相性・恋愛
-
高温体質と低温体質
私の知り合いには月星座「地」の人が多いということは前にも書きました。
しかも太陽・金星・火星どれかが「風」のエレメンツが多く、彼ら・彼女らは基本「低温体質」であり。芸能人のスキャンダルが出ても「どーでもいい」という言葉がまず出ますね。
どーでもいい・興味ない・ってかよく知らない(誰それ?)地×風の組み合わせのセットはとにかく低温体質と感じる。
ちなみに、低温体質人の太陽が「水」ってことはない。
太陽水の人はいかなる場合も「わぁぁ…」となる。
なんたって水×火の組み合わせですね。これはもう「高温体質」ですよ。ただし、太陽が火でも月が地だと低温感じますね。
逆に太陽が風でも水×火のセットが月・金星・火星内にあると、高温感が目立つ。
ちなみにこの低温・高温というのは、特に恋愛とかミーハーさが出る場面においてのこと。心が簡単に盛り上がるのかどうか。私は太陽水×月が火、高温体質であることは自覚してます。
ミーハーだしね。
芸能界の話も好きだし、なんだかんだ恋愛の話も楽しんだりする。
そんな私でもこの間の文春砲には「へー」という感じ。
金星と火星が地なので、低温感も自分の中にある。
というわけでもないけど、田中圭さんが同じ誕生日なので、謎の擁護感が芽生えたというか。最近の蟹座、いろいろあるなぁ!と思ってたのです。
広末さんの逮捕騒動、大谷選手の第1子誕生、のんちゃんは今週末の「キャスター」で十数年ぶりの地上波出演。
これまた同じ誕生日の前田あっちゃんはフジの火曜9時で頑張ってるなぁと思っていた矢先、田中圭が永野芽郁とお泊まりだって!?このニュースを知ったとき、確か田中さんも太陽水×月が火じゃないかなと思い返した。
田中さんの月は射手でしたね。
金星は蟹、火星は蠍、水星は獅子。
ということで、もろ高温体質と思う。「おっさんずラブ」の春たんそのままという感じ。
ってか、パーソナルに地も風もないのがね!
こういう人はどうやって自身をクールダウンさせるのか。
木星が山羊なので、「国民的俳優なりのきちんと謙虚感」が自分に仕事を運んでくることは体感されてるだろうと思うけど。
永野さんもねぇ、パーソナルに地星座ないんですよ。
太陽は天秤(風)、月は魚(水)、金星獅子(火)、火星射手(火)
水星は天秤。
意外にホットホット!
一見、天秤そよ風感というのか、「恋愛はドラマだけ」という雰囲気は醸し出されてますがね。
ただ、少し前に「ぽかぽか」出てたとき「こんなキャラだっけ?」というのは感じた。
ふわふわニットで手の甲が覆われたまま、どんな話題にも目をくるくるさせるあざとさというか、すんごい女子っぽくなったのですねと思った。
「半分、青い。」や「ハコヅメ」みたいな素朴イメージで止まってたから。
でも月が魚なのでね。
魚座持ちは、あざと要素ありますから。
芸能人だと、同性からも人気が出るような可愛らしさが放たれて雑誌の表紙いっぱい飾りますね。
石原さとみさんとか(太陽山羊、火星魚)
あと芸能人の魚座持ちはなんたって表現力が群を抜いてると感じる。
何かが憑依したような演技なのです。パーソナルに地星座のない2人。
「友達」という言い分を信じるなら、ぎりぎりのスリル感を楽しみすぎちゃったのかなと思う。
「友達でもこれくらいやるよねー(別にいいよねー)」みたいな悪ノリというか。
ちなみに永野さんは火星と冥王星が合。
この人は意外に勝負師なんじゃないか?と思った。
金星も獅子だし、勝ちたい!というアツさが内包されてるんじゃないか。
漫画家とかスタートアップ企業の社長とか、ドラマチックに上昇していく役が印象的なイメージ。
「キャスター」でも阿部寛さんの言うことをただ聞くわけじゃなく、「やってやろう精神」みたいのをちょいちょい発揮する役。
恋愛でしおらしい女子とかより、こういう挑戦的な役の方がずっと輝くんだなぁと思ったですね。
でもいつからか「国民的いい子」みたいになって。
あれだけ演技がうまいと、そういう枠にはめられちゃうのかな。
太陽天秤で月が魚だと、「いい人」の期待にも進んで応じるとは思う。太陽射手座のスキャンダル率は男女とも高めと思ってますが、射手座持ちも「いい子」のままじゃ終われないのかもしれない。
ホットホット!な一面こそ自分なんだと、抑え込むほどに激しく露呈するものなのかな。芸能人だと特に。
しかも永野さんの火星冥王星に田中さんの月天王星が乗るという。
月だけじゃなく天王星も乗っちゃうとこがドラマチックというかお騒がせというか。永野さんのこの射手部分。
「落としたい」というハンター精神が恋愛で出てもおかしくないと思った。
成功体験もかなり積んだのではないか。
火星座は「実感」だけで満足できたりするので、実際付き合ったりするわけじゃなくても、自分の感覚で「よし!」と思えれば気が済むんだと思う。
そういうのがむっちゃ楽しいというのは、私もわかる。ところで風×地がパーソナルで目立つ人は、「好き」とかがそもそもわからないと言ったりする。
なので、恋愛体温はやっぱ低めですよね。
恋愛雑誌より情報雑誌を好むような(今、恋愛雑誌とかないか)
「好きだから結婚したんでしょ?」と聞いても「うーん」とか言ったりする。
私はそれを「照れちゃって…」と思うけど、相手は「恋で熱くなる」とかが本当わからないっぽい。
一緒になったのは「信頼感」からの「安心感」、そして「これまでの継続感」を重視してると。
ま、それもわかりますがね・・
水×火を持つ自分は、ドラマを欲する細胞が体内に潜んでる体感ありありですね。
たとえ泣くことになっても・・!(バカ)
私がふだん騒がしい通り沿いに住んでるのも、そのほうが楽しいから。
風×地の低温系友人は、品の良いシーンとした街に住んでいる。
お互いの住環境を「信じられない」と思ってる。蟹座がスキャンダルを起こすと、どうも他人事に思えないですね。
「やっちゃったねー」と目を細めるというか。
「自分はあそこまでは溺れない」と我が身を引き締めるというか。
特に誕生日が近い人が何かやらかすと、自分のドラマチック転落願望が不思議と満たされたりする。
「そんな呑気な!陰で傷ついてる人がいるんですよ!」
と怒る人がたまにいるけど、それもまたその人の見え方。
各々が自分の何かを投影して感情を動かしたり、別にしなかったりしてる。
-
恋というパワー
前回は女子に好意を抱く話について書きましたが、男性に恋したときのパワーは、それと比較にならないと思った。
女性が月としたら男性は太陽。
男性はエナジー。
そのぐらい違う。
だから私は異性愛者だなと思う。
中3の卒業式で初めて、恋しくて泣きました。
好きな男子からボタンをもらいに行ったのに一個もなかった。
そしたら生徒手帳くれたんですよね。
その優しさと、もうお別れということが悲しくて、彼の前で泣いてしまった。
隣のクラスの男子でした。
休み時間、うちのクラスのドア開けて変顔をさらす。
なかなかイタいウケ狙いだけど、すごく好きになった。話したことはない。
太陽みたいなスマイルの彼。
バレンタインデーに勇気出してチョコ渡したら、ホワイトデーに私の座席にお返しを置いてくれた。
ほんと優しいんですよ。
今でもホワイトデーのお返しの箱と生徒手帳が実家にある。
捨てたっていいのに、何で捨てないのか自分。
「恋」にはそんなふうに、センチメンタルキープパワーがある。好きな人に欲情する、これまたパワーみなぎることで。
私は好きな人の腕にうっとりします。
車のハンドル握ってるときの手首からひじの間。
ゴツい腕時計が映える肌の色。
その腕が自分に巻きつくことを想像しては、「巻きつく未来」を手に入れることの難しさに憂う(← その憂いに酔っている)
好きな人以外のパーツに目を向けることってほとんどないです。
見ないようにしてるのか?
いや、アウトオブ眼中という気もする。恋する人とそれ以外では、もう大きく違うのです。
「恋する人」を目の前にすると、細胞全部が喜んでいる気がする。
なんなら脳が先走って子宮方面へ幸福ラッパ鳴らしてんじゃないかと思う。
「ついに!?」と、体内でドラマを期待するが、現実はただ会話して終わり・なんなら会話もできなかったりして。
全身でグァっっかりしてね。
剥がれる内膜よ、すみません。
生殖のチャンスを細胞レベルで待ち受けてる気がしますよね。
子孫繁栄のために「恋という福」がプログラミングされてんだとしたら、「でしょうね」と思う。
ただ、本当に人類繁栄するには「多様性」がすごく大事みたいですよね。
「みんな同じ」という状態は、命を繋いでいくのにリスクがあるらしい。
でも現実、自分にマイノリティ性を感じると、はじかれたような・間違ってるのかな?みたいな居たたまれなさも湧いたりする。
特に恋や性、セクシュアリティで「人と違う」「わからない」と感じると、少し前まで恋愛至上主義みたいなこんな時代じゃ居場所ないように思いますよね。それに、男の人すべてを信じるわけにいかない。
今こういう時代じゃ「子孫繁栄より”自分を守る”ことのほうがずっと大事」という価値観が広がっていくのも当然と思う。
恋愛の負のパワーも相当強いと思う。
支配欲やコントロール不能な性欲、恋に敗れれば死だってちらつく。
「自分が生きるために」という大目的の前で恋愛が警戒・忌避対象となることだってあると思いますよね。
リスクがありすぎる恋愛。
「体を開くこと」にしても、何かしらの痛みを伴うわけで、毎回いくらかの恐怖・緊張がある。男性=危険みたいに書いてすみません。
でもなんか、「信じること」のできる人がいつでも人間性高く評価されたりするけど、個人に備わった警戒心にも意味があるはずと強く思って。
恋愛に重きを置かずサクサク生きていけたらいいけれど、恋というのはある意味、命懸けですよ。
何やってんだか・何欲してんだかわかんねぇなってことばっかですよ。
恋愛という素晴らしきパワーに、なぜ「結婚」という目的を付さなきゃいけないのか。恋ってそんなパワーを発するから、「恋愛飛ばして結婚したい」という声がコスパ重視の若者間で上がるのってよくわかる。
私も生殖適齢期を過ぎたからか、もう恋はないな…と思ったり「くだらねぇ」と悪態つきたくなることも増えましたが(極端)、こうやって書いてると全身が喜びに満ちた恋愛期間が思い出されて楽しくなってきました。
とはいえ「どんどん恋するのよ!」とか言うハッスルおばさんになりたくない。
-
自分に孤独は必須な気がして
「今ものすごく孤独」
そういう夢を時々見る。
街のどこにも居場所がない。私は人と近しい関係になると態度が雑になることを自覚している。
まず、目を合わせて微笑み合うみたいなことをしなくなるのです。
そんなん恥ずかしいだろ、みたいな態度にいつからか変わってしまう。
それを許してくれるのは母親しかいないと思う。
だから母親以外の誰かと強固な関係を築く旅に出たのに、うまくいかない…みたいなことをずっとやってる気がします。すごく好きな人から雑な扱いを受けるのも悲しい。
「こっちだって!」と、マウント返しみたいなことをする。
私が雑っぽくなるから相手もそうなるのかもしれない。
どんなに大好きで交際しても、1年経たずに雑味が出る。
でも、そんなに悪いことなのか。人と距離を取ろうと心掛けたのは40代になってから。
それなりの距離があればこそ、相手にすごく尊重の念を抱けるし、そのモードが継続する。
相手を大事に・愛情深く思える距離感。
だけど、それだと「心が埋められる」という感じはない。
孤独が常に胸をそよそよして、孤独と尊重ってセットなんだなという諦念に今向かおうとしている。
失敗があるのです。
すごくすごく親しい友がいた。
「あなたがいてくれれば私はいいの」とまで言ってくれた女性。
家に誰かを招いて料理を振る舞う、というのは私にとってよっぽどのことで、それは彼女にしかしていない。
時に涙を見せるほど心を開いた。
でも、家族みたいに錯覚してしまったのです。
彼女を把握できない時間にすごくイラついてそれをぶつけたり、なんでも味方してくれる一心同体感を期待した。
いや、言葉では「味方よ」みたいなことを言うのに、職場での態度がどうもそう見えない。
友達としてだけど、大好きすぎて振り回されすぎて、思い通りにならないことを「不信」と結びつけてしまい、一度喧嘩してから実質友達解消となりました。
恋愛の破局状態とほぼ似ていた。「私のこと考えてよ!」って求めすぎたのは、相手の気持ちや都合を考えない自分の雑さから来てると思ってる。
今は職場で笑顔を向け合えるようになったし、彼女は変わらず優しい。
けど、雑なのに人に期待する自分への罪悪感と、「振り回された」という不信の気持ちが蘇るので、前のように戻れるとしても相当時間がかかるだろう。
近いと自分は期待する。
ふてくされると反抗期の中学生みたいな態度になる。
自分のこのあたりをどうにかしたいと思って幾年月。
近しくなって期待して傷つけ合ってしまうなら、永遠に尊重できる距離をキープしてたいもの。
孤独を選ぶしかないんだ。もしくは傷つき合い上等で人と関わりまくって、ドロドロのムカムカのイライラの日々でありつつ「戻る場所がある」と思える関係に突入していくかだ。
かつてはそういうのこそあるべき関係性と思ってた。
言いたいこと何でも言って。
傷つけようが率直さに勝るものはないと言わんばかりに。お母さんの子宮に戻りたいんだろうか。
はたまた4歳くらいの自分と父親との関係をずっと求めてるんだろうか。
どんなに雑でもお姫様のように許されつつ、愛情たっぷり注がれる関係。
でもそんな願望は自分だけじゃない気がする。近しいことによる弊害って、すごく可視化されて。
家族も恋人関係も、かつて耐えてたことの中にモラハラ要素が見出され。
もう耐える必要はないんだよと思う。
でもある程度耐えなきゃ、関係は結ばれないんじゃないかとも思う。
その「関係」って「家族」とか「恋人」とくくられるものだとして。
だから人は関係を選ばなくなっているんじゃないか。
関係がそんなに人を傷つけるなら。
互いの雑さにがっかりしては「もっといい人がいるはず」とさまようのなら。
人はなぜ深い関係を求めるのか。
いや、そうじゃなきゃ家族は形成されず、人口も増えないのでしょう。
でも私は合理性があるんだろうと思ってた。
くっつくことの実際的なメリット。
今、「精神の結びつき」みたいのがすごく「関係の理想」とされて、「近しくて、こんなにうまくいってるカップル」がSNSとかコラムで毎日のように紹介されたり申告したり。
うそでしょ?と思いながら読んでいる。
「ほんとだってば!」という続編も出されては読み、自分の深部をしっくりさせようとする。
とかいって、「そういうカップリングを形成できる人が人として最高レベル」という雰囲気に私は反発してるんだと思う。
何度「関係」に挑んでもうまくいかなかった自分が「お前は雑人間だからな」と言われてるようで。そんな私にとって「関係」は合理的じゃない。今のところ。
近しくても尊重し合える筋肉がいつか、つくのかもしれないけど。
-
「いい夫婦の日」に考えたこと
11月22日、いい夫婦の日かぁ〜と思う。
高畑充希と岡田将生の結婚に、さほど衝撃はなかった。
「あ、いいじゃん」って思えたからかな。
「親友のような私たち」という言葉にも、なんかいいなと思った。
それより大谷夫妻とデコピンがまた輝いていて、輪郭しか捉えられなかった。
あんま凝視できてない。
でも勇気持って真美子さんを見てみたら、まだセレブではない素朴さに溢れていてますます素敵と思いましたですね。
あのカップルはなぜあんなに理想的なんだろう。私はどの夫婦・カップルにも、一緒になる目的があるんだろうと思う。
経済的なこと、社会的なこと、子どものことなどなど。
好きだから一緒にいたいとか、それは夫婦それぞれでしょう。
もし私が結婚していたら、「いい夫婦の日」をどう感じて過ごしてたんだろう。
何にも意識しないかもしれないし、「自分たちはいい夫婦かな…」って考え込んでたかもしれない。
街頭インタビューを受ける良さげな夫婦が映ったらチャンネルを変えそう。
パートナーと「ねぇ、今日いい夫婦の日だって」って、食卓で笑い合う姿はなぜか想像できない。私の周りの夫婦・カップルはパートナーのこと、「好きは好きだけど、そういう好きじゃない」という感じで言う人は意外に多い。
それは謙遜か照れか本音なのか、私にはわからない。
一番仲のいい既婚友人は、「最初から恋愛とかじゃない」とこの間言っていた。
「そうなんだ!?」とかなり驚いたけど、そういえば似た雰囲気の夫婦はほかに結構いて、だからといって「終わってる」とかでもなく平和そう。熱愛・即結婚で、その情熱がわりに早く冷めた夫婦もいれば、結婚10年以上たってもラブラブをキープする人もいるし、ラブラブじゃないけど冷めてもない安定的な2人もいて、それは相性の種類なんだろうなと思う。
なのにラブラブのカップルが最上位みたいなのって、なんかむず痒いんですよね。
なんだかメディアも「晩婚化」「非婚化」とかを嘆いといて、「夫婦像」のハードルをやたら高くしてる気がする。
結婚させたいのか・させたくないんだか。女を活躍させたいんだか・させたくないんだかというのも、同じくらいわかりにくいメディアの論調ですが、これは「させたくない」がどこかの本音だと思う。
どこかって、なんか大きな力を持ってる勢力というか、潜在意識というか。
とするなら、今いわれている「理想的な夫婦像」というのは、「女に早く結婚してもらって(若さ)」「家に入ってもらって(育児)」「男を支える(家事)」「浮気には目をつぶる」という前提がまだ根を張ってるように感じる。でも最近は「家に入ってもらって」など望んでない、「夫婦共働きが理想」という男性が増えましたね。
家事・育児する男性も増えたけど、大きな勢力の考えは変わってないので(企業や政府や地方)、女性の負担がまだどうしても重いものとなってしまう。
活躍してほしいけど・してほしくないという潜在的な矛盾が、現状突破の足を引っ張ってるように見えるし、もしかしたら女性の側にも活躍したいような・したくないようなという矛盾した意識があるのかも。
これは結婚にかかわらず、女には心当たりのある感情と思う。
現実、活躍の先に「茨の道」しか想像できない。
ってか、茨の道しか用意されてないというか。
この国でいわれる「夫婦像」は結構矛盾を抱えてそうなのに、「いい夫婦で」という理想ばかり語られるように見える。
「永遠の愛」「運命的な」
恋愛要素の色が濃いというか、性愛のプレッシャーもやけにかけられてるような。
セックスレスとかも、矛盾が何かを邪魔してるんじゃないのかなとか、そもそも性行為ってそんなに必要なんだろうかとか(時代に大いに刺激されすぎたようにも思うから)。
「家族愛」はコロナ禍でネガティブな面が浮き彫りになったからか、家族信仰はだいぶ薄まってきたように感じる。
それで気持ちが楽になった人はとても多いでしょう。
夫婦のハードルももっと下がればいいんじゃないのかなと思ったのです。
結婚はめでたいことと煽りつつ、年齢差(特に女が上)のあるカップルに容赦ないアンチコメントがついたりするのも何だかよくわかんないですよね。
Yahoo!ニュースの記事一覧にしても、結婚に適した人・適さない人を浮かび上がらせるような見出しが目立つ。
それが世の中の意見と錯覚してしまいそうなほど。
同性結婚がいつ実現するかはわからないけど、そうなったら同性の友達同士が結婚という形を取ることもあるかもしれない。
お互いを支え合いましょうという約束を大事な人と交わすのに、性別はそんな重要じゃないように思えるから。
少子化という懸念はあるにしても、よその夫婦に少子化のめくじら立てる人もそうはいないだろうし、ただ政府からしたら少子化は大きな懸念事項なので、現実に夫婦のハードルが下がるのに時間はかかりそう。
選択的夫婦別姓すら実現しないんだから。
ただの語呂合わせの日なんですけどね。
こんな食いついてしまった。
-
カップル考
星野源さんの噂は私もびっくりした。
でも噂が拡散して即座に星野さんの事務所が対応に乗り出し、あっという間に沈静化。
あのスピード感すごかったですね。
星野さんってすごい存在なんだなと感じた。その後、星野さんはラジオの生放送で改めて噂を否定し、なんとガッキーが生登場。
ラジオ後のXでは仲の良さが称賛され、2人の「カップル性」はますます意味が強まったように感じた。
もともとすごいカップルだけど、この一連の出来事でカップル性がうんと高まったというか。
芸能界では「おしどり夫婦」ということも言われやすく、「カップルとしていつまでも仲が良い」ということが人間にとって最高の要素として語られたりする。
人は結婚や交際をするとき、「カップルとしてくくられる」ことをどこまで意識するものなんだろう。
交際段階で意識する人はそんな多くなさそうだけど、結婚すると「夫婦」と呼ばれたりして、芸能人だと片方の不貞を片方が謝ったりもする。「家族」なのだから、そういうポーズは長いこと自然だったのはわかる。
ガッキーが生出演したのも、悩める源さんの応援という意味合いだったんだろう。
その愛情深さには素直に感動した。
でもなんか、モヤモヤした…
私はなんだかんだ男の人を立てるところがある。
そうじゃないとめんどくさいことが多く発生するから。
その面倒さを回避するために立てておいたり、相手の好む話題を察して言ってあげたりしてきた。
それは「兄シフト」とも言えるもの。
兄に「つまんない」とジャッジされないよう必死だった時期があった。
兄に気に入られるために努めて柔軟にしてきた部分がある。
そういう幼い頃から培ってきた兄シフトで、同級生男子や職場上司とのコミュニケーションをスムーズに乗り切ってきたとも言える。
それは自分に備わった「らしさ」だとずーっと思ってきたんだけど。疲れる。
人のための行動だったから。
誰といても疲れてしまう。
とはいえ、素の自分を見せれば中学男子と一緒にいるみたいとガッカリされるし。
それでも「カップル」方向を目指すのが普通と思ってたけど。
うまくいかない。
疲れてしまうから。
私は「悩める私」を誰にも見せることができない。
見せられる相手がいないことをずっと悲しく思ってたけど、単に私はそういう人ということ。
1人でいるときしか真にホッとできない。
「カップル」が人間の理想最終形態みたいに言われるのって、違うんじゃないだろうか。
どこまでいっても「私一人」が自然な姿。
だったらなぜ人はカップルになろうとするのか。
そこには各々の目的がある。
いろんな目的があるだろうと思う。
それを人は知る由もない。性行為をするには確かにカップルにならなきゃならない。
たとえ刹那的な関係としても。
オキシトシン出したいよね、というのもわかる。
性で満足感を得たい気持ちと、一生の安心感を得たい気持ちと、子どもを望む気持ちと、好きな人のそばにいたい気持ち、相手への愛を誓う気持ち。
それぞれつながっているようで、実はバラバラだと思う。
それらすべてを叶えてるように見える2人がスーパー理想カップルみたいに言われたりする世の中に息苦しさを感じる。
見えるだけなのに。
そのことがあのラジオ聴いて胸にのぼってきた。それらがつながらないカップルもいると思う。
すべて叶わないカップルだっているんだろう。
それでも「幸福」と言う人は結構いるんじゃないか。
1人も同じ。
全部叶えてないとして。
でも不幸ではない。幸福と言える。
誰かに適応しなくていい日々というのは私にとって素晴らしく自由ですがすがしいこと。
誰かが時々そばにいるのはもちろん嬉しいし楽しい。
でも近すぎるとうまくいかなくなるのが私。
そういう人、結構いるんじゃないんだろうか。
どう振る舞っても真美子さんにつなげられてしまう大谷選手は気の毒だなと思うけど、本人はどうってこともないかもしれない。
私が「気の毒」というネガティブさを勝手に映し見ているだけで。
だって「私」が誰かに紐づけられるなんて息苦しいじゃないか。
私は私。
今、カップル性にすごく意味や期待が込められていて、いかにも「自然」な顔して語られてるけど、不自然にまみれてると思う。そう思ったという話。
-
異性との関わり運気
私は普段、女性9割のとこで働いてますが、たまに男性9割の職場で仕事しています。
2つ掛け持ちしてるということ。男性9割職場への出勤頻度は以前より減ったものの、年に数回がっつり赴くことがある。
今がその時期。
それは星にも表れていました。
私の牡牛座火星とトランジット木星が現在コンジャンクション中。
普段、異性との関わりがほとんどない自分にとっては、それなりに特別な運気と言えそうです。
といっても「ただ、それだけ」
それだけってのもなんですが、火星=男性、木星=拡大、これが結びついたそのまんまの事象。
鑑定でもよく「このあたりで多くの異性と関わるかも?」と伝えることがありますが、「それが恋愛や成就と結びつくかはなんともいえない」と付け加える。・T火星(男性)・金星(女性)や木星(拡大)がネイタルのパーソナル天体とコンジャンクション
・Tドラゴンヘッドやテイル(縁)がパーソナル天体とコンジャンクションこれらが分かりやすい出会いの暗示ですかね。
オポジションも出来事に関わりやすい。
アスペクトは「インパクトの強度」と関係があるかも。
コンジャンクションとオポジションは気づきやすいけど、その他のインパクトはそこまでではない。
(ただし外惑星(冥・天・海・土)とのスクエアはインパクト大)自分自身の恋の始まりやインパクト大な出会いの時期を振り返ったときにも共通点がありました。
・T火星・木星がN金星or太陽・月に絡む
(NorP金星とコンジャンクション・オポジションとか)
・T火星・木星が5室に入るそのほか、Tドラゴンヘッドが絡んでたりP火星とT木星が絡んでたりもしますが、大体がコンジャンクションかオポジション。
インパクトの強い恋愛事情においてトラインという生やさしさはないという印象。
人によるかもしれません。
私はN月が獅子座で5室なので、恋愛がそもそも人生においてインパクトの強い出来事になりがち。
誰しも初恋くらいから恋の時期を遡ってみれば、星回りになんらかの共通点があるんじゃないでしょうかね。
私の恋の始まりはいつもインパクト大とは言えますが、その中でも心のシーソーが音を立てて落ちた…と感じたのが高1のとき。
クラスメートが一人一人自己紹介をするという4月もしょっぱなのころ。
1人の誠実そうな男子に一気にポーッとなってしまった。
そのころのチャート。5室のN月とT木星がまんまとコンジャンクションしてました。
この男子とは秋の文化祭で告白し付き合うことに。
そのころT木星はN金星とコンジャンクションを形成。
木星は逆行しますからね。
月と金星の間を行ったり来たりしてる時期に恋心を募らせ、金星と木星合のときに行動に出る。
木星は「いける気がする!」という自信も拡大してくれるという、まさに恋愛運気だったわけで。しかし、この恋は長く続かない。
翌年のバレンタインデー前に振られてしまいました。
恋愛の終了時というのは、これまたT天王星と土星が印象的に絡んでくる共通点があるのですが(私の場合)、それはまた別の機会ということで。
「推し」との出会いも振り返ってみました。
それは岡村靖幸・岡村ちゃん。
2012年の残暑、美容室で手にした雑誌に岡村ちゃんの特集が載っていたことと、同じ時期に友達がCDを貸してくれたタイミングが重なった。
この時期はT金星が私の蟹座太陽〜獅子座月のあたりを通過していて、かつドラゴンヘッド回帰もしてました。
ドラゴンヘッド回帰にどんな意味があるかはよくわかりませんが、自分にとってなんらか運命的な出来事があるとは思ってます。
「あのときあれがあったから今こうなってる」
そのきっかけがセットされる日というか。
まさに岡村ちゃんに出会ったこととゆめぼしブログスタートはつながっている。ちなみに、TドラゴンヘッドとNテイル(その逆も)がコンジャンクションするときも、なんらかインパクトのある出来事が起こりやすいんじゃないでしょうかね。
ただ、それが人生に何をもたらしたか?が分かるのはずっと後なのかもしれません。
ただ、「この星回りだから成就する」「出会いありそう」とかは、やっぱ確実とは言えない。
星を見て期待したことも何度もありました。
何度も星見て何度も感じたこと。
「予想以上の不安は実現しないけど、予想以上の期待もまた実現しない」「不安と期待」って、本当まとわりついてくる業ですよね。
私は不安症でもあり期待過多人間でもある。
ホッとしたことも多いけど、がっかりしたこともまた多い。
だけど、自分を不安症でネガティブと決めつけたまま出会いや恋愛を繰り返してきたというのは、なんてもったいなかっただろうと思う。それは赤ちゃんのころの満たされない欲求を抱えたままだったということ。
だれだっていくらか抱えてるとしても、そういうのって恋愛対象者と一緒に改善していくものと勝手に思ってましたよね。
もしくは我慢。
我慢か不満の2択。あぶなすぎる。
そんなの不満解消の期待先を、親から好きな人へとスライドさせていただけ。
でも赤ちゃんの期待を「誰か」に求めっぱなしじゃ、恋愛はうまくいかない。
そりゃ、時々出ちゃうでしょう。例えば喧嘩の場面などで。
それだって「あ、赤ちゃんvs赤ちゃんでぶつかり合ってしまった」と気付けないと、永続的な信頼関係ってなかなか築けないものかもしれない。
「あなたが悪いからあなたがどうにかしてよ」「裏切られたのはこっちなんだから」
本当はそれは投影で、言語化できなかったあのころの不満を身近な人に処理してもらおうとしてるだけだったりする。
その投影はグズる自分の「いつものパターン」
その再生VTRは自分で編集しなきゃならないし、編集できる。
不安と期待が大きいままでは、どんな星回りもフイにしてしまうのかもしれない。
ホロスコープは「成就」という領域までは責任を持たないっぽい。
「出会い」は確かに授けた。
それをどうするかは、成熟した心にかかってるんでしょうね。
ただ、「じっくり自分と向き合う」みたいなチャンスをもたらしてくれるのもまた星回りなのだと思います。