恋というパワー
前回は女子に好意を抱く話について書きましたが、男性に恋したときのパワーは、それと比較にならないと思った。
女性が月としたら男性は太陽。
男性はエナジー。
そのぐらい違う。
だから私は異性愛者だなと思う。
中3の卒業式で初めて、恋しくて泣きました。
好きな男子からボタンをもらいに行ったのに一個もなかった。
そしたら生徒手帳くれたんですよね。
その優しさと、もうお別れということが悲しくて、彼の前で泣いてしまった。
隣のクラスの男子でした。
休み時間、うちのクラスのドア開けて変顔をさらす。
なかなかイタいウケ狙いだけど、すごく好きになった。話したことはない。
太陽みたいなスマイルの彼。
バレンタインデーに勇気出してチョコ渡したら、ホワイトデーに私の座席にお返しを置いてくれた。
ほんと優しいんですよ。
今でもホワイトデーのお返しの箱と生徒手帳が実家にある。
捨てたっていいのに、何で捨てないのか自分。
「恋」にはそんなふうに、センチメンタルキープパワーがある。
好きな人に欲情する、これまたパワーみなぎることで。
私は好きな人の腕にうっとりします。
車のハンドル握ってるときの手首からひじの間。
ゴツい腕時計が映える肌の色。
その腕が自分に巻きつくことを想像しては、「巻きつく未来」を手に入れることの難しさに憂う(← その憂いに酔っている)
好きな人以外のパーツに目を向けることってほとんどないです。
見ないようにしてるのか?
いや、アウトオブ眼中という気もする。
恋する人とそれ以外では、もう大きく違うのです。
「恋する人」を目の前にすると、細胞全部が喜んでいる気がする。
なんなら脳が先走って子宮方面へ幸福ラッパ鳴らしてんじゃないかと思う。
「ついに!?」と、体内でドラマを期待するが、現実はただ会話して終わり・なんなら会話もできなかったりして。
全身でグァっっかりしてね。
剥がれる内膜よ、すみません。
生殖のチャンスを細胞レベルで待ち受けてる気がしますよね。
子孫繁栄のために「恋という福」がプログラミングされてんだとしたら、「でしょうね」と思う。
ただ、本当に人類繁栄するには「多様性」がすごく大事みたいですよね。
「みんな同じ」という状態は、命を繋いでいくのにリスクがあるらしい。
でも現実、自分にマイノリティ性を感じると、はじかれたような・間違ってるのかな?みたいな居たたまれなさも湧いたりする。
特に恋や性、セクシュアリティで「人と違う」「わからない」と感じると、少し前まで恋愛至上主義みたいなこんな時代じゃ居場所ないように思いますよね。
それに、男の人すべてを信じるわけにいかない。
今こういう時代じゃ「子孫繁栄より”自分を守る”ことのほうがずっと大事」という価値観が広がっていくのも当然と思う。
恋愛の負のパワーも相当強いと思う。
支配欲やコントロール不能な性欲、恋に敗れれば死だってちらつく。
「自分が生きるために」という大目的の前で恋愛が警戒・忌避対象となることだってあると思いますよね。
リスクがありすぎる恋愛。
「体を開くこと」にしても、何かしらの痛みを伴うわけで、毎回いくらかの恐怖・緊張がある。
男性=危険みたいに書いてすみません。
でもなんか、「信じること」のできる人がいつでも人間性高く評価されたりするけど、個人に備わった警戒心にも意味があるはずと強く思って。
恋愛に重きを置かずサクサク生きていけたらいいけれど、恋というのはある意味、命懸けですよ。
何やってんだか・何欲してんだかわかんねぇなってことばっかですよ。
恋愛という素晴らしきパワーに、なぜ「結婚」という目的を付さなきゃいけないのか。
恋ってそんなパワーを発するから、「恋愛飛ばして結婚したい」という声がコスパ重視の若者間で上がるのってよくわかる。
私も生殖適齢期を過ぎたからか、もう恋はないな…と思ったり「くだらねぇ」と悪態つきたくなることも増えましたが(極端)、こうやって書いてると全身が喜びに満ちた恋愛期間が思い出されて楽しくなってきました。
とはいえ「どんどん恋するのよ!」とか言うハッスルおばさんになりたくない。
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