生活と対等(誰かと住むという想像から)
「レジ袋の大ください」
私はそう言う率が高い。
底が平らな弁当用バッグを持ってないこともあるし、惣菜もくるんだビニールの端から汁がこぼれてた率高い。
そしてエコバッグに汚れが付着。
洗濯しても落ちなかったりする。
バッグだってそんな安くない。
100円均一のでいいじゃんという声もあるだろうけど、だったらレジ袋を買う。
家に帰ったら同居人がいたとして。
「なんでエコバッグ使わないの!」「レジ袋買うかね!」
責められたら嫌だなぁ〜という想像をした。
なぜかそのシルエットは女性だった。
女性友人のエコバッグ率は高い。
そりゃそうだろうとは思う。
お金もったいないし、環境のことあるし。
でも私は自分が買った袋をゴミ袋として使っている。
この世に売られた袋があるかぎり、買う自分が環境汚染の主というわけじゃないはずで。
ってか、なぜこんなに言い訳してるのか。
私の周りには「ちゃんとした女性」が多くいて、あの子に眉ひそめられちゃうかな…なんてことを時々思うから。
ただ、男性が同居人として。
その人がレジ袋ぼんぼん使う人だったら、「ちょっとさぁ」くらい言いそうな気がする。
「ゴミ袋として使ってるよ」と言われても、なぜか言い訳に聞こえてイラつく想像までする。
女って「言いたくなる」性分なのかな。
どっちかがきちんとしてて、ルーズタイプが怒られる。
生活ってそういうもの、という固定観念が奥底にしみついてるのか。
母親の真似をしてるのか。
「そういうもの」なのか。
「シーツを洗う頻度」についての会話はいつも気まずい。
「週1洗わないと気持ち悪くない?」と既婚女性が言う。
私は数週間でも気持ち悪くない(あえて数週間とボカす)。
私もそれなりに「生活ちゃんとしてる人」と思ってるのだけど、友人宅に遊びに行くと、自分がルーズ人間のように感じられてしまう。
みんな水道周りとか黒ずんでないし、トイレのタオルまでふかふかしてる。
私が来る前にすごい掃除をした、という雰囲気もない。
「ちゃんとしてる」の基準がきっとはるかに高いんだ。
帰宅して、風呂場ドアの隙間汚れを慌てて拭く私。
自分は結構やれてる派と思うのに、女性と同居したら「いい加減なタイプ」と思われるのだろう。
女性同士というのは、一見相手を全肯定する温かな関係を育める。
でも旅行先でピリピリするのは、生活のギャップを見るからでしょうね。
部屋があんなにきれいな友人が、バッグから全てを出して自分の周りに置いて途方に暮れてたりする。
そして風呂が長い。化粧が長い。
女子だなーと思う。
私はこの「女子だなー」という感じが実はちょっと苦手。
時々ならかわいいけど、生活となるとストレスになりそう。
男性のルーズさは許せる(程度はあるけど)。
男性が宿泊先の部屋で途方に暮れてたり、風呂が長いということはない。
「さ、部屋出るか」と立ち上がったとき、男性がテーブルにこぼしたお茶をさっと拭いたりする自分に喜びすら覚える。
それを彼に見られてなくても、そういうことをやりたい自分。
これ、女性のこぼしたお茶を私が拭くってことはできない。
いや、湯呑みが倒れてこぼれたのなら拭くけど、ちょっとした水気を拭くってのは嫌味じゃないですかね。
私は「対等」をいつだって交際関係の理想に掲げてきた。
男性と交際を深めると、なんだかんだ男性の運命性を優先しながら生きていくことに、どこか怯えていた。
女性友人との関係性はおおむね対等。
ただ、それも「距離保ってるから」という部分は大いにあるわけです。
私は「近しくて対等」という関係を誰かと築きたいと望むのに、それは無理なんじゃないかと最近すごく思ってて。
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女性との関係に亀裂が入るのって、恋愛の破綻より怖いかも。
そんで、相手の上に立とうとすると大体関係はおかしくなる。
それを互いによくわかっているので「対等であること」、そのバランス調整に細心の注意を払う。
相手女性のことを「だらしない・ダメだな」と思うより、自分が「ダメ」の側にいたほうがまし、そんなことを意識はよくわかってる気がしますよね。
「下」に耐えられるのもいっときだけど。
男性と関係が近しくなると、全体的に男性が「上」みたいになるんだとして。
細々とした場面では「上に立たせてくれる」と感じる。
それが私は心地よい。
「しょうがねぇなぁ、男ってのは」というベースを心に抱かせてくれる存在はありがたい。
そんでこっそり「頼もし〜」と安心する(オープンにしてけよという話だけど)
兄がいるからこういう感受性なのかもしれない。
もう10年以上も前になるドラマ版「モテキ」が好きで見てましたが、第2話のタイトルが「深夜高速〜上に乗るか 下に寝るか〜」
夜の主導権争い描写が見事で、満島ひかりのかわいらしさが世に放たれた神回と思ってますがね、男女ってああいうことしょっちゅうやっている。
「マウント取り合い」が許し合える関係を、実は私は望んでたのかも。
対等を理想に掲げといて、その実、「私の権利が通ること」を求める。
とか言ってもね。
男性相手にマウント取るっていうのは、「それでやっと対等」と感じられるから。
私は男性が恋愛対象。
何が好きって男性とつながると社会につながる感覚をダイレクトに味わえるからかも。
時に翼を授かったように自分の役割が明確になることもあり、「しょうがないわね」でやってあげてる自分はなかなか悪くない。
とはいえ、「やれよ…」と思うこともたくさんある。
男としてはもしかしたら、最近の世間からの圧にダブルバインド混乱状態なのかなと思ったりもして。
「気がつく」ひとつ取っても、「ここまでは気づかなかった」ということは無数にある。
そこまでやらなきゃなの?と聞けば、「そうだよ!」と気づいた側は思わず言っちゃうだろうけど、正直「こんな隅々まで気がつく自分」でもありたい。私はね。
さらなる理想を言えば、「隅々まで気がつく女性」に気づいてほしい。
そんで、「フォローしてもらってんだな…」と噛み締めてほしいんだな。
そういう願望まで汲み取ってもらう期待は期待しすぎとわかるし、でも理想はやっぱ汲み取ってほしかったり、やってほしかったりだし。
ただ現実として、自分のことだけじゃなく同居人の動線まで想像してくださいよという願いは切実であって。
女性相手だと「隅々まで気がつく存在」とかになりたくないんですよ。
そんな嫌味な人になりたくない。
相手をそういう存在にするのも気が引ける。
私はこの先、女性と住むという未来もあるかもなぁと思わなくもなかったけど、やっぱハードル高そう。
上に立たないことを心がけつつ支え合うって難しいなぁと。
「年老いた親」だったらまだしもで。
これも立場がしょっちゅう逆転しますからね。「親」と、世話する娘とで。
「対等」っていう理想、そんなよくもないのかな?という気づき。
わかんないですけどね。
私の未成熟な部分が抵抗してるだけかもしれない。
女が尽くすから男は鈍感ルーズでよいとか、そういう話ではないです。
ただ、このへんの煮詰まりをもっとクリアにしたい。
ダブルバインド状態がもっとクリアにされて、いい意味での対等さが生活に自然に浸透していったらいいと思う。
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