことはない。
その域はやっぱ怖い。その恐怖心は相当のブレーキになっています。
酔っ払いは大嫌いなのに、お酒でボロボロになる人にすごく関心が強い。なんでだろう。
今、お酒にまつわる本を3冊同時に読んでいて、さらにもう1冊控えています。
中島らも「今夜、すべてのバーで」「砂をつかんで立ち上がれ」
吾妻ひでお「アル中病棟」
町田康「しらふで生きる」
漫画家の吾妻さんはこの10月に亡くなりましたね。
それが私の「酒」「酩酊」への強い関心のきっかけでもあります。

この「アル中病棟」は明るさとおおらかさが特徴的ですが、さらっと壮絶さや異常性が描かれてるので、最近の気持ちの重さと無縁じゃなさそうです。
というか、気持ちが沈むからさらに沈んでいく本を選ぶのか、それとも本を読むから気持ちが沈んでいくのか、どっちが本当か自分でもよくわかりません。
そして中島らもさん。
大槻ケンヂさんが敬愛する方というのは知っていたけれど、本を読むのは初めてでした。
それがこの間本屋で手に取って、開いた第1ページ目・出だしにすぐ惹かれた。
町田康さんもそうだけど、本の出だしって圧倒的な決定打となります。
らもさんの「今夜、すべてのバーで」は、タイトルもかっこいい。
「砂をつかんで立ち上がれ」も、3冊読みかけているというのにたまらず買ってしまった。
町田康さんといえば独特の語り・文体です。
小頭がよくて自分を勝ち組って信じて酒も飲まないような奴ってよく見ると猿に似てるよね、とか、
(「しらふで生きる」より)
「それってさあ、酒を飲むくらいしか楽しみのない人生の敗残者の負け惜しみじゃないの」と口を曲げて言う人が天現寺、或いは三宿あたりにいるかもしれない。(中略)しかし今度は神保町とかから人が来て、「いやさ、君は無学なパンク上がりだから知らんだろうが、大伴旅人は・・
(「しらふで生きる」より)
町田さんの本は地名がわかりやすく事態と対応してるのが楽しいです。
町田さんのこの本を読んでとても共感したのは、「人生にはすべて陰と陽がある・プラスがあればマイナスがある」と書かれているところ。
町田さんはアル中とかになる手前で断酒された方ですが、お酒をやめた本当の理由は自分でもよくわからないとしながらも、このプラス・マイナスのあたりにひとつゆえんがあるようでした。
お酒を飲んでる時が漠然と「楽しく良い時間」であるならば、そうじゃない時間もあるはずで。
お酒でプラスを味わった分のマイナス。
それって何かなぁ…と、今日J-WAVEでも語られてました。
でも吐くまで飲む心理ってやっぱりわかんないですね。
あと飲ませる心理。「吐くまで飲めよ」という命令がまかり通る社会、それを受け入れる部下とか店とか、本当に不思議。本当に嫌悪感。
でも嫌悪を通り越して、どうしてそういうことになるのだろうかと、やっぱりいつでもお酒の魔力への関心が尽きないのです。
父親がお酒とタバコと借金で寿命を縮めた人で、父もアル中にはなりませんでしたが元来怒るかボーッとしてるかの人で、「よくわからない人」「どうしてそうなるんだろう?」という果たせない追求心があちこちに向けられているのか、それとも酒を通して父を感じたいのか。
ここは自分でもよくわかりませんが、人の中毒性には関心がある。
星で言えば「海王星」の管轄ですかね。
占いやってるのも海王星的と言えるのだし。
今P海王星とN太陽土星がオポジション。
「堕落」の世界がまた気になりますね。
つげ義春さんも堕落の色が濃厚だったし、父はいっとき商社の部長にまでなったのに、深夜の警備員をやるような時期もありました。
もちろん警備員が堕落という意味ではなく、ずっと部長の椅子に座ってられたはずの父が深夜寒い中に立ち、年下の従業員に使い物にならねぇ怒られ…という人生は想像してなかっただろうから。
バブル期を経験した人の振幅の激しさを見た体験はやっぱり大きいのかも。
でもバブルはじけたあと、こういう人はわんさか発生したのでしょうね。
ほっとくと人は必ず堕落するのでしょうか。
でもほっとくと人はずっと「普通」にとどまるんじゃないかと思うのです。
しかも「みんなと一緒の普通」
いっつもうまいこと多数派の中で漂える自分。
堕落への一歩は、「ここから外れよう」というかなり意図的なものと感じます。
上昇方面への一歩は難儀でチャレンジングなことだから、相当の熱意とか使命感が必要。
私自身も、「ここから外れよう」という意識がかなり強い自覚はある。
外れる一歩は上だろうが下だろうがさほど変わらない。
「ただ外れる」
多くの人にもそんな願望はあるはずで、それがお酒なんじゃないのかな。
ただ普通の人は「みんなとお酒飲んでいる」というまたも多数派の中で安住して。
一億総不良願望社会。
それを手っ取り早く満たしてくれるのもお酒。
そうじゃなければ街にあんなに汚物は落ちてないだろうし。
「やっちまった」って嬉しそうにしてる人が大嫌いだったけど、やっぱりその範囲を大きく逸脱するアル中体験談には惹かれるものがあるんですよねー‥。
しかし本を読むと、父がアル中じゃなくて本当に良かったと思う。
アル中患者が家族にいる方には申し訳ないけれど、本当にあの壮絶さは本人もそうだろうけど家族も相当つらいと思う。離婚しない方が本当に偉い。
吾妻ひでおさんの漫画を読んでると、本当にみんな断酒できなくてお酒が好きで、でも体はボロボロ。
精神疾患とも位置づけられ、病院の面談で幼少期からのヒアリングをされたりとか、本当に医療機関と根気よく治療を続けないと意志だけじゃ治らないものなのですね。
多くが社会的な挫折を感じたり、お酒じゃなきゃ埋められない空洞。それはさみしさでもあるのかな。
病院ではその穴をお酒以外のもので埋めましょうと、それを考えるミーティングなども開かれていた。
みんな空洞部分ってありますよね。
お酒飲まないからって空洞が埋まってるとも限らない。
私にとってもお酒は暇つぶしのところがあります。
でもハマる=中毒ってやっぱりそんなに不健全で悪いことなのかな。
誰かに迷惑かけることはあるだろうけど、その域まで行かないと得られない・感じられない世界の良さもある気がして。
安住ラインにさらっとずっといることが果たしてそんなに偉いかね?という反発はずっとあって、それが具体化しないように恐れつつ期待しつつ…。

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